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第二章 誰にも渡しませんわ

第29話 前哨戦

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「ごめんなさい。危ないと思ったらつい体が動いてしまって……」

 このやり取りにエレナが激しく驚いた顔をした事をローズは見逃さなかった。
 ゲーム中、誰かの諫言に対して反省する所なんて態度を見せた事が無いローズ。
 没落一直線の最中でもそのスタイルは変わらない。
 それが、素直に謝っている姿。
 このゲームのプレイヤーならそんな顔して驚いても当たり前と言えるだろう。
 自分がエレナとなっていたとしても同じ顔をしたと、ローズは思った。

「ふぅ、仕方有りませぬな。そこはお嬢様の父君であるバルモア様。そして奥様のアンネリーゼ様とよく似ておられる」

 お小言を言っていた執事長はふと優しい目でローズを見てそう言った。
 ローズとなったこの数日間で、父であるバルモアと母であるアンネリーゼの事をそれとなく調べていたので、今の執事長の言葉は素直に頷ける。
 噂に名高いアンネリーゼは元より、バルモアも負けず劣らず『弱きを助け強きを挫く』を地で行く様な正義漢で有る事も分かっていた。
 それだけの傑物だった故に、その死後跡取りが性悪なローズだった事が急速な伯爵家の衰退に繋がったのだろう、とローズは考えている。
 領地が有ればまた別だったのかもしれないが、どちらにせよゲーム中のエレナ視点からの情報ではそこら辺の裏事情は一切明かされなかったので、伯爵家没落の真相は謎のままだった。


「ともあれ、今回に関しては、お嬢様の……」

 そこまで言うと、執事長は急に言葉を止めた。
 なんだろうと顔を見るとフリーズしている様だ。
 いやゲームのバグと言う訳ではなく言ってはいけない事を言い掛けたのを慌てて止めたと言う感じ。
 ともあれ、そんな気になる所で止まられると続きが気になるとローズは催促する。

「『私の』とは、どう言う事ですか?」

 少し焦る顔をして固まった執事長にローズは問い掛けた。
 すると、執事長はコホンと咳払いをして改めて言い直す。

「いえ、お嬢様のお手柄と言う事です。なにしろこの少女は、旦那様の弟君である現シュタインベルク領の領主テオドール様からの紹介でして、初日から怪我をさせたとなると、……テオドール様に申し訳が立たなかったのですよ」

 何やらあからさまに誤魔化している匂いがプンプンとしているとローズは思ったが、『テオドール』と言う名前が出た途端、周りの使用人達が『あぁ』とまるで唾棄するかのような相槌を打ったので、ローズもそう言う事かと納得した。
 父と母を調べた際に、テオドールなる人物についても調べている。
 この人物もゲーム上で存在するであろう事は推測されていたが、一切語られる事は無かったキャラであった。
 存在の証明は簡単。
 従弟のカナンが居ると言う事は、その父親も存在するのは自明の理。
 そう、その人物こそテオドールである。
 血と名を大切にする貴族であるからにはこの世界でも従弟同士で結婚出来る筈と、カナンと結婚した場合に義父となる人物を調べていたのだった。
 その結果は非常に気が重いもので、将来の旦那様候補からカナンは少しばかり遠ざかったと言っても過言ではない。

 テオドールの人物像は、一言で言えば小物。

 影では兄であるバルモアが生まれる際に、母のお腹に置いて行った残りカスがテオドールだと言う物も少なくないらしい。
 ここら辺の事をフレデリカが熱く語っていたのをローズは思い出す。

 『テオドールって、兄であるバルモア……お父様と似ても似つかない小心者の小男って話なのよね。狡賢く猜疑心が強くて手元には自分の言う事を何でも聞くイエスマンしか置かないとか。うちの古い使用人達も追い出されてここに来たらしいし。そんな人の口利きで雇った使用人を初日で怪我させたりしたら、どんなイチャモン付けて来るか分らないわよね……』

 屋敷の主人不在の状況で、何故エレナを雇ったかの理由が判明したのだが、なるほどこれは断れない。
 仮に雇わなかったとしても、顔に泥を塗られたと難癖付けられる可能性がある。
 本当に困ったものだとローズはため息を吐いた。

 『う~ん、三桁回数エレナでプレイした者としたら、この事実はなんだか複雑な気分。隠しモードだけの設定と思いたいわ。しっかし、なんでそんな父親からカナンちゃんみたいな天使が生まれて来たのか不思議ね。って、お父様とお母様から性悪ローズが生まれて来たんだから似た様な物か』

 血の成せる業なのか、とローズは思った。
 どちらにせよ、どう言うつもりで紹介したのかは不明だが、エレナの後ろにはテオドールが居る。
 伯爵死後に使用人達がローズから離れてエレナに味方する理由もこれで判明したとローズは思う。

