7 / 27
2
1
しおりを挟む
「あっつ……」
もう宵だと言うのに、体に纏わりつく湿り気を帯びた不快な空気は昼間となんら変わらない。ネクタイを無意識に緩めるとボソリと呟いた。
(変わんねえな……)
ビジネス街の外れの細い路地。そこには昔から画廊が並んでいた。その中の一つの前で立つと懐かしくなった。
外側に飾られている写真こそ変わっているが、店構えはもう二十年以上変わっていない。そのガラス戸を引くと俺は中に入った。
「やあ。いらっしゃい、司君」
定位置と言っていい奥のカウンターにいたオーナーは持っていた額を置くと笑みを浮かべた。もう年齢は七十を超えるだろう。出会ったばかりの頃は白髪がチラホラあっただけの頭髪も今では真っ白だ。その顔には年齢を重ねたシワが刻まれていた。
「悪いな、急に」
「おや。司君からそんな殊勝な言葉が聞けるとは」
「……うるせえ」
決まりが悪くなり顔を顰めると、中央に置かれた応接ソファに断りなく座った。
「コーヒーを淹れてこよう。少し待っていてくれ」
オーナーは穏やかに言うと奥に消えていった。
室内をグルリと取り囲むのは大小様々な写真。画廊ではあるが、オーナーの趣味で取り扱うのは写真ばかりだ。普段は閉じている壁の向こう側にはホールがあり、定期的に展示会が行われている。オーナーのお眼鏡にかなったものがその後花開くことは珍しくなく、業界内ではここで個展を開くのが一種のステータスのように言われていた。
そんなこの画廊で、俺が個展を開いたのは大学卒業後すぐだった。
「待たせたね」
オーナーはアンティークのコーヒーカップに注がれたコーヒーを二つ、テーブルに置く。年中ホットなのも変わっていないようだ。
「どうだったかい? ニューヨークは。活躍は耳にしていたよ」
「まぁ……。それなりに」
「そうか。実りはあったようだね」
ニコニコと笑うとオーナーはカップに口を付けた。
こうしていると、ニューヨークへ行く前のことを思い出す。順調に見えた仕事で壁にぶつかり、ここで柄にもなく弱音を吐いたことを。
『もっと広い世界を見てくればいい。君はまだ若い。捨てるものなどまだないだろう?』
そう言ってこの人に背中を押されなければ、今の俺はいなかっただろう。
俺をこの画廊に最初に連れて来たのは七つ上の姉だ。
『写真撮るの好きでしょ? 人の撮るものを見るのもいい刺激になるわよ』
そう言われたのは小学六年生の頃だった。この頃の俺が暇つぶしに写真を撮っていたのを知っているのはこの姉だけ。家の物置にひっそりとあったカメラになんとなく興味が出て、見よう見真似で撮ってみたのが始まりだ。
最初は目についたものを手当たり次第に撮った。デジタルカメラなんて存在しなかったから、現像するまで出来上がりなんてわからない。初めて撮ったものがなんだったかなんて覚えちゃいないが、現像されたものを眺めて笑ったことは覚えている。ピンボケにブレブレ。訳わかんねぇと思いながらも、時々奇跡のような一枚が混ざるのが面白いと思った。
すでに、生きることに面白味なんて感じていなかったこの俺が。
俺が生まれたのは、都内に昔からある、地元では名士と呼ばれるような家だった。代々不動産業を営み、それを長男が継ぐのは必然。周りからの期待と重圧を長男の俺は幼い頃から感じていた。
俺の人生に選択肢など存在しない。ただ、敷かれたレールの上を走るだけの人生。なんの興味も湧かないゴールに向かって。
けれど、俺は出会ってしまった。この画廊で。
『おや。君はこの写真が気に入ったのかい? とても見る目があるようだね』
複数のカメラマンが撮ったポートレイト、いわゆる人物写真ばかりを集めた展示会だった。
俺はその中の一つに魅入られ、時間を忘れて眺めていた。なんの変哲もない、一人の女の日常を切り取った写真。けれど、その表情と構図の美しさから目が離せないでいた。
『俺も……こんな写真が撮ってみたい! どうやったら撮れる?』
姉からはのちまで揶揄われるほど、俺は目を輝かせていたらしい。
オーナーは子どもの戯言と流すことなく、それからちょくちょく画廊に通うようになった俺に撮影の基本を教えてくれた。
それから数年後、俺はここに一枚の写真を持ち込んだ。
『やっとこれってやつ撮れた。見て!』
その写真は、今でもこの場所に飾られたままだ。
もう宵だと言うのに、体に纏わりつく湿り気を帯びた不快な空気は昼間となんら変わらない。ネクタイを無意識に緩めるとボソリと呟いた。
(変わんねえな……)
ビジネス街の外れの細い路地。そこには昔から画廊が並んでいた。その中の一つの前で立つと懐かしくなった。
外側に飾られている写真こそ変わっているが、店構えはもう二十年以上変わっていない。そのガラス戸を引くと俺は中に入った。
「やあ。いらっしゃい、司君」
定位置と言っていい奥のカウンターにいたオーナーは持っていた額を置くと笑みを浮かべた。もう年齢は七十を超えるだろう。出会ったばかりの頃は白髪がチラホラあっただけの頭髪も今では真っ白だ。その顔には年齢を重ねたシワが刻まれていた。
「悪いな、急に」
「おや。司君からそんな殊勝な言葉が聞けるとは」
「……うるせえ」
決まりが悪くなり顔を顰めると、中央に置かれた応接ソファに断りなく座った。
「コーヒーを淹れてこよう。少し待っていてくれ」
オーナーは穏やかに言うと奥に消えていった。
室内をグルリと取り囲むのは大小様々な写真。画廊ではあるが、オーナーの趣味で取り扱うのは写真ばかりだ。普段は閉じている壁の向こう側にはホールがあり、定期的に展示会が行われている。オーナーのお眼鏡にかなったものがその後花開くことは珍しくなく、業界内ではここで個展を開くのが一種のステータスのように言われていた。
そんなこの画廊で、俺が個展を開いたのは大学卒業後すぐだった。
「待たせたね」
オーナーはアンティークのコーヒーカップに注がれたコーヒーを二つ、テーブルに置く。年中ホットなのも変わっていないようだ。
「どうだったかい? ニューヨークは。活躍は耳にしていたよ」
「まぁ……。それなりに」
「そうか。実りはあったようだね」
ニコニコと笑うとオーナーはカップに口を付けた。
こうしていると、ニューヨークへ行く前のことを思い出す。順調に見えた仕事で壁にぶつかり、ここで柄にもなく弱音を吐いたことを。
『もっと広い世界を見てくればいい。君はまだ若い。捨てるものなどまだないだろう?』
そう言ってこの人に背中を押されなければ、今の俺はいなかっただろう。
俺をこの画廊に最初に連れて来たのは七つ上の姉だ。
『写真撮るの好きでしょ? 人の撮るものを見るのもいい刺激になるわよ』
そう言われたのは小学六年生の頃だった。この頃の俺が暇つぶしに写真を撮っていたのを知っているのはこの姉だけ。家の物置にひっそりとあったカメラになんとなく興味が出て、見よう見真似で撮ってみたのが始まりだ。
最初は目についたものを手当たり次第に撮った。デジタルカメラなんて存在しなかったから、現像するまで出来上がりなんてわからない。初めて撮ったものがなんだったかなんて覚えちゃいないが、現像されたものを眺めて笑ったことは覚えている。ピンボケにブレブレ。訳わかんねぇと思いながらも、時々奇跡のような一枚が混ざるのが面白いと思った。
すでに、生きることに面白味なんて感じていなかったこの俺が。
俺が生まれたのは、都内に昔からある、地元では名士と呼ばれるような家だった。代々不動産業を営み、それを長男が継ぐのは必然。周りからの期待と重圧を長男の俺は幼い頃から感じていた。
俺の人生に選択肢など存在しない。ただ、敷かれたレールの上を走るだけの人生。なんの興味も湧かないゴールに向かって。
けれど、俺は出会ってしまった。この画廊で。
『おや。君はこの写真が気に入ったのかい? とても見る目があるようだね』
複数のカメラマンが撮ったポートレイト、いわゆる人物写真ばかりを集めた展示会だった。
俺はその中の一つに魅入られ、時間を忘れて眺めていた。なんの変哲もない、一人の女の日常を切り取った写真。けれど、その表情と構図の美しさから目が離せないでいた。
『俺も……こんな写真が撮ってみたい! どうやったら撮れる?』
姉からはのちまで揶揄われるほど、俺は目を輝かせていたらしい。
オーナーは子どもの戯言と流すことなく、それからちょくちょく画廊に通うようになった俺に撮影の基本を教えてくれた。
それから数年後、俺はここに一枚の写真を持ち込んだ。
『やっとこれってやつ撮れた。見て!』
その写真は、今でもこの場所に飾られたままだ。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――
出会ったのは間違いでした 〜御曹司と始める偽りのエンゲージメント〜
玖羽 望月
恋愛
親族に代々議員を輩出するような家に生まれ育った鷹柳実乃莉は、意に沿わぬお見合いをさせられる。
なんとか相手から断ってもらおうとイメージチェンジをし待ち合わせのレストランに向かった。
そこで案内された席にいたのは皆上龍だった。
が、それがすでに間違いの始まりだった。
鷹柳 実乃莉【たかやなぎ みのり】22才
何事も控えめにと育てられてきたお嬢様。
皆上 龍【みなかみ りょう】 33才
自分で一から始めた会社の社長。
作中に登場する職業や内容はまったくの想像です。実際とはかけ離れているかと思います。ご了承ください。
初出はエブリスタにて。
2023.4.24〜2023.8.9
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる