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第七章 未来に繋がる呪いの話
第45話 着物姿
しおりを挟む十一月七日の朝。
日和は、宿泊しているホテルの部屋で目を覚まし、ベッドの上で伸びをして驚く。
「すごい。体があんまり痛くない」
昨日、無事に森から出た後、四人は結人間の本家で手当を受けた。
薬草が浮かんだ緑色に濁った液体の風呂に入れられ、傷や打撲は殆ど治りかけの状態になった。
更に、風呂上がりに無理矢理飲まされた妖特製の青汁。全身に鳥肌が立つ程に苦い味と強烈な草の匂いがする飲み物に、日和は生まれて初めて飲食物で気絶しかける体験をした。そのおかげか、体は少し筋肉痛かと思う程度で済んだ。
(すごい効果だけど、もう絶対に飲みたくない)
日和の中で、また一つ新たなトラウマが生まれた。
隣のベッドを見ると、碧真はまだ眠っていた。
日和は身支度を済ませようと、着替えとメイクポーチを持って洗面所へ向かう。
鬼降魔家の車に乗せたままにしていた日和の荷物は、総一郎が結人間家に預けてくれていた。
総一郎は、昨日の内に成美を両親の元へ送り届けた。
成美は夕方には目を覚ましたが、『名奪リ遊戯』に関する事や、その前後の記憶も高熱の影響か覚えていないらしい。
着替えと化粧を終えた日和は、いつものように髪を結ぼうとして気づく。
(そうだ。髪飾り、壊れたんだっけ)
雪光に頭を踏みつけられた際に、壊れた髪飾りは森に置き去りにしたままだった。予備のヘアゴムも無いので、日和は髪を下ろしたままで身支度を終えた。
日和がコーヒーマシンの前で説明書を読んでいると、碧真が体を起こした。
「おはよう。碧真君」
寝起きから綺麗に整ったサラサラの髪を羨ましく思いながら、日和は挨拶をする。碧真は寝呆けた目で、日和を見た。
「……何してんだ?」
「人生初のコーヒーマシンを使ってみようと思ってね。碧真君もコーヒー飲む?」
「……苦い味の飲み物は、当分いらない」
妖特製青汁は、碧真にまでトラウマを与えていたようだ。
日和はソファに座ると、念願のコーヒーマシン製のコーヒーを飲む。妖特製青汁とは違って、驚く程に美味しかった。日和は穏やかな笑みを浮かべる。
(本当に生きててよかった)
碧真は身支度を終えた後、日和の隣に腰を下ろす。
「何か、いつもと違うな」
「ああ、髪を結んでいないからかな?」
昨日の光景を思い出したのか、碧真は苦い表情を浮かべる。碧真が口を開きかけた時、日和の携帯が着信を知らせた。
携帯画面を確認した日和は顔を輝かせる。テンションが上がった日和は、碧真に壮太郎から送られてきた写真を見せた。
「碧真君! 壮太郎さんと丈さんが、一緒に朝食に行こうって! この写真見てよ! 美味しそうだよ!! 早く行こう!!」
日和はテンションの低い碧真の手を引っ張って、部屋を出る。間違えて逆方向へ進もうとした日和の手を、碧真が引いて、二人で一階のロビーへ向かった。
ロビーに着くと、壮太郎と丈がソファに座って談笑していた。日和と碧真を見つけた二人が立ち上がり、歩み寄る。
「おはよう。ピヨ子ちゃん。チビノスケ」
「おはよう」
笑顔で挨拶をする二人に、日和は満面の笑みを浮かべる。
「おはようございます!」
失いたくない大切な日常を守りきれたことを改めて実感した朝は、とても優しい温かさがあった。
***
夕方。
祭りが始まる前に、日和達は結人間の本家を訪れる。
通された部屋に用意されていた座布団の上に座り、四人で話をしながら当主の八重が来るのを待つ。
暫くして襖が開き、成人女性に近い見た目の五体の妖が、部屋の中に入って来た。
五体の妖達は、無言のまま日和の両腕を掴んで拘束する。
「へ? な、何!?」
ただならぬ雰囲気に、日和は青ざめる。遅れて部屋に顔を出した八重は、顎でクイッと部屋の外を示した。
「連れて行きな」
当主の命令に従った妖達が、日和を引きずって廊下へ出る。
「おい!?」
「無愛想坊主も、やっておやり」
妖達を止めようと立ち上がった碧真も、部屋に入って来た成人男性に近い見た目の筋肉質な妖二体に両腕を掴まれてしまった。
日和と碧真は妖達に拘束されたまま、別室へ連れて行かれる。
「一体、何ぃーーっ!?」
混乱して叫ぶ日和の声が廊下に響いた。
「当主様。言動が悪役そのものですよ」
「こんないい女に何言ってんだい。あんた達も、祭りに行くなら着替えな。限りある命だ。あと何回、祭りに行けるか分からないんだよ? とことん楽しみな」
ニヤリと笑った八重の服装は、祭りを楽しむ気満々の明るい派手な着物姿だ。
壮太郎と丈は顔を見合わせて笑った。
忙しなく動く妖達に囲まれて、日和は目を回す。
『これ、いいんじゃない? やっぱり女は桜色!』
『それ春用! 今は秋でしょ! この子は肌が白いから、血の色が似合う!』
『血の色の着物は無いわ。ああ、血染めすれば良いわね。丁度屋敷に忍び込もうとした不届き物を軒下に吊るしているから、すぐに染められるわよ』
『あれ? 金細工の紅葉がついたビラビラ簪、何処にしまっていたっけ?』
『簪なら散歩に行ったよ。もうとっくに付喪神になっているからね』
若干おかしな言葉が混じっているのを聞きながら、日和は妖達の着せ替え人形になる。
疲労を感じた頃、周囲の妖達が満足げな笑みを浮かべた。
『『『『『完成!』』』』』
妖達がハイタッチをして、互いの健闘を讃える。
日和がキョロリと視線を動かすと、出番だと思った姿見が、飛び跳ねながら目の前までやって来た。
鏡の前に映った自分の姿に、日和は驚きと共に目を輝かせる。
柔らかいクリーム色の生地の着物の上を、赤、橙、緑の三色で描かれた紅葉の模様が彩る。深紅色の襟や袖口。黒地の帯には銀糸で大輪の花が描かれ、紅白色の帯紐が巻かれている。防寒用に着せられた深紅色の羽織で、頬の血色が良く見えた。
髪は緩く巻いてアップにされ、ちりめん細工で造られた花が飾られている。
珊瑚色で纏めた化粧は、上品な雰囲気を作り出していた。
「終わったかい?」
八重が部屋に顔を出す。日和を上から下まで眺めた後、八重はニヤリと笑った。
「よし。上等だ。男共が待っているよ。綺麗な姿を見せて、喜ばせてやりな」
「喜びはしないんじゃないかと……。どちらかと言うと、馬鹿にされそうな気がします」
「馬鹿にしてくる奴がいたら、そんな言葉に耳を貸すんじゃなくて、そいつの口を踏みつけてやりな。前歯の二、三本でも折っちまえば、相手も馬鹿な事を言わなくなるもんさ」
八重はニヤリと黒い笑みを浮かべる。一体どれだけの人の前歯達が失われてきたのだろうかと、日和は顔を引き攣らせた。
「どうせ、他人は碌に考えもせずに好き勝手言うんだ。気に入らない奴は放っておいて、自惚れるくらいに自分を見てやんな。せっかく生まれて来たんだ。もっとお洒落をして、恋も沢山して、人生を楽しみな」
八重の言葉に、日和は苦笑する。
「お洒落は、もう少し頑張ります。ただ、恋は諦めているので」
「はあ? 諦めるなんて、何を馬鹿な事を言ってんだい?」
「もう三十一ですし、恋愛に縁が無さすぎて、諦めるしかないかなって」
「年齢を言い訳に使うとか、格好悪い真似をしてんじゃないよ。私は、この歳でも恋をしてるよ。縁が無い訳じゃなくて、アンタは周りを見ようとしていないだけだろう?」
八重は呆れた顔をした後、日和へ笑みを向ける。
「壮太郎に聞いたよ。アンタは周りの命を諦めなかった。その勇気があれば、何だって出来る。訂正するよ。アンタは、何も出来ない嬢ちゃんじゃない。よく頑張ってくれた」
不意に言われた温かな言葉に、日和の目が潤む。八重はギョッとして、日和の両頬を両手で包んで上を向かせた。
「ああ、ほら、せっかくの化粧が崩れちまうじゃないか。泣くんじゃないよ。私は、人に泣かれても、どうしたらいいか分からないんだからね」
八重は困った表情を浮かべる。
どうやら、八重はツンデレ気質のようだ。鋭い言葉も、日和を巻き込まない為の優しさだったのだろう。
「さあ、早く行っといで!」
八重に背中を押され、日和は笑みを浮かべて頷いた。
妖達に案内され、日和は碧真達の待つ部屋へと向かう。
部屋の襖を開けると、談笑していた三人の視線が日和へ集まった。
気まずさと緊張で顔を強張らせる日和に、壮太郎がニコリと笑う。
「綺麗だね。ピヨ子ちゃん」
「よく似合っているな」
壮太郎と丈に褒められ、日和はホッと息を吐く。壮太郎は碧真へ顔を向けた。
「あれ? チビノスケは何か言わないの?」
「何で俺に振るんですか?」
「いや、ここは感想を言う流れだったでしょう? チビノスケー。話の流れを読まないと」
「いつも空気読めてない壮太郎さんに言われたくないです」
「僕は読まないんじゃなくて、読んだ上で引っ掻き回してるんだよ」
「タチ悪すぎるでしょ」
壮太郎と碧真のやりとりに、日和は苦笑する。碧真が日和の外見について馬鹿にする事はあれど、褒める事はないと分かっていた。
「壮太郎さんも丈さんも、着物似合ってますね」
壮太郎は、黒地に銀糸と赤の二本線が入った着物と白い帯、濃灰色の中羽織姿で、羽織紐の銀細工の羽根が揺れていた。
丈は、無地の抹茶色の着物と茶色の横縞帯、温かみのある焦茶色の中羽織姿。
「碧真君も似合ってるね。黒じゃない服、初めて見た」
碧真は淡い灰色の着物、漆黒と黒紅色の千鳥柄の帯、濃紺色の中羽織姿だ。
褒められた碧真は、興味がなさそうに顔を逸らす。壮太郎と丈は苦笑して立ち上がった。
「全員揃ったし、行こうか」
待ちに待った祭りの夜が始まる。
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