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蹉跌1993
辞表
しおりを挟む人気のない公園で、日傘をさすのを忘れていた水谷の話は、夏日より熱を帯びていた。
「今すぐ営業辞めな!」
「・・・」
『馬鹿』の次に『営業辞めな!』という瑣末な言葉に、晃司は未だ無表情だったが、『あのね、、』と武田を諭すように話し始めた後は、色を失っていった。
「さっきの奥さんに『ミネルビやらなくていい』って言ったの何?どう言う意味で言ってんの?あんた1ヶ月新規ゼロなんでしょ!」
「は、はい。奥さんの悩みを聞いて、お金にそんなに余裕が無いとも仰っていたので、私なりに今、この方に何が必要かを一緒に考えていました。そして、、この奥さんには今は、英会話教室が必要ないと思いました。」
「あのね、、勝手にお悩み相談会してんじゃないわよ!『奥さんにとって何が必要か?』だって、その態度が傲慢なんだよ!
あんた何様なの?あんたは何の立場のお方?人として何の実績があるの?大学出て、レースで遊んで、仕事も中途半端、何もないでしょ!
子育てって、みんな悩んでるからいつも不安なのよ。自分の子育てはちゃんとできているか?いつも充分じゃないって感じて苦しんでるの。悩んでるのよ。わかる?分かんないわよねぇ。だってあなたも自分で経験しないとわからないでしょ!私たちは、子供達にとって良いと思う事を伝えて、英会話体験で背中を押してあげるの。経験させてあげるのよ!自分でやるか、やらないかを決めさせてあげることなのよ!
それに、、金のことも、あなたが判断する事じゃ無いわよ!
人は必要だと思ったら金出すし、高額でも安い。と思ったりする物があるでしょ?、、あんたの場合はレースよね。レースって何百万もかかるのよね。私から見たら金を捨てる様な物よ。でも、違う人もいる。
あんたは自分の価値観、物差しで判断してるだけなんだよ!あんたは自己満足してるだけ!そんなの相談でもない!営業でもない!奥さんにとっても迷惑なんだよ!!」
一気に捲し立てた後、、真顔になって晃治に続けた。
「、、私は生活がかかってる。所長みたいに、あんたの趣味に付き合ってられないからね。あんたのいつも言う『皆さんにご迷惑かけて、、』と思ってるんなら、サッさと辞めてね!あんたはミネルビのお荷物!迷惑なんだ!!」
水谷は話終わると早足で去っていき、直ぐに遊具を探し出しチャイムを押し始めていた。
晃司は衣類を剥ぎ取られた様に感じて、公園の木陰に身を隠した。考えが纏まらず、所在の無い眼差しはボンヤリと、中空を見続けていた。
夏日影が少しこんもり変化し出して、漸く、白日の元に自らの姿が晒された事象を、次の行動の道筋に捉える事ができつつあった。
「ゲームオーバーだ!」と呟きながら、自ら営業の仕事に【終焉】のクレジットをつけた。
辺りは暗くなり始めていた。
四日市営業所の2階、応接セットのテーブルに、【辞表】と書かれた便箋とソファに腰掛ける晃司、珍しく腕組みをする相原所長が2人きりでいた。
相原はきっかけを探す様に、カップにインスタントコーヒーをひと匙、お湯を注いだ。
「武田君、、私は、あなたの損得を考えない姿勢を、とても買ってるの。でも、水谷さんの言うことは、その通りだと私も思う。要は、、」
はい、冷めないうちに飲んで。黒色の液体に満たされたコーヒーカップがテーブルに並んだ。
「あなたが、もし少しでもトークの要所で推せる様になれば、、客観視できれば、あなたはトップセールスマンになれる!何故なら、営業で1番難しい[信用]を、貴方は難なく築ける素質を持っている。それは努力ではできないのよ。営業初日に3件新規を取った事覚えてる?私はあなたを見て『エースになれる原石が来た!』って思ったわ。」
相原は、自らと似た様な気質を晃司に感じていた。
「、、すいません!所長には大変お世話になりました。もう、私を買い被らないで下さい!」
どこからどこまでが、所長の営業トークだろう?と訝ったまま。
「、、、、」
2人の間に全く話にならない、大きな間がある様だ。
「、、武田君!兎も角、今日はこの辞表は受け取れない!明日、必ず出社して!必ずよ!」
「、、、」晃司は、自分の事を少なからず理解してくれている相原の指示を拒めなかった。
その様子を見て、相原は隠し持っていた言葉を出した。
「武田君、明日からペアで回ってくれる?」
「一人じゃ充分じゃないって事ですか?」
「ある意味そう言う事。でも、違う意味もある。明日1日、一緒に外回りし出したら、多分この意味が分かるわ!」
相原が微笑んでいる様子を見て、何か裏打された秘策の様なものだと感じた。
それで、、「ペアの相手は誰ですか?」
「松田ちゃんよ。」
「え?」
松田は、営業成績が晃司に次ぐワーストツーの10代の子だ。
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