王太子殿下に婚約者がいるのはご存知ですか?

通木遼平

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後編

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「王太子殿下に婚約者がいるのはご存知ですか?」

 そう、王太子には婚約者がいる。公爵家の令嬢で、確かこの会場にいる卒業生たちと同い年だが学院には通っていなかった。王太子とはあまり仲がよくないという噂を聞いたことがあるが、それでも婚約者は婚約者だ。しかも王命で結ばれた。だからこそ、王太子とセイラの行いが末端とはいえ貴族であるマレクには信じられなかった。

「もちろん、知っています」

 落ち着いた声でセイラは答えた。澄んだ声は彼女の容姿にふさわしい音をしている。しかし令嬢たちにはそうは聞こえないらしい。

「知っていますですって?」

 貴族の令嬢らしく表情は取り繕われていたが、その瞳は燃えるようだった。

「それでいて、殿下にパートナーを頼むとは、図々しいのではなくって?」

 マレクはちらりと姉を見た。友人が責められているのを見ているにも関わらず、姉の様子は先ほども変わらない。いや、そもそも姉はあの二人をどう思っているのだろう? 特にセイラのことを――こんな非常識に注意はしなかったのだろうか? それとも姉も知らなかった……?

「セラフィーナ様がどれだけ悲しまれているか」

 その言葉に、それまでじっと様子を見守っていた姉の視線が動いた。その先を見ると、無表情のまま様子を見ているマレクの同級生がいた。セレスタン・ローラントだ。まさに王太子の婚約者、セラフィーナ・ローラントの弟だった。

「セラフィーナがそう言っていたのか?」

 ぴくりと肩を揺らしたセイラに代わって、レオナルディがたずねた。彼は冷静な表情と声をしていたが、その手は気遣うようにセイラの肩に回されていた。

「はい、殿下。わたくしたちはセラフィーナ様と親しくさせていただいておりますの――以前のお茶会で、セラフィーナ様は平民の女子生徒が殿下につきまとい、殿下も心動かされているようだととても嘆いておられましたわ」
「セラフィーナ様は殿下がだまされているのではないかと心配もしていらっしゃいました。セイラ・スミシーは殿下が在学中、殿下のご友人であるセチュア侯爵令息や当時留学生として在学されていたナインディアの皇太子殿下とも随分と《親密》であったようでしたから――」
「自分と殿下の婚約が白紙になるのはかまわないけれど、そのような方が殿下の婚約者となり王太子妃となることをセラフィーナ様は不安に思っていらっしゃいました」

 令嬢たちは次々とレオナルディの婚約者が言っていたことを告げ、そのたびにセイラに厳しい視線を向けた。セイラは不安そうにレオナルディを見上げたが、王太子は考え込むように口元に手を当ててセイラの視線には気づかないようだった。

「セラフィーナ様はこの卒業を祝う夜会で、殿下がセイラ・スミシーをエスコートすると知ってとても傷ついておりました」
「セラフィーナは私がセイラをエスコートすると知っていたのか? 私は彼女にこの夜会で誰をエスコートするか《わざわざ》告げなかったのに?」

 会場はさっきまで以上にざわめき、マレクもぎょっとした。まるで婚約者には秘密でセイラとの関係をつづけていたのだと言ったようなものだ。令嬢たちも王太子の発言に驚いたようで目を見開いている。

「そ、それは……セラフィーナ様は、弟君のセレスタン様から聞いたと……」

 会場の視線が一斉にセレスタンを見た。結局どうして彼はここにいるのだろう? まさか今日ここで令嬢たちがセイラに詰め寄るのを知っていて、乗り込んできたのだろうか……?

「セレスタン?」

 レオナルディに声をかけられ、彼は礼をした。顔の作りは穏やかなのに、表情は相変わらず無表情だ。

「確かに姉と、殿下がこの夜会で誰をエスコートするか、という話はしました」

 まだ少し高いセレスタンの声は不思議とよく響く。

「ですが、そちらのご令嬢たちが姉上とお茶会などしていたのを見たこともありません。どこで姉と話したのか……」
「セレスタンはそう言っているが?」
「セレスタン様は留守だったのです!」

 セレスタンは少し肩をすくめるような仕草をした。

「殿下、よろしいですか」

 それまで黙っていたセイラ・スミシーが口を開いた。レオナルディが頷くと、彼女は真っ直ぐにそのヘーゼルを令嬢たちに向けた。

「この夜会が終わるまではわたしも貴女がたもこの学院の生徒ですから、多少の無礼はお許しください――貴女がたは殿下の婚約者であられるセラフィーナ・ローラント様がああ言っていたこう言っていたとおっしゃりますが、それでわたくしや殿下にどうしろと言うのでしょうか?」
「まあ! 図々しいとは思わないかしら!」
「それをわたしに言っていいのはセラフィーナ・ローラント様だけです」

 セイラの口調ははっきりとしていた。

「セラフィーナ様はここにいません! だから友人であるわたくしたちが代わりに言っているのです!!」
「彼女が本当にそれを望んでいるのですか?」
「平民のくせに随分と偉そうに! 望んでいるに決まっているでしょう!! 殿下たちをたぶらかして……!! 殿下、目を覚ましてくださいませ! この女は殿下や殿下のご友人たちが卒業された後も殿方にちやほやされていい気になっていたような女です! 殿下は騙されているのですわ!!」
「……そうなのか?」

 ここにきてはじめてレオナルディの声が不安そうに揺らいだ。セイラは一瞬驚いたように目を丸くした後、困ったように眉を下げ「お付き合いしないかと何度か声をかけられることはありましたが、親しくしていた方はいません」と告げた。

「その話は後で詳しく聞くことにしよう――さて、随分と時間をとってしまった。これ以上は夜会の時間が短くなってしまう」
「殿下!」
「君たちの言い分は聞いたが、私は彼女に騙されているわけではないし、彼女の言う通り彼女を責める権利があるのはセラフィーナだけだ。もっとも、セラフィーナはそうしないだろうが……」
「まさかとは思いますが、セラフィーナ様と婚約を破棄されるおつもりですか?」

 会場中が息を呑んだ。レオナルディは冷たい視線を目の前の令嬢たちに向けていた。さすがに話が飛躍しすぎではないかとマレクは思ったが、元々王太子と婚約者は不仲らしいという噂だ。こうまで堂々とセイラを伴っているのを見ると、あながち間違いではないのかもしれない……王太子は、セラフィーナとの婚約を解消するなり破棄するなりして、セイラを婚約者に据えると言い出してもおかしくない雰囲気をしていた。しかし彼がその問いに答える前にまたセイラ・スミシーが口を開いた。

「貴女がたはそうして欲しいのですか?」
「何を……!!」
「貴女がたは先ほども、彼女が《殿下との婚約が白紙になってもかまわない》と言っていたとおっしゃっていましたが、本当は貴女がたが白紙になるのを望んでいるのではないのですか? ……平民のわたしが婚約者になるのは不安だと言いながら、わたしがそうなることはありえないとわかっているのでは?」

 マレクは困惑気味にセイラを見た。セイラは妙に落ち着いていて、静かにそのヘーゼルで令嬢たちを見つめていた。マレクがセイラと顔を合わせるときはいつも姉と一緒だったため、こんなセイラの表情を見るのははじめてだった。

 流れが変わっていく――

「何を根拠にそんなことを!」
「根拠はありませんが……殿下と彼女の婚約に不満を持つ方が多いことは知っています」

 セイラはレオナルディを見て、それからセレスタンに視線を向けた。

「姉上と殿下が不仲であるという噂は有名です。それに姉上は滅多に人前に出ず、出ても素顔を隠しているため王太子妃を務めるのはとても無理だとよく言われていますね」
「来年には殿下は婚礼をあげることになっていますから、貴女がたが殿下にアプローチできるのはこの夜会が最後になるでしょう。夜会と言っても学院のもので、多少の無礼は見逃してもらえる最後の機会でもありますから。殿下が婚約者と不仲であるという噂は有名ですから、今もっとも殿下と親しい異性であるわたしを排除できれば、きっと自分が……と思ったのでは?」

 令嬢たちは言葉を失っていた。図星らしい。冷ややかな視線はセイラだけではなく、令嬢たちにも向けられていた。

「なるほど……どうやらそういうことらしい」

 令嬢たちの様子にレオナルディは納得したように笑顔を向けた。

「私は婚約破棄などするつもりもないし、婚約者を変えることもない。私から言えるのはそれだけだ。さあ、今度こそ夜会をはじめよう――ただその前に一つやり残したことがある。私がセイラをエスコートしたのは、セイラが共に学んだ君たちに謝りたいことがあると相談されたからだ。私に場を整えて欲しいと」

 レオナルディとセイラは顔を見合わせ、本当の恋人同士であるように微笑み合った。

「この場を借りて、皆さまに謝りたいことがあります――わたしは両親の意向で名前と身分を偽ってこの学院で学んできました。だますようなことをして、本当に申し訳なく思っています……同時にこの六年間はとても貴重な時間でした。わたくしのこれからの人生の素晴らしい糧となるでしょう」

 まさか……マレクは口を開けてセイラからとなりにいる姉に視線を動かした。会場中がぽかんとしているのに、姉だけは満面の笑みだ。いや、姉だけではない。セレスタンもさっきまでの無表情が嘘のように口元に笑みを浮かべている。

「わたくしの本当の名前はセラフィーナ・ローラントと申します。皆さまには謝罪と、共に学べたことへの心からの感謝を送りますわ」
「卒業おめでとう。今日は素晴らしい夜を過ごしてくれ」

 唖然とする会場を無視して、音楽が流れはじめた。令嬢たちはすっかり青ざめ固まっていたが、レオナルディの視線を受けた護衛の騎士たちによって会場の隅に促されていった。
 ファーストダンスを王太子とセイラ――いや、セラフィーナが踊るとやっと会場の硬直が解け、ぎこちなく夜会がはじまり、時間がたつにつれて先ほどのできごとさえ笑い話に和やかな夜会が進んでいった。

「知っていたの!?」

 ダンスもそこそこに食べ物に手を付けはじめた姉に、マレクは詰め寄った。ベルタは「もちろん」とやはり何でもないように答えた。

「いつから!?」
「デビューしたときに。突然ローラント邸の夜会の招待状が届いて……セラフィーナ様が同い年だってことは知っていたし、そのお披露目の夜会だったの。断れないでしょう? それで父さんたちに相談して参加したんだけど、夜会が終わる頃にこっそり呼び出されて、打ち明けられたの」
「じゃあ、俺が姉さんにセイラさんを紹介されたときはもうセイラさんがセラフィーナ様だって知っていたってこと?」
「そう」
「その割に、随分と気やすかったじゃないか」

 相手は公爵令嬢だ。身分が全然違う。それなのに姉は友人らしく気やすくセイラに接していた。

「だって友だちだもの」

 ベルタは肩をすくめた。だから身分は関係ないのだと。もっとも、ちゃんとした場ではわきまえるつもりであることも付け足しながら。
 だからって……尚も口を開こうとしたマレクの声は同時に聞こえた澄んだ声によって遮られた。姉弟が振り返ると、セレスタンにエスコートされたセラフィーナが笑顔でそこに立っていた。

「ベルタ」

 さっきまでの騒動には大して興味もなさそうだったのに、ベルタは友人に声をかけられ華やかな笑顔を見せた。二人はぎゅっと手を握り、親しい人へのあいさつとして頬を寄せあった。それは身分の差を感じさせない、対等な友人の姿だ。
 セイラが「卒業おめでとう」と言うと、ベルタも同じ「卒業おめでとう」を返した。嬉しそうに笑う王太子の婚約者は、間違いなくマレクもよく知る姉の親友だった。


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