金平糖の箱の中

由季

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又、夕

花嫁

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 喜八は大きな呉服屋を営んでいる。だがその経営はほぼ、もう一人息子の八之助に任せていた。喜八は店頭に立ち寄ると、八之助に声をかける。八之助も、父に似て凛とし、まるで若い頃の喜八そっくりであった。

「よお八之助、どうだ」
「ああ、父上」

 難しい顔をしながら、ぼちぼちですと筆の柄で頭をポリポリかく。そうかと店を見渡すと、立派な打掛が掛かっていた。気安く触れぬような、重い雰囲気を纏っていた。

「……立派な打掛だなありゃ」
「ああ、問屋の娘の……嫁入りの着物です」
「はあ、こりゃあ羽振りのいい」
「ああ、ここまで立派なもん、中々お目にかかれないですよ」

 八之助が下男に呼びかけられる。すぐ行く、と叫ぶと、八之助はさっさと仕事に戻ってしまった。喜八はその着物を眺め、さらりと撫でるとなめらかな肌触りと、しっかりした質感から相当な上物だということがわかった。細かく刺繍された柄に、梅があしらってある。金の糸も細かく輝いている。

「綺麗な着物だ」

 そういえば、朝霧にも着物を送ったことがあったと、喜八は思い出していた。まだ喜八が店を継いでなくお金もないころ、なけなしの金で送った着物があった。

『これ、私に?』
『ああ、似合うと思って』

 安い着物を送ったものだと今更恥ずかしい気持ちになる。うすっぺらで、色も安っぽい。遊女が着るような着物ではなかった。それでも朝霧は、うれしいとその場で羽織ってくれた。重々しい遊女の着物から羽織る、送った着物は不釣り合いであった。それでも、その色が似合うと、着て欲しいと選んだ着物はとても似合って見えた。

『わたしが店の主人になったら、もっといいのを送るよ』
『ええ、どんな着物?』
『生地は上質で、まっさらに白くて……』

 確か、私はそんなことを言った。と喜八は思い出す。

『まるで、花嫁衣装じゃないですか』

 冗談のような口ぶりで送った着物を羽織り、くるくる回りながら朝霧は言った。安物の着物でも、ひらひら舞う様子は蝶のように綺麗だった。

『ああ、花嫁衣装だ』
『ふふ、またご冗談』
『いや、本当だ』

 喜八はくるくると回る朝霧の前であぐらをかき、微笑みながら朝霧をみていた。約束だ、と言うとくるくると舞う朝霧は、ピタリと止まる。何故か、寂しいように、嬉しいように眉を垂らして微笑む。

『……待っています』

 朝霧は無理だと気付いていたのだろう、今思えば切なげな笑顔で、また舞い始めた。喜八は若さ故か、恋に盲目だったからか、夕霧の寂しげな気持ちはわからなかった。喜八は、結ばれるものだと、無意識に信じていたのだから。ああ、きっと花嫁衣装も、留袖も似合おう。そんな馬鹿なことさえ考えていた。


 そのあと喜八は、後を継ぐための勉強や、政略結婚で朝霧に会わなくなってしまったのである。

「……酷い約束をしたものだ」

 打掛の前でずっと佇んでいる喜八に八之助が声をかける。ただ、ぼうっと打掛を眺める喜八を不思議に思った。

「どうしたんですか、何か汚れでも」

 その声で我に返る。

「ん、いや、なんでもない」
「なら、いいんですが……」

 これからも精進してくれ、と店を去る喜八に八之助は、なんだったんだと首を傾げ打掛になにか汚れでもあったかとまじまじと見たが変わりはなかった。

 日中の賑やかな街をいく喜八の足取りは、花嫁衣装の厚い生地か纏わり付いているように、重く感じるのであった。
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