55 / 114
令嬢の捜索
しおりを挟む
とにかく、回り道をするしかない。
歯噛みしつつ、ロイが再び箱車に乗り込んだときだ。
「待って」
もう一台の箱馬車が、同じように急停止した。
ロイらの乗ったラッカーの黒塗りではなく、海老茶色の漆塗りの箱車。車体にその家の紋章が記されている。
ロイは勿忘草を図案化したその紋章を睨みつけた。
「随分と時間をくったな」
箱車から踏み台の段を確認しながら降りてきた二十代の青年に向かって、ロイは鼻に皺を寄せた。
「そちらがスピードの出し過ぎなんです。車体が傾いていましたよ」
「悠長に走っていられるか」
「これだから、あなたやオリビアと同乗するのは嫌なんだ」
「乗り心地の良い方を選んでおいて、嫌味まで垂れるな」
「はいはい」
やれやれ、と首を竦めるのは、仮面舞踏会で接待していた「ブライス伯爵」。
彼はキョロキョロと、辺りを見渡した。
「もう少しこの辺りを捜しましょう」
ロイが目を眇めたことなど、お構いなしに続ける。
「屋敷を出てから今の時間帯までを推察すると、彼女はこの辺りで足止めをくらっているはず」
「確かに。ましてやヒールの高い靴にドレスなんて、走りにくい格好だからな」
ブライス伯爵の後ろから、突き出した腹を揺すりながら降りる「ぬいぐるみ野郎」はうんうんと頷く。
「ミハエル。お前も同意見か」
普段、ロイはこの友人のことを「ぬいぐるみ」、もしくは苗字で呼ぶ。学生時代に連呼した名前を口にするほど、切羽詰まっているのは誰の目にも明らかだった。
「もしかすると、この川に」
ぽつり、と何の気なしに二十六歳の若者が口にした台詞を、ロイは聞き漏らさなかった。
たちまちロイの漆黒の双眸が吊り上がった。
こめかみに筋を立てたロイは、問答無用に若者の胸倉を掴み上げると、ぎりぎりと締め上げる。
ブライス伯爵を名乗る青年も、世の中の一般男子よりはかなり背が高い。
だが、やはり二メートル近い大男のロイには届かない。
ましてや、元から体を鍛えることが趣味で、最近では東の国の柔術なぞに嵌っているロイには、体格差に開きがある。
着痩せするタイプだから、普段はスマートだが。
筋肉量は雲泥の差だ。
「く、苦しい。苦しいから」
ぎりぎりと締め上げられ、靴先が今にも地面を離れようとしている。
「おい! マチルダがこの川の中にいるというのか! 答えろ! 」
激昂して唾を飛ばす。
「た、例えばの話だよ」
女一人に、目の前の男は我を失くしてしまっている。青年は本気で命の危機を感じた。
いつも飄々として悪ふざけする男と、とても同一人物とは思えない。
「落ち着け、ロイ。いらいらしたところで、マチルダ嬢は寄って来ないぞ」
ミハエルが、ロイの肩を小突いた。
ふっと、胸倉を掴んでいた力が緩む。
「わかってる」
ロイは舌打ちし、掴んでいたウェストコートの襟を離した。
どすんとその場に尻餅をつくブライス伯爵。
思い切り尾てい骨を打ちつけ、涙目で痛む場所をさする。
「くそっ! 頼むから川にはいないでくれ! 」
ロイはそれほど熱心な崇拝者ではないが、このときばかりは神に祈った。
暗がりの中をドタバタと駆けずり回る足音。
「いたか、ミハエル! 」
「いや! いない! 」
もう何回も繰り返される遣り取り。
「そっちはどうだ! 」
「いないよ! 」
永遠に続くかと思われるほど、それは途切れることはなかった。
歯噛みしつつ、ロイが再び箱車に乗り込んだときだ。
「待って」
もう一台の箱馬車が、同じように急停止した。
ロイらの乗ったラッカーの黒塗りではなく、海老茶色の漆塗りの箱車。車体にその家の紋章が記されている。
ロイは勿忘草を図案化したその紋章を睨みつけた。
「随分と時間をくったな」
箱車から踏み台の段を確認しながら降りてきた二十代の青年に向かって、ロイは鼻に皺を寄せた。
「そちらがスピードの出し過ぎなんです。車体が傾いていましたよ」
「悠長に走っていられるか」
「これだから、あなたやオリビアと同乗するのは嫌なんだ」
「乗り心地の良い方を選んでおいて、嫌味まで垂れるな」
「はいはい」
やれやれ、と首を竦めるのは、仮面舞踏会で接待していた「ブライス伯爵」。
彼はキョロキョロと、辺りを見渡した。
「もう少しこの辺りを捜しましょう」
ロイが目を眇めたことなど、お構いなしに続ける。
「屋敷を出てから今の時間帯までを推察すると、彼女はこの辺りで足止めをくらっているはず」
「確かに。ましてやヒールの高い靴にドレスなんて、走りにくい格好だからな」
ブライス伯爵の後ろから、突き出した腹を揺すりながら降りる「ぬいぐるみ野郎」はうんうんと頷く。
「ミハエル。お前も同意見か」
普段、ロイはこの友人のことを「ぬいぐるみ」、もしくは苗字で呼ぶ。学生時代に連呼した名前を口にするほど、切羽詰まっているのは誰の目にも明らかだった。
「もしかすると、この川に」
ぽつり、と何の気なしに二十六歳の若者が口にした台詞を、ロイは聞き漏らさなかった。
たちまちロイの漆黒の双眸が吊り上がった。
こめかみに筋を立てたロイは、問答無用に若者の胸倉を掴み上げると、ぎりぎりと締め上げる。
ブライス伯爵を名乗る青年も、世の中の一般男子よりはかなり背が高い。
だが、やはり二メートル近い大男のロイには届かない。
ましてや、元から体を鍛えることが趣味で、最近では東の国の柔術なぞに嵌っているロイには、体格差に開きがある。
着痩せするタイプだから、普段はスマートだが。
筋肉量は雲泥の差だ。
「く、苦しい。苦しいから」
ぎりぎりと締め上げられ、靴先が今にも地面を離れようとしている。
「おい! マチルダがこの川の中にいるというのか! 答えろ! 」
激昂して唾を飛ばす。
「た、例えばの話だよ」
女一人に、目の前の男は我を失くしてしまっている。青年は本気で命の危機を感じた。
いつも飄々として悪ふざけする男と、とても同一人物とは思えない。
「落ち着け、ロイ。いらいらしたところで、マチルダ嬢は寄って来ないぞ」
ミハエルが、ロイの肩を小突いた。
ふっと、胸倉を掴んでいた力が緩む。
「わかってる」
ロイは舌打ちし、掴んでいたウェストコートの襟を離した。
どすんとその場に尻餅をつくブライス伯爵。
思い切り尾てい骨を打ちつけ、涙目で痛む場所をさする。
「くそっ! 頼むから川にはいないでくれ! 」
ロイはそれほど熱心な崇拝者ではないが、このときばかりは神に祈った。
暗がりの中をドタバタと駆けずり回る足音。
「いたか、ミハエル! 」
「いや! いない! 」
もう何回も繰り返される遣り取り。
「そっちはどうだ! 」
「いないよ! 」
永遠に続くかと思われるほど、それは途切れることはなかった。
85
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる