113 / 276
第5章「神々集いし夢牢獄」
112話 嘘吐きの優しさ
しおりを挟む
気づけば、吹雪は弱まり元の粉雪に戻っていた。もう片方の戦いの音も止んでいる。
アリアたちの方は、うまくやれたのだろうか。呆然とそう思っていたら、セルジュさんが慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「こっちはどうにかなりました! あの、メレディスさんはどうなったですか?」
「セルジュさん……戦いは、終わったよ」
こちらの重たい空気を察したのか、一気に顔から血の気が引いた。アルバトスとレイチェルさんの近くに歩み寄って、すべてを理解したようだ。
「……そう、ですか……もっとたくさん、話したいことがあったのに……」
その場に崩れ落ち、アルバトスたちのようにさめざめと泣き始めた。
葬儀会場のような雰囲気に包まれる中、ギャーギャーと喚く声が近づいてきた。アリアがラケルの首根っこを掴み、引きずりながらこちらへ近づいてきたのだ。
「終わったよー。こっちは……うん、何も言わない方がいいね」
「っ!! お前ら……メリーを殺したの!? エルを殺したときもこうやったのかよ……ひとでなし共!!!」
アリアの拘束から逃れようと叫び、暴れ続けるラケル。その場にいた誰もが、ラケルに冷たい視線を向けた。
メレディスさんやエルザさんの幻影を生み出したのはシファのようだが、そもそもの話ラケルはこの事件の首謀者だ。誰も許すはずはないし、罵られるいわれもない。
私はたまらなくなった。誰よりも先に息を大きく吸い込み、叫んだ。
「あんたが死者の復活なんて考えるからだ!! そんな曖昧なものに縋ったあんた個人の気持ちのせいで、どれだけの子供や神が傷ついたと思ってるの!? 責任転嫁も大概にしなさいよ!!」
「個人の気持ち……ねぇ。君が言える立場なのかなぁ?」
額から、四肢から血を流し続けるラケルの笑みは、いつにも増して不気味だった。奴は他の誰でもなく、私だけを見ていた。
「ぼく、知ってるよ。君のお友達……メアだっけ? あの子は君を守るために、君を傷つけていた同期を殺したんだよ? これは容認しちゃうわけ?」
────何、その話?
何も答えられない私に向かって、甲高い声とともに嘲笑ってきた。思考が硬直したままの私は、シュノーに揺らされても反応を返せなかった。
「キャハハハハ!! その調子だと図星!? 自分のことは棚に上げるの!? だとしたら、君も君を傷つけた奴らと同じだよ!? それでいいわけ!?」
「違うよ、ユキアは何も知らないだけ! 記憶がないんだから仕方がないでしょ!」
「お前、いい加減に黙れよ!! このくそピエロ!!」
「そうっスよ!! 言い方とかあるでしょ!! やっぱアンタの劇場は跡形もなくぶっ壊す!!」
ノインも、アルバトスも、オルフさんも怒っていた。当の私は言葉を失うばかりで、何も言い返せない。
記憶がない……私はようやく、自分の記憶の正体に気がついた。一部、穴が開いたようになくなっていた記憶は……メアのことだったんだ。
なぜ、あの事件のときにメアに話せなかったのだろう。いや、でもあの状況下では仕方がなかった。メアを救うのに必死だったから、自分のことなんて後回しだった。
「あーもう、みんな落ち着いて! 怒ったってどうしようもないでしょ!」
「あばばばばばば!?」
アリアがラケルを持ち上げ、首根っこを掴んだままぶんぶん振り回す。そこで笑い声も怒鳴り声も、全部静まり返った。
「この世界にいつまでも居座っていたって、外で待ってるみんなを心配させるだけだよ! あとはこいつを脅して、外に出してもらってからにしようよ!」
「あ……まあ、そうですよね……」
セルジュさんが引き気味ながらも答えていた。アリアは武器が両手剣ということもあり、腕っぷしが強い方だ。細い腕でありながら神一人を宙で振り回せるのだから、やられる方はひとたまりもないだろう。
