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第一章 発端
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「しっかり食事は摂りましたか? 」
「え、ええ。まあ」
お前は母親か。密かに突っ込みつつ、頷く。昼飯は結局、中途半端に冷めて味の落ちた缶珈琲のみで済ませてしまった。
「嘘でしょう」
しっかり見抜かれている。ぎくっと身を強張らせる俺の鼻面に、白いレジ袋が突きつけられた。旨そうな焼肉の匂い。
「さっさとそれを食べて、仕事に入って下さい」
それが俺充てだと理解して、おそるおそる袋の口を開ける。途端、飛び込んできた代物にぎょっと目が丸まった。
「えっ、課長。これは」
値段も味も低収入の俺には高値の華の、有名どころの弁当だった。高級肉を惜しみなく使う焼肉弁当を、食べてみたいと口走ったことは、課内で一度か二度くらいあった。それを覚えていたのだろうか。
「ここの弁当、最低でも三十分は並びますよね。何で」
「別にあなたのために並んだのではありません。私の弁当を購入するついでです」
ふんとそっぽ向くが、その言葉が偽りなのは知っている。肉は元々苦手。主食は専ら野菜だとは周知の事実だ。その嫌いなものが主の弁当をわざわざ並んでまで購入するなんて、考えられない。
まさか、俺のために?
「私は所用を済ませてきます。十五分後に、ここで」
それだけ言い置いて、秋葉はさっさと出て行った。やけに扉の音が響く。
残された俺は、焼肉を箸で摘まむ。
意外にいい奴なのかも知れない。ちゃんと部下想いの。
いやいや。騙されるか。俺は首を左右に振って、慌てて咀嚼した。じわりと口中に広がる旨さは、やはり伊達ではない。
だが、違うぞ。誰に言うでもなく、力説してしまう。食べ物につられるほど、俺は甘い男じゃない。断じて、違う。
「行方を眩ませた沢渡に関する資料を、私なりに集めてみようと思いましたが」
俺の内心の躊躇など露とも知らず、秋葉は淡々と話し始めた。
が、すぐに言葉を区切った。
「データが消去されていました」
思い切ったように続けられたその声に、ぎょっと目を開いてしまった。
「な、何で。そんなことを」
「何者かがどうあっても、我々に沢渡の追跡をさせたくないのか。それとも、単なる事故か」
「で、でも。データが消えてるって。問題ですよ」
「確かに」
秋葉はその大問題をあっさりと一言で片付けた。遠隔操作だのウイルス感染だのと騒がれる昨今、それを捜査する警察に問題が生じたなど、不祥事極まりない。
「ですが、どうやら意図的に沢渡の分のみが消されたかと推測されます」
秋葉の言う通りに、沢渡のことを調べ上げられては拙いと思う連中がいるのは確かなようだ。
ややこしい命令を押し付けられてしまった。今、わかっているのはそれだけだ。
「取り敢えず、沢渡の部署で話を聞いてみましょう」
秋葉は提案する。
「ったく。本当に厄介な仕事だな」
食えない坂下の笑顔が脳裏を過る。面倒臭いことを他人に押し付け、のうのうと隠蔽をはかる策なのは明らかだった。
一旦、更衣室に入る。外は風が強く、コートなしでは歯の根も噛み合わない。くたびれた量販店の安物に袖を通した。
その隣では、上質な仕立ての外国製のコートを纏う秋葉の姿。
同じ刑事という立場でありながらのあまりの差に、俺は無意味に首を横に振って、余計なことを頭から追い出した。秋葉に対して卑屈になるなんて、愚かの一語でしかない。
秋葉は現在のところ出世コースから逸脱はしているものの、まだ官僚になる余地は残されている。自分は退職するまで所轄回り。比べること自体が間違っている。
俺は深く息を吐いた。
「え、ええ。まあ」
お前は母親か。密かに突っ込みつつ、頷く。昼飯は結局、中途半端に冷めて味の落ちた缶珈琲のみで済ませてしまった。
「嘘でしょう」
しっかり見抜かれている。ぎくっと身を強張らせる俺の鼻面に、白いレジ袋が突きつけられた。旨そうな焼肉の匂い。
「さっさとそれを食べて、仕事に入って下さい」
それが俺充てだと理解して、おそるおそる袋の口を開ける。途端、飛び込んできた代物にぎょっと目が丸まった。
「えっ、課長。これは」
値段も味も低収入の俺には高値の華の、有名どころの弁当だった。高級肉を惜しみなく使う焼肉弁当を、食べてみたいと口走ったことは、課内で一度か二度くらいあった。それを覚えていたのだろうか。
「ここの弁当、最低でも三十分は並びますよね。何で」
「別にあなたのために並んだのではありません。私の弁当を購入するついでです」
ふんとそっぽ向くが、その言葉が偽りなのは知っている。肉は元々苦手。主食は専ら野菜だとは周知の事実だ。その嫌いなものが主の弁当をわざわざ並んでまで購入するなんて、考えられない。
まさか、俺のために?
「私は所用を済ませてきます。十五分後に、ここで」
それだけ言い置いて、秋葉はさっさと出て行った。やけに扉の音が響く。
残された俺は、焼肉を箸で摘まむ。
意外にいい奴なのかも知れない。ちゃんと部下想いの。
いやいや。騙されるか。俺は首を左右に振って、慌てて咀嚼した。じわりと口中に広がる旨さは、やはり伊達ではない。
だが、違うぞ。誰に言うでもなく、力説してしまう。食べ物につられるほど、俺は甘い男じゃない。断じて、違う。
「行方を眩ませた沢渡に関する資料を、私なりに集めてみようと思いましたが」
俺の内心の躊躇など露とも知らず、秋葉は淡々と話し始めた。
が、すぐに言葉を区切った。
「データが消去されていました」
思い切ったように続けられたその声に、ぎょっと目を開いてしまった。
「な、何で。そんなことを」
「何者かがどうあっても、我々に沢渡の追跡をさせたくないのか。それとも、単なる事故か」
「で、でも。データが消えてるって。問題ですよ」
「確かに」
秋葉はその大問題をあっさりと一言で片付けた。遠隔操作だのウイルス感染だのと騒がれる昨今、それを捜査する警察に問題が生じたなど、不祥事極まりない。
「ですが、どうやら意図的に沢渡の分のみが消されたかと推測されます」
秋葉の言う通りに、沢渡のことを調べ上げられては拙いと思う連中がいるのは確かなようだ。
ややこしい命令を押し付けられてしまった。今、わかっているのはそれだけだ。
「取り敢えず、沢渡の部署で話を聞いてみましょう」
秋葉は提案する。
「ったく。本当に厄介な仕事だな」
食えない坂下の笑顔が脳裏を過る。面倒臭いことを他人に押し付け、のうのうと隠蔽をはかる策なのは明らかだった。
一旦、更衣室に入る。外は風が強く、コートなしでは歯の根も噛み合わない。くたびれた量販店の安物に袖を通した。
その隣では、上質な仕立ての外国製のコートを纏う秋葉の姿。
同じ刑事という立場でありながらのあまりの差に、俺は無意味に首を横に振って、余計なことを頭から追い出した。秋葉に対して卑屈になるなんて、愚かの一語でしかない。
秋葉は現在のところ出世コースから逸脱はしているものの、まだ官僚になる余地は残されている。自分は退職するまで所轄回り。比べること自体が間違っている。
俺は深く息を吐いた。
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