金平糖の箱の中

由季

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願い

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 夕霧は、襖の前に正座し喜八を待っていた。夕霧は、喜八に話さなければならないことがある。一か八かの賭けであった。ドクンドクンと心臓が脈を打つ。いつ開こうという襖を、凝視していた。

 その瞬間、襖がひらく。襖の正面に正座した夕霧をみて、喜八は驚いた。

「どうしたんだい、畏まって」
「旦那様」

 喜八は用意されていた真向かいの座布団に座る。なんだなんだと最初は笑顔だったが、夕霧のその表情に、ただ事ではない雰囲気を察したのか背筋を正した。

「2着、普段着の着物を作って下さいませんか」

 喜八は、なんだと拍子抜けをする。随分畏まった上に、大した願いではなかったからだ。

「そんなことかい。……いいが、遊女はあまり着ないだろう。打掛のほうがいいんじゃないかね」

 そういうと、夕霧はしっかりと喜八の目を見て、落ち着いた声色で言う。

「東雲……私の幼馴染の女郎と、足抜けしようと思っています」

 そういうと、喜八は飲んでいた茶をグッと喉に詰まらした。ゲホゲホと噎せながら、眉間にしわを寄せた。

「な……」
「それに、必要なんです」

 お願いします、と三つ指をつき頭を下げた。それにはいと答えるのは、喜八にも罰が下るということ。簡単にそうかと受け入れられずにいた。当たり前である。

「顔をあげなさい夕霧。この遊郭で足抜けも大罪であることは……」
「旦那様には、迷惑かけないようにします」

 顔を上げると、たしかに朝霧には似ているが、凛とした、‘‘夕霧’’の顔であった。先日感じた違和感の正体、朝霧とは別の美しさの正体が、そこにはあった。

「……以前、旦那様は朝霧と何か関係があるのかとおっしゃいましたよね」

 夕霧の口から、朝霧という言葉が出る。この真相がわかるのかと思うと喜八はごくりと唾を飲む。その少々焦った様子に、表情を変えず夕霧は話し始めた。

「朝霧は、わたしの母です」

 夕霧は、はっきりと、迷いなく言った。喜八は、言葉が出てこない。目を見張り驚くとともに、これだけ似てるから不思議ではないという感情が混ざる。

「里子に出された私は、六つのときに連れてこられ夕霧として育ちました」
「……」
「母は、私を生んですぐ梅毒で死んだと聞きました。最期まで、旦那様……喜八様を待っていたと」

 朝霧と同じ顔で言われると堪えると喜八は夕霧から目をそらし、キュと口を結ぶ。

「……申し訳なかったと」
「旦那様」

 その言葉を遮るように、背筋がぴんとしたままの夕霧が、喜八の目をそらさずにいう。

「母……朝霧もわかっていたと思います。」

 無理だということは。そういうと、凛と喜八を見つめていた目は一瞬悲しげに見えた。この人の気持ちを動かすのに、朝霧の名前を出さないと無理なのかと、悔しくもなった。

「……夕霧」
「母も、外に出たかったと思います」

 あぐらの上で痛いほど握りしめている喜八の拳に、夕霧の手で包む。この温かさを、喜八は知っていた。

「旦那様」

 その温かい手に、少し拳が緩む。顔をあげ夕霧をみると、さっきの凛とした雰囲気とは違い、可愛らしい……朝霧のような雰囲気を醸し出していた。

 喜八は一瞬、朝霧と見間違えたほどであった。ころころと変わる夕霧の顔に、喜八は追いついていない。

「旦那様」
「あ……」
「朝霧を……自由にすると思って」

 どうか……
 そういい、また夕霧は頭を下げる。その姿に、喜八は声をかけた。

「……私が楼主に言ったら、折檻だ。なぜ、私に……」
「旦那様は、言わないでしょう」

 そう、まっすぐと喜八を見つめる。そのまっすぐな、大きな黒目に映る喜八の額には汗が滲んでいた。

「……また来る」

 そういい立ち上がる喜八に、旦那様、と声をかけた。その声に、ピタリと喜八は止まる。

「……どうか」

 その声が届くか届かぬか、喜八は振り返らずに、襖を閉める。

 タン、という乾いた襖の音が、部屋に響く

「どうか……」

 夕霧の声は、秋風にのり外へ流れていった。
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