そんな光景を見ていたら、なんだか気が済んだ。
「大丈夫、ユキア?」
「……平気。ちょっと度肝を抜かれただけだから、心配しないで」
シュノーは心配そうに私を見ていたが、首を横に振って笑っておいた。これ以上、みんなに心配をかけたくはない。
さて、戻るのはラケルにやらせるとして……少し話をしておきたいひとがいる。シュノーから離れ、そのひとに近づいた。レイチェルさんは私を見ると慌てて立ち上がり、ばつの悪そうな顔を浮かべる。
「レイチェルさん、だっけ。あなたはここに残るの?」
「え? あ……どうしよう……」
『キミの好きなように決めればいい。ラケルも含めて、キミの人生だからな』
オルフさんに支えられたルマンさんが答えた声色は、今まで聞いたどの言葉よりも優しいものに聞こえた。私だけでなく、オルフさんも静かに目をぱちくりさせている。
レイチェルさんはしばらく黙り込んでいた。ラケルとまったく同じピエロなのに、こちらはどうも気弱な印象だ。
「……もし、ここにいることを選んだら、マロンとはもう会えないの?」
『そうかもな。でも、レイチェルがどうしても外に出たくないのなら、無理に出ろとは言わないよ』
言葉を丁寧に咀嚼するように、うんうんと首を振る。時折、粉雪が降り続ける空を見上げては、私たちへと目を向けたりする。随分と迷っているらしかった。
だが、最後にはにこりと微笑んだ。
「……レイは、この世界に残る。でも、いずれはここから自分の足で出るつもり。ラケルと話をしないと、だから」
「そうっスか。もし終わったら、ルマン……あ、マロンだっけ? とにかく、オレたちのところに来てくれればいいっスからね」
「そっか……うん。そのときが来たら、よろしくです。そして……本当に、ごめんなさい」
深く頭を下げられ、返答に困ってしまった。そんな中、アリアの呼び声が少し遠くから聞こえてきた。
いつの間にか、宮殿方面の道の真ん中に鈍色の空間が出現していた。この繁華街に来る前に通ったのと同じものだ。ラケルはアリアに捕まったまま、異空間のそばで行先を指さしていた。
「ぼくちんとレイチェル以外は、ここから現実に戻れるよ~。さっさと戻ったら~?」
「あ゛? お前、現実に戻ったら覚悟しろよ? 本当に許さねぇからな」
「ちょっと、アルバトス! あんたはソル持ってけ!」
「シュノーは寝ぐせ男持ってく。結局、最後まで寝たまんまだったね、第三部隊長さん」
元ヤンらしくガンを飛ばしつつも、ノインがズルズルと引っ張るソルを抱え上げ、異空間へと足を踏み入れる。シオンを背負ったシュノーも、ノインと一緒にアルバトスの後を追った。
異空間の前まで、私たちは歩いていく。セルジュさんはラケルを呆然と眺めていたが、私たちに気づくとはっと息を飲んだ。
「ユキア、オルフ、ルマン……それに、えっと」
「あ……レイチェル、です。この度は、本当にごめんなさい。謝罪してもしきれません……」
私たちに頭を下げたときと同じように、レイチェルさんは陳謝する。やらかしてくれた当の本人は、むすっと頬を膨らませたままなのが腹立たしい。
しかし、セルジュさんは何も言葉を返せず、俯くだけだった。
「……別に、謝罪が欲しいわけじゃないです。あなたが悪いわけじゃないんでしょうけど……なんて言ったらいいかわからないです」
「セルジュ先輩、疲れてるんスよ。早く戻りましょう」
『ああ。じゃあな、レイチェル、ラケル』
セルジュさん、オルフさんたちが背を向け、異空間の先へと消えていく。一人、また一人と夢牢獄から出ていく。最後は、私とアリアだ。
ただ、私だけが入口の前に立っているのに、アリアがずっとラケルを捕まえたままなのが気になった。もう暴れてはいないのに。
「置いていかないの?」
「んなわけ。ぽいっとな!」
ひとを扱っているとは思えないくらい適当に、乱暴にラケルを地面へ投げ捨てた。そしてアリアは私の背を押して、さっさとこの場を去ろうとする。
しかし、私は少しだけ待つように言った。やっぱり、言われっぱなしじゃ悔しい────ただそれだけの気持ちだ。
「現実に戻ったら、真実を見ることにするよ。あんたの言う通りにならないように」
「……あっそ」
「じゃあね。言いたいことはそれだけだから」
今度こそと言わんばかりに、アリアは私を異空間へ押し込んだ。それからはもう、振り返らないことにした。
私たちを最後に、異空間は雪景色と化した繁華街を遮断した。そこからまっすぐ進んだ先には、見慣れた温かい繁華街の様子が広がっている。
*
誰もいなくなった夢牢獄は、ピエロだけの世界となった。白銀の雪化粧で色を失った街の真ん中で、片方のピエロは地面に倒れ込み、もう片方はその場に立ち尽くしたまま動かなかった。
やがて、倒れ込んでいるピエロの方へ、もう片方が近づいた。
「……ラケル。大丈夫……?」
おずおずと手を差し伸べるが、その手を取ることなくピエロは起き上がる。ラケルと呼ばれたピエロの少女は、もう一人の彼女──レイチェルを見上げる。先程まで若い女神に向けていたものではない、自嘲を含んだ目をしていた。
「あはは……やっぱりね。壊れたぼくを理解してくれるのは、レイチェルだけだ」
その言葉に、レイチェルは何も返せなかった。ラケルに対する他の神々の目の冷たさを思い出せば、それはどうしようもないことだった。
ラケルは座り込んだまま俯き、口を開く。
「多分、なんだけど。ぼくとレイチェルが話せるのは、これで最後になると思う」
「え……? どういうこと?」
「アリアちゃんの目見た? 表向きは笑ってたけど、目がマジだったよ。さすがに、喧嘩売りすぎたかも」
また、力なく笑った。レイチェルはどうしようもなく不安だった。
今まで大きく揺らいでも、なんとか保たれていたラケルの自信が、また大きく崩れ去ろうとしている。そして、今目の前で起ころうとしている崩壊は、今までよりも遙かに深刻だということに気づく。
「ごめんね、レイチェル。生まれた頃からずっと、君を苦しめ続けてきた。もっと器用に生きられたらよかったんだけどな」
「ううん、悪いのはレイの方だよ! レイが弱くて、自分だけ閉じこもったからいけないの! ラケルは何も────」
「そういうの、もうやめなよ。ぼくがいなくなったら、誰にも寄りかかれない世界で生きなきゃいけないんだよ」
赤い目を見開き、固まってしまう。レイチェルには、ラケルの言葉の意味をすぐに理解することができなかった。
「ぼくちん、嘘吐きだからさ。他人の嘘も、なんとなくわかるんだ。命令に背くどころか事件を起こす神なんて、失敗作同然だもの。きっと処分されるよ、『デミ・ドゥームズデイ』の犯人と同じようにね」
「そ、そんな……嘘。最後なんて嘘! レイたち、離れたことないもの! レイとラケルは、一緒に死ぬの! それは絶対変わらないの!!」
何の疑いもない、さもそれが当然だと言い張るような強い口調だった。レイチェルは、ラケルといつまでも繋がることを望んでいる。それを当たり前のように理解していた。
だからこそ、幾ばくの間だけ口をつぐんでしまった。
「…………。そう、だよね。レイチェルとぼくは、今までもこれからも、ずっと一緒……だもんね」
二人は手を握り合った。同じ顔に、同じ色合い、同じ服。ただ違うのは────信念と気質、そしていつの間にか決まった生き方。
レイチェルは途切れることのない涙を流す。自嘲の笑みを絶やすこともできず、ラケルはただ泣きじゃくる彼女の身体を抱きしめた。
「約束……守ってあげられなくて、ごめん」
か細い声は、雪の降る鈍色の空へと消えていく。そして静かに、緩やかに、夢牢獄と呼ばれた世界は死んでいった。
アリアたちの方は、うまくやれたのだろうか。呆然とそう思っていたら、セルジュさんが慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「こっちはどうにかなりました! あの、メレディスさんはどうなったですか?」
