58 / 88
三章 風の前の塵
-58- 帰る先に待つは
しおりを挟む突発的に発生した台風災物討伐作戦の事後処理を終え、太蝋は疲れ切った身体を引き摺って火焚の屋敷へ帰還した。
あまりの疲労に基地の宿舎で休もうかと思うほどだったが、どうしても足が火焚の屋敷に向かってしまった。
その理由など一つしかない。会いたい人がそこに居るからだ。
「――旦那様……っ! だ、大丈夫ですか……!?」
玄関の式台に腰掛けて、ぼうっとしていたところへ八重の心配そうな声が響いてきた。疲れ切って回らない頭で何とか八重の問いかけに答える。
「うん……まぁ……大した怪我はしてないよ……」
「えっ……!? け、怪我をされたのですか……!?」
「あー……いや……軽い打撲くらいで……済んだから……」
いつもキッチリとした口調で話す太蝋が、心ここに在らずと言った様子で話す姿は八重にとって異常事態にしか思えなかった。
(きっと、とても疲れることがあったんだわ)
そう思い、八重は辺りをキョロキョロと見回した後、少し離れた廊下を歩いていく女中を捕まえて精一杯に話した。
「だ、旦那様がお戻りになられました。急いでお風呂の準備と、お夕飯の支度をするように言って貰えますか……?」
いつものように頼りない態度で言う八重の要求に女中は眉を顰めたが、その背後に映っている玄関口には確かに太蝋の姿があった。八重の言うことを聞いておかなければ、後々自分に災いが降りかかると直感し、女中は急いで「かしこまりました」と返ことをして、足早に立ち去っていく。
その姿を見送った後、八重は太蝋の元に戻って状況を話した。
「今、お風呂の準備とお夕飯の準備をお願いしました。準備が出来るまで、お部屋で休んでいましょう?」
「……うん」
八重の話に一言だけ返答し、太蝋はふらふらな状態で立ち上がった。今にも倒れそうなほどにふらふらしているが、太蝋は誰の肩も借りずに自分の部屋まで歩いていく。八重は心配しながら、その後を着いて行って一緒に部屋へ入った。
部屋へ入ってすぐ、太蝋は泥に塗れた制服の上着を脱いでその辺に放り投げた。それから、部屋の適当なところにごろりと横たわってしまった。
八重は脱ぎ捨てられた上着を拾って畳んで畳の上に置くと、次は座布団を持って太蝋の傍に膝をついて言った。
「旦那様。せめて、座布団を枕代わりに……」
半分に折った座布団を太蝋の頭の下に差し込む準備をしながら言うと、太蝋は気だるげに「んー……」と反応した後、座布団を持つ八重の手を取って言った。
「枕なら八重の膝が良い……」
「……え?」
思っても見ぬ言葉が太蝋の口から出てきたことに八重は目を点にして驚いた。それから一拍の間を置いて、太蝋自身も発言の意味に気が付いて、重だるい身体を目一杯急いで起き上がらせて言い訳しようと口を開く。
「い、いや、今のは――」
「私の……膝で宜しければ……」
向けた視線の先では、八重が正座をして太蝋の枕になる準備を整え終えていた。顔を赤らめながらも、考えなしに言われた太蝋の要求に応えようとする姿が健気で愛おしい。
まさか、膝枕の許しが出るとは思わず、太蝋は「あー……」やら「いや……」などと口籠りながら、甘えて良いものか悩む姿を見せる。
だが、考えなしに言ったと言うことは、心から望んでいることに他ならず、結局、太蝋は甘える選択を取ることにしたようだ。
八重の太腿に頭を乗せると、甘い香りと柔い感触が同時に堪能出来て、疲れた脳と身体に甘美な休息を与えてくれた。そのことに妙な感動を覚えながら、太蝋は少し恥ずかしげにしながら言う。
「疲れてて……すまない……」
頭の炎が小さく揺らめく。妙な我儘を言ってしまった言い訳は、それしか口にすることが出来なかった。本当に脳も身体も疲れ切っているようだ。
そんな太蝋に対し、八重はただ静かに――
「大丈夫です」
と言って、枕に徹し続けた。
何があったかなんて聞かない。聞いたところで答えてもらえることではないかもしれないし、今の太蝋が真面に会話出来るとも思えなかった。
ただ、今は休んで欲しい。普段よりも一層、忙しくしていたであろう太蝋の心身が、自分如きの膝枕で休まると言うなら、いくらでも貸し出したい。
どれだけ痺れようと。身動きがとれなくなろうとも。
「あぁ……そうだ……」
「?」
少しの間、無言で休んでいた太蝋が何かを思い出した様子で口を開いた。
そして、すっかり茶色に染め上がってしまった手袋を手から外し、それを八重に見せながら申し訳なさそうに言った。
「早速、汚してしまった……すまない……」
太蝋に見せられた手袋を八重はごく自然に受け取っていた。あれだけ純白だった絹の手袋の様相がすっかり変わってしまっている。元々が絹だったとは思えないほどの汚れっぷりだ。
八重はそれを見て、今日太蝋が経験したことがどれほど壮絶だったのか垣間見た気がして、胸が締め付けられた。贈り物を汚してしまった罪悪で太蝋は申し訳なさそうだったが、そんなことは問題にもならない。
「ご無事で、何よりです」
汚れに汚れきった手袋を両手で包み込んで、胸元できゅっと抱き締める八重。その姿を見上げる形で見ていた太蝋は、妙に泣きそうになった。しかし、今でさえ情けない姿を見せているのに、これ以上に無様な姿は見せたくない。
太蝋は意地でも涙を堪え、手袋を持っている八重の手に手を重ねて言った。
「お前のお蔭で助かったんだ。ありがとう」
「え……?」
一体、何のことを言われているのか分からず、八重は戸惑った様子で首を傾げた。そんな八重を見て、太蝋はフッと笑い声を漏らして詳細を語る。
「もう駄目かと思った時に、その手袋が媒体となって小さな結界を張ってくれたんだ。そのお蔭で私と一人の子供が救われたんだよ」
「…………そんな……」
手袋が結界の媒体となった。守護の力を強く持つ火蝶の一族では、珍しくもない話だが八重にとっては信じ難い話だった。まさか、自分の霊力が人の命を救うほどの強力な結界を張るだなんて思えなかった。
「そんな大層な力、私には……」
火蝶の当主は勿論として、実母や姉の千重ならまだしも、自分の霊力で引き起こされたとは信じられない。当惑する八重を見上げ、太蝋は怪訝そうな様子で言った。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる