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飢えた怪人

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「待て!待ってくれ!か、金をやる!……だから殺さないでくれ!」

 帝都アルカには怪人がいる。夜闇に潜み、一人出歩く人を連れ去ってしまう怪人の噂。

「しー…静かに。私は別に、お金が欲しい訳ではないんだよ」

「なら、どうして…」

 怪人の口角が上がり、紅い目が怪しげに光る。怪人は恍惚としていた。眼の前で腰を抜かし、必死に命乞いをする中年の男。高そうな服で身を覆い、指には綺麗な宝石の埋め込められた指輪をはめている。男には帰りを待つ家族がいるのだろう。家族は男の帰りをいつまでも待ち続けるのだ。なんと美しいことか、なんと素晴らしいことか。怪人の右手に持つナイフに男の顔が写る、恐怖に歪んだ顔だ。

「私はただ、愛されたいだけだよ」

「…は?」

「今から自分を殺す相手のことを考えないやつはいないだろ?恐怖でも、憎悪でも、何だっていいんだ。私のことを考え、愛してくれる。君も私を愛してくれるのだろう?」

 怪人は依然として恍惚とした様子のままそう語った。男は何も言えなかった。眼の前の怪人が何をいっているのか、理解したいとも思えなかったのだ。

「さぁ、そろそろ死んでもらおうか」

 怪人が一歩ずつ、男の恐怖を堪能できるよう出来るだけゆっくりと近付いていく。男は腰が抜けて立つことができない。地面を這い、怪人から離れようと必死にもがく。

「いや、いやだ…私はまだ死ぬわけには…アンネ、ネル、私は家に帰…」

「がッ…」

「駄目だろ?私だけを愛さなくちゃ」

 喉を一刺し、男は絶命した。喉に空いた穴から流れる血が、その場に血溜まりをつくる。そのまま放置すれば、殺人事件の犯人として捕まってしまうが、怪人には今までもこうして事件の証拠を隠し続けた能力があった。

「さて、次を探そうか」

 夜の闇にまぎれ、灰が空を舞う。強い風に乗せられ、何処かへと運ばれていくのだ。



「ハルソン団長、少しお話が…」

「聞こう」

  その団員、副団長ザックが話したのは、例の怪人事件についてだった。昨晩、四人の行方不明者が出た。貴族が一人、平民が二人、中堅の冒険者が一人。しかし、届けが出ていないだけで昨晩の被害者は五人だろう。怪人はいつも五人なのだ。

「手練れの冒険者でさえ、怪人にはやられてしまうのか、一体何者なんだ」

「一切の痕跡を残さない犯行、故に誘拐か殺人かもわからないこの事件。そんな事が個人にできているのだとしたら、怪人は本物の化け物ですよ」

「いや、怪人は間違いなく人間だ。人ならば、いつか隙を見せる。その隙を逃すな」

 十年、ハルソンは帝都を守るため多くの凶悪犯罪者達と戦ってきた。だからこそ、この言葉には部下たちに有無を言わせぬ説得力があった。しかしその効果は、一度目までに限る。

「そうやって…捜査を任されてから三ヶ月、行方不明者は二十五人に達しましたよ。いい加減見つけないと、我々の首が飛びます」

 事実、怪人に関する情報は何一つとして集まってはいなかった。犯行の周期に規則性は無い、怪人の行動範囲も広く、帝都中で行方不明者が出ている。この情報が民衆に知れ渡れば騎士団の信用はなくなってしまうだろう。

 ハルソンは短く切られた銀髪の頭を掻き、うめき声を上げ言った。

「分かった。では、人員を増やせ。帝都中に騎士を配置し、夜の街で張り続けるんだ」

「それ、自分もやります?団長…」

「当たり前だ。俺も出る」

「はい…」

 ザックが肩を落としながら団長室を後にする様を見届けたハルソンは足を組んで椅子に腰掛けると大きなため息混じりに呟いた。

「実力だけは良いんだがな…」



「き、貴様!武器を捨てろ!」

「五人目、今日は君が最後だ」

 騎士、騎士、騎士、今宵は騎士ばかりだ。少し殺しすぎてしまったようだ。騎士は胸の前に剣を構え、怯えた表情で私の出方を伺っている。

「非常に残念な事だが、君にはつまらない死に方をしてもらわなければならない」

 全てを塵にする能力。能力の射程範囲こそ短いが、触れることなく"全て"のものを塵に変えられる。生き物を容易に殺すことのできる恐ろしい力、私のような人間には良くあった能力だ。

「な、あぁ、腕が!痛い、痛い痛いぃ!!」

 しかし、対象に激痛を与えてしまうところが難点だ。痛みによる悲鳴は美しくない。身体が完全に崩れ去るまで十秒。対象はその十秒間、この世のものとは思えないほどの激痛を味わうことになるのだ。

「かぁさん、助けて、まだ死にたくない!…あぁ」

 やがて、その騎士の身体は完全に崩れ去った。はらはらと塵が舞い、肩に降りかかる。私は塵の降りかかったコートをそのままに、歩き始めた。

「君、どうしたのかな?」

 私がその少女を見つけたのは、よく利用する薄暗い路地裏でだった。壁を背に座り込む少女は、帝都にある唯一の学校の制服を着ている。そこで私は少女に違和感を覚えた。膝を抱える腕が細すぎるのだ。私は少女の前に腰を下ろし聞いた。

「…」

 帰ってきたのは沈黙だ。少女は顔を膝に埋めたまま微動だにしない。

「こんな場所に一人でいては危ない。家に帰りなさい」

「帰る場所、ないです…」

 少女が初めて言葉を返した。

「あの人が、お前なんていらないって…放り出されてしまいました。」

 あの人、少女の言うあの人とは恐らく親のことだろうと私は考えた。過去の忌々しい記憶が私にそう告げている。眼の前の少女は私のように沢山虐げられてきたのだろう。

「なら、私の家に来なさい。このような場所ではいつ悪い男に襲われてしまうかも分からない。それに、その薄着では寒いだろう」

 気が付けば私は、少女に手を差し伸べていた。過去の私と同じ境遇にある眼の前の少女に同情したのかもしれない。とにかく私は、眼の前の少女を放っておけなかったのだ。

「……願いします」

 少女が私の手を取り、立ち上がる。そうして漸く顔を上げた彼女の表情は不安に満ちていた。私のような人間について行こうとしているあたりその不安は正解だろう。私はあえて何も言わずに歩き始めた。

「ほら、寒いだろ?私のコートを羽織るといい」

「あ、ありがとうございます」

 かかっていた塵を払い、小刻みに震える少女に私のコートをそっと被せる。急激に冷えた体温に、私は少しばかり震えながら歩き出した。






 

 










 



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