ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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第5章「神々集いし夢牢獄」

112話 嘘吐きの優しさ

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 気づけば、吹雪は弱まり元の粉雪に戻っていた。もう片方の戦いの音も止んでいる。
 アリアたちの方は、うまくやれたのだろうか。呆然とそう思っていたら、セルジュさんが慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。

「こっちはどうにかなりました! あの、メレディスさんはどうなったですか?」
「セルジュさん……戦いは、終わったよ」

 こちらの重たい空気を察したのか、一気に顔から血の気が引いた。アルバトスとレイチェルさんの近くに歩み寄って、すべてを理解したようだ。

「……そう、ですか……もっとたくさん、話したいことがあったのに……」

 その場に崩れ落ち、アルバトスたちのようにさめざめと泣き始めた。
 葬儀会場のような雰囲気に包まれる中、ギャーギャーと喚く声が近づいてきた。アリアがラケルの首根っこを掴み、引きずりながらこちらへ近づいてきたのだ。

「終わったよー。こっちは……うん、何も言わない方がいいね」
「っ!! お前ら……メリーを殺したの!? エルを殺したときもこうやったのかよ……ひとでなし共!!!」

 アリアの拘束から逃れようと叫び、暴れ続けるラケル。その場にいた誰もが、ラケルに冷たい視線を向けた。
 メレディスさんやエルザさんの幻影を生み出したのはシファのようだが、そもそもの話ラケルはこの事件の首謀者だ。誰も許すはずはないし、罵られるいわれもない。
 私はたまらなくなった。誰よりも先に息を大きく吸い込み、叫んだ。

「あんたが死者の復活なんて考えるからだ!! そんな曖昧なものに縋ったあんた個人の気持ちのせいで、どれだけの子供や神が傷ついたと思ってるの!? 責任転嫁も大概にしなさいよ!!」
「個人の気持ち……ねぇ。君が言える立場なのかなぁ?」

 額から、四肢から血を流し続けるラケルの笑みは、いつにも増して不気味だった。奴は他の誰でもなく、私だけを見ていた。

「ぼく、知ってるよ。君のお友達……メアだっけ? あの子は君を守るために、君を傷つけていた同期を殺したんだよ? これは容認しちゃうわけ?」

 ────何、その話?
 何も答えられない私に向かって、甲高い声とともに嘲笑ってきた。思考が硬直したままの私は、シュノーに揺らされても反応を返せなかった。

「キャハハハハ!! その調子だと図星!? 自分のことは棚に上げるの!? だとしたら、君も君を傷つけた奴らと同じだよ!? それでいいわけ!?」
「違うよ、ユキアは何も知らないだけ! 記憶がないんだから仕方がないでしょ!」
「お前、いい加減に黙れよ!! このくそピエロ!!」
「そうっスよ!! 言い方とかあるでしょ!! やっぱアンタの劇場は跡形もなくぶっ壊す!!」

 ノインも、アルバトスも、オルフさんも怒っていた。当の私は言葉を失うばかりで、何も言い返せない。
 記憶がない……私はようやく、自分の記憶の正体に気がついた。一部、穴が開いたようになくなっていた記憶は……メアのことだったんだ。
 なぜ、あの事件のときにメアに話せなかったのだろう。いや、でもあの状況下では仕方がなかった。メアを救うのに必死だったから、自分のことなんて後回しだった。

「あーもう、みんな落ち着いて! 怒ったってどうしようもないでしょ!」
「あばばばばばば!?」

 アリアがラケルを持ち上げ、首根っこを掴んだままぶんぶん振り回す。そこで笑い声も怒鳴り声も、全部静まり返った。

「この世界にいつまでも居座っていたって、外で待ってるみんなを心配させるだけだよ! あとはこいつを脅して、外に出してもらってからにしようよ!」
「あ……まあ、そうですよね……」

 セルジュさんが引き気味ながらも答えていた。アリアは武器が両手剣ということもあり、腕っぷしが強い方だ。細い腕でありながら神一人を宙で振り回せるのだから、やられる方はひとたまりもないだろう。
 そんな光景を見ていたら、なんだか気が済んだ。

