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雫
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翌朝、引き止める小夜先輩に何度もお礼を言って、昼前には重たい足取りで帰路についた。
晴れたはいいものの、外は溶けた雪で路面がぐちょぐちょになっている。
あまり眠れなかったせいか、ぼーっとしながら歩いていると、何度も水溜りにはまっては、ますます気持ちが澱んでいった。
何人かの知らない人から話しかけられ、いちいち対応する気も起きず、そのままスルーする。
一人で歩いていると、よく話しかけられる。伊央に言ったら、そういうときはスマホで話しているふりをするか、本当に俺に電話しろって言われていた。
スマホ…
電源を切ったままにしてあったスマホは、取り出してみると充電切れだった。
そうじゃなくても、今日は伊央に電話する気にはならない。
昨晩寄ったコンビニで水とお茶だけを買ってマンションに向かうと、エントランスで若い女の人とすれ違った。
指先には、あの赤いネイル。
泊まったんだ…
少しぐらいは心配してくれてるかな、なんて思っていたのに、思い上がりも甚だしい。
「ちょっと。」
反射的に振り向くと、ネイルの人がじっとこっちを見ている。
「…俺、ですか?」
「イオと一緒に住んでる人だよね。」
明るめに染めた髪を緩く巻いて、しっかりと化粧をしている。多分、一般的に言う綺麗な人だ。
「…それが、何か?」
「なんで一緒に住んでるの?付き合ってる人いるって聞いてるけど。その人と住めばいいのに。」
付き合ってる人なんていない。
そんな話し、誰から聞いたんだろう。
「わたしイオが好きなの。できればイオと一緒に住みたい。なのに、あなたがいるから、駄目だって。ねえ、出ていってくれないかなあ。」
言われなくても、そうするつもりだ。
それなのに、こんなことを初めて話す人から言われるなんて、くやしい。
もしかしたら、伊央も俺のことをずっと邪魔だと思っていたんだろうか。
「あなたには、関係ないことですから。」
はあ?と言う女の人をおいて、エレベーターに駆け込んだ。
くやしい。
とっても、くやしくて、やるせない。
ばんばんと階のボタンを押すと、関係ない所まで押してしまった。
誰も乗らない階で、扉は開いては閉じてを繰り返している。
無駄な動き。俺の想いとおんなじだ。
「…雫か?」
リビングから伊央の声がする。
今の今まで、ずっとさっきの女の人といたんだと思うと、返事をする気にもならない。
リビングへは入らず、そのまま部屋へ向かおうとすると、伊央が前に立ち塞がってきた。
髪はぼさぼさで、目が少し充血している。
「…どこ行ってたんだよ。」
充血した目が、問い詰めてくる。
「…伊央には、関係ない。」
「あいつのとこか?」
「あいつ?」
「いつも一緒にいるだろ。小さいのと。」
小夜先輩のことだろうか。
「だったら、何?」
「お前、ああいうのが好きなのか?」
「は?何言ってるんだよ。いいから、そこどいて。」
伊央を押し退けて部屋に入ろうとすると、物凄い力で壁に押し付けられた。
「付き合ってるのか?」
「だから、そう言うんじゃないって。」
押し付けられた肩が痛い。
「じゃあ、どこで何してたんだ。言えよ。」
「なんで俺ばっかり?伊央は彼女といたんだろ。泊まらせたくせに。」
「は?何言ってるんだ。泊まらせる訳ないだろ。」
「エントランスですれ違った。」
「泊まってない。」
「でも、昨日この部屋にいたのは事実だろ。約束を破ったのは伊央だ。もういいから、離せって。もういいよ。邪魔なんだろ、俺のこと。出てくから!」
伊央の力が緩んだので、部屋に入ろうとして、また引き止められる。
「出て行くって、本気か?」
「ああ。早めに出て行くよ。」
「だめだ。出て行くなんて、許さない。」
伊央が何を考えているのか、まったくわからない。
「伊央が許さなくても、もう決めたことだから。」
「だめだ。絶対に、出て行かせない。」
なにを今さら、そんな必死に引き止めようとするんだろう。
ここで出て行くことをやめた所で、また同じことの繰り返しだ。
もう限界なんだ。
疲れたんだよ。
伊央への想いから解放されたい。
「伊央に言ってないことがある。部屋に来て。」
「出て行くのは、許さない。」
「わかったよ。」
あれを観たら、きっとそんなこと言えなくなる。
見つからないように隠していた、いかにもな形の器具を取り出し、伊央の目の前に並べていく。
伊央は黙ったまま、何も言わない。
「俺が、男が好きだって言ったの覚えてる?」
「…ああ。」
「これ、俺が使ってるやつ。」
「……」
「想像する相手が、誰か分かる?」
「……」
「…伊央だよ。伊央を想像して、するんだ。気持ち悪いだろ。」
自分でもわかるぐらい、声が上擦って震えている。黙ったままの伊央が、どんな顔をして見ているのか、怖くてそっちを向けない。
「…雫は、その、される側なのか?」
やっと開かれた口から、こんなことを質問されるとは思いもしなかった。
「まだ、その、実際に、経験したことはないんだけど。…でも、される側、かな。」
「……」
「黙っててごめん。伊央のことが、ずっと好きだった。気持ち悪くて、幻滅しただろ。だから、出て行くから。」
もう引き止められることはないだろう。
全部終わりだ。
晴れたはいいものの、外は溶けた雪で路面がぐちょぐちょになっている。
あまり眠れなかったせいか、ぼーっとしながら歩いていると、何度も水溜りにはまっては、ますます気持ちが澱んでいった。
何人かの知らない人から話しかけられ、いちいち対応する気も起きず、そのままスルーする。
一人で歩いていると、よく話しかけられる。伊央に言ったら、そういうときはスマホで話しているふりをするか、本当に俺に電話しろって言われていた。
スマホ…
電源を切ったままにしてあったスマホは、取り出してみると充電切れだった。
そうじゃなくても、今日は伊央に電話する気にはならない。
昨晩寄ったコンビニで水とお茶だけを買ってマンションに向かうと、エントランスで若い女の人とすれ違った。
指先には、あの赤いネイル。
泊まったんだ…
少しぐらいは心配してくれてるかな、なんて思っていたのに、思い上がりも甚だしい。
「ちょっと。」
反射的に振り向くと、ネイルの人がじっとこっちを見ている。
「…俺、ですか?」
「イオと一緒に住んでる人だよね。」
明るめに染めた髪を緩く巻いて、しっかりと化粧をしている。多分、一般的に言う綺麗な人だ。
「…それが、何か?」
「なんで一緒に住んでるの?付き合ってる人いるって聞いてるけど。その人と住めばいいのに。」
付き合ってる人なんていない。
そんな話し、誰から聞いたんだろう。
「わたしイオが好きなの。できればイオと一緒に住みたい。なのに、あなたがいるから、駄目だって。ねえ、出ていってくれないかなあ。」
言われなくても、そうするつもりだ。
それなのに、こんなことを初めて話す人から言われるなんて、くやしい。
もしかしたら、伊央も俺のことをずっと邪魔だと思っていたんだろうか。
「あなたには、関係ないことですから。」
はあ?と言う女の人をおいて、エレベーターに駆け込んだ。
くやしい。
とっても、くやしくて、やるせない。
ばんばんと階のボタンを押すと、関係ない所まで押してしまった。
誰も乗らない階で、扉は開いては閉じてを繰り返している。
無駄な動き。俺の想いとおんなじだ。
「…雫か?」
リビングから伊央の声がする。
今の今まで、ずっとさっきの女の人といたんだと思うと、返事をする気にもならない。
リビングへは入らず、そのまま部屋へ向かおうとすると、伊央が前に立ち塞がってきた。
髪はぼさぼさで、目が少し充血している。
「…どこ行ってたんだよ。」
充血した目が、問い詰めてくる。
「…伊央には、関係ない。」
「あいつのとこか?」
「あいつ?」
「いつも一緒にいるだろ。小さいのと。」
小夜先輩のことだろうか。
「だったら、何?」
「お前、ああいうのが好きなのか?」
「は?何言ってるんだよ。いいから、そこどいて。」
伊央を押し退けて部屋に入ろうとすると、物凄い力で壁に押し付けられた。
「付き合ってるのか?」
「だから、そう言うんじゃないって。」
押し付けられた肩が痛い。
「じゃあ、どこで何してたんだ。言えよ。」
「なんで俺ばっかり?伊央は彼女といたんだろ。泊まらせたくせに。」
「は?何言ってるんだ。泊まらせる訳ないだろ。」
「エントランスですれ違った。」
「泊まってない。」
「でも、昨日この部屋にいたのは事実だろ。約束を破ったのは伊央だ。もういいから、離せって。もういいよ。邪魔なんだろ、俺のこと。出てくから!」
伊央の力が緩んだので、部屋に入ろうとして、また引き止められる。
「出て行くって、本気か?」
「ああ。早めに出て行くよ。」
「だめだ。出て行くなんて、許さない。」
伊央が何を考えているのか、まったくわからない。
「伊央が許さなくても、もう決めたことだから。」
「だめだ。絶対に、出て行かせない。」
なにを今さら、そんな必死に引き止めようとするんだろう。
ここで出て行くことをやめた所で、また同じことの繰り返しだ。
もう限界なんだ。
疲れたんだよ。
伊央への想いから解放されたい。
「伊央に言ってないことがある。部屋に来て。」
「出て行くのは、許さない。」
「わかったよ。」
あれを観たら、きっとそんなこと言えなくなる。
見つからないように隠していた、いかにもな形の器具を取り出し、伊央の目の前に並べていく。
伊央は黙ったまま、何も言わない。
「俺が、男が好きだって言ったの覚えてる?」
「…ああ。」
「これ、俺が使ってるやつ。」
「……」
「想像する相手が、誰か分かる?」
「……」
「…伊央だよ。伊央を想像して、するんだ。気持ち悪いだろ。」
自分でもわかるぐらい、声が上擦って震えている。黙ったままの伊央が、どんな顔をして見ているのか、怖くてそっちを向けない。
「…雫は、その、される側なのか?」
やっと開かれた口から、こんなことを質問されるとは思いもしなかった。
「まだ、その、実際に、経験したことはないんだけど。…でも、される側、かな。」
「……」
「黙っててごめん。伊央のことが、ずっと好きだった。気持ち悪くて、幻滅しただろ。だから、出て行くから。」
もう引き止められることはないだろう。
全部終わりだ。
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