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飢えた少女

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「…大きいですね」

「一応、貴族の生まれなんだ。今は私一人しか残っていないけどね」

 少女は私の住む屋敷を見て驚きの声をあげた。門から入り口まで数十メートルはあるし、苔で覆われてさえいなければ立派に見えたであろう噴水だってある。もっとも、先述のとおり私は一人暮らしなのでこの無駄に広い家は色々と勝手が悪いのである。

「こんなに広い屋敷で一人暮らしなんですか?」

「あぁ、私は極端に人付き合いが苦手でね。一人のほうが快適なんだ」

 玄関までの長い道を歩きながらそんな話をしていると、突然少女は立ち止まった。

「私は…迷惑でしょうか?」

 しばらくの沈黙、私は黙る少女の姿を見つめるとクスッと笑った。

「私がついてきなさいと言ったのに、迷惑なわけがないだろう。こう見えて私は人を助ける仕事をしているんだ。遠慮しなくていい。ほら、そんなところで止まってないで早く帰ろう」

 その時、少女の心で不足していた何かが育まれた。まだまだ小さく、その正体に気が付くのには時間がかかるだろうが、少女は生まれて始めてそれを手にしたのだ。

「……はい!」

 初めて見た少女の笑顔。辛い思いをしてきたことは話の中で察してはいた。しかし、ここまで酷いとは思わなかった。少女の笑顔はほとんど無表情に近く、口角がピクピクと震えている。私にはわかった。少女は、笑顔の作り方を知らないのだ。

「見ての通り、部屋はあまりに余っている。基本的にはどの部屋を使ってもらっても構わない」

 屋敷の中に入ると少女からコートを受け取りながらそう説明した。

「ほ、本当にいいんですか?」

 屋敷の中に入ると、外から見えていたよりも部屋の多さが目立つ。少女はホールから屋敷の内部を一望すると少し震えながら私の方へ向き直った。

「あぁ、余ってるからね。ただ、一つだけ約束してほしいことがある」

「はい」

「私の部屋の隣、この屋敷の端にある部屋は決して入ってはいけない。一応入れないようにはしてあるけれど、もし入ってしまうと…」

「入ってしまうと…?」

「…とにかく危ない目に遭う。だから絶対に入ってはいけないよ」

「わかりました」

 以前、掃除に来てもらった人は私の不注意で"それら"を見てしまった。本当に申し訳ないことだが、その時は塵になってもらった。しかし、謙虚で礼儀正しい少女ならば心配の必要はないだろう。

「えーと、あれ?そういえばまだ君の名前を聞いていなかったね。私は…ジョンソン=ダリだ。……名前以外ならどう呼んでもらっても構わない」

「私はリゼ=フィーアです。よろしくお願いします、お…お父さん!」

 リゼの声がホール中に響く。私は少し驚いて、リゼの顔を見ると、リゼは真赤になって私の顔を上目遣いで覗き込んでいた。

「お、お父さんか…まぁ好きに呼んでいいと言ったのは私だからな……よろしく、リゼ」

 それからは私は、リゼに調理場と食材は好きに使ってもらって構わないと伝え、一人先に眠った。"お父さん"…私にとっても、きっと彼女にとっても、あまり良い存在ではない。



 痛い、痛い、痛い、痛い、苦しい…。ナイフで幾つも傷を作られ、傷口を何度も鞭で打たれた。「やめて!」何度も、そう叫び、助けを求めた。

「この悪魔が!!お前の能力が世間に知られれば、私達は破滅だ!どうして、生まれてきたんだ!」

 "お父さん"はいつもそう言って私に暴力を振るった。私はいつも死ぬ一歩手前まで痛めつけられ、ことが済めば地下室の牢屋に放り込まれた。何度も、何度も、私は間近に迫る死を感じた。しかし、私は死にきれない。"あいつ"がいたから。

「ハルソン、練習の時間だ。こいつを治しなさい」

「はい」

 ハルソン、実の兄だ。兄の能力は『治癒』で、ボロボロになった私を一瞬で治癒させていた天才だ。兄は何時も私に話しかけることなく、機械的に治療を終わらせて去っていく。

「兄さん、助けてよ!兄さん!」

「ちっ、もうそんなに騒げるのか。そうだ、お前に悲しい知らせがある」

「ハルソンがな、騎士養成学校に特待生として招かれることが決まったんだ。お前を痛めつけるのは楽しかったが、もうこれまでだ。」

「嫌だ!助けて、助けてよ…兄さん……」



 強い痛みで、目が覚めた。忌々しい過去の夢、気分の悪い目覚めだ。私は頭痛に頭を抱えながら部屋を出て、調理場へと向かった。

「リゼは…もう起きているかな」

 調理場に入ると、私は驚きのあまりその場に立ち尽くした。私は何が起きたのかと理解が追いつかないまま調理場を見渡した。違和感、そのような程度の話では断じてない。数日までとはすべてが違って見えた。

「綺麗だ…」

 食材を扱う場所として最低限の事はしていたが、それでも所々壊れてきていたり、油などの掃除が面倒な汚れが目立ってきていた近頃。なんと、朝起きてみれば調理場は生まれ変わっていた。

「あ、お父さん」

 ふと後ろから声をかけられる。私は完璧な百八十度ターンを決めるとその声の主、リゼの両肩を掴んだ。

「リゼがこれをやってくれたんだな!凄いじゃないか!ありがとう、ありがとう!」

「ふぇ?」

「朝に汚い調理場を見るのが私にはかなり大きなストレスだったんだよ。本当にありがとう、良い気分だ」

 いつの間にか自分が沈んでいた気分はすっかり晴れていた。一晩のうちに調理場を生まれ変わらせたリゼの技は、悪夢を吹き飛ばすほどのものだった。

「あ、ありがとうございます!…その」

「どうした?」

「ご飯も作ってみたんです。どうですか?」

「いただこう!」

 掃除の達人で、料理まで出来る、そんな万能少女がリゼだった。冷蔵庫の中に残されていた食材を使ったありあわせの料理、今まで食べたことのない至上の味だった。

「美味しい…リゼ、もしかして君は家事万能とかそんな感じの能力者なのか?」

「いえ?私は『修理』の能力者です。壊れたものを綺麗に直せる少し便利な能力です」

 合点がいった。ボロボロだったところが修復されていたのは能力によるものだった。しかし、そこで私は恐ろしい事実に気が付く。

「では、リゼは人力で家事万能なのか?」

 リゼは顔を少し赤らめ、恥ずかしそうに言った。

「流石に、万能ですはないですけど…大体のことは出来ます。ずっとやってきたので…」

「そうか…リゼ、良ければ今晩も料理を振る舞ってはくれないか?」

「は、はい!わかりました!」

 そうしてリゼの料理を堪能したあと、私は仕事へ行く支度を始めた。

「仕事は、割とすぐに終わるんだ。今日は寄り道する用もないし、夕方頃には帰ってくるよ」

 本当は今日も寄り道をする予定ではあったのだが、美味しい料理が待っているというのに、わざわざ手を汚して帰る必要はない。

「お仕事、頑張ってください」

「あぁ、行ってくる」



 






























 
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