上 下
47 / 48
第六章

対決

しおりを挟む
 突如、松子はぶるぶると怒りで真っ赤になって全身を震わせ、片方の袂をもう片方の手で思い切り引っ張ってくしゃくしゃにした。そうすることで、かろうじて高柳の頬に平手を見舞うことを堪えている。
「勿論、方便さ。娘が産まれたとき、俺は南京辺りを放浪していたんだからな。それを、あの男。よく考えればいいのに、簡単に騙されやがって」
 嘲りきった笑いは松子に向けられている。
「お前が嫁いでから一度だけ、俺に脅されて抱いたことがあったよなあ。あの男は、それがよっぽど後ろめたかったんだろうな」
 ひた隠しにされていた秘密を披露することこそが目的の一つでもあったのか、恍惚な表情となり、高柳は声高に笑う。
「あなたは、とても恐ろしい人だ。快楽のためだけに、人を次々と手に掛けて」
 軽蔑そのものの森雪の冷たい目は、最早、実父を見るものではない。殺人鬼と成り果てた獣へのものだ。
「誤解するな。最初は邪魔なやつを排除していたんだ。まあ、途中から人を殺す快感が堪らなくなったがな」
 そもそも、清右衛門を手に掛け晒し物にする方法は、ハナから猟奇的で、それこそが高柳の本質だ。高柳はその情景を思い出したのか、どこか遠くを眺め、うっとりと目を潤ませた。
「清右衛門の人の良さには反吐が出る。明らかな俺の子を実子として育てて。自分の血を引く子を突き離してでも、松子の名誉を守ろうとはな」
 かと思えば、たちまち獣の唸り声を洩らし、忌々しそうにぺっと唾を吐く。
「父が恐れるのも無理はない」
 何故か森雪は物哀しい顔になる。まるで、人間の皮を剥ぎ、獣そのものの姿を表に出した高柳に、同情するように。
「父は僕に王宜丸の製法を伝える代わりに、実子の吉森さんを守れと言ったのです。父が不安視するのも頷ける」
 ぎょっと目を瞠ったのは松子だ。
「あなた、王宜丸の製法を伝授されていたの」
 まさか息子にも辰屋清春堂の主としての権利を与えられていたとは、夢にも思っていなかった。切迫する雰囲気であるにも関わらず、松子の顔は狐につままれたように、明らかに空気を違わせている。そこに、母の欲が垣間見えた。
「お母様。僕は跡取りを放棄したのですよ。兄さんの下につく。それこそが、僕が辰川にいる理由だ」
 そんな親子の会話の隙をつき、大河原は懐に手を入れた。
「うっ」
 羽がい締めにする高柳の腕の力がまたもやきつくなり、喉仏がぎゅうっと絞まる。
「邪魔するんじゃねえ。清右衛門の血を引くこいつを殺して。ようやく溜飲が下がるんだ」
 高柳は刃を動かす。吉森の頬に、真横に切り込みが入り、赤い血が滴った。
「ああ、吉森さん!」
 松子が悲鳴を上げる。
「兄さん!」
「おっと、動くなよ」
 片足を踏み出した森雪の体が、びくっと制止した。
 ニタリ、と高柳が酷薄な笑みを口元に張り付かせる。
「後でお前ら全員殺してやるからな。まずは、こいつだ」
 いきなり、高柳は羽がい締めを解き、どんと吉森の体を前に突き飛ばした。
 完璧に背後を取られてしまった。
 しまった! 誰もが思った。
 ハッと振り返った吉森が見たのは、頭上に掲げられた短刀の鋭く光る刃先だった。
 電球の光を浴び、ぎらりと不気味さを放っている。
 駄目だ!
 吉森はぎゅっと瞼を閉じた。
 空を切り裂くような風が起こる。
 しかし、刃先は吉森の真横を素通りし、代わってバタンと轟音が響き渡った。高柳は瞳孔を開いたまま、その場に前のめりに倒れ伏した。
「あなたがたの手を汚すまでもありませんよ」
 大河原警部が静かに呟いた。
 彼の持つ銃口の先から、細く煙が一本の筋を引いていた。

 こうして、世間を辰川家を震撼させた稀代の大悪党、高柳公彦はこの世から永遠に抹消された。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

東京ラプソディ

手塚エマ
BL
【彼は私の下男でもあり主人でもある】 昭和七年。 豪商だった生家が没落。 カフェーのピアノ弾きとして働き、 貧困にあえぐ律の前に、かつて律付きの下男だった 水嶋聖吾が現れて……。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

本日のディナーは勇者さんです。

木樫
BL
〈12/8 完結〉 純情ツンデレ溺愛魔王✕素直な鈍感天然勇者で、魔王に負けたら飼われた話。  【あらすじ】  異世界に強制召喚され酷使される日々に辟易していた社畜勇者の勝流は、魔王を殺ってこいと城を追い出され、単身、魔王城へ乗り込んだ……が、あっさり敗北。  死を覚悟した勝流が目を覚ますと、鉄の檻に閉じ込められ、やたら豪奢なベッドに檻ごとのせられていた。 「なにも怪我人檻に入れるこたねぇだろ!? うっかり最終形態になっちまった俺が悪いんだ……ッ!」 「いけません魔王様! 勇者というのは魔物をサーチアンドデストロイするデンジャラスバーサーカーなんです! 噛みつかれたらどうするのですか!」 「か、噛むのか!?」 ※ただいまレイアウト修正中!  途中からレイアウトが変わっていて読みにくいかもしれません。申し訳ねぇ。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

アルファの家系

リリーブルー
BL
入学式の朝、初めての発情期を迎えてしまったオメガの美少年。オメガバース。 大洗竹春 アルファ 大学教授 大洗家当主 大洗潤 オメガ 高校生 竹春の甥 主人公 大洗譲 アルファ 大学生 竹春の長男 夏目隼人 オメガ 医師 譲の恋人 大洗竹秋 オメガ 故人 潤の父 竹春の兄 関連作品『潤 閉ざされた楽園』リリーブルー フジョッシーに投稿したものを推敲し二千文字程加筆しました。

処理中です...