 『そりゃ、同じ性悪相手なら、先行き不安なローズより、領地を持っているテオドールとの繋がりを持つエレナに取り入ろうとしても仕方無いわよね。本当世知辛い世の中だわ』

 使用人達にも生活と言う物が有るのだから、先行き不安な職場など離れて行っても仕方無い。
 それを恨むのも怒るのも今の自分には関係無い。
 今のローズは野江 水流だし、まだ来ていない未来の話なのだから。
 ならばそれに向けての対策は単純明快だ。
 この職場伯爵家、延いては跡取りローズに対して希望を持たせればいい。
 ローズはそう思い、気持ちを新たにする。

 『単純とは言え、簡単じゃないんだけどね』

 主人公をバッドエンドに叩き込む『あたし幸せ計画』の骨子がおぼろげながらもここに完成を見た。
 微かだが見えて来た光にローズは喜んだ。


「あ、あの……申し訳ありませんでした!!」

 その時、突然エレナが謝罪の声を上げた。
 それによって、皆の目がエレナに集中する。

 『むむ、これはエレナの反撃って事なのかしら? 人の目を集めて何か言うつもりなのね。良いでしょう、迎え撃ってやるんだから』

 これは主人公による反撃の狼煙だと解釈したローズは、エレナの言葉に当方に迎撃の用意ありとばかりにカウンターを仕掛けた。
 これはこれから始まる本編の言わば前哨戦。
 この戦いに勝てない様では、お先真っ暗とローズは気合を入れた。
 まず慈愛に満ちた表情を作り、エレナに向けて優しく手を差し出す。
 そして……。

「良いのよ、エレナ。あなたが無事なら私も嬉しいわ。これからあなたはこの屋敷の家族の一員なのですもの」

 ローズが取ったカウンターは、伝え聞いた母の様に聖女の如き態度を持ってエレナに接すると言う物。
 純粋無垢なこの主人公相手では、姑息な妨害などで蹴落とそうとしても、ゲーム通りに周囲の皆はエレナに同情する流れになるだろう事が予想される。
 ならば、それ以上に優しく純粋で、聖女の様に振る舞えばいい。
 そうすればエレナへの同情は減り、少なくともシュナイザーとディノのフラグは立たない筈だとローズは考えている。
 エレナは憎い相手だが、人に優しくする事が得意な自分には、ただ単に憎しみをぶつけるよりも、こちらの方が合っていると思ったのだ。

 この言葉にエレナは目を見開いて驚いている。
 ローズはその表情にどこと無く怒りの様な感情も読み取れた気がした。
 しかし、それはほんの束の間、瞬きすると消え失せ、ただの驚きの顔に戻っている。
 今のは何だったのかと少し困惑したが、口撃のイニシアチブを取れなかった事への苛立ちだろうと解釈した。

 この言葉に驚いているのは、何もエレナだけではない。
 周囲の使用人達も同じように驚いている。
 ローズは心の中で『いきなり家族と言われて困っているのかしら?』と少し悲しく思ったが、実のところ皆の驚きは真逆の意味を持っていた。

 ある使用人の心の声はこうである。
 『お嬢様が自分達の事を家族と仰ってくれた! なんと光栄で喜ばしい事なのだ』
 他の使用人達も同じように感動している。
 頑なにローズに心を開かなかった一部の者も、今の言葉に心を開き始める事となった。
 なんせ、自分の危険を顧みず使用人を助けたのだ。
 しかも、助けた時は相手が厄介な者からの紹介者とは知らなかったのだから、もしかするとそれが自分だったとしても助けてくれたのではないか?
 心を開かなかった者達は、そんなifを思い描いた。


「え、えっと……」

 エレナは周囲の異様な雰囲気に気圧されてか上手く言葉が紡げないようだ。
 そんな姿にローズは聖女の顔したまま、心の中で迎撃作戦の成功にほくそ笑む。

 『ふっふっふっ。取りあえずは作戦第一弾は成功。これはネット掲示板のレスバと同じよ。最後に良い事を言った者勝ちって奴。さぁどんどん来なさい。全部撃ち落としてやるわ』

 さぁ、何を言うかとエレナの言葉を待ち構えていると、突然思わぬところから直接対決前哨戦の終わりが告げられた。

「さぁ、エレナ。お嬢様のお優しいお言葉を受け取り、これからはお嬢様に迷惑を掛けぬように努めなさい。ではお嬢様、すみませんが、エレナはこれから新人研修が有りますので一緒に失礼いたします。皆の者も自分の持ち場に戻るのだ」

 執事長のその言葉に、慌てて使用人達が自分の持ち場に帰って行った。
 エレナは何やらパクパクと口を動かしていたが、何も言えずに執事長と二階の廊下に姿を消していく。
 暫く後には玄関広間に控える使用人達以外の姿は見えなくなった。
 そこにぽつんと取り残されたローズとお付きのフレデリカ。
 ローズは突然の結末に少し消化不良な気分になりながらも、エレナとの初の戦いに勝利した事を喜んだ。

 『まずは私の大勝利ね! 見てなさいエレナ! これからもあなたにとことん優しくして、あなたの最大の武器である同情心を粉々に砕いてあげるわ!』

 当初の目的から大幅にズレ出している事に気付いて居ないローズこと野江 水流は、心の中で高らかに勝利の雄たけびを上げるのだった。
 
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