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焚き付けられた初夜
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アリアが亡き母の実家へ一泊しているその日は、イザベラにとって休日であった。
といっても、堅物だと陰口を叩かれるイザベラには、一日中部屋に篭り、書物を読み漁るくらいしか予定はない。
その予定に、ルミナスからの呼び出しが付け加えられたのは、屋敷内が静まり返った午後十時。
「ご用ですか? アークライト卿」
雇用主から言いつけられては、従わないわけにはいかない。
呼び出された先が寝室と言うのが、いささか引っ掛かるが。
幾ら婚姻を結んだといえど、まだ籍は入っていない。あくまで自分はアリアの家庭教師だ。
そう己に言い聞かせておかないと、ルミナスにいらぬ嫉妬はするわ、欲情してしまうわ、大変なことになる。実際、先日は体が火照って一晩中苦しんだ。
「ああ。君はやはり青いドレスがよく似合うな」
イザベラが眼鏡を外し、飾り一つない灰色の服を脱いだときから、決まって彼はそう褒めた。
余程、あの野暮ったい恰好が気に食わなかったのだろうか。ドレスの中身は変わらないのに。モヤモヤしつつ、子爵の目の端くらいには自分の姿が映っていることに良しとするか、と半ば無理矢理に自分を納得させた。
「今夜はアリアは帰って来ない」
「そうですわね」
「使用人も今日は早く帰らせた」
「どうりで、いつになく静かなはずです」
「というわけで、今晩、君を抱く」
サラッと告げられて、あやうく聞き逃すところだった。
「な、ななな何ですって! 」
金魚のようにパクパクと口を開け、イザベラはこれでもかと首筋から耳朶まで燃えた。
「ちっとも笑えないわ! 」
「別に笑わせようとはしていない」
ヒステリックに叫ぶイザベラとは対照的に、ルミナスは極めて冷静だ。
「な、何を以ってして、あなたとベッドを共にしなくちゃならないの」
「妻だからだ」
「偽りと言ったじゃない」
彼が自ら提案したのだ。
アリアのために偽装結婚しようと。
「話はよく聞かなくてはいけないよ、ミス・シュウェーター」
極めて事務的な物言いで、ルミナスは不敵に笑う。イザベラがどのような返しをするか、すでに予想していたかのように。
「必要なときに妻の役目をしてほしいと」
藍色のカーテンを閉めた窓に凭れて腕を組む姿は、まさに大劇場で主演する俳優のようだ。
不健康に太っているか、ひょろっと青白く痩せているかが大半の貴族とは、一線を画している。
「い、今は必要なときではありません! 」
見惚れて、うっかり頷きそうになり、イザベラは慌てて首を横に振る。
「必要なときだよ」
ルミナスは上着の胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
「結婚許可証が届いた」
「偽りのね」
「許可証は本物だ」
ルミナスはややムキになり、声の音量を上げた。
「初夜に妻とベッドを共にしない夫がどこにいる? 私は世間の笑い者だ」
「使用人に手を出して、しかも、ちっとも美人でない。むしろ不細工。どんな趣向なんだと、あなたはとっくに笑い者よ」
「いや、君は美人だ。とてつもなく」
急に音量を落として囁く。
イザベラの鼓膜をくすぐるには充分な響き。
「君の素顔を見たうちの使用人は、いっぺんに黙ったぞ」
「どうせ、あなたが脅したんでしょ」
イザベラは唇を尖らせた。
「君は自分を卑下し過ぎている」
言いながら、ルミナスはイザベラの髪を一筋掬うと、そっと口づける。このようにむず痒い台詞を躊躇なく言うから、気圧されてしまう。
「それに君は自分が思っている以上に、肉惑的だ」
「何ですって」
「だから、かなり性に貪欲だと言ったんだ」
ニタリ、と人の悪い笑みを寄越す。
甘く囁いたかと思えば、神経を逆撫でしたり。急変するその態度についていけない。
「な、ななな! 何ですか! 失敬な! 」
油断していた分、イザベラの戸惑いは大きい。真っ赤になり、呂律が回らない。
「いやいや。事実だよ。忘れたとは言わせないよ」
ルミナスの手のひらがイザベラの背筋を下方へ滑っていき、尻の膨らみで円を描いた。
びくっとイザベラが痙攣する。
「私の腹の上で三日三晩、暴れ回っていたじゃないか。散々、締め付けて、搾り取って」
「も、もうちょっと言葉をお選びください! 」
「私は椀曲した言い方は好きではない」
「は、はしたない! 」
「そっくりそのまま、君に返すよ」
彼の言わんとすることがわかり、イザベラは尻を撫で回す手を容赦なく叩いた。
「あ、あれは薬のせいで! 」
「本来の君ではなかったと? 」
「あ、当たり前です! 」
唾を飛ばして否定する。
「それなら、証明してもらわないとな」
ニヤニヤとルミナスは口元をだらしなく緩めた。
「君はベッドの中でも貞淑だと」
「なっ! いつも私がそんな挑発に乗るとは思わないでください! 」
「怖いのかい? 我を忘れて狂ってしまわないかと」
「こ、怖くはありません。私はいつでもどこでも自分を保っています」
「本当に? 」
「ええ」
「信じられないな」
「私は乱れたりなんてしません」
「証明出来る? 」
「勿論」
「では今夜、早速、試してみないか? 」
「望むところです! 」