「セルジュさん……戦いは、終わったよ」
こちらの重たい空気を察したのか、一気に顔から血の気が引いた。アルバトスとレイチェルさんの近くに歩み寄って、すべてを理解したようだ。
「……そう、ですか……もっとたくさん、話したいことがあったのに……」
その場に崩れ落ち、アルバトスたちのようにさめざめと泣き始めた。
葬儀会場のような雰囲気に包まれる中、ギャーギャーと喚く声が近づいてきた。アリアがラケルの首根っこを掴み、引きずりながらこちらへ近づいてきたのだ。
「終わったよー。こっちは……うん、何も言わない方がいいね」
「っ!! お前ら……メリーを殺したの!? エルを殺したときもこうやったのかよ……ひとでなし共!!!」
アリアの拘束から逃れようと叫び、暴れ続けるラケル。その場にいた誰もが、ラケルに冷たい視線を向けた。
メレディスさんやエルザさんの幻影を生み出したのはシファのようだが、そもそもの話ラケルはこの事件の首謀者だ。誰も許すはずはないし、罵られるいわれもない。
私はたまらなくなった。誰よりも先に息を大きく吸い込み、叫んだ。
「あんたが死者の復活なんて考えるからだ!! そんな曖昧なものに縋ったあんた個人の気持ちのせいで、どれだけの子供や神が傷ついたと思ってるの!? 責任転嫁も大概にしなさいよ!!」
「個人の気持ち……ねぇ。君が言える立場なのかなぁ?」
額から、四肢から血を流し続けるラケルの笑みは、いつにも増して不気味だった。奴は他の誰でもなく、私だけを見ていた。
「ぼく、知ってるよ。君のお友達……メアだっけ? あの子は君を守るために、君を傷つけていた同期を殺したんだよ? これは容認しちゃうわけ?」
────何、その話?
何も答えられない私に向かって、甲高い声とともに嘲笑ってきた。思考が硬直したままの私は、シュノーに揺らされても反応を返せなかった。
「キャハハハハ!! その調子だと図星!? 自分のことは棚に上げるの!? だとしたら、君も君を傷つけた奴らと同じだよ!? それでいいわけ!?」
「違うよ、ユキアは何も知らないだけ! 記憶がないんだから仕方がないでしょ!」
「お前、いい加減に黙れよ!! このくそピエロ!!」
「そうっスよ!! 言い方とかあるでしょ!! やっぱアンタの劇場は跡形もなくぶっ壊す!!」
ノインも、アルバトスも、オルフさんも怒っていた。当の私は言葉を失うばかりで、何も言い返せない。
記憶がない……私はようやく、自分の記憶の正体に気がついた。一部、穴が開いたようになくなっていた記憶は……メアのことだったんだ。
なぜ、あの事件のときにメアに話せなかったのだろう。いや、でもあの状況下では仕方がなかった。メアを救うのに必死だったから、自分のことなんて後回しだった。
「あーもう、みんな落ち着いて! 怒ったってどうしようもないでしょ!」
「あばばばばばば!?」
アリアがラケルを持ち上げ、首根っこを掴んだままぶんぶん振り回す。そこで笑い声も怒鳴り声も、全部静まり返った。
「この世界にいつまでも居座っていたって、外で待ってるみんなを心配させるだけだよ! あとはこいつを脅して、外に出してもらってからにしようよ!」
「あ……まあ、そうですよね……」
セルジュさんが引き気味ながらも答えていた。アリアは武器が両手剣ということもあり、腕っぷしが強い方だ。細い腕でありながら神一人を宙で振り回せるのだから、やられる方はひとたまりもないだろう。
そんな光景を見ていたら、なんだか気が済んだ。
「大丈夫、ユキア?」
「……平気。ちょっと度肝を抜かれただけだから、心配しないで」
シュノーは心配そうに私を見ていたが、首を横に振って笑っておいた。これ以上、みんなに心配をかけたくはない。
さて、戻るのはラケルにやらせるとして……少し話をしておきたいひとがいる。シュノーから離れ、そのひとに近づいた。レイチェルさんは私を見ると慌てて立ち上がり、ばつの悪そうな顔を浮かべる。
