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第一章

第5話 どっちの『好き』?

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 週明けにコンクールを控えたこの日は、全体の合奏練習に加えて追い込みの各パート練習もみっちり詰まっていて、朝からバタバタと忙しくしているとあっという間に時間が過ぎていた。

 更にその後にあった部長副部長とパートリーダーを交えた幹部ミーティングが思っていたよりも長引いてしまい、校門を出る時には辺りはすっかり日も暮れて暗くなり始めていた。

 私は楽譜の入った重たい通学鞄と楽器を手に持ち、今日の合奏やパート練習を振り返って反省をしながらぼぅっと駅に向かって歩を進めていると、急に背後から声がした。


「柏木!」


 ハッとして声の方にくるりと振り返ると、吹奏楽部の部長で生徒会長の深澤ふかざわ 航生こうきくんがニッコリしながら私に向かって歩いてくる姿が見えたので、私は足を停め、深澤くんを待った。


「深澤くん、どうしたの?」


 やがて深澤くんは私の隣までやってくると、ニッコリと屈託の無い笑顔を見せた後、片目を瞑り両手を合わせてごめんのポーズをとって言った。


「部活、長引いちゃってごめんね。すっかり遅くなっちゃったし、外も暗くなったから、家までおくるよ。」


 深澤くんはそう言って流れるように私の手から鞄と楽器をするりと奪うと、スタスタと歩き出してしまった。
 私はその様子を呆気に取られてぽかんと立ち尽くしていると、深澤くんはこちらを振り返らずに離れた所から、私に向けて言った。


「何してんの?置いてくよ。」


 私はその声ではっと我に返る。
 背が高い深澤くんは歩幅も大きくて気が付いた時にはもう既にかなり離れた場所にいたので、私は後を追う為に慌てて駆け出す。


「え?え?ちょっと速い…ってか、待って!!!」

「ん?」

「はぁ…はぁ……あ、あの…さ、毎日通った慣れた道だし、全然送ってくれなくても、 大丈夫だよ?」


 必死に走って漸く追いつく。
 私は乱れた息を整えながら深澤くんのワイシャツの裾をキュッと引いて制止すると、深澤くんは足を止め、こちらをくるりと振り返ってふわりと笑って首を横に振った。


「ううん、心配だから送らせて?」

「で、でも……」

「……それに、俺、まだ柏木といたいし。」


 深澤くんは私の言葉に被せ気味にそう言うと、シャツを握りしめていた私の手をそっと解き、自分の手に繋ぎ直して再び駅の方へと歩き始める。


「ふ、深澤くん!」


 後ろから声を掛けてみても手を引いてみても返事はない。何となく気まずい。
 手を繋いでお互い一言も発する事なく歩くだけなので、いつもはあっという間に感じる学校から駅まで徒歩20分の距離が、とてつもなく長く感じた。

 どんどん歩いて、そろそろ駅に到着するとかという頃、漸く深澤くんがポツリと言葉を発した。


「柏木んちって、何駅?」

「えと、若葉町だけど… 深澤くんは……?」

「俺は新川だよ。」

「逆方向なんだね。じゃあ、ここで…」


 そんな他愛のない話をしながら歩いているといつの間にか駅に着いていた。
 お互い逆方向の電車なので、ここで別れる為、私は深澤くんから荷物を受け取ろうとすると荷物を持った手をふいっと避けられた。


「家まで送るっていったじゃん。コンクールの話もしたいしさ。ほら、いこ。」


 私が吃驚して目をぱちくりさせていると、目の前の深澤くんはちょっと困ったような顔をしてそう言って、繋いだ手を少し強引に引いて一緒に駅の改札をくぐった。


 結局、深澤くんの押しに負けた私は、素直に家まで送ってもらうことにした。
 ホームに着くと丁度電車が来ていたので、そのままふたりで同じ方向の電車に乗る。
 それから家に着くまで、部活の事や他愛のない事など色々な話をした。深澤くんとは昔から馬が合うのか、話をしていると話題が尽きなくて、あっという間に楽しい時間が過ぎていく。
 そして、あれよあれという間に、気が付くと家の前に着いていた。


「深澤くん、送ってくれてありがとう。遅くなったし、お礼に夕飯でもどうかな?」


 正直、ここ最近は渉とのことがあって気持ちが沈んでいたので、沢山話もできて少しばかり気持ちが紛れてよかったと、心からそうそう思えた。
 私は門を開けると荷物を受け取る為にくるりと深澤くんの方に振り返り、お礼がてらにと家に誘った。

 すると、次の瞬間、グイっと強い力で引っ張られたかと思うとドンという衝撃と共に視界が何かに遮られて真っ暗になった。

 何が起こったの……?

