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第5章「神々集いし夢牢獄」
95話 慾渦巻く道化
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武器の整備が終わった頃には、空は橙色に染め上げられていた。氷水を飲みながら本を読んでいたら、カトラスさんからガラスペンを返される。ペンの状態は元々そこまで悪くなかったのだが、心なしか表面のあまり目立たない傷がなくなっているように思えた。試しに剣に変形させたら、あらゆる損傷が修復されていた。
「これでしばらくは大丈夫じゃろう。整備はこれで終わりじゃ。仕事もあるじゃろうし、あとは帰ってもよいぞ」
「ありがとうございます」
ガラスペンを懐にしまい、鍛冶屋を去る。空も街も夕焼けに染まり、西日が熱く照りつけてくる。
神隠し事件以降、僕は一人で行動する機会が格段に減っていた。そんな中、こうして一人でキャッセリアをぶらぶらと歩くのは随分と久しぶりだ。
風は神隠し事件の頃よりも温かく感じた。そろそろ、新たな季節が訪れる頃だ────感慨深いと思いながら、繁華街を歩いていたときだった。
「うわああぁぁ!! クリムせんぱーーいっ!!」
大通りから離れようとしたタイミングで、聞き覚えのある声が僕を呼んだ。
ピンクゴールドのセミロングの髪と金色の鎖が巻かれた片羽を、激しく揺らしながら近づいてくる人影が見え、思わず立ち止まった。
「セルジュ? なんか、久しぶりだね」
「それどころじゃないです! 助けてください!」
ひどく慌てた様子で、僕の両肩をがしっと掴んでくる。首を傾げていたところに、もう一つ別の気配を感じた。
「ちょっと~、セルちゃ~ん! 逃げることないでしょ~」
セルジュの背中越しに、一人の神が飛び跳ねながら近づいてくるのがわかった。
紅紫色の癖毛だらけの髪と、左だけ隠された赤い目……何より、俗にいう「ピエロ」のようなふざけた格好をしている。
「あれぇ? オッドアイってことは、えーと……あっ、アーケンシェンのクリームくん!」
「君は……えっと」
「ぼくちんはラケル! 久々すぎて名前忘れちゃったの? ひどいよぉ~」
……ああ、この子がラケルか。
なんだか変だ。資料に書いてあった隊長であるはずなのに、いざ姿を目にすると得も言われぬ違和感を覚える。小隊長のイメージとは遠くかけ離れているような……。
「二人は仲良いの?」
「違いますよ、会うたびこっちが絡まれてるんですよ! 今日だって変なところに連れ込まれそうになるところでしたし!」
「……変なところ?」
「人聞きが悪いなぁ~。ぼくちんはただ、セルちゃんに楽になってもらいたかっただけなんだけど~」
ラケルの言葉の意味が、僕にはよくわからない。どういうことか尋ねてみると、ラケルはにんまりと微笑みを浮かべた。
「ぼくちんね~、劇場やってるの。相手が望むものを見せる夢劇場。そこにセルちゃんを誘ったんだけど、断られちゃってね~」
話によると、その劇場とやらは繁華街にあるらしい。必要なお金さえ払えば、魔法で好きな夢を見られてストレスがなくなる……らしい。
僕は世俗的なものに縁がない生活をしていたせいか、そんなものがあるという話は聞いたことがなかった。話だけ聞けばそこまで悪いものに思えない。
「セルちゃんはお金あるし、夢を見る権利だって十分あるよ? 周りのみんなも結構来てると思うんだけどな~」
「ゆ、夢なんて見ても虚しいだけです! 望んだ世界が本当になるわけじゃない……にーさんが帰ってくるわけじゃないです……」
向き合って正面から反論するも、声がみるみる弱々しくなっていき、俯いて黙り込んでしまった。ラケルは気の毒そうにセルジュを見つめるも、すぐにニコッと笑った。
「ぼくちん、知ってるよ? セルちゃんはずーっとつらい思いを抱えたまま生きてるんだよね。苦しみながら生きる必要はないよ。ぼくちんはセルちゃんを楽にしたい。それだけなんだから────」
……嫌な言葉だった。
無意識に身体が動き、気づいたときには、セルジュの肩に触れようとした手を振り払っていた。赤い目は一瞬だけ見開かれるも、すぐにおどけた顔に変わる。
「なぁに、クリームくん? 顔が怖いよ」
「ひとの過去にずけずけと踏み入るな」
「なんで? クリームくんには関係ないじゃん」
そんなことは当たり前で、まさにその通りだった。
ただ、ラケルの言動が気に入らなかった。他者の事情に平気で首を突っ込むような軽率さが、信じられないくらい非常識だ。
「君、本当は魔特隊の隊長なんでしょ。実力を持っていながら戦わない上に、変なやり方でお金を稼ぐなんて……」
「にゃはは~、真面目くんだねぇ~。ぼくちんはただ好き勝手やってるだけで、ひとの事情なんかどうでもいいんだよね!」
思ったよりも遥かにとんでもない奴だった。僕もセルジュも、返す言葉を見つけられない。
返答が返ってこないことに痺れを切らしたのか、ラケルは「ちぇー」と舌打ちしたような声を上げて踵を返す。
「ま、別になんでもいいけどさ! ぼくちん、近いうちにちょ~楽しいことする予定あるもんね~」
「楽しいこと?」
「明日にはわかるよ! じゃあね~」
小馬鹿にしたように捨て台詞を吐き捨て、その場から走り去っていった。夕日がみるみる落ちていき、街灯に明かりが灯り始める。
無言のまま、セルジュが僕を振り返る。夕暮れを侵食していく宵闇のように、内側から暗い感情が這い出てきている。
「先輩……付き合ってほしいところがあるのですが」
僕の手首を掴んだと思ったら、急に歩き出したので転びそうになった。僕の帰る方向とは真逆だ。
どこに連れて行くのかと思ったら、ただの酒場だった。この前、カルデルトとミラージュの調査に赴いた場所とは違う、比較的低価格な店である。こちらは集まる神の数も多い分騒がしく、マナーの悪い客もいるらしい。
セルジュに連れられるまま端のテーブル席に座り、セルジュはジントニックを頼んで、届いた瞬間にラッパ飲みする。
「────ああぁぁーもう!! なんなんですかラケルさんは!! 腹が立ちます!!」
ペースが早い分、すぐにできあがった。やけに興奮しており、大声で愚痴を吐き散らかす。
セルジュって、意外と大酒飲みなんだな……と思いつつ、時折なだめながら話を聞いていた。
「大体、なんでぼくに絡んでくるんですかねぇ!? 今となってはぼくの方が偉いんですけど! 第一小隊の隊長ですよ、こっちはぁ!?」
「偉いとか偉くないとか、そういう問題じゃないと思うけどな」
「じゃあなんです!? 年下だから!? それとも性格ですか!? ぼくは騙されやすいから、からかってるってことですかぁ!? ど~なんですかぁクリムせんぱ~い!?」
「さぁ……」
だんだん返事をするのも面倒になってきて、生返事とともにお茶を啜る。セルジュは何回も店員を呼びつけては、酒を煽っていた。
酒場の時計に目を遣った。いつもならもう帰る時間だ。弁当はいつも通り送られているだろうから夕飯の心配はいらない。ただ、あとで同居人に色々と突っ込まれそう。
時間とともに空きジョッキの数も増えてくる。入店から三十分経ったタイミングで、セルジュはジョッキに囲まれながら顔を突っ伏した。
「せ、セルジュ?」
「たらののみすいれす……きにしないれくらはい……」
顔が真っ赤で、林檎みたいだった。
水を頼んでゆっくり飲ませ、落ち着かせる。顔色は少しずつ元に戻るも、頬の赤らみはいつもより強いままだ。
「ラケルさん……昔はあんなひとじゃなかったです。もっと落ち着いてたと思うんですよね」
「変化したきっかけでもあるのかい?」
「さあ……ぼくはよく知りません。ただ、変わったのは『デミ・ドゥームズデイ』が起きて少し後だったらしい、という話は聞いたことがあります」
デミ・ドゥームズデイ────百年前に起きた厄災の名前だった。
いくら酔い潰れかけていたとはいえ、僕の顔色の変化には気づいたようでばつの悪い顔になった。
「あっ……ご、ごめんなさい。アーケンシェンのクリム先輩の前で、この話題は……」
「ううん、気にしないで。そんなタブーってほどじゃないから」
アーケンシェンや魔特隊が最前線で厄災に対応していたことは、事件を経験した者なら誰もが知っている。それゆえに気まずくなってしまう、ただそれだけのことだ。
「デミ・ドゥームズデイといえば……アリア先輩、あの出来事があってから変わってしまいましたよね。昔は、あんなに男の子に執着する性格じゃなかったはずです」
「うん……そうだね。昔はもっと純粋で、本当の姉みたいなひとだった」
「あの出来事以降初めて会ったとき、自分のことを忘れられててショックでしたよ。クリム先輩は、覚えててもらえたんですか?」
「……どうだったかな。忘れられてたかも」
当時のことはあまり思い出したくなかった。セルジュは俯いて、切なそうに目を閉じる。
「忘れられるって、悲しいですね。きっと……にーさんも、ぼくを忘れてるかもしれません」
「……ジュリオのことだね」
デミ・ドゥームズデイが起きた頃、世間は未曽有の混乱に陥っていた。その混乱に乗じてなのか、別の事件に巻き込まれたのか、行方をくらました神が何人かいた。セルジュの兄もその一人である。
行方不明になった神は、百年経った今でも誰一人見つかっていない。死体が見つかっていないだけで死んだ可能性もある。そのため、現在では捜索を打ち切らざるを得ない状態だった。
「ぼくはまだ、にーさんは生きているって信じてます。にーさんがもしぼくを覚えていてくれたら、きっとぼくの成長を喜んでくれると思いますから」
「……うん」
「断じて、クリム先輩のせいじゃありません。ぼくはアーケンシェンの皆さんのこと、信頼していますから」
ある程度話が落ち着いたので、自分のお茶の最後の一口を飲み干して店から出ることにした。セルジュはまだ飲みたそうだったが、これ以上は明日以降の業務に支障が出そうなので無理やり連れ出す。
既に空には月が浮かんでいた。僕とセルジュは帰る方向が正反対なので、店の前で別れることになる。
「クリム先輩。失ったものは、いつか取り戻せますよね?」
別れる際、彼は可愛らしい容貌のまま、決意を秘めた目つきをしていた。
年下の神がこうであるのだから、僕も強くあらねばいけないと思った。
「少なくとも、僕は取り戻せると信じてるよ」
未だ果たせていない約束を果たすためにも、僕が信じなくては示しがつかない。
「これでしばらくは大丈夫じゃろう。整備はこれで終わりじゃ。仕事もあるじゃろうし、あとは帰ってもよいぞ」
「ありがとうございます」
ガラスペンを懐にしまい、鍛冶屋を去る。空も街も夕焼けに染まり、西日が熱く照りつけてくる。
神隠し事件以降、僕は一人で行動する機会が格段に減っていた。そんな中、こうして一人でキャッセリアをぶらぶらと歩くのは随分と久しぶりだ。
風は神隠し事件の頃よりも温かく感じた。そろそろ、新たな季節が訪れる頃だ────感慨深いと思いながら、繁華街を歩いていたときだった。
「うわああぁぁ!! クリムせんぱーーいっ!!」
大通りから離れようとしたタイミングで、聞き覚えのある声が僕を呼んだ。
ピンクゴールドのセミロングの髪と金色の鎖が巻かれた片羽を、激しく揺らしながら近づいてくる人影が見え、思わず立ち止まった。
「セルジュ? なんか、久しぶりだね」
「それどころじゃないです! 助けてください!」
ひどく慌てた様子で、僕の両肩をがしっと掴んでくる。首を傾げていたところに、もう一つ別の気配を感じた。
「ちょっと~、セルちゃ~ん! 逃げることないでしょ~」
セルジュの背中越しに、一人の神が飛び跳ねながら近づいてくるのがわかった。
紅紫色の癖毛だらけの髪と、左だけ隠された赤い目……何より、俗にいう「ピエロ」のようなふざけた格好をしている。
「あれぇ? オッドアイってことは、えーと……あっ、アーケンシェンのクリームくん!」
「君は……えっと」
「ぼくちんはラケル! 久々すぎて名前忘れちゃったの? ひどいよぉ~」
……ああ、この子がラケルか。
