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続編 愛くらい語らせろ
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間もなく引き継ぎの時間だ。愚図愚図していられない。
隊長の藤田さんは、他所んとこの隊長とは違って、ちょっとやそっとじゃ雷を落とすことはないけどさ。目を細めて笑うその顔は、大黒天そのもの。大黒谷消防署の良心。
だが、規律の乱れには人一倍敏感でもある。
十八から数えて二十五年を消防一筋。だからこそ、知っている。外れたことをする輩がいれば、それに引きずられて統率が取れず、最悪の事態を引き起こしかねないことを。レスキューのオレンジを纏うその姿は、まさしく大黒さんの皮を被った人喰い鬼。普段は穏やかな分、切れたら他所の隊長より恐ろしい。一部のやつらからは、大魔神様と例えられている。レスキューの隊長は、優しさだけでは成り立たない。
隊長の太い眉毛が吊り上がった顔が脳裏をちらつく。
それなのに俺らはこんなとこで、一体、何やってるんだ。
男子トイレは、がらんと広過ぎて、誰の姿もない。正確には、俺と日浦の姿以外にいない。
「……んんっ」
息苦しさに喉を震わせれば、唇はさらに深く重なり合う。引き結びを湿った舌先で強引に割られ、口内への侵入を呆気なく許してしまった。まず歯列を舌の先端で舐り、それから粘膜をゆっくりと蹂躙する。だんだん口内が熱くなってきたところで、苦しくて息を口端から漏らせば、その息ごと吸い上げられてしまう。
軽い酸欠のせいで、蕩けちまいそう。目の前の色男を見る。背丈が同じくらいのため、嫌でも目線が絡んでしまう。
日浦は一旦離れて、人差し指で俺の唇の輪郭をなぞった。
「は、早く行かねえと。雷が落ちるぞ」
「まだ駄目」
言いながら、日浦は再びキスを繰り返す。
何だってこいつは上手いんだ。七福市の消防局の女は一度は日浦に惚れ、結果、泣きを見る……なんて、実しやかに語られただけのことはある。
「日浦!」
息継ぎのタイミングを見計らい、思い切り胸板を押せば、いともあっさり解放された。はっきり言って、拍子抜け。おい、もうちょい抵抗見せてもいいんじゃねえの?
いや、別にもっとくっついときたいって意味じゃねえ。
「今日のところは、これくらいで勘弁してやる」
何なんだよ、その笑い方は。片頬だけ斜めに吊って、目は全然笑ってねえ。能面のあれだ、あれ、女面。まさに、あれ。
「ぐぁっ」
いきなり顎を指先で摘まれ、上向けさせられる。勢い任せに押されて、壁のタイルのひやりとした感触が衣類越しに背中に感じた。
もしや、心ん中の悪口が聞こえたりした?
そんな馬鹿な心配をするくらい、日浦の目は凍てついている。視線で殺せたらそうしてやりたい、なんてそんな物騒な目だ。
「油断も隙もないからな」
耳元を掠める舌打ち。
「さっき女に色目使われて、満更でもなかっただろ」
「はああ?」
女?色目?何のことだ?
「ぶつかってきた女だよ」
さっきのショートカットの女のことか?
「てめえじゃあるまいし」
鉄仮面と不名誉な渾名をつけられるくらい、女子から不気味ながられてる俺だぞ。
「あっちゃんさあ」
おい、耳元でデカい溜め息をつくな。
「自分の魅力、全然わかってないのな」
だから、何でそんな目つきが険しいんだ。
さっきまで俺に吸い付いていた唇は、ぬらぬら濡れて腫れぼったいし。
妙なフェロモン垂れ流すんじゃねえよ。
日浦から雄の匂いを感じてしまう。血がカッカカッカと滾って。特にある一部分。まずい、このまま仕事には戻れねえかも。
「だからさあ、その顔、やめなよ」
またしてもわざとらしく溜め息をつくんじゃねえよ。だから、どんな顔だよ。
隊長の藤田さんは、他所んとこの隊長とは違って、ちょっとやそっとじゃ雷を落とすことはないけどさ。目を細めて笑うその顔は、大黒天そのもの。大黒谷消防署の良心。
だが、規律の乱れには人一倍敏感でもある。
十八から数えて二十五年を消防一筋。だからこそ、知っている。外れたことをする輩がいれば、それに引きずられて統率が取れず、最悪の事態を引き起こしかねないことを。レスキューのオレンジを纏うその姿は、まさしく大黒さんの皮を被った人喰い鬼。普段は穏やかな分、切れたら他所の隊長より恐ろしい。一部のやつらからは、大魔神様と例えられている。レスキューの隊長は、優しさだけでは成り立たない。
隊長の太い眉毛が吊り上がった顔が脳裏をちらつく。
それなのに俺らはこんなとこで、一体、何やってるんだ。
男子トイレは、がらんと広過ぎて、誰の姿もない。正確には、俺と日浦の姿以外にいない。
「……んんっ」
息苦しさに喉を震わせれば、唇はさらに深く重なり合う。引き結びを湿った舌先で強引に割られ、口内への侵入を呆気なく許してしまった。まず歯列を舌の先端で舐り、それから粘膜をゆっくりと蹂躙する。だんだん口内が熱くなってきたところで、苦しくて息を口端から漏らせば、その息ごと吸い上げられてしまう。
軽い酸欠のせいで、蕩けちまいそう。目の前の色男を見る。背丈が同じくらいのため、嫌でも目線が絡んでしまう。
日浦は一旦離れて、人差し指で俺の唇の輪郭をなぞった。
「は、早く行かねえと。雷が落ちるぞ」
「まだ駄目」
言いながら、日浦は再びキスを繰り返す。
何だってこいつは上手いんだ。七福市の消防局の女は一度は日浦に惚れ、結果、泣きを見る……なんて、実しやかに語られただけのことはある。
「日浦!」
息継ぎのタイミングを見計らい、思い切り胸板を押せば、いともあっさり解放された。はっきり言って、拍子抜け。おい、もうちょい抵抗見せてもいいんじゃねえの?
いや、別にもっとくっついときたいって意味じゃねえ。
「今日のところは、これくらいで勘弁してやる」
何なんだよ、その笑い方は。片頬だけ斜めに吊って、目は全然笑ってねえ。能面のあれだ、あれ、女面。まさに、あれ。
「ぐぁっ」
いきなり顎を指先で摘まれ、上向けさせられる。勢い任せに押されて、壁のタイルのひやりとした感触が衣類越しに背中に感じた。
もしや、心ん中の悪口が聞こえたりした?
そんな馬鹿な心配をするくらい、日浦の目は凍てついている。視線で殺せたらそうしてやりたい、なんてそんな物騒な目だ。
「油断も隙もないからな」
耳元を掠める舌打ち。
「さっき女に色目使われて、満更でもなかっただろ」
「はああ?」
女?色目?何のことだ?
「ぶつかってきた女だよ」
さっきのショートカットの女のことか?
「てめえじゃあるまいし」
鉄仮面と不名誉な渾名をつけられるくらい、女子から不気味ながられてる俺だぞ。
「あっちゃんさあ」
おい、耳元でデカい溜め息をつくな。
「自分の魅力、全然わかってないのな」
だから、何でそんな目つきが険しいんだ。
さっきまで俺に吸い付いていた唇は、ぬらぬら濡れて腫れぼったいし。
妙なフェロモン垂れ流すんじゃねえよ。
日浦から雄の匂いを感じてしまう。血がカッカカッカと滾って。特にある一部分。まずい、このまま仕事には戻れねえかも。
「だからさあ、その顔、やめなよ」
またしてもわざとらしく溜め息をつくんじゃねえよ。だから、どんな顔だよ。
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