 一瞬、何が起こったのか頭が追いつかなくて、パニックになると、耳元でドキドキと自分のものではない心臓の音がした。

 もしかすると私は今、抱きしめられている……?

 そこで、自分の置かれた状況を理解すると、途端にドクン!と大きく心臓が跳ね上がり激しい動悸に襲われる。咄嗟の出来事に動揺してしまって、情けない事に体が動かなかった。


「ふ、深澤くん……こ、これ。え?なん、で……」

「柏木、好きだ。ずっと好きだった。1年の時から。ねぇ、そろそろ俺のこと見てくれてもいいんじゃないかな。」

「え、っと……ちょっと、待って。」

「もう十分待ったよ。ずっと伝えてたよね?好きだって。」

「でも、だって…私は……」


 中学1年の修了式の日、深澤くんに告白されたのだが、私は幼い頃から…それは物心が付く、ずっとずっと前から隣に住んでいるひとつ下の幼馴染、わたるのことが好きだった。



 ◇◇◇



 幼馴染と言えばひとつ上にさとるとふたつ下にゆうもいる…と言っても、聖が3月生まれで私が4月生まれなので実質は1ヶ月しか変わらなくて、学年こそ違うが、ほぼ同い年なのだが。

 母親達は、ちょうど良く男女で生まれた聖と私を許嫁にと思っていたようだが、流石に父親達が、もう少し大きくなってから本人達の意思を確認してからにしようと、もっともな意見で母親達を言い含めて、私達が中学生になる時まで許嫁の件は保留する事になった。

 その聖だが、私と1ヶ月しか変わらないにも関わらず、器用で要領もよく何でも自分で出来るお兄ちゃんで、昔から負けず嫌いの私はそんな聖と事ある毎に、競い合うライバルとしてお互いに認識していたと思う。それに、私も聖がお兄ちゃんとして好きだったし、聖も私を妹として可愛がってくれた。

 だけど異性として『好き』なのかと言われるとそういう感情はなくて、どちらかというと肉親への情に近い『好き』だと言うことは幼いながらもはっきりとわかっていた。

 その頃には、渉の存在は私も既に認知していて、私達はいつも3人で一緒にいた。

 暫くして私と聖と渉にそれぞれ妹が生まれると、母親達も流石に沢山の幼子の相手はできず、当たり前だが、母親達は一番下の妹達にかかりきりになった。

 その状況に、ある程度大きくなっていた聖と私はまだ我慢ができたが、まだまだ甘えん坊の渉には耐えられるはずもなく、年子で生まれた妹にいきなり母親を取られて寂しかったのか更にベタベタの甘えん坊になってしまった。

 それからの渉は、母親に甘えたい気持ちを押し殺し、いつも泣きながら抱っこをせがんでくるようになった。
 私はそんな渉を膝の上に抱っこすると、困った甘えん坊さんだね、と言い、優しく頭を撫でてやった。
 すると、渉は私の胸に額を擦り付けながら


「このちゃん、だいすき。」


 と言ってにっこりと可愛い笑顔を向けてくれる。

 そして、渉はお昼寝する時はいつも私と一緒の布団で寝て、何処に行くのもいつも私の後を付いてくるようになった。

 元々子供の頃から誰かの世話を焼くのが好きだった私は、何でも自分で出来てソツなくこなす聖の事よりも、不器用で泣き虫で手のかかる渉の方が、可愛くて寧ろ好ましいと思っていたし、そして愛おしくて仕方がなかった。

 その愛おしいという感情が異性に向けてなのか、それとも家族に向けてなのか、この時の私にはまだ判断がついていなかったけれど、確実に違ったのは、聖に抱いている感情と渉に抱いている感情が似て非なるものであるという事だった。

 だけど、私は異性とか家族とか関係なく、この笑顔の為なら幾らでも愛情を注いであげたい、と自然とそう思えたので、私の持てるだけの愛情を注いで渉と一緒に過ごしてきた。


 優しい兄に泣き虫で可愛い弟、まだまだ小さくて目の離せない妹達に囲まれて、その子達の世話を焼いて、私はこの上なく幸せだった。
 そして、その幸せはずっと続くと思っていた。
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