なんだか変だ。資料に書いてあった隊長であるはずなのに、いざ姿を目にすると得も言われぬ違和感を覚える。小隊長のイメージとは遠くかけ離れているような……。
「二人は仲良いの?」
「違いますよ、会うたびこっちが絡まれてるんですよ! 今日だって変なところに連れ込まれそうになるところでしたし!」
「……変なところ?」
「人聞きが悪いなぁ~。ぼくちんはただ、セルちゃんに楽になってもらいたかっただけなんだけど~」
ラケルの言葉の意味が、僕にはよくわからない。どういうことか尋ねてみると、ラケルはにんまりと微笑みを浮かべた。
「ぼくちんね~、劇場やってるの。相手が望むものを見せる夢劇場。そこにセルちゃんを誘ったんだけど、断られちゃってね~」
話によると、その劇場とやらは繁華街にあるらしい。必要なお金さえ払えば、魔法で好きな夢を見られてストレスがなくなる……らしい。
僕は世俗的なものに縁がない生活をしていたせいか、そんなものがあるという話は聞いたことがなかった。話だけ聞けばそこまで悪いものに思えない。
「セルちゃんはお金あるし、夢を見る権利だって十分あるよ? 周りのみんなも結構来てると思うんだけどな~」
「ゆ、夢なんて見ても虚しいだけです! 望んだ世界が本当になるわけじゃない……にーさんが帰ってくるわけじゃないです……」
向き合って正面から反論するも、声がみるみる弱々しくなっていき、俯いて黙り込んでしまった。ラケルは気の毒そうにセルジュを見つめるも、すぐにニコッと笑った。
「ぼくちん、知ってるよ? セルちゃんはずーっとつらい思いを抱えたまま生きてるんだよね。苦しみながら生きる必要はないよ。ぼくちんはセルちゃんを楽にしたい。それだけなんだから────」
……嫌な言葉だった。
無意識に身体が動き、気づいたときには、セルジュの肩に触れようとした手を振り払っていた。赤い目は一瞬だけ見開かれるも、すぐにおどけた顔に変わる。
「なぁに、クリームくん? 顔が怖いよ」
「ひとの過去にずけずけと踏み入るな」
「なんで? クリームくんには関係ないじゃん」
そんなことは当たり前で、まさにその通りだった。
ただ、ラケルの言動が気に入らなかった。他者の事情に平気で首を突っ込むような軽率さが、信じられないくらい非常識だ。
「君、本当は魔特隊の隊長なんでしょ。実力を持っていながら戦わない上に、変なやり方でお金を稼ぐなんて……」
「にゃはは~、真面目くんだねぇ~。ぼくちんはただ好き勝手やってるだけで、ひとの事情なんかどうでもいいんだよね!」
思ったよりも遥かにとんでもない奴だった。僕もセルジュも、返す言葉を見つけられない。
返答が返ってこないことに痺れを切らしたのか、ラケルは「ちぇー」と舌打ちしたような声を上げて踵を返す。
「ま、別になんでもいいけどさ! ぼくちん、近いうちにちょ~楽しいことする予定あるもんね~」
「楽しいこと?」
「明日にはわかるよ! じゃあね~」
小馬鹿にしたように捨て台詞を吐き捨て、その場から走り去っていった。夕日がみるみる落ちていき、街灯に明かりが灯り始める。
無言のまま、セルジュが僕を振り返る。夕暮れを侵食していく宵闇のように、内側から暗い感情が這い出てきている。
「先輩……付き合ってほしいところがあるのですが」
僕の手首を掴んだと思ったら、急に歩き出したので転びそうになった。僕の帰る方向とは真逆だ。
どこに連れて行くのかと思ったら、ただの酒場だった。この前、カルデルトとミラージュの調査に赴いた場所とは違う、比較的低価格な店である。こちらは集まる神の数も多い分騒がしく、マナーの悪い客もいるらしい。
セルジュに連れられるまま端のテーブル席に座り、セルジュはジントニックを頼んで、届いた瞬間にラッパ飲みする。
「────ああぁぁーもう!! なんなんですかラケルさんは!! 腹が立ちます!!」
ペースが早い分、すぐにできあがった。やけに興奮しており、大声で愚痴を吐き散らかす。
セルジュって、意外と大酒飲みなんだな……と思いつつ、時折なだめながら話を聞いていた。
「大体、なんでぼくに絡んでくるんですかねぇ!? 今となってはぼくの方が偉いんですけど! 第一小隊の隊長ですよ、こっちはぁ!?」
「偉いとか偉くないとか、そういう問題じゃないと思うけどな」
「じゃあなんです!? 年下だから!? それとも性格ですか!? ぼくは騙されやすいから、からかってるってことですかぁ!? ど~なんですかぁクリムせんぱ~い!?」
「さぁ……」
だんだん返事をするのも面倒になってきて、生返事とともにお茶を啜る。セルジュは何回も店員を呼びつけては、酒を煽っていた。
酒場の時計に目を遣った。いつもならもう帰る時間だ。弁当はいつも通り送られているだろうから夕飯の心配はいらない。ただ、あとで同居人に色々と突っ込まれそう。
時間とともに空きジョッキの数も増えてくる。入店から三十分経ったタイミングで、セルジュはジョッキに囲まれながら顔を突っ伏した。
「せ、セルジュ?」
「たらののみすいれす……きにしないれくらはい……」
顔が真っ赤で、林檎みたいだった。
水を頼んでゆっくり飲ませ、落ち着かせる。顔色は少しずつ元に戻るも、頬の赤らみはいつもより強いままだ。
「ラケルさん……昔はあんなひとじゃなかったです。もっと落ち着いてたと思うんですよね」
「変化したきっかけでもあるのかい?」
「さあ……ぼくはよく知りません。ただ、変わったのは『デミ・ドゥームズデイ』が起きて少し後だったらしい、という話は聞いたことがあります」
デミ・ドゥームズデイ────百年前に起きた厄災の名前だった。
いくら酔い潰れかけていたとはいえ、僕の顔色の変化には気づいたようでばつの悪い顔になった。
「あっ……ご、ごめんなさい。アーケンシェンのクリム先輩の前で、この話題は……」
「ううん、気にしないで。そんなタブーってほどじゃないから」
アーケンシェンや魔特隊が最前線で厄災に対応していたことは、事件を経験した者なら誰もが知っている。それゆえに気まずくなってしまう、ただそれだけのことだ。
「デミ・ドゥームズデイといえば……アリア先輩、あの出来事があってから変わってしまいましたよね。昔は、あんなに男の子に執着する性格じゃなかったはずです」
「うん……そうだね。昔はもっと純粋で、本当の姉みたいなひとだった」
「あの出来事以降初めて会ったとき、自分のことを忘れられててショックでしたよ。クリム先輩は、覚えててもらえたんですか?」
「……どうだったかな。忘れられてたかも」
当時のことはあまり思い出したくなかった。セルジュは俯いて、切なそうに目を閉じる。
「忘れられるって、悲しいですね。きっと……にーさんも、ぼくを忘れてるかもしれません」
「……ジュリオのことだね」
デミ・ドゥームズデイが起きた頃、世間は未曽有の混乱に陥っていた。その混乱に乗じてなのか、別の事件に巻き込まれたのか、行方をくらました神が何人かいた。セルジュの兄もその一人である。
行方不明になった神は、百年経った今でも誰一人見つかっていない。死体が見つかっていないだけで死んだ可能性もある。そのため、現在では捜索を打ち切らざるを得ない状態だった。
「ぼくはまだ、にーさんは生きているって信じてます。にーさんがもしぼくを覚えていてくれたら、きっとぼくの成長を喜んでくれると思いますから」
「……うん」
「断じて、クリム先輩のせいじゃありません。ぼくはアーケンシェンの皆さんのこと、信頼していますから」
ある程度話が落ち着いたので、自分のお茶の最後の一口を飲み干して店から出ることにした。セルジュはまだ飲みたそうだったが、これ以上は明日以降の業務に支障が出そうなので無理やり連れ出す。
既に空には月が浮かんでいた。僕とセルジュは帰る方向が正反対なので、店の前で別れることになる。
「クリム先輩。失ったものは、いつか取り戻せますよね?」
別れる際、彼は可愛らしい容貌のまま、決意を秘めた目つきをしていた。
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