Take On Me

マン太

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4.いざ

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 俺が食べ終えた食器を片付けていると、誰かがリビングのドアを開けた。
 たけるが仕度を終え、戻ってきたのかと振り返れば、

「ああ。君が例の──」

 岳に負けず劣らないスラリとした長身の、眼鏡をかけた男が立っていた。
 洗い物をしていたせいで、玄関の物音に気づかなかったらしい。
 短めにカットされたハネのない黒髪に切れ長の瞳。上げた前髪の下、細い銀縁の眼鏡の向こうに見える眼差しは怜悧だが理知的だった。
 女性受けしそうな涼しげな男ぶりだ。

「えっと、あなたは…?」

「ああ。俺は岳の秘書をしている洲崎すざき真琴まことだ。よろしく。大和やまと君で良かったか?」

 そう言って洲崎は右手を差し出して来る。流れる様な動作には隙がない。
 俺は動揺を隠せず、慌ててタオルで手を拭くと、もたつきながら同じく右手を差し出した。

「は、はいっ、大和です。よろしく…お願いします」

 岳とはまた違う大人の雰囲気に妙に畏まってしまうが、洲崎は優しい眼差しを向け笑むと。

「そう緊張しなくていい。無理やりハウスキーパーにさせられたんだってな? 災難だったな」

「いや。親父の借金返すには他に手がなくて…」

「手がない…。タケがそう言ったのか?」

 おお。タケって岳の事か? ただの秘書って感じじゃないな。

 気易げな呼び方は、付き合いの長さを感じさせる。

「はい。俺みたいなの、水商売には向いてないって…。だから、ここで雇って貰って返してく約束に」

「フン…。あいつも分かりやすいな…」

「分かりやすい?」

 そのセリフにはて? となる。

「いや。こっちの話だ。まあ、タケに気に入られたと言うことだな」

「気に入られた…?」

 どこにもそんな気配は無かった様に思うが。面白がっているふうはある。
 すると洲崎は少し遠くを見るような目つきになって。

「ここは…タケの守るべき場所なんだ。そこに他人を入れるって言うことは、それなりに信用がないとな」

「守るべき、場所…」

 反芻すると、洲崎は首を振って。

「これ以上、俺から言うのはよそう。余計な事を言うなと怒られるからな」

「はぁ」

 思わせぶりな言葉に俺の興味はそそられるが、これ以上話す気はないのだろう。洲崎は口を閉ざしてしまう。俺は首をひねるばかり。

 信用って、会って間もないのに?

 まあ、あまりにも不審な奴は家に入れるわけないだろうが。
 そうこうしていれば、リビングにすっかり支度を整えた亜貴が現れた。相変わらず不貞腐れた様子で、ソファにどっかと座る。
 孫にも衣装と言うやつか。あの可愛げのない亜貴が、恐ろしく可愛げのある容姿となっていた。

「はぁ。制服の力か…」

「なに?」

 亜貴は文句あるのかと睨んで来るが。
 まあ、素がいいんだから、ぴしっとすれば倍増するのは当たり前で。

「もとがいいやつはどんな格好でも様になるよな? 黙っていれば、大モテだ」

「うっせーな。そんなの、どうだっていいんだよっ」

 憤慨する亜貴に俺はマジ? と突っかかる。

「だって、その年頃なら女子にモテたくて仕方ねぇだろ?」

  そこへ横合いから。

「亜貴はブラコンだからな? 外ではネコを被っているからモテるんだが、当の本人は全く無関心なんだ」

 横から洲崎が笑いながら口を挟んだ。厳しい顔が一気に緩んで、ギャップ萌する。

「余計な事言うんじゃねーよっ! 真琴。それにうちは男子校だし。関係ないって!」

「他校の女子にもモテてただろ? 去年のバレンタインは校門前に押しかけてたじゃないか」

「あれは俺だけじゃないっ」

 ほうほう。下の名前で呼び合う仲か。これまた、普通の関係じゃないな。

 こうなると、洲崎は岳の幼なじみか、同級生か、そんなところだろう。
 しかし、仲がいい。
 そうして二人の賑やかなやり取りを眺めていれば。

「お前ら、ずいぶん楽しそうだな? そろそろ行く時間だろ?」

 同じく身支度を整えた岳が姿を現した。
 濃紺のスリーピースのスーツを着こなし、更に濃い色の紺のネクタイをきっちり締めている。
 髪は縛らずラフになりすぎず、かといって堅苦しくない程度にバックにかきあげられていた。
 これぞ、イケてる大人の見本のスタイルと言う感がある。どこぞの雑誌に出てきそうな勢いだ。

 こいつ。できるな…。

 それは分かっていた。
 それでも、俺が目にしていたのはラフな格好で。昨日の夜も上下スウェットを身に着け、ジャケットを羽織っただけの恰好で。
 ここまできっちり大人の男を見せつけられると、嫌でも意識する。

「亜貴、いいか?」

 岳は時計を確認しつつ、声をかけた。
 洲崎はすぐに岳の脇に立ち、そのネクタイや襟元を整える。秘書というより執事のようだ。

「行けるよ」

 亜貴はしぶしぶと言った具合に、それまで座っていたソファから腰を上げ、岳の傍らに立った。
 三人がそこへ立ち並ぶ格好となって、その威力に引く。

 おいおい。こいつら。何、ただものじゃないオーラだしてんだ? 

