金平糖の箱の中

由季

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羽織

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「夕霧、お客さんだよ」

 静かに開いたふすまの向こうには、小太りの男が立っていた。彼もまた、朝霧の馴染みであり、現在夕霧の馴染みでもある。

「寂しかったかい?」

 大きな腹を揺らし、立派な羽織の袖を広げながら夕霧に近付く。その気持ち悪さに、内心顔をしかめながらも静かに振り向く。

「全然来てくれないから、寂しかったです」

 夕霧は気持ちとは全く裏腹な言葉を口から漏らし、にっこりと微笑んで見せる。華奢な体を太く脂肪の付いた腕が包むが、夕霧には布越しに伝わる体温でさえ不快であった。すまない、仕事が立て込んでいて、などと気にしてもいないことの言い訳をだらだらと発する。仕事が一生立て込んでいればいいものを、と夕霧は顔を歪ませ、会いたかったなどと気持ちの悪い言葉を発した自分の唇を噛んでいた。
 夕霧の顔は、悪くも男の胸板にあったので、男を睨みつける歪んだ顔は見られてはいなかった。

「さあ、可愛がってやろうな」
「旦那様……」

 雑談するような暇もなく布団に転がされ、太い指が夕霧の足を這う。夕霧の太ももの滑らかさを確かめるように、手の甲で執拗に撫でていった。絹のようにきめ細やかな肌に、ざらざらと荒れ汗で湿った手のひらが撫で回される。

 その虫の這うような感覚に夕霧は嫌悪しながらも、喉をきゅっと上げ少し高い声で鳴く。この客は、絶対着物を脱がさない。夕霧を男と再確認したくないのであろう、着物の裾をめくり、するだけの‘‘行為’’である。

 夕霧が四つん這いになり、後ろからはハアハアと熱さまで感じる吐息が夕霧のうなじに掛かる。その夕霧の細い首筋を、汚い舌でザラリと舐め、綺麗だよと掠れた声で男は言った。

 後れ毛まで巻き込んだ感覚に、夕霧は男を突き飛ばしたい感情になるが布団を強く掴み我慢する。その手を見れば、男は、気持ちいいのかいと見当違いなことを口にした。

 男の行為が頂点に近付くと吐息を吐く口が夕霧の耳に近づき、汚い声で、朝霧、と呟く。夕霧は、それを聞かぬふりをして、作った声で鳴く。旦那様、と甘い声を吐き、恋人ごっこを続けるのであった。


 行為が終わった後、男は布団に寝転がったまま煙管をふかしていた。夕霧はその様子を見て、東雲から出る煙はあんなに綺麗に見えるのに、これは何故こんなにも嫌に見えるのであろうかと、煙管を吸う男をまじまじと見ていた。

 その視線に気づいた男が夕霧に目をやる。なんだ、と短く問いかけると、何か話さねばと夕霧は口を開いた。

「煙管って、吸ったことないんです」

 話題作りに煙管を持っている男の手に触れようとした。その瞬間、パシッと部屋に乾いた音が響く。男が、夕霧の手を叩いた。じわりと、白い手が赤くなってゆく。

 いきなりのことに、夕霧は目を見開いた。

「朝霧はそんなこと言わなかった」
「あ……」

 ハア、と分厚く醜い唇から煙を吐く。私は、朝霧ではないのに。……抱かれる体ではないのに。言葉をぐっとこらえ、申し訳ありません、と手をしまった。

 時間が過ぎ、男を見送る。手を振る夕霧を、長い廊下の中で、一度も振り返らずに男は帰っていった。

 朝霧と重ねられ、夕霧として抱かれず、女としても見られず、男としても見られていないような惨めな感覚に夕霧は陥る。そんなことは日常茶飯事だったが、まだ心がすり減らない。

 早く擦り切れてしまえばいいものを、いっそののと、はやく心も涙も枯れてしまえと、叩かれた白い手をさする。ぼんやりと赤く腫れた手は、もう痛くなかった。

 朝霧でもなければ、女でもない。しかし、朝霧と重ねられ、女として扱われる。

「なんなんだろうな」

 女としてみるには、少し角ばった手に一滴涙が落ちた。
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