139 / 247
ジュニエスの戦い
12 新たな道 4
しおりを挟む
話し合いから四日後、稀代の老弓師ユーホルトはティーサンリードを去った。
本人は翌々日にでも出てゆくつもりだったのだが、弟子たちが最後の教えを請い、馬飼いの者たちなども別れを惜しんだため、日程は延びに延びた。
そして出てゆくのは彼一人ではなく、若者が二人、同道を申し出た。いずれもユーホルトに師事して弓を教わっていた者たちだ。
二人とも一見穏やかそうな、山賊稼業が似つかわしくない若者だった。
相変わらず好天が続き、薄い青色に澄んだ空がナラの枝の隙間からどこまでも見渡せる。先日思い出したように降った雪も、すぐに溶けて消えた。三人は山道への坂道を下りながら談笑している。
「まったく、たのしい旅でもねえってのに」
「僕はまだ、師匠から教わりたいことが山ほどあるんです」
「俺は全部教えたつもりだがなあ。お前なら、あと十年も訓練すれば俺と互角の腕になれるぞ」
「十年、ですか……」
「俺が四十年でたどり着いた境地に十年だ。大した才能だぞライル」
「そう言われると、まあ」
ユーホルトはライルの肩を叩くと、にやりと笑った。
「だが世界は広い。俺やお前より才能のある奴はちゃんといるから安心しろ」
「師匠より?」
「ああ。俺もずいぶん、あいつの技を見て盗んだもんだ。今は何やってんだかな、ファールクランツの奴は」
「へえ、そんな人が」
遠い目をして話すユーホルトは、思い出したようにもうひとりに向き直った。
「カルネウス、お前はなんで付いてくる気になったんだ? 弓だってまだ教え始めたばかりだってのに」
「えー……だってここ、女が少ないじゃないですか」
一瞬の沈黙ののち、ユーホルトは声を上げて笑った。
「正直なやつだな。まあ確かに、鬼みてえなのと子供がふたり、唯一まともなエステルにはその鬼が指一本触らせてくれねえときてる」
「でしょう」
「だがな、俺の行く道に女がいるかって言ったら、多分そんなことはないぞ」
「おそらく鹿や熊のメスのほうが多いでしょうね」
「何、お前はそういうのが趣味だったのか」
冬のラルセン山にユーホルトの高笑いが響く。熊は冬眠の巣穴に隠れ、鹿は口にしていた樹木の皮を捨てて逃げ出した。
「いや、違いますって師匠! ……なんつーか、俺みたいなヘラヘラしたのが、ここにいていいのかなって」
「どういう意味だ?」
「なんかみんな、ずいぶん辛い人生でここに流れ着いたみたいじゃないすか。そこに俺みたいな……」
「半端者が……ってわけか。そいつは正しい認識だが、そういう奴がいちゃいけねえとはリースベットも言ってねえぞ」
「そういう雰囲気は、むしろ昔のほうが強かった気がしますよ」
「確かにな。ライルが入った頃なんて、若い奴もあんまりいなかった」
「そうだったんすか」
「決定的に変わったのはアウロラ嬢ちゃん……いや、長老を拾った頃か」
長老と呼ばれる謎の多い盲目の老人は、ヘルストランドの牢獄で大脱獄事件があった数日後にリースベットが招き入れた人物だった。
目や体中の傷からも壮絶な半生を送っていたことは察せられるが、誰にもその素性を語らず、年齢の上で本当に長老なのかどうかもわからない。だが時折口にする豊富な知識や教養を感じさせる言葉、それに近世のリードホルムに関する様々な内部情報から、典礼省の高官や学者だったのではないかと噂する者もいる。
「まだまだ食うや食わずって状況だった頃に、役に立たねえ奴を入れたんだからな。俺もちょっと反発を覚えたもんだ。もちろん黙ってたが」
「あの頭領に勝てるわけねえっすもんね」
「それにな……仮にあいつがいなくなったら、その時点で残った奴らは三つ四つの派閥に分かれて、いずれ殺し合いを始めてただろうよ」
「そんな仲悪かったんすか」
「いい悪い以前に、人数分の食い扶持がなかったんだよ」
「椅子が足りなきゃ奪い合いになる。座れなかった人は……」
「というわけだ」
数十年前、夏の猛暑で干ばつに見舞われたリードホルムは食料が不足し、普段口にしないあらゆるものを食べて飢えを凌いだという。樹木の皮ややせ細った野犬、噂によっては死んだ隣人まで――二人の話を聞いたカルネウスは、子供の頃に祖父母からたびたび聞かされた訓話を思い出していた。
貧しさは人の、人であるための理性を剥ぎ取り、空腹にふるえる獣に戻す。それは他者の手によってしか防ぎ止められない。
本人は翌々日にでも出てゆくつもりだったのだが、弟子たちが最後の教えを請い、馬飼いの者たちなども別れを惜しんだため、日程は延びに延びた。
そして出てゆくのは彼一人ではなく、若者が二人、同道を申し出た。いずれもユーホルトに師事して弓を教わっていた者たちだ。
二人とも一見穏やかそうな、山賊稼業が似つかわしくない若者だった。
相変わらず好天が続き、薄い青色に澄んだ空がナラの枝の隙間からどこまでも見渡せる。先日思い出したように降った雪も、すぐに溶けて消えた。三人は山道への坂道を下りながら談笑している。
「まったく、たのしい旅でもねえってのに」
「僕はまだ、師匠から教わりたいことが山ほどあるんです」
「俺は全部教えたつもりだがなあ。お前なら、あと十年も訓練すれば俺と互角の腕になれるぞ」
「十年、ですか……」
「俺が四十年でたどり着いた境地に十年だ。大した才能だぞライル」
「そう言われると、まあ」
ユーホルトはライルの肩を叩くと、にやりと笑った。
「だが世界は広い。俺やお前より才能のある奴はちゃんといるから安心しろ」
「師匠より?」
「ああ。俺もずいぶん、あいつの技を見て盗んだもんだ。今は何やってんだかな、ファールクランツの奴は」
「へえ、そんな人が」
遠い目をして話すユーホルトは、思い出したようにもうひとりに向き直った。
「カルネウス、お前はなんで付いてくる気になったんだ? 弓だってまだ教え始めたばかりだってのに」
「えー……だってここ、女が少ないじゃないですか」
一瞬の沈黙ののち、ユーホルトは声を上げて笑った。
「正直なやつだな。まあ確かに、鬼みてえなのと子供がふたり、唯一まともなエステルにはその鬼が指一本触らせてくれねえときてる」
「でしょう」
「だがな、俺の行く道に女がいるかって言ったら、多分そんなことはないぞ」
「おそらく鹿や熊のメスのほうが多いでしょうね」
「何、お前はそういうのが趣味だったのか」
冬のラルセン山にユーホルトの高笑いが響く。熊は冬眠の巣穴に隠れ、鹿は口にしていた樹木の皮を捨てて逃げ出した。
「いや、違いますって師匠! ……なんつーか、俺みたいなヘラヘラしたのが、ここにいていいのかなって」
「どういう意味だ?」
「なんかみんな、ずいぶん辛い人生でここに流れ着いたみたいじゃないすか。そこに俺みたいな……」
「半端者が……ってわけか。そいつは正しい認識だが、そういう奴がいちゃいけねえとはリースベットも言ってねえぞ」
「そういう雰囲気は、むしろ昔のほうが強かった気がしますよ」
「確かにな。ライルが入った頃なんて、若い奴もあんまりいなかった」
「そうだったんすか」
「決定的に変わったのはアウロラ嬢ちゃん……いや、長老を拾った頃か」
長老と呼ばれる謎の多い盲目の老人は、ヘルストランドの牢獄で大脱獄事件があった数日後にリースベットが招き入れた人物だった。
目や体中の傷からも壮絶な半生を送っていたことは察せられるが、誰にもその素性を語らず、年齢の上で本当に長老なのかどうかもわからない。だが時折口にする豊富な知識や教養を感じさせる言葉、それに近世のリードホルムに関する様々な内部情報から、典礼省の高官や学者だったのではないかと噂する者もいる。
「まだまだ食うや食わずって状況だった頃に、役に立たねえ奴を入れたんだからな。俺もちょっと反発を覚えたもんだ。もちろん黙ってたが」
「あの頭領に勝てるわけねえっすもんね」
「それにな……仮にあいつがいなくなったら、その時点で残った奴らは三つ四つの派閥に分かれて、いずれ殺し合いを始めてただろうよ」
「そんな仲悪かったんすか」
「いい悪い以前に、人数分の食い扶持がなかったんだよ」
「椅子が足りなきゃ奪い合いになる。座れなかった人は……」
「というわけだ」
数十年前、夏の猛暑で干ばつに見舞われたリードホルムは食料が不足し、普段口にしないあらゆるものを食べて飢えを凌いだという。樹木の皮ややせ細った野犬、噂によっては死んだ隣人まで――二人の話を聞いたカルネウスは、子供の頃に祖父母からたびたび聞かされた訓話を思い出していた。
貧しさは人の、人であるための理性を剥ぎ取り、空腹にふるえる獣に戻す。それは他者の手によってしか防ぎ止められない。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
