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8ー1 グレッグの彼女

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 一学期が終わろうという7月の中頃近くなっていた。

 放課後にグレッグがいつものように魔法術の本を席に腰かけて読んでいると、背中からフローレインが、

「どんな本を読んでらっしゃるのかしら?」

と、尋ねてきた。

 デスモント卿から言われた助言を、フローレインなりに熟考を重ねて、図書室に誰もいないのを見計らった上での判断だった。

(グレッグを忘れられない。今を愛するというなら
彼との思い出を作りたい。でも、異性にわたくしから話しかけるなんて、緊張する……)

 フローレインの目は緩んでいるものの、唇の端はわずかに強ばっている。

 フローレインは滅多に声をかけては来ないので、
グレッグは一瞬、驚いたように彼女を見あげた。

(急に近づいたから、当然ですわよね)

 けれどもグレッグは、すぐいつもの優しい笑顔になり、

「『魔法薬の作り方』です」
  
と、小声でこたえた。

「魔法薬にご興味が?」 

「ええ。良かったら、話でも」

 グレッグが席を引いてくれたので、

「仕方ないですわね」

と、フローレインは隣に座った。

「ぼくは、たとえば、貧しくても簡単に野草を魔法で高価な商品に変えられる方法が見つけようと調べているんです。もし、できたら平民の彼女の暮らし向きは幾分良くなるはずだし。だから、もし、資料が見つかったら、渡してあげたいんです。でも、ぼくは魔法の血は弱いから、それほどの魔力は使えないし」

(そうだったのですね。でも、彼女って……誰なのかしら)

 フローレインは、首を傾げた。すると、グレッグは前髪をいじりながら、

「ごめんなさい。つまらない話をしました。魔法を金銭目的にするのは、禁じられていますから」

と、薄く笑った。

「当たり前ですわね。そんなこと、馬鹿げたことですわね」

「だよね。馬鹿げたことです」

 どこか、さみしげな顔色だった。

「ごめんなさい。違うのです。わたくし、かえって興味がわきましたわ」

「えっ、本当ですか?」

 グレッグの顔に明かりがさした。

「良かったら、わたくし、スハルト先生の特別指導を受けていますから、助けになれそうですわよ。だいぶ、面倒ではありますが」

 フローレインは笑顔で返すと、グレッグは膝に置いた彼女の手を取った。

「ありがとう。それは助かる。彼女がどんなに喜ぶか、目に浮かぶようです。あ、ごめんなさい」

(えっ……。いつも冷静なグレッグなのに) 

 慌てて、手を引っ込めるグレッグを、フローレインは少し瞳を丸くしながら見た。

「いえ、そんなこと、お安いご用ですわ。ところで、その、助けてあげたい彼女とは……その……どなたかしらね? 名前ぐらいは知っておきたいかしら」

 フローレインは口ごもり、グレッグの顔色をうかがう。

「彼女の名前はアンティネットというんです。ぼくの幼なじみで、今でも好きなのです。今は、義理の父母には遠出は禁じられています。けれど、卒業する18歳になったら、すぐにでも迎えに行きたいのです」

(アンティネット……。好きな方が、もう、いたのね)

 フローレインは、胸元にかすかな痛みを感じながら、

「アンティネット? 変わったお名前ですわね。それでは、また、放課後に、こちらにうかがいます」

と、グレッグに握られた手のひらの温みを抱えて、部屋を後にした。


 ***


 3日後、フローレインは意を決して、デスモント卿に頼まれた資料を格子越しに渡してから、

「あの、ご相談があるのですが」

と、おそるおそるグレッグから引き受けた話を切り出した。

 デスモント卿は、腕を組んで、フローレインの話を聞いた後、

「まず、スハルトには相談したのですか?」

と、尋ねた。 

「実はまだ、きいていませんわ。いいえ、きけませんわ、そんなことは。非常識ですわ」

 フローレインは、何度も首を振りながら、うつむいた。

 魔法を商売の道具にしてはいけないのは、魔法を扱う者として、当然の話だったし、それを魔法省の上級役人に話すことなど、できない相談だ。

「ですが、ぼくなんかに聞いていいのですか? 怖くないのですか?」

「怖いですわ。でも、彼を助けてあげたいのです。人助けは、性に合いませんが」

「そんな危険を冒してまで。彼のことが好きですか?」

 フローレインは、目を反らして、

「ち、違いますわ……あくまで友人として、ですわ。変な勘ぐりはおやめください」

(言えるわけありません。グレッグが本当に好きかどうかさえ。ただ気になるだけだし……)

「嘘はよくありませんよ。自分の気持ちに正直であるべきだ」

「嘘なんて……だから違いますと、言ったではありませんか」

「ぼくの目は誤魔化せないです。相談に乗るかは、君次第。ぼくの前では、本音を話してください。これまでのあなたの素適なところは誠実さでした。スハルトは、」

 デスモント卿は、赤く燃え立つような瞳を、フローレインに向けている。

「彼は、ぼくに対して不敬にあたるような、お眼鏡にかなうような人物を助手にしたはずです。そうしなければ、ぼくはあなたを採用などしていません」

「ふん、そうでしたか。でも、わたくしは、ただ、スハルト先生が最近、飛行船の製造で、造船所の視察で忙しくなっただけだと思っていましたわ」

「……実は、助手に採用されたのは、君が初めてです。スハルトとぼくで選んだ」

「えっ……そうだったのですか。それはありがた迷惑というか。どうでも良いお話ですけれど」

(囚人と選んで決めたなんて。スハルト先生とデスモント卿はこれほど親密なのかしら)

 フローレインの顔つきは、やや強ばる。

 デスモント卿は、フローレインを見透かすように見ながら、

「それで、魔法の品で、よく売れる高値は何だと思いますか?」

「……治癒草でしょうね。止血に使いますわ。それに占い草や……」

「それは、魔法草を使わなくても、薬草や祈祷師、霊媒師で代行できます。高値では売れません。実は、これまで君が学んできた白魔法では解決はできない話なのです」

「では、一体、どんなものがあるのです……?」

「恋草です」

「……恋草? そんなもの」

 フローレインは、眉をひそめた。

「そうですよ。あれは、確実に売れました。平民のわたしはお金で爵位を買い、この学園で学んだのです。そして、だれよりも強い魔力を手に入れました」

 デスモント卿は、懐かしそうに窓の方を眺める。見つめた先の魔法の窓の向こうに、粗末な服を着た少年が、ゴサを敷いて草の束を売っている姿が映った。

「あの男の子は……?」

「あれは、昔のぼくです。貧しくて、小さな頃から露店で生活費を稼いでいました。飢えをしのぐため、ぼくは、闇魔法に手を出したわけです。その魔法術を、ぼくは教えても構わない。君が誠実さを見せてくれれば……」

「誠実さ……? くだらないですわ」

「これから君は、ぼくに個人的な話をしてほしい。特に君の好きな彼のことだ。彼の名前は何というのか。彼をどう思っているか、ぼくに君の世界教えてほしい。ぼくは、君の望むような世界に変えてあげられます」

(そんなことはできないわ。スハルト先生から、そんな話はしてはいけないと、口止めされて……)

 しかし、心の声とは裏腹に出てきた言葉は、

「仕方ないですわね。グレッグ公爵子息ですわ。デスモント様には誠実にお答えしますわ……。本当に困った方ですわね」

と、頭を垂れていた。
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