時守家の秘密

景綱

文字の大きさ
23 / 53
第四話「鏡に映る翡翠色の瞳」

わけのわからない女性と狐

しおりを挟む

「晋介様、晋介様。どうか目を開けてくださいまし」

 すすり泣く女性の声に彰俊は目を覚ました。
 ここは、いったいどこだろう。この女性は誰だろう。あの世からの迎えの者だろうか。

「お気づきになられたのですね、晋介様」

 お気づきもなにも、この女性はいったい何を言っているのだろう。
 彰俊は首を傾げて「あの、俺は彰俊ですけど」とだけ呟いた。
 女性はかぶりを振り、「いいえ、あなた様は晋介様です。わたくしの夫となるべき方なのです。おそらく頭を打たれて記憶が錯綜さくそうされているのでしょう」と涙を零した。

 そうなのだろうか。
 彰俊は考えを巡らせたがすぐに違うと答えを出した。それはそうと、ここはやけに冷える。凍えてしまうくらい寒い。良く見れば、水の中に身体が浸かっていた。どうやら池のようだ。まずい、このままだと凍死してしまう。うっすらと氷も張っているじゃないか。早くここから出なければ。なんとなく草木と水の匂いがする。ぽちゃんぽちゃんと水音もする。

 どうして、こんなところに。
 彰俊の脳裏に滝が浮かび、ハッとする。落ちて、ここに。
 いつの間にか五感も取り戻せたようだ。だが命の危険は変わりない。ここから早く上がらなくては。

「行ってはならぬ。いいからそのままそこにいろ。お嬢様の気が済むまでそこにいろ」

 誰だ。
 いつの間に来たのかすぐ脇に狐が一匹睨み付けるようにして座っていた。反対側にはすすり泣く女性が「晋介様」と呼び続けている。
 この展開はなんだというんだ。このままいたら命の危険が。それでもいろというのか。

「大丈夫だ。死にはしない。そのまま言うことを聞いていればいい」

 彰俊は疑いの目を狐に向けたが、翡翠色の瞳で鋭い視線を送ってくる狐に逆らうことが出来ずに従うことにした。狐はゆさゆさと尻尾を振っている。あれ、尻尾がたくさんあるように見えるけど。目の錯覚じゃない。一、二、三、四……。九本、尻尾があった。それって、九尾の狐ってことか。

 おいおい、これはまずい。やはり俺はこのまま死ぬんじゃないのか。凍え死ぬ前に、この九尾の狐に魂を奪われてしまうじゃないのか。ならば、女性は何者だ。悪霊か。

 ダメだ、死への道が敷かれてしまっている。この最悪な事態を回避する術はないのだろうか。アキとトキヒズミがいてくれたら、違った展開になるかもしれないのに。いや、こういうときこそアキコの出番だ。あいつならどうにかしてくれそうだ。
 ダメか。気配は感じられない。

「晋介様、何をそんなに嘆いているのです。わたくしが傍におります。大丈夫です。一緒に黄泉の国へ旅立つだけですから」

 彰俊は頭を抱えた。
 やっぱり死ぬのか……。狐は嘘つきだ。

「お嬢様に従えば何の問題もない。だが、もし逃げようなどと少しでも思うのなら、我が許さぬからな」

 右を見遣れば、すすり泣く女性が翡翠色の瞳を向けて手をとり黄泉へと連れて行こうとする。左を見遣れば、これまた翡翠色の瞳で睨み鋭い牙をみせつけてくる九尾の狐がいる。どっちにしろ、死は免れないということか。ならば女性とともに行こう。九尾の狐よりはいいだろう。どうにでもなれ。

 女性の手を取り徐々に浮き上がっていく。このまま黄泉へ誘われてしまうのだ。そう諦めかけたとき、どこからか光が差し込んできた。淡く黄金色に輝く光が空から地上へと差し込んできた。月明かりだろうか。その光は水面に反射して輝きを増していった。丸い池全体に光が広がっていく。まるで地上に大きな満月が浮かび上がっているような不思議な光景に映った。
 眩しくて手を翳して眇め見る。

 なんだろう、胸の奥に広がるこの違和感は。あれは池のはずだ、でも……。そうか、鏡だ。鏡に見える。鏡に映る満月みたいだ。不思議だ。神秘的だ。

 あれ、女性の姿がない。手を繋いでいた感触は残っているのに、どこにもいない。
 再び下の鏡のような池へ目を向けハッとなる。
 女性が鏡のような池に映り込んでいた。しかも九尾の狐も女性に寄り添うようにして座り込んでいた。つい見入ってしまう。心が奪われそうになる。

 そんな風景に見惚れていたら、突然耳をつんざくような音に心臓が跳ね上がった。
 池が、ひび割れていく。耳障りな音とたててひび割れていく。そんなことって。そうか池に張った氷が割れたに違いない。そのひび割れのせいなのか、さっきまで映り込んでいた女性と狐の姿は掻き消されてしまった。

 ただ、すすり泣く声だけが耳に残った。

しおりを挟む
感想 53

あなたにおすすめの小説

パクチーの王様 ~俺の弟と結婚しろと突然言われて、苦手なパクチー専門店で働いています~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 クリスマスイブの夜。  幼なじみの圭太に告白された直後にフラれるという奇異な体験をした芽以(めい)。 「家の都合で、お前とは結婚できなくなった。  だから、お前、俺の弟と結婚しろ」  え?  すみません。  もう一度言ってください。  圭太は今まで待たせた詫びに、自分の弟、逸人(はやと)と結婚しろと言う。  いや、全然待ってなかったんですけど……。  しかも、圭太以上にMr.パーフェクトな逸人は、突然、会社を辞め、パクチー専門店を開いているという。  ま、待ってくださいっ。  私、パクチーも貴方の弟さんも苦手なんですけどーっ。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜

二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。 そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。 その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。 どうも美華には不思議な力があるようで…?

行き遅れた私は、今日も幼なじみの皇帝を足蹴にする

九條葉月
キャラ文芸
「皇帝になったら、迎えに来る」幼なじみとのそんな約束を律儀に守っているうちに結婚適齢期を逃してしまった私。彼は無事皇帝になったみたいだけど、五年経っても迎えに来てくれる様子はない。今度会ったらぶん殴ろうと思う。皇帝陛下に会う機会なんてそうないだろうけど。嘆いていてもしょうがないので結婚はすっぱり諦めて、“神仙術士”として生きていくことに決めました。……だというのに。皇帝陛下。今さら私の前に現れて、一体何のご用ですか?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...