王太子殿下に婚約者がいるのはご存知ですか?

通木遼平

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「王太子殿下に婚約者がいるのはご存知ですか?」

 美しい金髪を複雑に結い上げ、豪華な赤いドレスを身に纏った伯爵令嬢は、冷ややかな視線を王太子の傍に当たり前のように寄り添う黒髪の女子生徒に向けた。夜会に参加している王立学院の生徒たちはその光景をじっと見つめているが、誰もが黒髪の女子生徒に同じように冷たい目を向けている。

 姉のパートナーとして会場にいた男爵家子息のマレク・マクナマラも冷たく、それでいてどこか困惑したような視線を彼女に向けていた。
 彼女のことは知っているし、何度か話したこともある――身分はともかく王太子の婚約者を差し置いて当たり前のように彼にエスコートをしてもらうような人ではないと思っていた。でも、それは嘘だったのだろうか……?
 眉を下げ、困ったように王太子を見上げた女子生徒を見ながらマレクはぐっと拳を握りしめた。





***





 七月の気温の高さも夜になれば幾分かマシのように思えた。もっとも、フォルトマジア王国の王立学院の講堂は、魔術によって快適な気温になっている。
 そしてその講堂――今はすっかり夜会のための会場に様変わりしていた――では、今日卒業式を終えたばかりの卒業生を祝うため、夜会が開かれていたのだった。

 身分にかかわらず卒業生は誰もかれも美しく着飾ってそれぞれのパートナーを連れ会場でおしゃべりを楽しんでいた。特に貴族の子息令嬢たちはこれがある意味多少肩の力を抜いて楽しめる最後の夜会でもあった。
 この国の貴族の子どもたちは学院を卒業するよりも早く十六歳で社交界にデビューするが、卒業までの二年間は学生であることを理由に多少の失敗は目をつむってもらえる。その猶予期間を終えて、明日から彼らは本当の意味で社交界に放り出されるのだ。

 マレクは会場をぐるりと見渡し、それからとなりにいる姉を見た。姉のベルタは誰かとおしゃべりするでもなく会場に用意された食べ物に興味津々だ。姉弟は小さな領地を持つ男爵家に生まれ、姉は今日無事に学院を卒業することができた。成績は普通より少しよく、顔は平凡で婚約者も恋人もいない。マレクは最初の一年を終えたばかりだったが、学院が主催する夜会のため学院に通える年齢の者であれば成人前でも参加が許されていたので、年の離れた姉のエスコートのために夜会に参加していた。

「まだはじまらないのかな?」

 マレクはこっそりと姉にたずねた。

「王太子殿下がいらっしゃって、はじまりを告げたらね」

 ベルタは特に興味もなさそうに答えた。王太子は二年前に学院を卒業しており、今日は来賓として卒業式に出席していた。その流れで夜会にも参加するのだろう――マレクはふと気がついた。

 姉の友人がいない……。

 ベルタはそれほど友人が多くなかったが、親友と言っていいくらい仲のいい女子生徒が一人だけいた。彼女は裕福な商人の娘で、この学院ではじめて平民の女子生徒で首席入学し、そして首席卒業した生徒だった。
 マレクも彼女には何度か会って話したことがある。姉の友人なのが信じられないくらい知的で、何より美人だった。

 卒業生は平民の生徒も参加していたので、きっといないのは彼女くらいだろう――それに気づくと、マレクはなんだか嫌な予感がした。再びベルタに声をかけようと口を開いた時、会場の入り口が開かれ、王太子の入場が告げられた。一瞬で静まり返った会場は、先ほどまでのざわめきとは違う音ですぐに満たされた――嫌な予感はどうしてこうも当たるのだろうか……。

 王太子のレオナルディは白金の髪に瑠璃色の瞳をした精悍な青年で、しかし瞳に湛えた穏やかな光が彼の雰囲気を和らげていた。背は高く、均整の取れた体つきをしており、まるで絵物語に出てくる王子がそのまま出てきたかのようだ。同性のマレクから見てもレオナルディは美しい男性だった。

 そんな彼が腕を差し出しエスコートしているのは、セイラ・スミシーだ。

 まさに姉の友人、その人だった。艶やかな黒髪はシンプルにハーフアップにされ、長い睫毛に縁どられた猫を思わせるヘーゼルの瞳は知的な光を帯び、赤い唇は白い肌によく映えた。大した化粧をしていないように見えたが、きっとこの会場にいる着飾った貴族の令嬢たちよりもずっと美しいだろう。
 それに――マレクは眉をひそめた――シンプルな形の鮮やかな青のドレスはどんなに裕福だと言っても平民には手の届かないくらいひと目で高価だとわかる代物だった。美しい鎖骨を際立たせるラインを描いた襟元は同系色のレースで縁どられ、夏によく似合う軽やかな生地が幾重にも重なってやわらかなラインを描いているスカートの裾には金糸で見事な刺繍が施されている。
 誰の目から見てもそれはレオナルディの色だった。そしてそれが当然というように、長手袋をした手は差し出された彼の腕に添えられている。

 マレクはベルタに視線を向けたが、彼女は何でもないような顔をしている。セイラ・スミシーの相手が王太子だと姉は知っていたのだろうか?

 再び会場を見渡すと、誰もがひそひそとささやき合っていた。冷たい視線がセイラに向けられている――当然だ。
 マレクが入学してまず耳にしたのがセイラに関する噂だった。首席であることを鼻にかけ、王太子が在学中は身分もお構いなしに彼や彼の友人に取り入っていたと。
 前者の噂に関しては本人と知り合うことで所詮は噂だとわかったが、後者の真偽についてマレクは知らなかった。姉に聞いてもはぐらかされた。しかし今日、その答えを得ることができた……。

 そこではじめて、マレクはどうしてかたった一人でいる在学生を見つけた。彼とは知り合いではなかったがマレクの同級生だった。紫紺の瞳が、無表情で王太子とセイラを見つめている。

 セイラを伴ったまま、レオナルディは上座にある彼のために設けられた席まで行くと夜会をはじめるために口を開いた――いや、開こうとした。

 数人の女子生徒――全員、貴族の令嬢たちだ――が、さっと王太子の前に歩み出て礼をしたのだ。

「……何かな?」

 特に不快に思う様子もなく、王太子であるレオナルディは穏やかにたずねた。

「殿下、ご無礼をお許しください」

 最前にいた女子生徒――金髪の伯爵令嬢が頭を下げたまま口を開いた。レオナルディが発言と頭をあげることを許すと、令嬢たちの厳しい視線が一斉に彼の横にいるままのセイラ・スミシーに向けられた。

「なぜ殿下のとなりにセイラ・スミシーがいるのでしょう?」
「私は王族としてここに招待されたが、同時に彼女のパートナーとしても招待された。エスコートを頼まれて、無下にはできない」

 レオナルディの瑠璃色の瞳が甘くとなりにいるセイラを見つめると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。セイラから王太子にエスコートを頼んだらしいということに、令嬢たちの視線はますます厳しくなった。
 マレクは王太子の正気を疑った。セイラは頭もいいし、性格も悪くない――と思っていたが、今は自信が揺らいでいる――だが、平民だ。差別はよくないというのはわかっているが、引くべき線があるとはマレクも思っている。
 王太子という身分でありながら、平民の女性からエスコートを頼まれて、それで受けてしまうなんて……セイラもセイラだ。王太子にそんなことを申し込むなんて、彼女はもっと分別があると思っていたのに。それに――

「セイラ・スミシー」

 伯爵令嬢の声は明らかに憎悪を含んでいた。

「王太子殿下に婚約者がいるのはご存知ですか?」


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