「レイチェルさん、だっけ。あなたはここに残るの?」
「え? あ……どうしよう……」
『キミの好きなように決めればいい。ラケルも含めて、キミの人生だからな』
オルフさんに支えられたルマンさんが答えた声色は、今まで聞いたどの言葉よりも優しいものに聞こえた。私だけでなく、オルフさんも静かに目をぱちくりさせている。
レイチェルさんはしばらく黙り込んでいた。ラケルとまったく同じピエロなのに、こちらはどうも気弱な印象だ。
「……もし、ここにいることを選んだら、マロンとはもう会えないの?」
『そうかもな。でも、レイチェルがどうしても外に出たくないのなら、無理に出ろとは言わないよ』
言葉を丁寧に咀嚼するように、うんうんと首を振る。時折、粉雪が降り続ける空を見上げては、私たちへと目を向けたりする。随分と迷っているらしかった。
だが、最後にはにこりと微笑んだ。
「……レイは、この世界に残る。でも、いずれはここから自分の足で出るつもり。ラケルと話をしないと、だから」
「そうっスか。もし終わったら、ルマン……あ、マロンだっけ? とにかく、オレたちのところに来てくれればいいっスからね」
「そっか……うん。そのときが来たら、よろしくです。そして……本当に、ごめんなさい」
深く頭を下げられ、返答に困ってしまった。そんな中、アリアの呼び声が少し遠くから聞こえてきた。
いつの間にか、宮殿方面の道の真ん中に鈍色の空間が出現していた。この繁華街に来る前に通ったのと同じものだ。ラケルはアリアに捕まったまま、異空間のそばで行先を指さしていた。
「ぼくちんとレイチェル以外は、ここから現実に戻れるよ~。さっさと戻ったら~?」
「あ゛? お前、現実に戻ったら覚悟しろよ? 本当に許さねぇからな」
「ちょっと、アルバトス! あんたはソル持ってけ!」
「シュノーは寝ぐせ男持ってく。結局、最後まで寝たまんまだったね、第三部隊長さん」
元ヤンらしくガンを飛ばしつつも、ノインがズルズルと引っ張るソルを抱え上げ、異空間へと足を踏み入れる。シオンを背負ったシュノーも、ノインと一緒にアルバトスの後を追った。
異空間の前まで、私たちは歩いていく。セルジュさんはラケルを呆然と眺めていたが、私たちに気づくとはっと息を飲んだ。
「ユキア、オルフ、ルマン……それに、えっと」
「あ……レイチェル、です。この度は、本当にごめんなさい。謝罪してもしきれません……」
私たちに頭を下げたときと同じように、レイチェルさんは陳謝する。やらかしてくれた当の本人は、むすっと頬を膨らませたままなのが腹立たしい。
しかし、セルジュさんは何も言葉を返せず、俯くだけだった。
「……別に、謝罪が欲しいわけじゃないです。あなたが悪いわけじゃないんでしょうけど……なんて言ったらいいかわからないです」
「セルジュ先輩、疲れてるんスよ。早く戻りましょう」
『ああ。じゃあな、レイチェル、ラケル』
セルジュさん、オルフさんたちが背を向け、異空間の先へと消えていく。一人、また一人と夢牢獄から出ていく。最後は、私とアリアだ。
ただ、私だけが入口の前に立っているのに、アリアがずっとラケルを捕まえたままなのが気になった。もう暴れてはいないのに。
「置いていかないの?」
「んなわけ。ぽいっとな!」
ひとを扱っているとは思えないくらい適当に、乱暴にラケルを地面へ投げ捨てた。そしてアリアは私の背を押して、さっさとこの場を去ろうとする。
しかし、私は少しだけ待つように言った。やっぱり、言われっぱなしじゃ悔しい────ただそれだけの気持ちだ。
「現実に戻ったら、真実を見ることにするよ。あんたの言う通りにならないように」
「……あっそ」
「じゃあね。言いたいことはそれだけだから」
今度こそと言わんばかりに、アリアは私を異空間へ押し込んだ。それからはもう、振り返らないことにした。
私たちを最後に、異空間は雪景色と化した繁華街を遮断した。そこからまっすぐ進んだ先には、見慣れた温かい繁華街の様子が広がっている。
