215 / 227
第七章 未来に繋がる呪いの話
第44話 皆で帰ろう
しおりを挟む名前を呼ばれた気がして、丈は目を開ける。
目の前には、丈を見下ろして微笑む壮太郎がいた。
いつもの身綺麗な姿ではなく、ボロボロに傷ついた親友の姿に丈は驚く。
何があったのかと問うより早く、壮太郎がフニャリと笑って口を開いた。
「ごめんね。丈くん。僕、もう限界」
壮太郎は目を閉じて、丈の腹上に頭を落とす。
「お、おい!? 壮太郎!?」
突然自分の上に倒れてきた壮太郎に、丈は焦って体を起こす。壮太郎は気を失っていた。
丈は混乱する記憶を探り、術者によってムカデの神達の異界に無理やり転移させられたことを思い出す。
淡い光を放つ白い玉が照らす、岩壁に囲まれた空間内を見回す。驚いた表情で固まる狭間者の紫来と、両手両足を地面について苦しげな呼吸を繰り返す日和がいた。日和の側には、壮太郎が作った呪いの人形もいる。
(……本当に、何があったんだ?)
丈が困惑していると、碧真と七紫尾の狐が姿を現した。
「うまくいったのか」
丈の姿を見て、碧真が安堵の息を吐く。碧真は日和へ目を向け、嫌悪感に顔を歪めた。
「おい、何してんだよ」
碧真は日和に近づき、苛立った声を上げる。
『娘はよく頑張った。少し休ませてやれ』
「お前に言ってんだよクソ人形。何見てやがる」
他からは見えないが、呪いの人形はブラウスの隙間から覗く日和の胸の谷間を食い入るように見つめていた。
『上下する二つの宝を見ながら、娘が生きている喜びを噛み締めている』
碧真は額に青筋を立てて舌打ちした後、呪いの人形を足で踏みつけた。
『待て! 今、とてもいいアングリュぅ!!』
人形の顔が変形する程に踏み躙った後、碧真は日和の腕を引っ張って立たせた。日和は苦しげに息を呑み込んだ後、碧真を見て笑顔を浮かべる。
「碧真君、やったよ。皆で帰ろう」
「ああ」
碧真の口元が少しだけ柔らかく微笑みの形を作ったのが、一瞬だけ見えた。
「丈さん。後で説明しますから、とりあえず此処を出ましょう」
碧真が丈へ近づきながら声を掛ける。
丈は頷き、壮太郎を抱えて立ち上がろうとする。眩暈を感じた体がグラリと前に傾き、丈は岩の上に両膝をついた。
「丈さん!」
耳元で喧しく暴れる心臓の音に、碧真の声が掻き消される。目の前の景色が歪んで遠くなると、震える手が何かを求めるように彷徨った。
「まさか!」
紫来が目を見開く。碧真と日和、七紫尾の狐も驚いて丈を見つめる。
丈の両手が、壮太郎の首を絞めていた。
***
「精神操作!? まだ仕掛けていたのか!?」
紫来が驚きと絶望混じりに叫ぶ。
丈を止める為、碧真は銀柱を投げる。
丈と壮太郎がいる岩下に、銀柱が突き刺さる。銀柱に描かれた術式から拘束の糸が生成され、丈の体へ伸びていく。
あと少しで丈へ届くというところで、白い玉の呪具から湧き出した光が、白く分厚い箱型の結界を生成した。結界に弾かれ、拘束の糸は効力を失って消える。
気を失っている壮太郎は、されるがままに首を絞められ、親友によって命を摘み取られようとしていた。
七紫尾の狐が跳躍して、結界に噛み付く。七紫尾の狐の体から紫色の力が溢れ、結界を噛み砕いた。
「丈さん!!」
碧真は丈の元へ走る。
「あ……し」
丈の唇から弱々しい声が漏れる。碧真はハッとした。
壮太郎の首へ伸ばされた丈の指先が震えていて、親指が微妙に首から離れている。丈の強い意思が、精神操作系の術に抗って壮太郎を守っていた。
碧真は、丈の体に浮かぶ白い術式に触れる。
──”ほら、しゃんとしな! 術式を理解するには、相手の考えを理解しようとすることが大事だ”。
結人間家当主の八重の怒号が、碧真の耳に蘇る。
そんなもの分かるか、考えてやる必要などないと、碧真は反抗心を抱いた。
八重の扱きが終わっても、その思いは変わらない。
自分達とは無関係な鬼降魔喜市の復讐に巻き込まれている事が、腹立たしくて仕方ない。
(心底ムカつくんだよ。お前の馬鹿な考えなんて、理解してやらない。徹底的に壊してやる!)
