魔法道具発明家ジュナチ・サイダルカ

楓花

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(6)ひみつの作業場

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 カーニバルの次の日――ジュナチの家にルチアが来て、初めて迎える朝――、ルチアは小鳥の控えめな鳴き声で目を覚ました。身支度を整えてリビングに行くと、海がキラキラと朝日を受けて反射している。ジュナチもすぐあとにやってきて、ダイニングテーブルに何も言わず着席した。挨拶もなく、ぼんやりテーブルを見ている彼女にルチアは首を傾げた。
(朝は弱いのかしら…?)
 静かすぎてさざ波が聞こえる空間に、パンの香りが広がっていく。ダントンがキッチンからホットサンドを持って登場した。
「おはよう」
「……おはよう」
 ルチアはダントンの明るいピンク色のシャツに驚きながらも、朝の挨拶を返した。
(僕が生まれた村にいたら、遊び人だって言われそう)
 ダントンの派手好きな趣味を理解してから、ルチアはジュナチのほうを向く。ジュナチが昨日と違う点はマントを着ていないだけで、他はどこも変わったようには見えなかった。
(…でもきっと僕のと一緒で、魔法道具なんでしょうね)
 ルチアが今着ている服は、サイダルカが用意してくれた持ち主の想像どおりの形になる布。ルチアが思い浮かべたのはツルツルした着心地が良い素材のシャツとストレッチが効いた動きやすいパンツで、朝目が覚めてまず目にした光景は、布が踊るように動き出す様子だった。
 魔法道具に夢中になっていた様子を思い返していると、いつの間にかテーブルにはカラフルな食材が並び終わっていた。ホットサンドとサラダとスープという贅沢な朝食だ。
 ダントンと一緒に食事の挨拶をしてから、ルチアは大きく口を開けてパクッとサンドを頬張った。ツナの香りが口いっぱいに広がっていく。
「おいっしい! 料理上手なのね!」
 ルチアは、キラキラした目でダントンを見た。思ったよりも自分の声が大きくて、はたと我に返る。
「ごめんなさい、はしゃいじゃって…」
「気にすんな」
 ルチアが恥ずかしそうに顔を伏せると、ダントンは薄く笑った。自分の料理を褒められ喜んだが、ふとある考えがよぎって真顔に戻る。昨日の話だと、ジュナチはルチアを家族のように受け入れる予定のようだった。その判断にダントンは困惑していた。
(この家の人は俺や色んな生き物を拾ったけど、ゴールドリップまで住まわせるなんてなぁ。しかも王が狙ってるとか言ってたし、近くに置くのは危険な気がする…)
 ダントンの葛藤を誰も察することはなかった。ジュナチはじっと机を見つめたままだし、ルチアはホットサンドに夢中だった。頬を膨らませる姿は、ジュナチに危険を及ぼすような人物ではないように見える。
(…今日はまあ、いいか)
 ダントンは自分の気持ちを胸の奥深くに閉まった。
「おい、料理できてんぞ」
 隣りに座るジュナチに目をやる。声をかけても何も反応しない。彼女の手にあるホットサンドはどんどん冷めていく。それに気付いていないようで目を閉じて、「鍋はあるでしょ…」と独り言をつぶやく。ダントンはサンドを取り上げ、口元に持っていった。
「用意してやったんだぞ、食え」
 乱暴に言って、ジュナチの口へホットサンドを押し込むと、ジュナチは無意識にそれをかじりだす。目をつぶったまま、一口、もう一口、と小さな口が咀嚼していく。餌付けのような姿をルチアは見ていた。
「…いつもこんな感じなの?」
「道具を作る日は、どっかへ飛ぶんだ」
 苦笑しながらジュナチを見つめる目は優しくて、ルチアはその視線から愛情を感じた。血は繋がってなくても、ジュナチを家族のようにかわいがっているのだとわかり、微笑ましく思った。