こうして、まんまとイザベラはルミナスの魂胆に嵌り、その夜、相手の言葉が正しかったと自ら証明する結果となった。
といっても、堅物だと陰口を叩かれるイザベラには、一日中部屋に篭り、書物を読み漁るくらいしか予定はない。
その予定に、ルミナスからの呼び出しが付け加えられたのは、屋敷内が静まり返った午後十時。
「ご用ですか? アークライト卿」
雇用主から言いつけられては、従わないわけにはいかない。
呼び出された先が寝室と言うのが、いささか引っ掛かるが。
幾ら婚姻を結んだといえど、まだ籍は入っていない。あくまで自分はアリアの家庭教師だ。
そう己に言い聞かせておかないと、ルミナスにいらぬ嫉妬はするわ、欲情してしまうわ、大変なことになる。実際、先日は体が火照って一晩中苦しんだ。
「ああ。君はやはり青いドレスがよく似合うな」
イザベラが眼鏡を外し、飾り一つない灰色の服を脱いだときから、決まって彼はそう褒めた。
余程、あの野暮ったい恰好が気に食わなかったのだろうか。ドレスの中身は変わらないのに。モヤモヤしつつ、子爵の目の端くらいには自分の姿が映っていることに良しとするか、と半ば無理矢理に自分を納得させた。
「今夜はアリアは帰って来ない」
「そうですわね」
「使用人も今日は早く帰らせた」
「どうりで、いつになく静かなはずです」
「というわけで、今晩、君を抱く」
サラッと告げられて、あやうく聞き逃すところだった。
「な、ななな何ですって! 」
金魚のようにパクパクと口を開け、イザベラはこれでもかと首筋から耳朶まで燃えた。
「ちっとも笑えないわ! 」
「別に笑わせようとはしていない」
ヒステリックに叫ぶイザベラとは対照的に、ルミナスは極めて冷静だ。
「な、何を以ってして、あなたとベッドを共にしなくちゃならないの」
「妻だからだ」
「偽りと言ったじゃない」
彼が自ら提案したのだ。
アリアのために偽装結婚しようと。
「話はよく聞かなくてはいけないよ、ミス・シュウェーター」
極めて事務的な物言いで、ルミナスは不敵に笑う。イザベラがどのような返しをするか、すでに予想していたかのように。
「必要なときに妻の役目をしてほしいと」
藍色のカーテンを閉めた窓に凭れて腕を組む姿は、まさに大劇場で主演する俳優のようだ。
不健康に太っているか、ひょろっと青白く痩せているかが大半の貴族とは、一線を画している。
「い、今は必要なときではありません! 」
見惚れて、うっかり頷きそうになり、イザベラは慌てて首を横に振る。
「必要なときだよ」
ルミナスは上着の胸ポケットから一枚の紙を取り出した。
「結婚許可証が届いた」
「偽りのね」
「許可証は本物だ」
ルミナスはややムキになり、声の音量を上げた。
「初夜に妻とベッドを共にしない夫がどこにいる? 私は世間の笑い者だ」
「使用人に手を出して、しかも、ちっとも美人でない。むしろ不細工。どんな趣向なんだと、あなたはとっくに笑い者よ」
「いや、君は美人だ。とてつもなく」
急に音量を落として囁く。
イザベラの鼓膜をくすぐるには充分な響き。
「君の素顔を見たうちの使用人は、いっぺんに黙ったぞ」
「どうせ、あなたが脅したんでしょ」
イザベラは唇を尖らせた。
「君は自分を卑下し過ぎている」
言いながら、ルミナスはイザベラの髪を一筋掬うと、そっと口づける。このようにむず痒い台詞を躊躇なく言うから、気圧されてしまう。
「それに君は自分が思っている以上に、肉惑的だ」
「何ですって」
「だから、かなり性に貪欲だと言ったんだ」
ニタリ、と人の悪い笑みを寄越す。
甘く囁いたかと思えば、神経を逆撫でしたり。急変するその態度についていけない。
「な、ななな! 何ですか! 失敬な! 」
油断していた分、イザベラの戸惑いは大きい。真っ赤になり、呂律が回らない。
「いやいや。事実だよ。忘れたとは言わせないよ」
ルミナスの手のひらがイザベラの背筋を下方へ滑っていき、尻の膨らみで円を描いた。
びくっとイザベラが痙攣する。
「私の腹の上で三日三晩、暴れ回っていたじゃないか。散々、締め付けて、搾り取って」
「も、もうちょっと言葉をお選びください! 」
「私は椀曲した言い方は好きではない」
「は、はしたない! 」
「そっくりそのまま、君に返すよ」
彼の言わんとすることがわかり、イザベラは尻を撫で回す手を容赦なく叩いた。
「あ、あれは薬のせいで! 」
「本来の君ではなかったと? 」
「あ、当たり前です! 」
唾を飛ばして否定する。
「それなら、証明してもらわないとな」
ニヤニヤとルミナスは口元をだらしなく緩めた。
「君はベッドの中でも貞淑だと」
「なっ! いつも私がそんな挑発に乗るとは思わないでください! 」
「怖いのかい? 我を忘れて狂ってしまわないかと」
「こ、怖くはありません。私はいつでもどこでも自分を保っています」
「本当に? 」
「ええ」
「信じられないな」
「私は乱れたりなんてしません」
「証明出来る? 」
「勿論」
「では今夜、早速、試してみないか? 」
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こうして、まんまとイザベラはルミナスの魂胆に嵌り、その夜、相手の言葉が正しかったと自ら証明する結果となった。
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