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続編 愛くらい語らせろ
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「見て、堂島さん。鯉が近づいて来ましたよ」
四ノ宮さんが指を差した。
瓢箪型の池を、十匹ほどの錦鯉が優雅に泳いでいる。
池を跨ぐ石橋に二人、並んでボーっと眺めていた。
「餌をもらえると勘違いしているのかしら」
屈んで覗き込んでいる。
「堂島さん?」
四ノ宮さんがちょっと小首を傾げる。
「堂島さんったら!」
甲高い声に足元がぐらつき、危うく池に真正面から飛び込みそうになった。
「あ、ああ。はい。はい」
危ねえ、危ねえ。
四ノ宮さんの視線が厳しい。くりくりした着せ替え人形みたいな目が、この上なく細く歪んでいる。
「……堂島さん。お見合い、乗り気ではありませんね」
「い、いや。そんなつもりは」
「嘘が下手ですね」
鼻に皺を寄せて、前髪を掻き上げる四ノ宮さん。ぷい、とそっぽ向く。ご機嫌斜めのときの癖なのか。こんな癖を持つやつは、他にもいたような……。
「堂島さん。随分、変わりましたね」
振り返った彼女は、もう元のお嬢様だ。
「ほら、昔はこう、目つき悪くて」
悪かったな。だから、目尻を人差し指で吊り上げるのはやめろ。
「ピアスとか、そこかしこに」
おい、何で乳首と臍を指差した?服に隠れてたから、あんたには見せてねえだろうが。
「ガラの悪そうなお友達といつも連んで、よく学校サボって商店街をふらふらして」
日中、街中を肩で風切って歩いてたら、両親から堂島家の面汚しって罵られたな。
「高校卒業して、干支一回りですからね。誰でも変わりますよ」
顔を合わせるたびにぎゃあぎゃあと喚いていた両親は、今や姉の子、つまり自分らの孫を溺愛するジーサンバーサンだからな。俺の娘も例外なく可愛がってくれてたが、やたらめったら会えなくなった今は、しょぼくれたジーサンバーサンになってしまい、申し訳ない。
「そうですね。私も変わりました」
ふふ、と四ノ宮さんは意味深に小さく声を揺する。
「……」
「……」
沈黙が痛々しいな。
でも、気のきいた言葉なんか思いつかねえよ。
黙って泳ぐ鯉を凝視すること五分。
先に口を開いたのは、彼女だ。
「この間の火事……」
不意に声音が変わった。顔つきもどこかしら違う。彼女の持つ柔らかさが消えた。
「失火だったとか」
何が言いたいんだ?
俺は割と鈍感な方だと自覚しているが、その目の奥にある感情は正しく読み取ったと思う。
「最近、よくあるんですよ」
だから、物騒なこと考えるなよ。
「アロマオイルを拭き取ったタオルを洗濯して、乾燥機にかけて、入れっぱなしで放置した結果、火が出たとか」
「本当に?」
やはり、彼女は先日の火事は何者かの故意だと考えているようだ。考え過ぎだろ。
「ええ。洗濯したから大丈夫、と油断するんですよね。蓄熱して発火。乾燥機が損傷ってね」
「連続放火だったとか、ではなくて?」
ズバリ、口に出したな、この女。
「確か先月も、ありましたよね」
「ああ。あれはアマニ油でしたね」
健康に気遣う人々が取り入れたりする食品のため、特段危険というわけではないが。取り扱い一つで狂器となる。
アマニ油を含む幾つかの植物油が乾燥する過程で酸化反応を起こし、その際に微量の反応熱が発する。これらの油を拭き取ったタオルを何枚も重ねて放置すると、反応熱が蓄熱し、次第に高温となり、発火温度に達する。
「先々月も」
「そうだな。あれも、確か」
「アロマオイル?」
本当に?と彼女の隠れた声が聞こえた。
「要救助者はいづれも病気で寝たきりの人でしょ」
「……考え過ぎですよ」
根拠のない話に乗るつもりはない。
これでこの話はお終いだ。