 確かにただものじゃないのだろうけれど、こうも漫画みたいにイケメンが揃うのはおかしいだろ? これでは俺の存在がどんどん埋没していく。

 はあ…。こんな人間もいるんだな?

 俺は言うなればモブだ。
 漫画なら背景に紛れ込む、その他大勢だ。クラスメートだったら顔もろくに描かれない奴。
 思わず深いため息をつけば。

「なんだ? そんなしょぼんとした顔して」

 いつの間にか目の前に岳がいた。予想外の近さに狼狽える。

「な、なんでもねぇって。ほら、遅れるんじゃねぇのか?」

「…そうだな。じゃあ、行ってくる」

 岳は身を起こすと、皆と共に玄関へと向かった。その後を俺もぽてぽてとついて行くと、

「行ってらっしゃい!」

 そう言って、落ち込む気分を振り払うよに、元気に送り出した。
 久しぶりにその言葉を口にした気がする。
 三人はそれぞれ、驚いた様にこちらに顔を向け、その後、岳と洲崎は互いにちらと顔を見合わせたが。
「…行ってきます」
 岳だけが小さく返事を返し、洲崎は笑むと片手を上げそれに応じた。
 亜貴は論外だ。驚いたあと、そそくさと先に出ていったのだから。
 そうして微妙な空気を残しつつ、皆が出払ったあと。

 さて。俺は家事をするか。

 やることは山ほどある。
 見れば掃除も隅々まではできていない。時折、牧らが掃除には来ていたらしいが、細部まで行き届くはずもなく。

「よし! やってやるぜ!」

 俺は頭に鉢巻きでも巻く勢いで、それらに取り掛かった。

+++

 部屋数はダイニングキッチンに、リビング、浴室、洗面所、亜貴と岳の部屋。ゲストルームが二つと、広いトレーニングルームがある。以上だ。
 岳の部屋だけは書斎と寝室が分かれていた。
 あとはクローゼットがある程度。まあ、若干豪華ではあるがごく普通のマンションなのだろう。
 ちなみにこのゲストルームの一つが俺に割り当てられている。
 ベランダが広いのが嬉しかった。
 けれど、洗濯竿が一本のみで、ろくに使っていなかったのか、すっかり鳥のフンとその他の汚れにまみれている。宝の持ち腐れだ。
 確かに室内乾燥機で乾かした方が楽だろうし埃もつかないが、やはり陽に当てたい。

 となるともう一本、追加だな。

 洗濯ばさみやらを物色しつつ、頭のなかのメモリストに加えていく。
 晴天で気持ちのいい朝だった。
 とりあえず、部屋中の窓を全開にし、埃を取り除き、床に雑巾がけをし、掃除機をかけ、気持ちよい空間へと変えていく。
 それは大変だけれど気分のいい行為でもあった。
 汚れたものが綺麗になる。空気が変わる。
 完ぺきとは言えないまでも、心地よい空間を作り出せるのだ。

 まあ、あいつら、気付かないだろうけどな…。

 今まで埃や汚れに無頓着だったのだ。少し綺麗になった所で、気付くはずもない。

 それでもいい。俺がいる間は俺も住みやすい空間にするんだ。モブでもやれる事はある。
 実際、俺はここから当分出ることができないのだ。せめて気分良く過ごせる空間にしたかった。

 そうして片っ端から掃除を始め。
 岳の部屋まで来たとき、ベッド脇のボードの上、スタンドの下に古びたぬいぐるみを見つけた。
 元は茶色だったのが、日に焼けてうす茶になり、鼻から腹にかけて白かったのが、埃の汚れで黒く煤けグレーになっている。

 なんだろう、これ?

 耳はあるようなないような。目はなんとかくっついている程度。つぶらな瞳。鼻の下にあったであろうヒゲはあるはずもなく。黒い点々が縫い付けてあることで、そこにヒゲの存在を知ったくらいだ。
 短い手足がくったりと前に出されている。
 これだけが岳の部屋で異彩を放っていた。くたびれた人形の癖に、かなりの存在感。
 
 きっと大事なもの、なんだろうな。

 俺はそこだけ極力触れない様にして──触れると手か足かがもげそうだった──掃除を続けた。
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