転生したらただの女の子、かと思ったら最強の魔物使いだったらしいです〜しゃべるうさぎと始める異世界魔物使いファンタジー〜
上村 俊貴
ファンタジー
【あらすじ】
普通に事務職で働いていた成人男性の如月真也(きさらぎしんや)は、ある朝目覚めたら異世界だった上に女になっていた。一緒に牢屋に閉じ込められていた謎のしゃべるうさぎと協力して脱出した真也改めマヤは、冒険者となって異世界を暮らしていくこととなる。帰る方法もわからないし特別帰りたいわけでもないマヤは、しゃべるうさぎ改めマッシュのさらわれた家族を救出すること当面の目標に、冒険を始めるのだった。
(しばらく本人も周りも気が付きませんが、実は最強の魔物使い(本人の戦闘力自体はほぼゼロ)だったことに気がついて、魔物たちと一緒に色々無双していきます)
【キャラクター】
マヤ
・主人公(元は如月真也という名前の男)
・銀髪翠眼の少女
・魔物使い
マッシュ
・しゃべるうさぎ
・もふもふ
・高位の魔物らしい
オリガ
・ダークエルフ
・黒髪金眼で褐色肌
・魔力と魔法がすごい
【作者から】
毎日投稿を目指してがんばります。
わかりやすく面白くを心がけるのでぼーっと読みたい人にはおすすめかも?
それでは気が向いた時にでもお付き合いください〜。
色彩の大陸3~英雄は二度死ぬ
谷島修一
ファンタジー
“英雄”の孫たちが、50年前の真実を追う
建国50周年を迎えるパルラメンスカヤ人民共和国の首都アリーグラード。
パルラメンスカヤ人民共和国の前身国家であったブラミア帝国の“英雄”として語り継がれている【ユルゲン・クリーガー】の孫クララ・クリーガーとその親友イリーナ・ガラバルスコワは50年前の“人民革命”と、その前後に起こった“チューリン事件”、“ソローキン反乱”について調べていた。
書物で伝わるこれらの歴史には矛盾点と謎が多いと感じていたからだ。
そこで、クララとイリーナは当時を知る人物達に話を聞き謎を解明していくことに決めた。まだ首都で存命のユルゲンの弟子であったオレガ・ジベリゴワ。ブラウグルン共和国では同じく弟子であったオットー・クラクスとソフィア・タウゼントシュタインに会い、彼女達の証言を聞いていく。
一方、ユルゲン・クリーガーが生まれ育ったブラウグルン共和国では、彼は“裏切り者”として歴史的評価は悪かった。しかし、ブラウグルン・ツワィトング紙の若き記者ブリュンヒルデ・ヴィルトはその評価に疑問を抱き、クリーガーの再評価をしようと考えて調べていた。
同じ目的を持つクララ、イリーナ、ブリュンヒルデが出会い、三人は協力して多くの証言者や証拠から、いくつもの謎を次々と解明していく。
そして、最後に三人はクリーガーと傭兵部隊で一緒だったヴィット王国のアグネッタ・ヴィクストレームに出会い、彼女の口から驚愕の事実を知る。
-----
文字数 126,353
転生したら死にそうな孤児だった
佐々木鴻
ファンタジー
過去に四度生まれ変わり、そして五度目の人生に目覚めた少女はある日、生まれたばかりで捨てられたの赤子と出会う。
保護しますか? の選択肢に【はい】と【YES】しかない少女はその子を引き取り妹として育て始める。
やがて美しく育ったその子は、少女と強い因縁があった。
悲劇はありません。難しい人間関係や柵はめんどく(ゲフンゲフン)ありません。
世界は、意外と優しいのです。
異世界もふもふ召喚士〜俺はポンコツらしいので白虎と幼狐、イケおじ達と共にスローライフがしたいです〜
大福金
ファンタジー
タトゥーアーティストの仕事をしている乱道(らんどう)二十五歳はある日、仕事終わりに突如異世界に召喚されてしまう。
乱道が召喚されし国【エスメラルダ帝国】は聖印に支配された国だった。
「はぁ? 俺が救世主? この模様が聖印だって? イヤイヤイヤイヤ!? これ全てタトゥーですけど!?」
「「「「「えーーーーっ!?」」」」」
タトゥー(偽物)だと分かると、手のひらを返した様に乱道を「役立たず」「ポンコツ」と馬鹿にする帝国の者達。
乱道と一緒に召喚された男は、三体もの召喚獣を召喚した。
皆がその男に夢中で、乱道のことなど偽物だとほったらかし、終いには帝国で最下級とされる下民の紋を入れられる。
最悪の状況の中、乱道を救ったのは右ふくらはぎに描かれた白虎の琥珀。
その容姿はまるで可愛いぬいぐるみ。
『らんどーちゃま、ワレに任せるでち』
二足歩行でテチテチ肉球を鳴らせて歩き、キュルンと瞳を輝かせあざとく乱道を見つめる琥珀。
その姿を見た乱道は……
「オレの琥珀はこんな姿じゃねえ!」
っと絶叫するのだった。
そんな乱道が可愛いもふもふの琥珀や可愛い幼狐と共に伝説の大召喚師と言われるまでのお話。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
【書籍化進行中】魔法のトランクと異世界暮らし
猫野美羽
ファンタジー
※書籍化進行中です。
曾祖母の遺産を相続した海堂凛々(かいどうりり)は原因不明の虚弱体質に苦しめられていることもあり、しばらくは遺産として譲り受けた別荘で療養することに。
おとぎ話に出てくる魔女の家のような可愛らしい洋館で、凛々は曾祖母からの秘密の遺産を受け取った。
それは異世界への扉の鍵と魔法のトランク。
異世界の住人だった曾祖母の血を濃く引いた彼女だけが、魔法の道具の相続人だった。
異世界、たまに日本暮らしの楽しい二拠点生活が始まる──
◆◆◆
ほのぼのスローライフなお話です。
のんびりと生活拠点を整えたり、美味しいご飯を食べたり、お金を稼いでみたり、異世界旅を楽しむ物語。
※カクヨムでも掲載予定です。
異世界で買った奴隷がやっぱ強すぎるので説明求む!
夜間救急事務受付
ファンタジー
「異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!」の続編です!
前編を引き継ぐストーリーとなっておりますので、初めての方は、前編から読む事を推奨します。
エラーから始まる異世界生活
KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。
本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。
高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。
冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。
その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。
某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。
実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。
勇者として活躍するのかしないのか?
能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。
多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
初めての作品にお付き合い下さい。
【完結】魔王と間違われて首を落とされた。側近が激おこだけど、どうしたらいい?
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
旧題【竜王殺しの勇者は英雄か(仮)】
強大な魔法を操り、人族の領地を奪おうと戦いを挑んだ魔族。彼らの戦いは数十年に及び、ついに人族は聖剣の力を引き出せる勇者を生み出した。人族は決戦兵器として、魔王退治のために勇者を送り込む。勇者は仲間と共に巨大な銀竜を倒すが……彼は魔王ではなかった。
人族と魔族の争いに関わらなかった、圧倒的強者である竜族の王の首を落としてしまったのだ。目覚めたばかりで寝ぼけていた竜王は、配下に復活の予言を残して事切れる。
――これは魔王を退治にしに来た勇者が、間違えて竜王を退治した人違いから始まる物語である。
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
※2023/10/30……完結
※2023/09/29……エブリスタ、ファンタジートレンド 1位
※2023/09/25……タイトル変更
※2023/09/13……連載開始
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる