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嵐が去って

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 温かな熱が唇に重なる。
 まるで意思を持った別個体のように、ロイの舌がマチルダの引き結びを割って否応なしに侵入する。
 その柔らかさが心地良くて、マチルダはうっとりと瞬いた。
「気分は? マチルダ? 」
 そっと唇を離したロイは、ややハスキーな声で尋ねる。
 再びマチルダを彼の影が覆った。
「まあ、あなた。目を覚ましたそばから、また」
 オリビアが穢らわしいものを見る目つきでロイを非難する。
 マチルダは、ハッと我に返った。
 首根っこを掴まれたかのごとく、夢から現実世界に引き戻される。
 ここは群青の海ではない。
 青い壁紙の貼られた部屋だ。
「や、やめて! 」
 近づいてきたロイの顎を両手で押して、マチルダは彼の口付けを拒絶する。そうでなければ、オリビアに示しがつかない。マチルダは、ロイを教育しなければならないのだ。意地だ。
「マチルダ? 何故だ? 君はキスが好きだろ? 」
 不意打ちで顎を仰け反らされ、ロイは不服そうな息を吐き出した。
「駄目よ」
 マチルダはオリビアから視線を逸らすと、全身の筋肉をこれでもかと硬直させた。
「だって……奥様に申し訳ないわ……」
 奥様、の単語はマチルダの心臓の底を鋭く抉る。
 シーツを握る拳にくっきりと青筋が浮いた。
「誰が? 誰が私の奥様だって? 」
 キョトンと目を丸くさせるロイ。
 いつの間にか寝室にいたミハエルも、困惑したように青年と互いに目を見合わせる。
「オリビア様よ。オリビア様はあなたの愛する奥様でしょ」
 マチルダは深呼吸してから、一息に喋る。
 喉に突っかかるかと思ったそれは、意外にもあっさりと口を飛び出した。
「……は? 」
 ますますロイの切れ長だった双眸が丸くなる。
 シン、と室内が静まり返った。


「待って待って。待ってちょうだい! 」


 そんな沈黙を打ち破ったのは、オリビアだ。
 ベッドの傍らに座るロイの図体を押し退けると、シーツに手をつき、マチルダを食い入るように見つめる。
「マチルダ。あなた、誤解しているわ」
 かと思えば身を翻し、ドアの前に佇むミハエルの左腕に己の両腕を絡み付けた。
「私の夫は、ミハエル・ローレンス」
 ミハエルは戸惑いつつ、マチルダに会釈する。
「彼が高級娼館ローレンスの主人よ」
「……! 」
 ローレンスの妻。即ちミハエル・ローレンスの妻。
 仮面舞踏会のあの夜、オリビアは何の捻りもなく、マチルダに自己紹介していたのだ。
「こちらは、弟のカイル」
 状況を素早く理解して会釈したのは、ブライス伯爵として仮面舞踏会で招待客をもてなしていた青年だ。
 ロイからギラギラした野生味と威圧感を抜いたような、大人しくて聡明な青年。兄弟だけあって面差しがよく似ている
「そしてこの大馬鹿者が、フェルロイ・ラムズ。このバカも、私の実の弟よ」
 苦々しい顔でマチルダにロイを紹介する。


「……! 」
 マチルダの息が止まった。


「ブライス伯爵と呼ばれているわ」
 淡々と姉から紹介されたロイは、複雑そうに口元を歪め、しきりに目を泳がせている。気まずいことこの上ない表情だ。
「ブライス伯爵? どなたが? 」
 きっと聞き間違いだ。
 マチルダは半笑いして尋ねる。
「だから、ロイが」
 オリビアは冷静に答えた。
「ロイがブライス伯爵? 」
 仮面舞踏会の主催者の。
 マチルダの偽の婚約者である三男の、その兄の。
 






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