「大丈夫、ユキア?」
「……平気。ちょっと度肝を抜かれただけだから、心配しないで」

 シュノーは心配そうに私を見ていたが、首を横に振って笑っておいた。これ以上、みんなに心配をかけたくはない。
 さて、戻るのはラケルにやらせるとして……少し話をしておきたいひとがいる。シュノーから離れ、そのひとに近づいた。レイチェルさんは私を見ると慌てて立ち上がり、ばつの悪そうな顔を浮かべる。

「レイチェルさん、だっけ。あなたはここに残るの?」
「え? あ……どうしよう……」
『キミの好きなように決めればいい。ラケルも含めて、キミの人生だからな』

 オルフさんに支えられたルマンさんが答えた声色は、今まで聞いたどの言葉よりも優しいものに聞こえた。私だけでなく、オルフさんも静かに目をぱちくりさせている。
 レイチェルさんはしばらく黙り込んでいた。ラケルとまったく同じピエロなのに、こちらはどうも気弱な印象だ。

「……もし、ここにいることを選んだら、マロンとはもう会えないの?」
『そうかもな。でも、レイチェルがどうしても外に出たくないのなら、無理に出ろとは言わないよ』

 言葉を丁寧に咀嚼するように、うんうんと首を振る。時折、粉雪が降り続ける空を見上げては、私たちへと目を向けたりする。随分と迷っているらしかった。
 だが、最後にはにこりと微笑んだ。

「……レイは、この世界に残る。でも、いずれはここから自分の足で出るつもり。ラケルと話をしないと、だから」
「そうっスか。もし終わったら、ルマン……あ、マロンだっけ? とにかく、オレたちのところに来てくれればいいっスからね」
「そっか……うん。そのときが来たら、よろしくです。そして……本当に、ごめんなさい」

 深く頭を下げられ、返答に困ってしまった。そんな中、アリアの呼び声が少し遠くから聞こえてきた。
 いつの間にか、宮殿方面の道の真ん中に鈍色の空間が出現していた。この繁華街に来る前に通ったのと同じものだ。ラケルはアリアに捕まったまま、異空間のそばで行先を指さしていた。

「ぼくちんとレイチェル以外は、ここから現実に戻れるよ~。さっさと戻ったら~?」
「あ゛? お前、現実に戻ったら覚悟しろよ? 本当に許さねぇからな」
「ちょっと、アルバトス! あんたはソル持ってけ!」
「シュノーは寝ぐせ男持ってく。結局、最後まで寝たまんまだったね、第三部隊長さん」

 元ヤンらしくガンを飛ばしつつも、ノインがズルズルと引っ張るソルを抱え上げ、異空間へと足を踏み入れる。シオンを背負ったシュノーも、ノインと一緒にアルバトスの後を追った。
 異空間の前まで、私たちは歩いていく。セルジュさんはラケルを呆然と眺めていたが、私たちに気づくとはっと息を飲んだ。

「ユキア、オルフ、ルマン……それに、えっと」
「あ……レイチェル、です。この度は、本当にごめんなさい。謝罪してもしきれません……」

 私たちに頭を下げたときと同じように、レイチェルさんは陳謝する。やらかしてくれた当の本人は、むすっと頬を膨らませたままなのが腹立たしい。
 しかし、セルジュさんは何も言葉を返せず、俯くだけだった。

「……別に、謝罪が欲しいわけじゃないです。あなたが悪いわけじゃないんでしょうけど……なんて言ったらいいかわからないです」
「セルジュ先輩、疲れてるんスよ。早く戻りましょう」
『ああ。じゃあな、レイチェル、ラケル』

 セルジュさん、オルフさんたちが背を向け、異空間の先へと消えていく。一人、また一人と夢牢獄から出ていく。最後は、私とアリアだ。
 ただ、私だけが入口の前に立っているのに、アリアがずっとラケルを捕まえたままなのが気になった。もう暴れてはいないのに。

「置いていかないの?」
「んなわけ。ぽいっとな!」

 ひとを扱っているとは思えないくらい適当に、乱暴にラケルを地面へ投げ捨てた。そしてアリアは私の背を押して、さっさとこの場を去ろうとする。
 しかし、私は少しだけ待つように言った。やっぱり、言われっぱなしじゃ悔しい────ただそれだけの気持ちだ。

「現実に戻ったら、真実を見ることにするよ。あんたの言う通りにならないように」
「……あっそ」
「じゃあね。言いたいことはそれだけだから」

 今度こそと言わんばかりに、アリアは私を異空間へ押し込んだ。それからはもう、振り返らないことにした。
 私たちを最後に、異空間は雪景色と化した繁華街を遮断した。そこからまっすぐ進んだ先には、見慣れた温かい繁華街の様子が広がっている。

 *

 誰もいなくなった夢牢獄は、ピエロだけの世界となった。白銀の雪化粧で色を失った街の真ん中で、片方のピエロは地面に倒れ込み、もう片方はその場に立ち尽くしたまま動かなかった。
 やがて、倒れ込んでいるピエロの方へ、もう片方が近づいた。

「……ラケル。大丈夫……?」

 おずおずと手を差し伸べるが、その手を取ることなくピエロは起き上がる。ラケルと呼ばれたピエロの少女は、もう一人の彼女──レイチェルを見上げる。先程まで若い女神に向けていたものではない、自嘲を含んだ目をしていた。

「あはは……やっぱりね。壊れたぼくを理解してくれるのは、レイチェルだけだ」

 その言葉に、レイチェルは何も返せなかった。ラケルに対する他の神々の目の冷たさを思い出せば、それはどうしようもないことだった。
 ラケルは座り込んだまま俯き、口を開く。

「多分、なんだけど。ぼくとレイチェルが話せるのは、これで最後になると思う」
「え……? どういうこと?」
「アリアちゃんの目見た? 表向きは笑ってたけど、目がマジだったよ。さすがに、喧嘩売りすぎたかも」

 また、力なく笑った。レイチェルはどうしようもなく不安だった。
 今まで大きく揺らいでも、なんとか保たれていたラケルの自信が、また大きく崩れ去ろうとしている。そして、今目の前で起ころうとしている崩壊は、今までよりも遙かに深刻だということに気づく。

「ごめんね、レイチェル。生まれた頃からずっと、君を苦しめ続けてきた。もっと器用に生きられたらよかったんだけどな」
「ううん、悪いのはレイの方だよ! レイが弱くて、自分だけ閉じこもったからいけないの! ラケルは何も────」
「そういうの、もうやめなよ。ぼくがいなくなったら、誰にも寄りかかれない世界で生きなきゃいけないんだよ」

 赤い目を見開き、固まってしまう。レイチェルには、ラケルの言葉の意味をすぐに理解することができなかった。

「ぼくちん、嘘吐きだからさ。他人の嘘も、なんとなくわかるんだ。命令に背くどころか事件を起こす神なんて、失敗作同然だもの。きっと処分されるよ、『デミ・ドゥームズデイ』の犯人と同じようにね」
「そ、そんな……嘘。最後なんて嘘! レイたち、離れたことないもの! レイとラケルは、一緒に死ぬの! それは絶対変わらないの!!」

 何の疑いもない、さもそれが当然だと言い張るような強い口調だった。レイチェルは、ラケルといつまでも繋がることを望んでいる。それを当たり前のように理解していた。
 だからこそ、幾ばくの間だけ口をつぐんでしまった。

「…………。そう、だよね。レイチェルとぼくは、今までもこれからも、ずっと一緒……だもんね」

 二人は手を握り合った。同じ顔に、同じ色合い、同じ服。ただ違うのは────信念と気質、そしていつの間にか決まった生き方。
 レイチェルは途切れることのない涙を流す。自嘲の笑みを絶やすこともできず、ラケルはただ泣きじゃくる彼女の身体を抱きしめた。

「約束……守ってあげられなくて、ごめん」

 か細い声は、雪の降る鈍色の空へと消えていく。そして静かに、緩やかに、夢牢獄と呼ばれた世界は死んでいった。
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