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ジュニエスの戦い
57 分水嶺 4
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「実際は、ヘレニウスは残存の兵をすべて率いて、南方地域のマイエルのもとへ向かっております。事前に早馬を飛ばし、マイエルにはジュニエスの戦いに参戦するよう促しましてな」
「では東方は……」
「もぬけの殻です」
淡々と語るラインフェルトに、ノアは不安と期待が綯い交ぜの複雑な印象を覚えていた。
「……とすると、イェネストレームなど東方一帯を、カッセルに明け渡したということに……」
「それは賭けですな」
「賭け?」
「左様でございます。その点は六長官会議で申しました通り、カッセル側にさほど侵攻する利がないということと、あとは……詐欺師としての私の名を、先方がどれほど買ってくれているか、という賭けです」
「そうか……ラインフェルト将軍が守備を空にした、という事実の裏に、カッセル側が策ありと見てくれるか、という……」
「いささか我が身を買いかぶり過ぎとは思いますが……他に手がありませぬ」
ラインフェルトは静かに笑う。ノアは問題を一つ拾い損ねていることに気付いた。
「将軍、さきほど卿は、味方を騙すと言っていたが……マイエル将軍の動向を伏せておくということか?」
「左様です」
「何故だ。増援の存在を知っておいたほうが、味方も戦略を立てやすかろう」
「理由はいくつかございます」
そう言うとラインフェルトはうつむき、軽くため息をついた。
一呼吸置いて、両手を組み合わせてから説明を再開する。
「私に此度の戦における指揮の全権があれば、作戦の全容を幕僚たちぐらいには共有しておくのもよいでしょう」
「将軍……! それは……」
「有り体に申し上げれば……残念ながら、レイグラーフ総司令には、此度の戦を勝ち抜く力はございません」
「……ならばいっそ、私からレイグラーフ将軍に指揮権の移譲を進言してみようか」
「それはなりません。リードホルム軍がこれまで従ってきた体制をここで崩せば、かえって兵は混乱し、その力を殺ぐことになるでしょう。現体制のまま戦ったほうが、軍組織としての力は安定的に発揮できます。……それに残念ながら、私に全権を与えられても、勝つことは不可能でしょう。この非才の身には、少しばかり負けるまでの時間を長引かせる程度が関の山です」
「ラインフェルト将軍でも、無理なのか……」
「それだけノルドグレーン軍の陣容は厚く、戦う前からほぼ勝敗は決しています。敵のローセンダールなる女傑は、そうした点で類まれな、軍人の枠に収まらぬ戦略家のようです。ですが、あのマイエルを呼び込み、かつ敵がマイエルへの対応を急ぐあまり戦争の早期終結を焦れば……あるいは活路が見出だせるやも知れませぬ」
「……それに、作戦を全軍に知らせていては、捕虜になった者などから漏洩する可能性もあるのだな」
「その点からも、全軍に通達しておくことは控えるべきでしょうな」
ノアは顎に手を当てて思考を整理しながら、衝立に掛けられているリードホルムの地図に目を移した。
「さらには、戦には勢いというものも必要です。吉報はあらかじめ知っているよりも、思いがけずもたらされたほうが、兵はより沸き立つもの。敵の不識、幸運、勢い、そうしたものすべてを味方に付けてようやく、我が軍には僅かな勝機が見えるでしょう」
「そうか……わかった。しかし南方は遠い。間に合うのか?」
「開戦には間に合いますまい。おそらく最も早くて、その数日後かと」
「ではそれまで、時間を稼がねばならないのだな」
「はい。それも、敵に決して気取られずに……劇的であることが、このさいは重要なのです」
ラインフェルトの大胆で遠大な計画に、ノアは力強くうなずいた。
リードホルムが九死に一生を得るには、この男の目論見が実現することが最低限の条件となる。そのために労を惜しまず尽力することを胸に刻み、ノアは軍務省の資料室をあとにしたのだった。
「では東方は……」
「もぬけの殻です」
淡々と語るラインフェルトに、ノアは不安と期待が綯い交ぜの複雑な印象を覚えていた。
「……とすると、イェネストレームなど東方一帯を、カッセルに明け渡したということに……」
「それは賭けですな」
「賭け?」
「左様でございます。その点は六長官会議で申しました通り、カッセル側にさほど侵攻する利がないということと、あとは……詐欺師としての私の名を、先方がどれほど買ってくれているか、という賭けです」
「そうか……ラインフェルト将軍が守備を空にした、という事実の裏に、カッセル側が策ありと見てくれるか、という……」
「いささか我が身を買いかぶり過ぎとは思いますが……他に手がありませぬ」
ラインフェルトは静かに笑う。ノアは問題を一つ拾い損ねていることに気付いた。
「将軍、さきほど卿は、味方を騙すと言っていたが……マイエル将軍の動向を伏せておくということか?」
「左様です」
「何故だ。増援の存在を知っておいたほうが、味方も戦略を立てやすかろう」
「理由はいくつかございます」
そう言うとラインフェルトはうつむき、軽くため息をついた。
一呼吸置いて、両手を組み合わせてから説明を再開する。
「私に此度の戦における指揮の全権があれば、作戦の全容を幕僚たちぐらいには共有しておくのもよいでしょう」
「将軍……! それは……」
「有り体に申し上げれば……残念ながら、レイグラーフ総司令には、此度の戦を勝ち抜く力はございません」
「……ならばいっそ、私からレイグラーフ将軍に指揮権の移譲を進言してみようか」
「それはなりません。リードホルム軍がこれまで従ってきた体制をここで崩せば、かえって兵は混乱し、その力を殺ぐことになるでしょう。現体制のまま戦ったほうが、軍組織としての力は安定的に発揮できます。……それに残念ながら、私に全権を与えられても、勝つことは不可能でしょう。この非才の身には、少しばかり負けるまでの時間を長引かせる程度が関の山です」
「ラインフェルト将軍でも、無理なのか……」
「それだけノルドグレーン軍の陣容は厚く、戦う前からほぼ勝敗は決しています。敵のローセンダールなる女傑は、そうした点で類まれな、軍人の枠に収まらぬ戦略家のようです。ですが、あのマイエルを呼び込み、かつ敵がマイエルへの対応を急ぐあまり戦争の早期終結を焦れば……あるいは活路が見出だせるやも知れませぬ」
「……それに、作戦を全軍に知らせていては、捕虜になった者などから漏洩する可能性もあるのだな」
「その点からも、全軍に通達しておくことは控えるべきでしょうな」
ノアは顎に手を当てて思考を整理しながら、衝立に掛けられているリードホルムの地図に目を移した。
「さらには、戦には勢いというものも必要です。吉報はあらかじめ知っているよりも、思いがけずもたらされたほうが、兵はより沸き立つもの。敵の不識、幸運、勢い、そうしたものすべてを味方に付けてようやく、我が軍には僅かな勝機が見えるでしょう」
「そうか……わかった。しかし南方は遠い。間に合うのか?」
「開戦には間に合いますまい。おそらく最も早くて、その数日後かと」
「ではそれまで、時間を稼がねばならないのだな」
「はい。それも、敵に決して気取られずに……劇的であることが、このさいは重要なのです」
ラインフェルトの大胆で遠大な計画に、ノアは力強くうなずいた。
リードホルムが九死に一生を得るには、この男の目論見が実現することが最低限の条件となる。そのために労を惜しまず尽力することを胸に刻み、ノアは軍務省の資料室をあとにしたのだった。
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