俺は再び池に視線を戻した。
まだ何か言いたそうに息を吐く彼女には気づかないふりで。
四ノ宮さんが指を差した。
瓢箪型の池を、十匹ほどの錦鯉が優雅に泳いでいる。
池を跨ぐ石橋に二人、並んでボーっと眺めていた。
「餌をもらえると勘違いしているのかしら」
屈んで覗き込んでいる。
「堂島さん?」
四ノ宮さんがちょっと小首を傾げる。
「堂島さんったら!」
甲高い声に足元がぐらつき、危うく池に真正面から飛び込みそうになった。
「あ、ああ。はい。はい」
危ねえ、危ねえ。
四ノ宮さんの視線が厳しい。くりくりした着せ替え人形みたいな目が、この上なく細く歪んでいる。
「……堂島さん。お見合い、乗り気ではありませんね」
「い、いや。そんなつもりは」
「嘘が下手ですね」
鼻に皺を寄せて、前髪を掻き上げる四ノ宮さん。ぷい、とそっぽ向く。ご機嫌斜めのときの癖なのか。こんな癖を持つやつは、他にもいたような……。
「堂島さん。随分、変わりましたね」
振り返った彼女は、もう元のお嬢様だ。
「ほら、昔はこう、目つき悪くて」
悪かったな。だから、目尻を人差し指で吊り上げるのはやめろ。
「ピアスとか、そこかしこに」
おい、何で乳首と臍を指差した?服に隠れてたから、あんたには見せてねえだろうが。
「ガラの悪そうなお友達といつも連んで、よく学校サボって商店街をふらふらして」
日中、街中を肩で風切って歩いてたら、両親から堂島家の面汚しって罵られたな。
「高校卒業して、干支一回りですからね。誰でも変わりますよ」
顔を合わせるたびにぎゃあぎゃあと喚いていた両親は、今や姉の子、つまり自分らの孫を溺愛するジーサンバーサンだからな。俺の娘も例外なく可愛がってくれてたが、やたらめったら会えなくなった今は、しょぼくれたジーサンバーサンになってしまい、申し訳ない。
「そうですね。私も変わりました」
ふふ、と四ノ宮さんは意味深に小さく声を揺する。
「……」
「……」
沈黙が痛々しいな。
でも、気のきいた言葉なんか思いつかねえよ。
黙って泳ぐ鯉を凝視すること五分。
先に口を開いたのは、彼女だ。
「この間の火事……」
不意に声音が変わった。顔つきもどこかしら違う。彼女の持つ柔らかさが消えた。
「失火だったとか」
何が言いたいんだ?
俺は割と鈍感な方だと自覚しているが、その目の奥にある感情は正しく読み取ったと思う。
「最近、よくあるんですよ」
だから、物騒なこと考えるなよ。
「アロマオイルを拭き取ったタオルを洗濯して、乾燥機にかけて、入れっぱなしで放置した結果、火が出たとか」
「本当に?」
やはり、彼女は先日の火事は何者かの故意だと考えているようだ。考え過ぎだろ。
「ええ。洗濯したから大丈夫、と油断するんですよね。蓄熱して発火。乾燥機が損傷ってね」
「連続放火だったとか、ではなくて?」
ズバリ、口に出したな、この女。
「確か先月も、ありましたよね」
「ああ。あれはアマニ油でしたね」
健康に気遣う人々が取り入れたりする食品のため、特段危険というわけではないが。取り扱い一つで狂器となる。
アマニ油を含む幾つかの植物油が乾燥する過程で酸化反応を起こし、その際に微量の反応熱が発する。これらの油を拭き取ったタオルを何枚も重ねて放置すると、反応熱が蓄熱し、次第に高温となり、発火温度に達する。
「先々月も」
「そうだな。あれも、確か」
「アロマオイル?」
本当に?と彼女の隠れた声が聞こえた。
「要救助者はいづれも病気で寝たきりの人でしょ」
「……考え過ぎですよ」
根拠のない話に乗るつもりはない。
これでこの話はお終いだ。
俺は再び池に視線を戻した。
まだ何か言いたそうに息を吐く彼女には気づかないふりで。
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