*
誰もいなくなった夢牢獄は、ピエロだけの世界となった。白銀の雪化粧で色を失った街の真ん中で、片方のピエロは地面に倒れ込み、もう片方はその場に立ち尽くしたまま動かなかった。
やがて、倒れ込んでいるピエロの方へ、もう片方が近づいた。
「……ラケル。大丈夫……?」
おずおずと手を差し伸べるが、その手を取ることなくピエロは起き上がる。ラケルと呼ばれたピエロの少女は、もう一人の彼女──レイチェルを見上げる。先程まで若い女神に向けていたものではない、自嘲を含んだ目をしていた。
「あはは……やっぱりね。壊れたぼくを理解してくれるのは、レイチェルだけだ」
その言葉に、レイチェルは何も返せなかった。ラケルに対する他の神々の目の冷たさを思い出せば、それはどうしようもないことだった。
ラケルは座り込んだまま俯き、口を開く。
「多分、なんだけど。ぼくとレイチェルが話せるのは、これで最後になると思う」
「え……? どういうこと?」
「アリアちゃんの目見た? 表向きは笑ってたけど、目がマジだったよ。さすがに、喧嘩売りすぎたかも」
また、力なく笑った。レイチェルはどうしようもなく不安だった。
今まで大きく揺らいでも、なんとか保たれていたラケルの自信が、また大きく崩れ去ろうとしている。そして、今目の前で起ころうとしている崩壊は、今までよりも遙かに深刻だということに気づく。
「ごめんね、レイチェル。生まれた頃からずっと、君を苦しめ続けてきた。もっと器用に生きられたらよかったんだけどな」
「ううん、悪いのはレイの方だよ! レイが弱くて、自分だけ閉じこもったからいけないの! ラケルは何も────」
「そういうの、もうやめなよ。ぼくがいなくなったら、誰にも寄りかかれない世界で生きなきゃいけないんだよ」
赤い目を見開き、固まってしまう。レイチェルには、ラケルの言葉の意味をすぐに理解することができなかった。
「ぼくちん、嘘吐きだからさ。他人の嘘も、なんとなくわかるんだ。命令に背くどころか事件を起こす神なんて、失敗作同然だもの。きっと処分されるよ、『デミ・ドゥームズデイ』の犯人と同じようにね」
「そ、そんな……嘘。最後なんて嘘! レイたち、離れたことないもの! レイとラケルは、一緒に死ぬの! それは絶対変わらないの!!」
何の疑いもない、さもそれが当然だと言い張るような強い口調だった。レイチェルは、ラケルといつまでも繋がることを望んでいる。それを当たり前のように理解していた。
だからこそ、幾ばくの間だけ口をつぐんでしまった。
「…………。そう、だよね。レイチェルとぼくは、今までもこれからも、ずっと一緒……だもんね」
二人は手を握り合った。同じ顔に、同じ色合い、同じ服。ただ違うのは────信念と気質、そしていつの間にか決まった生き方。
レイチェルは途切れることのない涙を流す。自嘲の笑みを絶やすこともできず、ラケルはただ泣きじゃくる彼女の身体を抱きしめた。
「約束……守ってあげられなくて、ごめん」
か細い声は、雪の降る鈍色の空へと消えていく。そして静かに、緩やかに、夢牢獄と呼ばれた世界は死んでいった。
0
あなたにおすすめの小説
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います
とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。
食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。
もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。
ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。
ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる