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二章ー松尾の依頼と優之助との約束ー
意外な大坂の伝手
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次の日、優之助は朝早くに起きる。
まだ辺りが薄暗く、日が昇っていない。
流石に一番乗りだろうと思い居間へ行くと、伝之助も羽田も白湯を飲んでいた。
「もう起きてたんですか。さすがはお侍さんですね」
嫌味でも何でもなく素直に感心した。
「うんにゃ。おいらも今起きたとこじゃ。お前にすっとしっかり起きたの」
伝之助はにっと笑って言う。
これから大坂に日高を追って行く。
つまり日高と再び斬り合いになるかもしれないと言うのに、伝之助はどことなく楽しそうである。
以前おさきの依頼で、おさきの父の仇討ちに行く時は楽しみにした様子は無く、仕事と割り切っていたようだが今は違う。
間違いなく日高と戦えることを楽しみにしている。
やはり狂っている。
「さすがに我々侍も人間ですからね。しっかり睡眠は取りましたよ」
そう言う羽田の顔は少し青白い。
緊張が見て取れる。
しっかり睡眠を取ったと言うが、余り眠れていないのかもしれない。
しかしこれが普通の反応であろう。
伝之助も羽田も一度日高に負けているのだ。
命拾いしたと言うのに、再び敗北した相手に命懸けでかかっていくと言うのだ。
羽田の反応が普通であり、伝之助の反応は異常である。
「そうですか。じゃあ朝飯はまだですね。さっと済ましてしまいましょう」
優之助は心に思う事はおくびにも出さず、朝飯の支度に取り掛かった。
朝飯を食べ、朝日が顔を出す。
皆で分担して家の仕事を終わらせると、家を出て大坂へ向かった。
道中、いつも通り伝之助は優之助に軽口を叩く。
優之助は適当にあしらう。
羽田はその様子に構う事無く歩を進める。
羽田はいつも優之助に助け舟を出す役目だが、その余裕さえないようである。
優之助と伝之助は思わず顔を見合わせた。
「羽田どん、どげんした。まだ日高とやるち決まったわけとちごう。そいで言うと、おはんよりおいの方が日高とやり合う可能性が高か」
伝之助が言うも、羽田は歩を止めず正面を見て進む。
「大山さんの言う通りでしょう。僕よりは大山さんが日高とやり合う可能性が高い。しかし僕も今日まで鍛錬してきました。日高と対等にやり合えるよう鍛えてきたんです」
「おはん、元理精流の師範代じゃろ。理精流は理を持って考え、そいを実行する精神を貫くとちごたか。今のおはんは理を持っちょらんど」
伝之助の言葉に羽田は顔を上げる。
「確かにそうですね。荒巻さん亡き今、僕が理精流です」
羽田はそう言うとまた無言となった。
しかし今度は顔色が良くなった。
大坂の目的地付近に着いた。
以前、おさきの仇討ちで来た地と近い。
大坂でも京に近い地である。
「さ、着きましたね。伝之助さん、大坂の伝手がどうとか言うてませんでしたか」
「言うちょったど。今からそん伝手ん所に向かう」
伝之助が大坂にどんな伝手があると言うのだろうか。
どうせ大した伝手ではないだろう。
暫く道を進む。
優之助の実家、桜着屋がある通りによく似ており、多数の商店が立ち並ぶ通りに出る。
人と活気は、京に比べて多く感じる。
伝之助はその中でも特に大きな建物の前で立ち止まった。
立派な門構えに立派な屋根、まるで大名屋敷だ。
中では慌ただしく人々が出入りしている。
「ここがおいの大坂の伝手じゃ」
伝之助は言うなり、誰もが口を開く前に進み出た。
優之助と羽田は小走りで追う。
門から建物まで少し距離がある。
その間、優之助も羽田も辺りを見回しながら歩く。
建物まで到達すると四人の門番がいる。
しかし伝之助を見るなり門番達は頷くのみで、呆気なく通される。
伝之助は勝手知ったるよう建物を進み、奥の方にある一つの部屋へと辿り着く。
その部屋は他の豪奢な様子とは違い、意外と質素な造りであった。
「入っど」
伝之助は言うなり無遠慮に引戸を開けた。
部屋の中も質素で、必要最低限の物しか置かれていないようだ。
そして部屋の真ん中に優之助同様、背のひょろ高い中高年の男が座っていた。
「お着きなすったか。迎えも寄越さんで堪忍や」
男は愛想よく笑って言った。
よくこうやって愛想笑いをするのか、目尻には皺が刻まれている。
人の良さそうな男である。
「そげん気遣いはよかよ」
伝之助は言うなりまた無遠慮に座る。
優之助も羽田もどうすればいいか分からず立ったままでいた。
「どうぞお二人も遠慮せず座って下さい」
男が言ったので、二人とも伝之助後ろに座った。
「また世話んなるの。こいが話ちょった優之助じゃ。そいでこっちが羽田どん」
突然伝之助が紹介するので二人とも出遅れた。
その隙に男が先に話す。
「初めまして。大坂で両替商をやってます、敏郎と言います。伝之助君には用心棒としていつも助けてもろてます」
そう言えば中脇が、伝之助は大坂の両替商の用心棒をしていると言っていたが、まさかここまでの豪商とは思いも寄らなかった。
大坂の両替商、大島屋の敏郎と言えば何代も続く両替商で、京で呉服屋をやっている実家にいた頃から優之助も聞いた事のある人物だ。
「え、伝之助さんて大島屋の敏郎さんの用心棒してたんですか」
優之助は自身の自己紹介もせず、ただただ驚いた。
「先に自己紹介せえ」
伝之助に言われて粗相に気付き、一言詫びて名乗る。
続いて羽田も優之助に倣った。
「お話は常々聞いてます。優之助さんのご実家はあの桜着屋と伺ってます」
「ええ、まあ。後継ぎは弟に譲ったんですけどね」
もちろん譲ったのではなく、後継ぎの争いに敗れた訳でもない。
ただただ逃げ出しただけなので何となく後ろめたい。
「そのようですな。それで今は伝之助君とそちらの羽田さんと商売されてるとは、いやいやご立派です」
敏郎は素直に感心して言う。
優之助は気を良くした。
敏郎は人を良い気にさせるのが上手いようだ。
「こいつは飲み歩いてばかりでだらしんなか。働いちょるんはおいと羽田どんじゃ」
伝之助が鼻で笑って言う。
こいつは人を悪い気にさせるのが上手いようだ。
「まあそない言いなさんな」
敏郎が笑って窘める。
本当にいい人だ。
「それで、伝之助君らはまたえらいもん相手にやり合おうて考えてるんやな」
敏郎の顔付が変わった。
本題と言う事だ。
「ごろつき専門の手配師んこつか」
「いや、それもやけどそれを相手にする言う事はその裏に控える奴らも相手にする事なる」
言われて気付いた。
確かにそのような相手だと方々に付き合いもあるはずだ。
これは思っている以上に危険な事ではないだろうか。
日高を相手にするだけではない気がする。
「よか。そんつもりじゃ」
伝之助は臆することなく頷く。
寧ろその方が都合がいと言わんばかりだ。
羽田も臆した様子はない。
まさか、その後ろに控えるであろう藤井とも事構える気か。
藤井と繋がっていると言う確信もないのに、藪蛇となってはどうするのだ。
「そうか。それを承知の上と言う事はわかった。わしも協力できることは最大限させてもらう。伝之助君を失うとこっちも痛手やしな」
敏郎はまた皺を刻ませて笑った。
「おいはそん内薩摩に帰っど」
「その時はそちらの羽田さんに引き継ぎ頼むわ」
「いえ、僕なんてまだまだ大山さんの足元にも及びません」
三人は言い合って笑うと、再び表情を引き締めた。
「本題に入ろか。手配師の名は木本楢衛門。柳生で結構腕の立つ上級武士やった。上級武士がなんで手配師なったか。木本は藩の金をくすねてたんが発覚して処罰が下るまで謹慎となった。けど木本は家族を捨てて逃げた。大坂に流れ着いた木本は、持ち前の人に媚売り取り入る特技と腐っても上級武士やった人脈を活かし、闇の手配師として名を上げて行った。と簡単に話すとそんな奴やな」
敏郎は眉間に皺を寄せて話す。
木本の事を毛嫌いしているのが見て取れる。
「家族を捨てて逃げたて……家族はどないなったんです」
木本は一家の長としての責任や、侍としての誇りは無いのだろうか。
「そこまで調べてません。ただ、迷惑かけんよう離縁するとかもせんかったようですな……」
敏郎は目を伏せ首を振った。
どんな家族構成であったかは知らないが、もう生きていないか、生きていたとしても地獄のような人生を歩んでいるかもしれない。
「木本が屑言うんはようわかった。そいで木本の根城はどこにあっとか」
「ここからもっと南西に下ったところや。堺をもう少し下ったとこにある小さな町の外れや。余り目立つ場所で堂々と商売出来んからな。裏の長屋で一見細々とやってるようやけど、さぞかし儲けてるみたいやな。ごろつき共を世話する立派な小屋も持ってるみたいやし、自身の隠れ家は小奇麗なとこに住んでるみたいや」
敏郎は地図を持ち出し、木本がひっそりと商売をしている場所を説明する。
皆地図を囲む様に集まり聞き入る。
日高は木本の隠れ家ではなく、木本が商売をする場所にいるのだろう。
「ようわかった。敏郎さあ、よう調べてくれた。いつもないかと悪いの」
伝之助が頭を下げる。
敏郎は手を振って答えた。
「持ちつ持たれつや。こっちも伝之助君にはまた世話になる」
世話になると言っても金を払って雇っているのだろう。
それもかなりの大金を。
敏郎は余程人が好いに違いない。
敏郎の調べた説明を一通り聞き終わると、礼を言って後にした。
敏郎が取ってくれている宿があるとの事だったので、三人はその宿へと向かった。
宿屋は近くにあり、敏郎が取ってくれていると言うので豪奢な宿屋かと思ったが、至って普通の宿屋であった。
しかし中は小奇麗で、何一つ不便なく過ごす事が出来そうであった。
ただ残念であったのは三人同室であったことだ。
「あー疲れた。流石の伝之助さんでも今日はもちろんゆっくりしますよね」
伝之助の事だ。
今から木本の根城に向かうど、とか言い出し兼ねない。
「お前はおいをないやち思っちょる。ないも考えも無しに今から向かうち言わん」
いつも考え無しやないかと胸の内で呟く。
「じゃあどうするか考えましょうか」
羽田が努めて明るく言った。
何かと気を遣わせていそうで申し訳ないと思った。
「一つ確認なんですけど、狙いは日高ですよね」
「じゃ」
「じゃあ木本とやり合う事は無いですよね」
敏郎とのやり取りはまるで木本とやり合う事を話しているようであった。
木本をつつくと、うじゃうじゃと蛇が出て来る事は目に見えている。
「日高とやり合うには木本ともやり合うち言うこつじゃ」
伝之助は何の気負いも無く、当たり前かのように言った。
「いやいや、それはまずいでしょ。木本をつつくと木本と付き合いのあるややこしいのが出て来るかも知れませんよ」
「よか。藤井が出て来たら儲けもんじゃ」
「決して藤井だけとは限りません」
日高が用心棒についていると言う理由だけで藤井が裏にいると決めるのは早計だ。
それに裏に藤井がいようがいまいが、それ以外の者もいるかもしれない。
「そりゃそうじゃろ。まとめて相手しちゃる」
優之助の心配をよそに、伝之助はあっさりと言って続けた。
「さあて、どげんして攻めるか考えるかの」
伝之助の言葉を合図に皆で案を出し合い議論する。
やがて考えが纏まりだした。
「ほんまにこの作戦で行くんですか。俺嫌やなあ……」
作戦はこうだ。
優之助が客を装い木本の元へ行き、日高の居所をそれと無く探る。
伝之助と羽田が日高を探り、藤井とどう繋がっているか調べる。
その上で日高を討つ。
場合によっては木本も討つ。
まさにざるな作戦だ。
「どの辺りが嫌なのですか」
羽田が不思議な様子で聞く。
どうやら羽田も頭がおかしいようだ。
このざるな作戦のどの辺りも何もない。
全てに穴があり、どのようにして探るなど細部を詰めていない。
「まあ一番嫌な所は俺が木本に探りを入れる所ですかね」
優之助が言うと、羽田はそんな事かと言った様子で苦笑した。
「ないじゃお前は。また危険を感じっと助けを呼びに行く係りをするち言うとか」
「いや、そう言う訳じゃ……」
ちくしょう、あれはあれで評価してたんと違うんか。
「お前の上手く回る口をここで使わんでどげんすっとか。こいこそがお前の役目じゃ」
褒められたのか貶されたのか分からないが、言われると確かに自分の上手く回る口はここが使い時な気がする。
「大丈夫ですかね……危険じゃないですか」
「危険なこつはなか。敵中に飛び込むこつんなっが、今までで一番安全とちごうかの」
確かに今まで敵中に飛び込んだ事は幾度となくある。
坂谷の屋敷に襲撃を掛けた時には屋敷に忍び込んだし、荒巻率いる理精流の道場に住み込んでいた事もある。
それに比べると今回は客として堂々と行って適当に話せばいいだけだ。
「言われるとそうですね。行ける気がしてきました」
「そげん意気じゃ。早速明日、頼むど」
「わかりました」
上手く乗せられたかもしれないが、危険少なく活躍できるなら御の字だ。
おさきに一盛りも二盛りも盛って話してやろう。
まだ辺りが薄暗く、日が昇っていない。
流石に一番乗りだろうと思い居間へ行くと、伝之助も羽田も白湯を飲んでいた。
「もう起きてたんですか。さすがはお侍さんですね」
嫌味でも何でもなく素直に感心した。
「うんにゃ。おいらも今起きたとこじゃ。お前にすっとしっかり起きたの」
伝之助はにっと笑って言う。
これから大坂に日高を追って行く。
つまり日高と再び斬り合いになるかもしれないと言うのに、伝之助はどことなく楽しそうである。
以前おさきの依頼で、おさきの父の仇討ちに行く時は楽しみにした様子は無く、仕事と割り切っていたようだが今は違う。
間違いなく日高と戦えることを楽しみにしている。
やはり狂っている。
「さすがに我々侍も人間ですからね。しっかり睡眠は取りましたよ」
そう言う羽田の顔は少し青白い。
緊張が見て取れる。
しっかり睡眠を取ったと言うが、余り眠れていないのかもしれない。
しかしこれが普通の反応であろう。
伝之助も羽田も一度日高に負けているのだ。
命拾いしたと言うのに、再び敗北した相手に命懸けでかかっていくと言うのだ。
羽田の反応が普通であり、伝之助の反応は異常である。
「そうですか。じゃあ朝飯はまだですね。さっと済ましてしまいましょう」
優之助は心に思う事はおくびにも出さず、朝飯の支度に取り掛かった。
朝飯を食べ、朝日が顔を出す。
皆で分担して家の仕事を終わらせると、家を出て大坂へ向かった。
道中、いつも通り伝之助は優之助に軽口を叩く。
優之助は適当にあしらう。
羽田はその様子に構う事無く歩を進める。
羽田はいつも優之助に助け舟を出す役目だが、その余裕さえないようである。
優之助と伝之助は思わず顔を見合わせた。
「羽田どん、どげんした。まだ日高とやるち決まったわけとちごう。そいで言うと、おはんよりおいの方が日高とやり合う可能性が高か」
伝之助が言うも、羽田は歩を止めず正面を見て進む。
「大山さんの言う通りでしょう。僕よりは大山さんが日高とやり合う可能性が高い。しかし僕も今日まで鍛錬してきました。日高と対等にやり合えるよう鍛えてきたんです」
「おはん、元理精流の師範代じゃろ。理精流は理を持って考え、そいを実行する精神を貫くとちごたか。今のおはんは理を持っちょらんど」
伝之助の言葉に羽田は顔を上げる。
「確かにそうですね。荒巻さん亡き今、僕が理精流です」
羽田はそう言うとまた無言となった。
しかし今度は顔色が良くなった。
大坂の目的地付近に着いた。
以前、おさきの仇討ちで来た地と近い。
大坂でも京に近い地である。
「さ、着きましたね。伝之助さん、大坂の伝手がどうとか言うてませんでしたか」
「言うちょったど。今からそん伝手ん所に向かう」
伝之助が大坂にどんな伝手があると言うのだろうか。
どうせ大した伝手ではないだろう。
暫く道を進む。
優之助の実家、桜着屋がある通りによく似ており、多数の商店が立ち並ぶ通りに出る。
人と活気は、京に比べて多く感じる。
伝之助はその中でも特に大きな建物の前で立ち止まった。
立派な門構えに立派な屋根、まるで大名屋敷だ。
中では慌ただしく人々が出入りしている。
「ここがおいの大坂の伝手じゃ」
伝之助は言うなり、誰もが口を開く前に進み出た。
優之助と羽田は小走りで追う。
門から建物まで少し距離がある。
その間、優之助も羽田も辺りを見回しながら歩く。
建物まで到達すると四人の門番がいる。
しかし伝之助を見るなり門番達は頷くのみで、呆気なく通される。
伝之助は勝手知ったるよう建物を進み、奥の方にある一つの部屋へと辿り着く。
その部屋は他の豪奢な様子とは違い、意外と質素な造りであった。
「入っど」
伝之助は言うなり無遠慮に引戸を開けた。
部屋の中も質素で、必要最低限の物しか置かれていないようだ。
そして部屋の真ん中に優之助同様、背のひょろ高い中高年の男が座っていた。
「お着きなすったか。迎えも寄越さんで堪忍や」
男は愛想よく笑って言った。
よくこうやって愛想笑いをするのか、目尻には皺が刻まれている。
人の良さそうな男である。
「そげん気遣いはよかよ」
伝之助は言うなりまた無遠慮に座る。
優之助も羽田もどうすればいいか分からず立ったままでいた。
「どうぞお二人も遠慮せず座って下さい」
男が言ったので、二人とも伝之助後ろに座った。
「また世話んなるの。こいが話ちょった優之助じゃ。そいでこっちが羽田どん」
突然伝之助が紹介するので二人とも出遅れた。
その隙に男が先に話す。
「初めまして。大坂で両替商をやってます、敏郎と言います。伝之助君には用心棒としていつも助けてもろてます」
そう言えば中脇が、伝之助は大坂の両替商の用心棒をしていると言っていたが、まさかここまでの豪商とは思いも寄らなかった。
大坂の両替商、大島屋の敏郎と言えば何代も続く両替商で、京で呉服屋をやっている実家にいた頃から優之助も聞いた事のある人物だ。
「え、伝之助さんて大島屋の敏郎さんの用心棒してたんですか」
優之助は自身の自己紹介もせず、ただただ驚いた。
「先に自己紹介せえ」
伝之助に言われて粗相に気付き、一言詫びて名乗る。
続いて羽田も優之助に倣った。
「お話は常々聞いてます。優之助さんのご実家はあの桜着屋と伺ってます」
「ええ、まあ。後継ぎは弟に譲ったんですけどね」
もちろん譲ったのではなく、後継ぎの争いに敗れた訳でもない。
ただただ逃げ出しただけなので何となく後ろめたい。
「そのようですな。それで今は伝之助君とそちらの羽田さんと商売されてるとは、いやいやご立派です」
敏郎は素直に感心して言う。
優之助は気を良くした。
敏郎は人を良い気にさせるのが上手いようだ。
「こいつは飲み歩いてばかりでだらしんなか。働いちょるんはおいと羽田どんじゃ」
伝之助が鼻で笑って言う。
こいつは人を悪い気にさせるのが上手いようだ。
「まあそない言いなさんな」
敏郎が笑って窘める。
本当にいい人だ。
「それで、伝之助君らはまたえらいもん相手にやり合おうて考えてるんやな」
敏郎の顔付が変わった。
本題と言う事だ。
「ごろつき専門の手配師んこつか」
「いや、それもやけどそれを相手にする言う事はその裏に控える奴らも相手にする事なる」
言われて気付いた。
確かにそのような相手だと方々に付き合いもあるはずだ。
これは思っている以上に危険な事ではないだろうか。
日高を相手にするだけではない気がする。
「よか。そんつもりじゃ」
伝之助は臆することなく頷く。
寧ろその方が都合がいと言わんばかりだ。
羽田も臆した様子はない。
まさか、その後ろに控えるであろう藤井とも事構える気か。
藤井と繋がっていると言う確信もないのに、藪蛇となってはどうするのだ。
「そうか。それを承知の上と言う事はわかった。わしも協力できることは最大限させてもらう。伝之助君を失うとこっちも痛手やしな」
敏郎はまた皺を刻ませて笑った。
「おいはそん内薩摩に帰っど」
「その時はそちらの羽田さんに引き継ぎ頼むわ」
「いえ、僕なんてまだまだ大山さんの足元にも及びません」
三人は言い合って笑うと、再び表情を引き締めた。
「本題に入ろか。手配師の名は木本楢衛門。柳生で結構腕の立つ上級武士やった。上級武士がなんで手配師なったか。木本は藩の金をくすねてたんが発覚して処罰が下るまで謹慎となった。けど木本は家族を捨てて逃げた。大坂に流れ着いた木本は、持ち前の人に媚売り取り入る特技と腐っても上級武士やった人脈を活かし、闇の手配師として名を上げて行った。と簡単に話すとそんな奴やな」
敏郎は眉間に皺を寄せて話す。
木本の事を毛嫌いしているのが見て取れる。
「家族を捨てて逃げたて……家族はどないなったんです」
木本は一家の長としての責任や、侍としての誇りは無いのだろうか。
「そこまで調べてません。ただ、迷惑かけんよう離縁するとかもせんかったようですな……」
敏郎は目を伏せ首を振った。
どんな家族構成であったかは知らないが、もう生きていないか、生きていたとしても地獄のような人生を歩んでいるかもしれない。
「木本が屑言うんはようわかった。そいで木本の根城はどこにあっとか」
「ここからもっと南西に下ったところや。堺をもう少し下ったとこにある小さな町の外れや。余り目立つ場所で堂々と商売出来んからな。裏の長屋で一見細々とやってるようやけど、さぞかし儲けてるみたいやな。ごろつき共を世話する立派な小屋も持ってるみたいやし、自身の隠れ家は小奇麗なとこに住んでるみたいや」
敏郎は地図を持ち出し、木本がひっそりと商売をしている場所を説明する。
皆地図を囲む様に集まり聞き入る。
日高は木本の隠れ家ではなく、木本が商売をする場所にいるのだろう。
「ようわかった。敏郎さあ、よう調べてくれた。いつもないかと悪いの」
伝之助が頭を下げる。
敏郎は手を振って答えた。
「持ちつ持たれつや。こっちも伝之助君にはまた世話になる」
世話になると言っても金を払って雇っているのだろう。
それもかなりの大金を。
敏郎は余程人が好いに違いない。
敏郎の調べた説明を一通り聞き終わると、礼を言って後にした。
敏郎が取ってくれている宿があるとの事だったので、三人はその宿へと向かった。
宿屋は近くにあり、敏郎が取ってくれていると言うので豪奢な宿屋かと思ったが、至って普通の宿屋であった。
しかし中は小奇麗で、何一つ不便なく過ごす事が出来そうであった。
ただ残念であったのは三人同室であったことだ。
「あー疲れた。流石の伝之助さんでも今日はもちろんゆっくりしますよね」
伝之助の事だ。
今から木本の根城に向かうど、とか言い出し兼ねない。
「お前はおいをないやち思っちょる。ないも考えも無しに今から向かうち言わん」
いつも考え無しやないかと胸の内で呟く。
「じゃあどうするか考えましょうか」
羽田が努めて明るく言った。
何かと気を遣わせていそうで申し訳ないと思った。
「一つ確認なんですけど、狙いは日高ですよね」
「じゃ」
「じゃあ木本とやり合う事は無いですよね」
敏郎とのやり取りはまるで木本とやり合う事を話しているようであった。
木本をつつくと、うじゃうじゃと蛇が出て来る事は目に見えている。
「日高とやり合うには木本ともやり合うち言うこつじゃ」
伝之助は何の気負いも無く、当たり前かのように言った。
「いやいや、それはまずいでしょ。木本をつつくと木本と付き合いのあるややこしいのが出て来るかも知れませんよ」
「よか。藤井が出て来たら儲けもんじゃ」
「決して藤井だけとは限りません」
日高が用心棒についていると言う理由だけで藤井が裏にいると決めるのは早計だ。
それに裏に藤井がいようがいまいが、それ以外の者もいるかもしれない。
「そりゃそうじゃろ。まとめて相手しちゃる」
優之助の心配をよそに、伝之助はあっさりと言って続けた。
「さあて、どげんして攻めるか考えるかの」
伝之助の言葉を合図に皆で案を出し合い議論する。
やがて考えが纏まりだした。
「ほんまにこの作戦で行くんですか。俺嫌やなあ……」
作戦はこうだ。
優之助が客を装い木本の元へ行き、日高の居所をそれと無く探る。
伝之助と羽田が日高を探り、藤井とどう繋がっているか調べる。
その上で日高を討つ。
場合によっては木本も討つ。
まさにざるな作戦だ。
「どの辺りが嫌なのですか」
羽田が不思議な様子で聞く。
どうやら羽田も頭がおかしいようだ。
このざるな作戦のどの辺りも何もない。
全てに穴があり、どのようにして探るなど細部を詰めていない。
「まあ一番嫌な所は俺が木本に探りを入れる所ですかね」
優之助が言うと、羽田はそんな事かと言った様子で苦笑した。
「ないじゃお前は。また危険を感じっと助けを呼びに行く係りをするち言うとか」
「いや、そう言う訳じゃ……」
ちくしょう、あれはあれで評価してたんと違うんか。
「お前の上手く回る口をここで使わんでどげんすっとか。こいこそがお前の役目じゃ」
褒められたのか貶されたのか分からないが、言われると確かに自分の上手く回る口はここが使い時な気がする。
「大丈夫ですかね……危険じゃないですか」
「危険なこつはなか。敵中に飛び込むこつんなっが、今までで一番安全とちごうかの」
確かに今まで敵中に飛び込んだ事は幾度となくある。
坂谷の屋敷に襲撃を掛けた時には屋敷に忍び込んだし、荒巻率いる理精流の道場に住み込んでいた事もある。
それに比べると今回は客として堂々と行って適当に話せばいいだけだ。
「言われるとそうですね。行ける気がしてきました」
「そげん意気じゃ。早速明日、頼むど」
「わかりました」
上手く乗せられたかもしれないが、危険少なく活躍できるなら御の字だ。
おさきに一盛りも二盛りも盛って話してやろう。
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