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蹉跌1993

飛び込み営業

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「朝礼、おはようございます!」
「おはようございます‼︎」
 四日市駅前のテナント2階、子供向け英会話教室ミネルビ学院営業所10名の挨拶が響いた。若干27歳、相原ゆう子所長の朝礼が続く。

「皆さん!1970年代から続く英会話教室の老舗である、私たちミネルビ学院の子供英会話教室は、遂に!全国1000教室を越えました!1985年に500教室を突破し、その7年後に2倍です!バブルが弾けましたが、国際化の波が来ているからこそ、親御さんたちは子供たちの才能の開発を求めています。もっと、もっと、必要とされています!
 私たちには強みがあります!それは、スピーキングに偏らず、リスニング、リーディング、ライティングのスキルもバランスよく行う学習スタイルです。これこそが、後塵を拝するEEC子供英会話教室との大きな違いです!
 訪問先で『英語喋れる様になるの?』『英語を習わせても生活で使わないので意味がない。』と言う親御さんが沢山おられますが、私たちはコミュニケーション能力を高める事を、学習の基礎、人としての基礎を培っている事をトークして下さい!」
 子供英会話教室の市場は、1990年代初頭に倍々ゲームの活況を呈していた。その中でもミネルビ学院とEECは常にライバル関係にあり、1.2を競っていた。
「夢を売って下さい!子供達の可能性にひと月2万円の受講料は高くありませんね!勝負はそこです!自信を持って親御さんにその必要性を説いて下さい!子供達の未来の為に頑張りましょう!」
 相原所長のハイトーンに通る声と滑らかな滑舌、あどけない無邪気な笑顔、全社内の新規契約件数の最多記録保持者である実績も相俟って朝礼に充分な説得力を生んでいた。そして、ショートヘアとスーツがよく似合うプロポーションも加わり、全社内でカリスマ的な人気を誇ってた。

「それでは、先週金曜日の新規体験の成績の発表です! 水谷さん4件、長野さん3件、平野さん3件、森田さん2件、山本さん2件、横田さん1件、松田さん1件、武田さん、、0件!」少しため息が聞こえた様な気がした。
「では、今日から菰野市を攻めます!菰野市は田んぼや畑が広がっていますが、商業地域の延町、高級住宅街がある桑野町、周辺に農業地域や新興住宅街も多く、小さな子供達が多い街で新規の山が期待されます!取りこぼさない様に気をつけて下さい!」
「はい!!」1名を除いて勢いよく返事をした。
「桑野のスーパー寄ろぉ」水谷ゆかりだ。
 彼女は半日勤務にも関わらず営業成績でトップをいつも快走していた。悩みは晩御飯のメニューと夫の薄給。化粧は厚く、茶髪セミロングでパーマか癖毛でカールがかっている。敬語が苦手だが、母親たちと同じ目線でお得感を出すトークはピカイチだ。
「キャラバンは主任が運転で、水谷さん、平野さん、山本さん、長野さん、武田さんと。私はウィングロードで、森田さん、横田さん、松田さんと。営業時間は、午前10:00~12:00、午後13:00~16:00までの間、各自、終わりは自由解散です!」

「出発します!体験用のパンフ、トーク用チラシを忘れないように!」

「武田君、この携帯持って!」最新の携帯は縦20cm、幅10cmで重さ900gの小型スピーカーみたいだった。

「ちょっと、、、」相原所長に呼び止められた。

「あなたは初日に3件新規を取ってる時期があったのに0件が1ヶ月続いているけど、、あなたが回った後に行くとめちゃくちゃ新規が上がるのよ!分かる?」

「、、はぁ」言っている意味が分からなかった。

「初対面でも信用される何かを持ってるのよ!頑張ってね!」

 パン!と励ましの様に背中を叩かれた。

 レースの為にも、所長の為にもかんばらねば!とプレッシャーを感じて、背中により痛みを感じた。

 日産キャラバンが始動する。ヴォーン、ガタガタガタガタ、、ディーゼル独特のエンジン音が響く。
 今日は晴れ、初夏の日和で汗ばむがまだ過ごし易い。ディーゼルのエンジン音も軽やかだ。
 ウィングロードは交差点を反対側の延町へ分かれていった。
 キャラバンは15分後、桑野町に入り高級住宅街に差し掛かった所で車を停め、全員が降りた。
「では、皆さん行ってらっしゃい!携帯を車内に置いてあるので、遠くまで攻めてもらっても、公衆電話から連絡貰ったら迎えにいくので!」
「はい!!行ってきます!!」

 オレンジに青チェックのネクタイと紺色のジャケットで日常を偽装した晃司は、
「笑顔を忘れずに、、新規が取れるイメージで行こう!」という効果のないイメージを、顔の引き攣っている自分に言い聞かせた。

 文字通りに「閑静な」シーンっとした住宅街に、程なくアンパンマンの三輪車や小さなジャングルジムのある庭を見つけた。そこからテレビの声も流れてきた。、、ここだ!
【ピンポーン】
「こんにちは!ミネルビ学院の武田と申します。子供さんの教育の事でお話を」
「今忙しいから、、」
「お、忙しい時にすいません。子供さんの知能の発育、将来のお話をさせて貰う、ご興味あればお伝えさせていただくだけで結構です。営業ではありません。」
「はあぁ、、」営業ではありません。が晃司の枕詞だ。本当かもしれなかった。
「ありがとうございます!子供さんの将来の為に何をしたら良いだろう?というお話です。もう沢山習い事をさせてらっしゃいませんか?」
「そう、小さい時から才能を伸ばしてやりたいのでねぇ。スイミング、公文、塾。」
「素晴らしいですね!才能を伸ばす、知能を伸ばす、大切な事ですね。」
「勿論!多くの物は望んでないけど、子供がお金の面で苦労しないように、幸せになって貰えればねぇ。」
「そうですよね。飛び抜けた才能があれば良いですが、賢い、知能が高い、良い大学に入る、良い会社で安定した生活を送る。出世するか?成功するか?」
「そこまでは望んで無いんだけど、ま、できればねぇ。」
「奥さん、子供さんが社会に出て、組織内で成功するのに絶対に必要な能力があります。これが長けていると他者よりも評価が上がり、成功する傾向との話ですが、何かわかりますか?」
「・・賢さとかぁ?明るさとかぁ?」
「コミュニケーション能力ですよ!組織では幾ら賢くても、知能があってもコミュニケーション能力が低くては評価されません。そんな人たちを沢山見てきました。組織に必要な人は、コミュニケーション能力が高く、人の気持ちが分かる、人に配慮できる、人の為に行動できる、そう言った人です!知能や他の能力が芳しくなくても、評価が高くなります。組織から引き上げられる。つまり出世します。自分の事ばかりで行動している人は、結局、、」自分みたいに誰も相手にされない。と言いかけて口を継ぐんだ。
「ミネルビの子供英会話教室は喋る事に偏らず、読む、書く、聞くをバランス良く行い、他文化と触れるので、子供のコミュニケーション能力を高めるのにぴったりです!」
「もう、うちは習い事3つやらせているしぃ、、それが子供の為になってるのかぁ、忙しくてよく考える時間もなくてぇ、、」
「そうですか、、無理しなくて良いです。ミネルビやらなくても良いんですよ。」
「え、良いのぉ?」
「はい。それより、色々1人で大変ですね。子供さんの事、何もかもご自分で悩んで苦慮されている様子なので、、」 その後、奥さんの話が続く。見かけほど経済的に余裕が無い事やパートで働き多忙で子供との時間が少ないこと、時間的に多忙で子供の為に時間が取れない事、子供は寂しく無いだろうか、、夫は協力してくれない、といつの間にか、悩みを傾聴してかれこれ1時間経っていた。
「あ、もう用事しなきゃ!ごめんなさいねぇ。」
「そ、そうでしたか。、、失礼します!」

「また新規が取れなかった。失敗した。、、もう少し推した方が良かったんだろうか?」
 肩を落として歩きだした。

「武田君!あんた本当に馬鹿じゃない?」
 声の方を振り返ると、トップセールスウーマンの水谷さんが居た!
 見た感じあまり教養のなさそうな化粧の濃い人だが、今は光り輝いて、後光が差して見えていた。何か新規を取る魔法を持っている。としか、晃司には思えなかった。
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