 サンドを食べ終わったジュナチは天井を見ながらつぶやいた。
「朝採らなきゃいけないゲッカルル草、クイオ石についた藻がない。あれはダントンに任せる…」
「わかった」
 ダントンはすぐに返事をして最後のコーヒーを飲み干した。立ち上がり、手を閉じて開いた。その瞬間、ぱっと2人の前から姿を消した。
「移動魔法が使えるなんてすごいわね、初めて見たわ」
 一度訪ねた場所へ瞬時に行ける魔法を移動魔法と呼ぶ。強力な魔力が必要なため、なかなか使えるマホウビトはいない。ルチアは驚きながらジュナチに語りかけたが、彼女は相変わらず空を見ていた。
「―――、あとは作業場へ…」
 独り言が言い終わると、ハッとルチアと目を合わせる。
「ごめん。ダントンのこと?」
「いいのよ、集中してたんでしょ。僕こそ邪魔しちゃった。材料集めは上手くいきそう?」
「うん、あと少しで揃うよ」
 ジュナチは笑顔で返事をすると、ダントンの話題へ戻した。
「移動魔法って、簡単に使えないんだっけ?」
「そうよ。僕は子供のとき学校で習ったけど、できなかったわ」
 ルチアはゴールドリップになる前、ただのマホウビトだったときに読んでいた教科書を思い出した。そのページには風の精霊を使役すれば浮遊魔法が使え、より強い力があれば移動魔法も使えると書かれていた。昔、風に乗って移動したことを思い出したルチアは少しだけ寂しくなる。魔法を封じている自分は、もうあの風を感じることはないんだと。
「歩かないで移動できるって便利だろうなぁ」
 ジュナチの静かなつぶやきには羨ましさが溢れて、ナシノビトの苦労を垣間見た気がした。思い出にふけっていたルチアはハッと我に返る。マホウビトが普通にやってのけることも、ナシノビトには奇跡に思えるのだろう。風の魔法を使えないジュナチを慰めるように、ルチアは優しく伝えた。
「あなたにはマントがあるじゃない? あれもすごい発明だわ」
 その言葉にジュナチは気をよくして、嬉しそうに話し出す。
「あれは家宝なんだよ。悪用しやすいものだから世間には発表してなくて、サイダルカしか使えないんだ」
 どこへでも移動できるマントを使えば、勝手に家に入り込む、物を盗む、人を襲う犯罪が増える可能性がある。それを防ぐために未発表なのだろうとルチアは想像した。
「それにね、作るのがとっても大変なんだ。なんと5000日続けて風の精霊にお願いしながら、殊な草を布に練りこむんだよ」
 ルチアの動きがぴたりと止まった。マントが存在しているということはつまり、
「5000日、誰かがやり続けたの?」
「初代と2代目が作ってくれたんだ。まず初代がレシピを完成させてマント作りを始めた。途中から2代目にバトンタッチして、完成したんだって」
 2代目が活躍していたのは、約80年前とルチアは記憶している。カーニバルでジュナチが着ていたマントはとても綺麗で、長い歳月を過ぎた物だとは誰も思わないだろう。
 サイダルカの物持ちの良さに感心しつつ、ルチアは今いる部屋の中にも見たことがない魔法道具のような物が視界に入り、未発表の魔法道具はまだあると察した。その事実をナシノビトやマホウビトが知ったとき、サイダルカを非難する人がでてくるかもしれないと心配にもなる。
「未発表ってことは、誰も知らないの?」
「うん、国王にも秘密だよ」
「そう…」
 サイダルカ家の秘密をぺらぺら話すジュナチの様子は、ルチアをより不安にさせる。提案するように言った。
「ジュナチ、ありがとう。僕があなたを疑わないために色々と教えてくれているんだろうけど無理しなくていいのよ?」
「———、」
 言われたジュナチは目を点にしたまま、ルチアを見やった。
「秘密を漏らすことは絶対にない。でも、もしものことを考えたら…言わなくていいこともあると思うの」
 強く真剣な表情でルチアが言えば、真顔のまま向き合ってたジュナチはアハハッ!と耐え切れないように笑いだす。ジュナチが大きな声を出す姿を初めて見て、ルチアは戸惑った。
「ど、どうして笑うの?」
「確かに、全部話すのはルチアに信頼してほしいからだろうね。でも、言われるまで、私は自分がなんでも話しているって気づいてなかったよ。私って間抜けだなって…自分を笑っただけ、ふふふ…」
 一通り笑った後、ジュナチはルチアに言った。
「私はあなたになんでも伝えたいみたい」
 自分の無意識の行動を自覚して、ジュナチは「そうかそうか」と自分の思考に納得をして頷いた。その様子を見て、ルチアは柔らかい日の光に包まれたような暖かい感覚になった。
(この子って、素直が過ぎるわ)
 相手の頭を撫でたくなる気持ちを抑えて、ルチアは今後サイダルカの秘密を知っても気にしないことに決めた。むしろ話をしてくれたことが喜ばしいと考え直した。
 会話がひと段落をして、2人は食後のコーヒーをくゆらせる。
「これを飲み終えたら、始めよう…」
 魔法道具のことを考えると独り言が多くなるジュナチは、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。道具作りを始める前、彼女はいつも緊張していた。今までレシピどおりに作って失敗はなかったが、今回こそ失敗をしてしまうかもしれないと自分を信用しきれていなかった。コーヒーの匂いで心をなんとか落ち着かせていた。


 魔法道具のための「作業場」に案内すると言われたルチアは、胸の高鳴りを自覚しながら庭へ出た。ジュナチに聞けば、そこは今までサイダルカの一員しか入ったことがない秘密の場所だという。そんな特別な場所に行ける喜びで、ルチアの頬は緩んだ。
 作業場はリビングから見える距離にある、茶けたレンガ造りの離れだった。芝生から伸びた植物のツタがたくさん張り付いていた。三角屋根には壁と同じ色の瓦が綺麗に並べられている。その中は何があるのかルチアは想像もつかなくて、はやく中を覗きたかった。
 重々しい鉄扉の前に立つジュナチは言う。
「ジュナチだよ開けて。この子はルチア。この子も入室を許可してね」
 そう頼むと扉がトロトロと柔らかくなり、左右に分かれて跡形もなく地面へ溶けていく。一歩前に踏み出し、部屋に入ればその扉は元に戻った。ルチアは部屋を見上げた瞬間、わ、と口を開けたまま立ちすくんだ。
 外から見れば2階建ての離れに見えていたのに、天井はなく濃い青空が見えていた。左右には壁に沿うように大机が、部屋の奥まで真っすぐ並び、外で見た印象よりもずっとずっと広い。きっとこれも魔法道具による仕掛けなのだろう。
 机上には見たことがないガラス製の機材がたくさん置かれている。机の一部で燃え続ける火の上に、人がまるまる入る寸胴でこぽこぽと何かを煮立たせている。その隣では小さな黒い雲が雨を降らし、レンガの壁から生えたたくさんの実をつけた植物がリズムを取って水浴びをしていた。
 床には様々な植物や苔がびっしりと生え、ところどころに小さな花が咲いている。柔らかい感覚とともに歩くたび、シャクシャクと心地よい音を響かせる。机や床、壁へ埋め込まれた棚に鉢植えが雑多に置かれ、空中に浮かぶガラスには色とりどりの魚がいた。
 ルチアは自分の身長の何倍もある高さの植物や、花弁で眠れるほどの大輪に喜び、飛び交う赤い蜂の群れに恐怖から声を上げた。ジュナチは微笑みながらえんじ色のマントを渡してきた。それは防火と防水効果がある魔法道具だという。
「一応着ておいて。でもねここにいる生き物は人を攻撃しなし、危険なものはないから安心して」
 そう言ってカーニバルで着ていた紺色のマントを身に着けたジュナチは、部屋の様子をゆっくりと眺めていた。同じようにルチアもキョロキョロとせわしなく観察を続ける。
「…あれは?」
 部屋の奥に、空中にただよう6枚の板を見つけた。よく見るとそれは木製の扉で、太陽、雨、雷、雪、波、山の絵がそれぞれ描かれている。
「あれは違う場所に行ける魔法道具だよ。あとで説明するね。先に材料を回収してくるから、自由に見学してて」
 ジュナチはそう言って部屋の様子を見て回るように、花に触れたり、葉の様子を観察する。そして籠を手に取り、壁中に埋め込まれた棚の前に立った。数えきれないほどある引き出しから取り出した草や果物を、籠の中に詰めていく。それは乾燥していたり、とろとろした液体に包まれていたり、なぜかつやつやで採れたてのような状態のものまであった。棚を探りながら、ジュナチはどんどん部屋の奥に進んでいく。
 1人になったルチアは、歌声がどこからか聞こえて顔を上げると、見たことがない尾の長い煌びやかな鳥が数羽、彼の上を通り過ぎた。壁のレンガに色とりどりの乾いていないペンキがついているかと思っていると、動きだして床に移動した。机の下へ隠れてから、それが生き物だったのだと気付いた。ふわふわの毛玉が机を横切る。撫でようと手を伸ばせば、大きな一つの目がルチアを見て威嚇するように震え出した。その得体のしれない生き物は、ルチアがなにもしないとわかると壁に生えた花を小さな口で食べだした。
「けきょ」
 妙な鳴き声がして振り返ると、小さな胴体と細長い尻尾を持った小さなドラゴンが、ルチアの真後ろに飛んでいた。短い羽根をパタパタと必死に動かしながら、ルチアの周りをくるくると飛び、彼の香りをかいでいる。黄色い子ドラゴンは緑だらけの部屋でかなり目立っていた。ドラゴンは人に懐きにくく、すぐに攻撃を仕掛けてくる。力があるマホウビトが戦い、服従させる存在だった。その知識があったルチアは緊張したが、ジュナチの「危険物はない」という言葉を思い出して笑いかける。
「こんにちは」
 挨拶すれば、また同じように短く鳴いて、ルチアの頭上に降り立ち、ぎゅうぎゅうと喉を鳴らしながら休みだした。
「わ! どうして? ルチア何したの?」
 ジュナチが驚きながら、遠くから走ってきた。ジュナチはすごいと感心しながら、ドラゴンの様子をまじまじと見ている。
「キイになつかれたんだね。私は触らせてもらうのに何か月もかかったよ」
「キイが、この子の名前?」
 ドラゴンが自分の頭へすりすりと頬擦りをする感触を感じながら、ルチアは聞いた。
「うん、黄色いからキイだよ」
「わかりやすくていいわね、キイよろしくね」
 呼べば、甘い鳴き声が返ってくる。ジュナチはその様子を嬉しそうに眺めながら、キイの紹介をした。
「キイはお父さんが森で拾ったの。この子は特技の咆哮ができなくて、仲間にやられていたところを保護したんだって」
 キイを見るジュナチの目は穏やかで、可愛がっているのがわかる。
「仲間が傷つけたの?」
 理由がわからず聞けば、ジュナチは頷いた。
「ドラゴンは種類ごとに特技があるの。それができるようになると一人前って言われているんだ」
 そのため特技ができないと「できそこない」というレッテルが仲間内で貼られ、いじめられることが多々あると付け加えた。
「咆哮はね、発声による音波で相手の鼓膜をつぶすことを言うんだよ。お父さんはキイに声を倍増させる飲み水を試したんだけど…、自分の声の大きさにビックリしてね。それ以降飲まなくなっちゃったんだって。ほかにいい手が浮かばないから、いつか自分で咆哮ができるようになるまで保護してるの」
「自分の声が怖いなんて、繊細な子なのね」
 頭にいるであろうキイを手探りでなぜると、尻尾と羽をパタパタと小さく動かす音が聞こえた。冷たく柔らかい感触が心地よかった。
「だから人にあまりなつかないけど、ルチアは好きなんだね、よかった」
 ご機嫌になったジュナチは、よし!と気合いを入れて握りこぶしを作った。
「始めよっか。今日完成させる物は全部で3つだよ。まずは緑の包帯だね」
「え!」
 ルチアは口を大きく開けて、身を乗り出した。
「自分で作るの? 魔法道具って「国が運営している工場」で作るんでしょ?」
 ルチアは愛読している『サイダルカの歴史』に書かれていた言葉をなぞった。場所も名前も労働条件も秘密とされる魔法道具工場は、とても気になる存在だった。今日集めた原料はそこへ持っていくのだろうと勝手に思っていたのだった。
 ルチアの疑問に応えるために、ジュナチはまたもサイダルカの秘密をぺらぺらと話し出す。
「大量生産できる道具はそうしてる。でも、緑の包帯のレシピは門外不出なの。私たちが直接作って城へ納品するんだよ。今日作る道具はそういう秘密の物なんだ」
 秘密の魔法道具のレシピを知ることを、こんな簡単に許されていいのかとルチアは戸惑った。
「僕が作り方を見て…」
 いいの?と聞こうとした言葉を飲み込んだ。先ほどサイダルカの秘密を聞くことを躊躇しないと決めたばかりだったのを思い出す。部屋の奥に歩き出したジュナチに黙ってついていき、彼女が指差している壁にかかった巨大な平鍋を見た。
「まずは、あの鍋に薬草を入れて混ぜるんだ。大変なんだけど一緒に下ろしてくれる?」
「あれくらいなら僕1人でできるわ」
「え、でも重い…」
 言い終わる前に壁に掛けてあった鍋をひょいと持ち上げて、机の上に置いた。
「それなりに力はあるのよ」
「そ、そっか、頼もしいね…」
 あっさりとやってのけたルチアをカッコイイと思いながら、ジュナチは持っていた籠の中身を机に広げていく。新鮮な果物5種類と乾燥した草10種類と採れたての花6種類を並べ終えた。それらを何度も何度も手元のノートと見比べ、レシピの内容と合っているか見ていた。
「……よし、」
 確認が終わると、手元の植物をゆっくりと鍋へ入れていく。最後にルチアが白い布の束をそれに浸した。棒でそれを慎重に混ぜたジュナチは机をリズミカルに軽く叩いた。
「24時間、煮込んで」
 そうお願いすると、鍋の下に火が灯る。弱火でぐつぐつと煮立つ材料がしんなりしだした。
「これで完了なの?」
 ルチアが確認しても、ジュナチは無反応のままだった。じっと鍋の様子を見て、香りを嗅いでいた。ミントの爽やかな香りが部屋を包みだすと、
「よかった、ここまでは成功…」
 額に浮かぶ汗をぬぐった。緊張で体温がかなり上がっていたらしい。ルチアはその異様なほど緊張した彼女をじっと見ていた。
「これは煮込み続ければ、ひとまず大丈夫。次の道具を作るから、足りない材料を採りに行こう」
 ルチアはまた普段通りの穏やかな表情に戻り、奥の扉に向かった。そのとき、パチン!と何かがはじいた音が床からして、ルチアの体が飛び上がった。
「な、なに!?」
「ビビダンゴ虫だよ。触ったり踏んだりすると、威嚇するために電気を発してぱちぱち音を出すの。…ほら、ここにいた」
 床には苔や雑草が生えている。足でそれをかき分けて、ジュナチが丸くなった集団のダンゴムシを見せてきた。小さな背中には黄色い線がある。キイがその群れに近づき、1匹をぱくりと食べる。パチンと口の中ではじけて、キイは慌てた様子で天高く飛んでいった。
「食べちゃったわ!」
「見つけるとすぐ食べるんだよね。好物みたい。でも威嚇されて、ビックリして毎回大騒ぎするんだよ」
 ジュナチは笑いながら、戻ってきたキイを素早く手に収める。ほおっておけば再び大騒ぎが始まるので阻止をした。
 壁にかけてあったゴーグルを身に着けて、ルチアにも渡した。ちゃんと着用したことを確認すると、上に浮かぶ扉たちに向かって、
「太陽の扉、開いてくれる?」
 とジュナチが頼むと、1枚の扉がすうと目の前まで移動してきた。2人は手を取り、ジュナチが扉の取っ手を掴む。
「行こ!」
 笑顔で扉を開けると、その先には美しい青空だけが広がっていた。


 王宮にある「納品室」と書かれた部屋から聞こえるのは老年の女性と、若い男性の声。2人の楽しそうな声が廊下に漏れる。
「ジュナチがもう少ししたら来るらしいわ。よかったねぇ、あんたの大好きなダントンも来るわよ!」
「そりゃ楽しみですねぇ。ひさしぶりの稽古だ」
「お手柔らかにね!」
「いやいや全力でいきますよ」
 片方の穏やかな口調は、パースのものだった。彼の穏やかな返事に反応するように、女性は声高らかに笑った。


「ひゃあああああー--ッ!!!」
 叫びながら下へ落ちていくルチアは、手足をばたばたさせたくても、風の力で動かせなかった。目の前に広がる空だけの世界に、上も下もわからなくなる。握っていた手はいつの間にか解かれ、どこからともなくジュナチの大きな声が聞こえた。
「もしかして怖いの!? マホウビトのとき、飛んだ経験なかったのーッ??」
「こんなの、誰だって叫ぶわよーッ!!」
「そっか、ごめんーッ!」
 軽い感じで謝ったジュナチは、
「お迎えが来るから安心してーッ!!」
 と叫んだ。
 ジュナチの言葉を理解する前に、ルチアは自分の胴体に「なにか」が巻き付いたのに気づいた。驚きのあまり、今度は叫び声が逆に出せなかった。ただ、なにかが支えてくれたおかげで、宙に浮かぶ状態になる。まだ自分の状況をきちんと把握できていないが、下に広がる海と小島を確認できた。ルチアは自分の体に巻き付くものに触れると、ザラザラと乾いた感触がした。それはとても固く、冷たかった。
「…え?」
「ぎゅるるるるるるるる!!」
 唸るような低い鳴き声につられて真上を向く。逆光で見えにくいが、ルチアの目はトカゲに翼が生えたようなシルエットを捕らえた。
(ドラゴンだわ…!)
 キイの何倍も大きな影をじっと見つめる。そして自分の体を包むのが、ドラゴンの鍵爪だとやっと理解した。目が慣れ、大きな白い翼と青い胴体と長いしっぽを確認する。小さな顔についたつぶらな瞳と目が合った。それが合図のように、ドラゴンの口に括りつけられた綱が上から垂れてきた。うっすらとあいた口から鋭い牙が見え、ルチアは恐怖で体が固くなった。
「それ掴んで、手綱だから!」
 ジュナチの声がまたもどこからか聞こえ、反射的に目の前にある綱をひしと掴めばルチアの体を拘束していた爪は離れ、ドラゴンは頭を左右に動かし、ルチアを振り子の要領で揺らした。
「ひっ!!」
 ドラゴンの頭上に勢いよく舞い上がったルチアは、小さく悲鳴を上げる。次の瞬間にドラゴンの首にまたがって、必死に首にしがみつく体勢になった。
「手綱を引き寄せて!」
 遠くから聞こえた助言に素直に従う。横の方を向けば、ジュナチが同じようにドラゴンに乗って手を振っていた。上から、ダントンが浮遊魔法を使いながら下りてくるのも見えた。涙目のルチアを見て、ジュナチの後ろに座った彼はうなずきながら、言ってきた。
「お前も落とされたな、俺も昔やられた」
 同志よ怖かっただろ、という同情がその言葉に込められていた。
「魔法動作する間もなかったから、あの瞬間はナシノビトの気持ちになったな…」
 昔のことを思い出すように遠くを見つめるダントンにジュナチはニッコリ笑った。
「いい経験ができてよかったね」
「よくねーだろ、2度とするなって言っただろ!」
 ダントンが叱ってもジュナチはへらへらと笑い続けるだけだった。
「忘れちゃって…」
 記憶力悪いからさ、と自虐が始まったのを無視するダントンは小島を指さした。
「あそこに降りる。着いてこい」
 ジュナチから手綱を奪った彼は、ドラゴンを一度なぜて「下へ」と言い、下降していった。その背中にはキイが張り付いていた。どうやらいつの間にか移動したようだ。
 ルチアも同じように長い首をゆっくりとなぜる。ルチアからの合図にドラゴンが翼をばさりと羽ばたかせ前に進み出したのがわかり、「下へ向かってくれる?」とお願いをすれば、小さく鳴いて了解を出した。
「こんな簡単に意思疎通ができるのね…」
 初めてのドラゴンを操る体験に、感情が高ぶっているせいで少し手が震えていた。森と草原で左右で半分ずつ綺麗に分かれている島が近づくにつれ、下から風を感じながらルチアは笑顔になっていく。
(こんなこと、今までのゴールドリップの誰も経験したことないわ!)
 声を漏らして小さく笑った。
 草原へドラゴンがズドンと大きな体を降ろした。その衝撃でルチアの体も大きく揺れた。降りやすいように伏せをしたままじっとしているドラゴンから飛び降りる。すぐに遠くへ去っていった2頭を見つめながら、ルチアは聞いた。
「送り迎え専用のドラゴンなの?」
「そうだね。3代目がこの島を買って、住んでいたドラゴンにご飯あげたら懐いたんだって。それ以来、この島の近くに来るとここまで運んでくれるんだよ」
 あとね、とジュナチは付け加えた。
「作業場にあった扉はどれも、魔法道具の材料を集める場所に繋がってるんだ。この島も私たちが住んでいる場所と同じように、魔法道具で外から見えないようになってる」
 知らない場所に来たことで、追手に見つかる不安をルチアは感じているだろうとジュナチは気遣い、丁寧に説明した。
 当の本人は、ドラゴンに夢中になってその不安をすっかり忘れていた。むしろジュナチからの説明を受けて、自分がゴールドリップに変わってからずっと気にしていた「追手の目」を、今やっと思い出した。
「ふふ、それなら安心ね」
 自分がどれほど浮かれていたのかに気付いたが、自戒する気持ちは薄れてしまった。安全な場所なら、今くらい追手を忘れたいと思った。
 広い草原と綺麗でおだやかな海を見つめて、大きく伸びをした。
「…この島も、秘密なのね」
 横で頷くジュナチは、自分はなんでもルチアに話したがっていると作業場で伝えた言葉を思い出したのか、恥ずかしそうに笑った。
 たくさんの秘密を共有して、ルチアはジュナチと心の距離がどんどん近づいているのを感じた。
「あったかくて好きな場所だわ」
 青空が広がり、柔らかく風が吹いた。自然と深呼吸をすると、全身を包み込む甘い香りが漂ってくる。ルチアはくんくんと空を香った。
「これは…ユリ?」
「朝日の中でしか咲かないツツルノユリの香りだよ。常夏の植物で、少しでも温度が低いと咲かないんだ」
「へえ、そんな花があるの」
 記憶を探しても、この香りも花の名前も、常夏の気温さえも味わったことがない。ルチアはそのとき、ゴールドリップは常夏に生まれたことがないと気付いたが、ジュナチの次の言葉を聞いて、すぐにその気付きを忘れてしまった。
「じゃあ森の奥に行こう。さっきのとは別のドラゴンから貰う材料があるんだ。詳しく話すと…」
「待って、楽しみにしたいからまだ話さないで!」
 予定を話し出すジュナチを制した。ルチアのその言葉に笑って、ジュナチは「了解!」と笑って返事をした。丘の先にある森を指さす。
「あそこに向かおう」
 ルチアはうなずきながら、これから始まる「魔法道具の素材集め」に胸が高鳴った。
(「楽しみ」なんて作っちゃったわ)
 ルチアは不明慮なものをすぐ解決する性格だった。与えられた情報に齟齬があれば、必ず確認をする。そうしなければ自分の命が危うくなる可能性が高くなることを、過去のゴールドリップたちの記憶から学んだ。出会う人はすべて、自分の命を狙う刺客かもしれないと常に疑って、人を信じない故に友人は作らず、表面だけの関係ばかりだった。
 だけど今、「あえて先の予定を聞かない」状況を選んだ。知らない土地も、前を歩く2人にも警戒をしないこの状況を、数日前の自分が見たら気が緩みすぎていると怒られてしまいそうだ。
(こんなリラックスできるの初めて…)
 ゴールドリップになってから、と付け加えた。たくさん甘えて、笑い合った父や母や妹弟の存在を同時に思い出す。
(…懐かしい)
 ジュナチたちの背中を見つめると、ダントンの肩にいるキイが振り返ってきた。尻尾を振って、ご機嫌そうだ。
 あなたは一緒に行かないの?と話しかけられている気がして、ルチアは2人の横に並ぶために走り出した。



つづく…



閲覧ありがとうございました。
次回は6月3日(来月の第1金曜日)の夜に更新します。
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貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。 しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。 帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。 誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。 果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか? 誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。

【運命鑑定】で拾った訳あり美少女たち、SSS級に覚醒させたら俺への好感度がカンスト!? ~追放軍師、最強パーティ(全員嫁候補)と甘々ライフ~

月城 友麻
ファンタジー
『お前みたいな無能、最初から要らなかった』 恋人に裏切られ、仲間に陥れられ、家族に見捨てられた。 戦闘力ゼロの鑑定士レオンは、ある日全てを失った――――。 だが、絶望の底で覚醒したのは――未来が視える神スキル【運命鑑定】 導かれるまま向かった路地裏で出会ったのは、世界に見捨てられた四人の少女たち。 「……あんたも、どうせ私を利用するんでしょ」 「誰も本当の私なんて見てくれない」 「私の力は……人を傷つけるだけ」 「ボクは、誰かの『商品』なんかじゃない」 傷だらけで、誰にも才能を認められず、絶望していた彼女たち。 しかしレオンの【運命鑑定】は見抜いていた。 ――彼女たちの潜在能力は、全員SSS級。 「君たちを、大陸最強にプロデュースする」 「「「「……はぁ!?」」」」 落ちこぼれ軍師と、訳あり美少女たちの逆転劇が始まる。 俺を捨てた奴らが土下座してきても――もう遅い。 ◆爽快ざまぁ×美少女育成×成り上がりファンタジー、ここに開幕!

追放された俺のスキル【整理整頓】が覚醒!もふもふフェンリルと訳あり令嬢と辺境で最強ギルドはじめます

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の【整理整頓】なんてゴミスキル、もういらない」――勇者パーティーの雑用係だったカイは、ダンジョンの最深部で無一文で追放された。死を覚悟したその時、彼のスキルは真の能力に覚醒する。鑑定、無限収納、状態異常回復、スキル強化……森羅万象を“整理”するその力は、まさに規格外の万能チートだった! 呪われたもふもふ聖獣と、没落寸前の騎士令嬢。心優しき仲間と出会ったカイは、辺境の街で小さなギルド『クローゼット』を立ち上げる。一方、カイという“本当の勇者”を失ったパーティーは崩壊寸前に。これは、地味なスキル一つで世界を“整理整頓”していく、一人の青年の爽快成り上がり英雄譚!

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