碧真は丈の体に浮かぶ術式を見つめる。
一部だけ違うが、鬼降魔成美にかけられた精神操作系の術式と殆ど同じ構築式。一度成功させた手順を正確になぞれば良い。
冷静に術式を読み解きながら、怒りを力にして、碧真は手早く次々と構築式を解いていく。丈の自由を奪っていた白い術式が、塵となって消えていった。
最後の構築式を解けば、丈の腕から力が抜ける。丈は完全に自我を取り戻したのか、目に強い光が宿った。
「……碧真。お前」
精神操作系の術を碧真が解呪した事に、丈は驚いた顔をする。碧真は無意識に止めていた息を吐き出し、丈を見る。
「帰りましょう。丈さん」
碧真の言葉に、丈は小さく笑みを浮かべて頷いた。
『まさか、まだ仕掛けていたとはな……』
七紫尾の狐が呆れたように呟く。紫来は息を吐き出した。
「余程、壊したかったのだろうな。自分の願う未来を壊す可能性のある者達を」
***
暗い洞窟から薄暗い森の中を抜けて、森の入口へ無事に辿り着く。
七紫尾の狐の背中に乗せていた壮太郎を受け取り、丈が背負った。
「ありがとう。後日、改めて礼を言いに来よう」
丈は七紫尾の狐と紫来に頭を下げて礼を言う。
まだ状況を全て把握出来ていないが、七紫尾の狐と紫来が手助けしてくれたのだという事は何となく分かった。
『我への礼は不要だ。我は召喚者から礼を貰うからな』
「あ、そうだった。えっと、どうすればいいの?」
日和は七紫尾の狐を見上げる。七紫尾の狐が、日和の額に鼻先をつけた。
周囲の音がスッと消える。不思議な静寂の後、日和と七紫尾の狐の間で柔らかな風が起こる。七紫尾の狐は満足そうに笑い、身を引いた。
『我が欲しい物は、お前を守護する神から受け取った。今この時を持って、お前との契約は切れる』
日和のポケットから淡い光が漏れる。ポケットから取り出した黄玉が、日和の掌の上で割れる。細かい粒子になった黄玉は、風に攫われて消えた。
「紫尾。何を受け取ったんだ?」
『とても良いものだ。楽しみだな』
ほくそ笑む七紫尾の狐を、紫来は怪訝な顔で見上げる。
七紫尾の狐は四人を見下ろして、上機嫌に口を開いた。
『我らも祭りに参加する。会えたら会おう』
「おい、勝手に決めるな」
『良いではないか。久しぶりに騒ぎたい気分なのだ。今回お前に協力した我への礼として、共に祭りに行ってくれないか? 昔のお前を知る者もいないから、行けない事はないだろう?』
紫来は苦い顔で口を閉ざした。拒否されなかったことに、七紫尾の狐は尾を揺らしてニタリと笑う。
『では、またな』
七紫尾の狐の体と紫来の体を、白銀色の光と紫色の光が包む。
光が収まった時、人外達の姿は消えていた。
丈達四人は車に乗る。
壮太郎を助手席に乗せた後、丈はシートベルトを締めながら、後部座席に並んで座る碧真と日和に声を掛ける。
「結人間家に寄らせてもらおう」
壮太郎が寝ている上に、全員がボロボロの格好の為、ホテルに直行は出来ない。
二人が頷いたのを見て、丈は車を発進させた。
暫く車を走らせていると、後部座席から静かな寝息が聞こえてくる。
バックミラー越しに後部座席を見ると、日和が碧真の肩に頭を預けて目を閉じ、碧真が日和の頭に頬を乗せて仲良く寄り添い合って眠っていた。
信じられない光景だが、ずっとずっと求めていた光景だった。
『平和だな』
運転席横のコンソールボックスの上に座った呪いの人形が呟く。
「ああ、良いことだ」
丈は微笑む。
秋の柔らかな日差しとは違った温かな空気が、車内を満たしていた。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
9
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる