8 / 27
2
2
しおりを挟む
それは中学三年生になったばかりの春。その頃には自分で現像するようになっていた。いつものように出入りしていたフォトスタジオでフィルムを現像した俺は、歓喜に満ち溢れていた。
狙って撮ったわけではないその写真は、姉の友人が腕に抱く生まれてまもない自分の子に微笑みかけているものだった。
当時、淡い恋慕の情を抱いていた相手。俺に媚びるような表情を見せることのなかった数少ない女。
すでに俺の容姿とステータスに惹かれ、そんな無粋な視線を投げて寄越すものも多く、それにうんざりしていた。
だからこそ、ただ純粋に俺という人間をなんの柵もなく見てくれたあの人に惹かれたのかも知れない。
けれど……、今になって思えばその理由は簡単だ。
(ただ、理想の母親像を求めていただけ、か)
久しぶりにその写真を見て、俺は自嘲気味に小さく笑った。
「あの写真、まだ預かっといてくれねぇ?」
そう切り出すと、それに視線を送った。額装された写真は、この場所から見える壁の中央に変わらず掛けられていた。
「もちろんだよ。君が見せたいと思う人ができたら引き取りにおいで」
笑みを浮かべるオーナーに俺はこう返す。
「そんなやつ現れるとは思えねぇけど」
「そうかい? この世の何処かにいるはずだ。君が見ている美しい世界を、一緒に見ることのできる人が」
「俺にはそんなやつ必要ないね」
オーナーの言葉を俺は笑いながら流す。そんな俺に、オーナーはただ静かに笑みを浮かべていた。
また来る、と告げ画廊を出ると来た道を歩き出す。外には変わらずまだ冷めない熱を帯びた空気が漂っていた。時間は八時を回ったところだ。
「マジで暑いな。こっちに戻る時期完全に誤ったな」
少し歩くだけでじっとりと汗が滲む。ニューヨークもそれなり暑いが、こんなに湿気があるわけではない。それに日が落ちてからは涼しく感じることも多い。
(そういや、淳一と昔行ったバー。近くだったよな?)
ニューヨークに立つ前、壮行会だと二人で飲みに行った店を思い出し、俺は足をそちらに向けた。
ビジネス街と歓楽街が混ざり合う街。淳一の事務所から歩いてそう遠くない場所にあるバーには、思ったほど人は入っていなかった。
それなりに席数もあり、時々ジャズの生演奏も行われている雰囲気の良い店。静かすぎず、騒がしくもなくこの店には何度か訪れていた。だいたい淳一とだが。
L字になっているカウンターの出入り口から一番の席に陣取るとバーテンダーにジャパニーズウィスキーの銘柄を伝え「ストレートで」と付け加える。
(そういや、何も食ってねぇな)
一人でいるとつい食べることが億劫になってしまう。仕方ねえな、と軽く摘めるものも一緒にオーダーした。
ずっとそばにいて、口煩く世話を焼いていたチーフアシスタントもこっちに戻るのと同時に独り立ちさせた。その写真の腕を考えると正直遅いくらいだが、それでも本人は渋々だった。
「もしかして、以前榎木様と一緒にお越しいただいていた長門様、ですか?」
淳一の名前を出してグラスを差し出すバーテンダーは俺に尋ねる。その顔にはなんとなく見覚えがあった。淳一を交え喋った記憶もある。
「よく覚えてんな」
「ええ。ご無沙汰しております。ニューヨークからお戻りに?」
「そんなことまで覚えてんのかよ。そ。先週な」
「ご活躍のほどは榎木様から常々お伺いしております」
俺とさほど歳の変わらなさそうな男は穏やかに笑みを浮かべた。
「あいつ、人のこと何勝手に喋ってんだよ」
呆れながら言うとグラスを口に運ぶ。ウイスキー特有のスモーキーで芳醇な香りが鼻をくすぐる。久しぶりに味わう日本の味に、やっぱり自分は日本人だなと改めて思った。
「榎木様はいつも、ご自身のことのように嬉しそうに語っていらっしゃいましたよ」
「……ったく。ちょっとは自分の自慢しろって」
淳一が、俺のために始めたような会社は、今じゃ業界ではそれなりに名を馳せている。あの事務所のマネージャー付いたら一人前だ、なんて噂されているようだ。
(マネージャー……ね)
本格的に撮影の仕事が入るのは十月から。
(それまでに、マネージャーとやらを見つけねぇとな)
あまり気乗りのしない俺は、つい溜め息を吐いていた。
狙って撮ったわけではないその写真は、姉の友人が腕に抱く生まれてまもない自分の子に微笑みかけているものだった。
当時、淡い恋慕の情を抱いていた相手。俺に媚びるような表情を見せることのなかった数少ない女。
すでに俺の容姿とステータスに惹かれ、そんな無粋な視線を投げて寄越すものも多く、それにうんざりしていた。
だからこそ、ただ純粋に俺という人間をなんの柵もなく見てくれたあの人に惹かれたのかも知れない。
けれど……、今になって思えばその理由は簡単だ。
(ただ、理想の母親像を求めていただけ、か)
久しぶりにその写真を見て、俺は自嘲気味に小さく笑った。
「あの写真、まだ預かっといてくれねぇ?」
そう切り出すと、それに視線を送った。額装された写真は、この場所から見える壁の中央に変わらず掛けられていた。
「もちろんだよ。君が見せたいと思う人ができたら引き取りにおいで」
笑みを浮かべるオーナーに俺はこう返す。
「そんなやつ現れるとは思えねぇけど」
「そうかい? この世の何処かにいるはずだ。君が見ている美しい世界を、一緒に見ることのできる人が」
「俺にはそんなやつ必要ないね」
オーナーの言葉を俺は笑いながら流す。そんな俺に、オーナーはただ静かに笑みを浮かべていた。
また来る、と告げ画廊を出ると来た道を歩き出す。外には変わらずまだ冷めない熱を帯びた空気が漂っていた。時間は八時を回ったところだ。
「マジで暑いな。こっちに戻る時期完全に誤ったな」
少し歩くだけでじっとりと汗が滲む。ニューヨークもそれなり暑いが、こんなに湿気があるわけではない。それに日が落ちてからは涼しく感じることも多い。
(そういや、淳一と昔行ったバー。近くだったよな?)
ニューヨークに立つ前、壮行会だと二人で飲みに行った店を思い出し、俺は足をそちらに向けた。
ビジネス街と歓楽街が混ざり合う街。淳一の事務所から歩いてそう遠くない場所にあるバーには、思ったほど人は入っていなかった。
それなりに席数もあり、時々ジャズの生演奏も行われている雰囲気の良い店。静かすぎず、騒がしくもなくこの店には何度か訪れていた。だいたい淳一とだが。
L字になっているカウンターの出入り口から一番の席に陣取るとバーテンダーにジャパニーズウィスキーの銘柄を伝え「ストレートで」と付け加える。
(そういや、何も食ってねぇな)
一人でいるとつい食べることが億劫になってしまう。仕方ねえな、と軽く摘めるものも一緒にオーダーした。
ずっとそばにいて、口煩く世話を焼いていたチーフアシスタントもこっちに戻るのと同時に独り立ちさせた。その写真の腕を考えると正直遅いくらいだが、それでも本人は渋々だった。
「もしかして、以前榎木様と一緒にお越しいただいていた長門様、ですか?」
淳一の名前を出してグラスを差し出すバーテンダーは俺に尋ねる。その顔にはなんとなく見覚えがあった。淳一を交え喋った記憶もある。
「よく覚えてんな」
「ええ。ご無沙汰しております。ニューヨークからお戻りに?」
「そんなことまで覚えてんのかよ。そ。先週な」
「ご活躍のほどは榎木様から常々お伺いしております」
俺とさほど歳の変わらなさそうな男は穏やかに笑みを浮かべた。
「あいつ、人のこと何勝手に喋ってんだよ」
呆れながら言うとグラスを口に運ぶ。ウイスキー特有のスモーキーで芳醇な香りが鼻をくすぐる。久しぶりに味わう日本の味に、やっぱり自分は日本人だなと改めて思った。
「榎木様はいつも、ご自身のことのように嬉しそうに語っていらっしゃいましたよ」
「……ったく。ちょっとは自分の自慢しろって」
淳一が、俺のために始めたような会社は、今じゃ業界ではそれなりに名を馳せている。あの事務所のマネージャー付いたら一人前だ、なんて噂されているようだ。
(マネージャー……ね)
本格的に撮影の仕事が入るのは十月から。
(それまでに、マネージャーとやらを見つけねぇとな)
あまり気乗りのしない俺は、つい溜め息を吐いていた。
1
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜
Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。
渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!?
合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡――
だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。
「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき……
《エブリスタ、ムーン、ベリカフェにも投稿しています》

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない
若松だんご
恋愛
――俺には、将来を誓った相手がいるんです。
お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。
――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。
ほげええっ!?
ちょっ、ちょっと待ってください、課長!
あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。
――俺のところに来い。
オオカミ課長に、強引に同居させられた。
――この方が、恋人らしいだろ。
うん。そうなんだけど。そうなんですけど。
気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。
イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。
(仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???
すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる