その先の景色を僕は知らない

マン太

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17.日常

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 千尋はいつもの生活を取り戻した。
 ちなみに、俺が倒れたのは突発性の狭心症だったとのことで。若者でもストレスその他もろもろ、重なるとなることがあるらしい。
 千尋にはた迷惑なものを押し付けた銀髪の男は、仲間と共に警察に捕まり取り調べ中らしい。
 後日、眞砂行きつけの昔ながらの喫茶店で、律や千尋含め会って話す機会を得て。その後どうなったかを教えてくれたのだ。
 ベンチ席には眞砂と千尋が、向かいの椅子に俺と律が座った。
 俺の前にはアイスカフェオレ、律はアイスティー。千尋と眞砂の前にはアイスコーヒーが置かれている。
 それぞれ、すず製のカップにはいったそれは良く冷えていて、証拠にカップには水滴が沢山ついていた。
 彼らは半グレ連中にそそのかされ、売買のみならず実際に薬物も使用していたらしく。重い判決が下るだろうとは笠間の見解だった。
 けれど、例え刑務所に入ったとしても、数年で出所する。
 その頃にまた千尋にちょっかいを出してくるのではと心配したが、それはないと真砂が断言した。
 真砂は良く冷えたカップからアイスコーヒーを口にした後、
「もう、あいつらはあそこまで来ると、まともな道は歩けないだろう。俺の昔の仲間が面倒を見ていいと言ってる。完璧にそっちの筋だから、まあ、明るい未来とは言えないが…。それなりにしごいてもらえば考えも行動も変わるだろう。というか変えざるを得ない。組織に入れば、早々馬鹿な事件ばかり起こしてもいられないからな。その辺は引き締めると言ってくれたよ」
 眞砂はそう言って皆を安心させた。
 傍らに座る、千尋の眞砂を見る熱の籠った視線は以前と変わらない。
 いまだに好きだからと前は思っていたけれど、どうやらそれは違ったようで。
 後日、休日に海まで遠出した際、砂浜に座って海を見ながら思い切って聞いてみた。
 いつまでもうじうじ考えるのはかなりストレスで。それくらいならはっきりさせてしまいたいと思ったのだ。
「昔、眞砂さんの事、好きだった?」
 俺の問いに千尋は面食らった顔をしたものの。
「…それ律から?」
「いいじゃん。誰だってさ」
 千尋は大袈裟なほど大きなため息をついた後。
「誰だって、子どもの頃は大人の男には憧れるだろ? それに、俺の父親はほとんど家にいなかったし。甘えたかったんだと思う。それが、好意とごっちゃになって、気が付いたら告白してた」
「ふーん…」
 千尋は砂浜についていた俺の左手を取ると、自分の両手で包み込む。もて遊ぶ様に指先を絡めながら。
「でも、眞砂さんはそれは違うって言ってくれた。分かってたんだ。俺が甘えたいだけだって」
「それも、好きのうちじゃないの?」
「それじゃ、公平な付き合いはできない。どっちかにべったり頼り切ってるのはさ。いつか壊れる。それでもう一度自分の思いを見直して、自分の中でも違うなって思った」
「じゃ、尊敬ってこと?」
「それに近いな…。憧れ、とか。キスしたいとか、そっちじゃないなって」
「でも、そこで眞砂さんが千尋を好きだったら、話は変わってたんだろうな…。そしたら、俺とも出会わなかっただろうね?」
 すると千尋は砂浜に視線を落としながら。
「俺、その前に拓人に会ってる…」
 その言葉にえっと驚きの声を上げた。
「何時? どこで?」
「初めて律の家に行った時」
「嘘。俺、話した記憶ないよ?」
「話してないから」
 そうして話してくれたのは、かなりハードな内容で。
 当時千尋は荒れに荒れていて。実はその日、千尋はズボンのポケットに折り畳み式のナイフを忍ばせていたのだと言う。
 同じく遊びに来た一個上の先輩が気に食わず、隙を見てやってやると思っていたのだと。
 律は不仲な二人を仲直りさせるために、呼んだらしい。
 リビングのソファで待つのは、千尋と先輩──先輩は律の友達でもあった──と、ソファ前に置かれたテーブルで学校の宿題をこなしていた俺と。
 母奏子は仕事で。律が配達の対応に玄関へ向かった際、千尋は今だとばかり、ポケットに隠し持っていたナイフを取り出そうとした。
 その時、突然、その上からなんと俺がぶつかってきたのだと言う。 
「躓いたんだ。教室があったの忘れてたみたいで、急にソロバンがどうとか言って立ち上がって。俺のすぐ側に持っていく袋が置いてあったみたいで。それを取ろうとして、床に置いてあったクッションに足を滑らせて、俺のナイフの入った右ポケットにドンって」
「俺、怪我してないけど?」
「まだ刃だしてなかったから。けど、それで目が覚めた。一歩間違えば、関係ない拓人を傷つけてた。人を傷つけるって、怖いことだって、その時思ったんだ…」
「そっか…。そんな事あったなんてぜんぜん覚えてないや」
「その後、先輩とも仲直りした。気に食わない奴だったけど、傷つけるのは間違ってるって」
「良かった…。俺、役に立ってたんだ?」
 すると、千尋は神妙な顔つきになって。
「俺にとって、拓人はちっさい神さまみたいだった。あれから、忘れた事なかった」
「まじで?」
「マジで。律を通して拓人の色んな話を聞いてた。その後、会ってもいないのに、まるで身近な存在に感じてて…。でも、成長して会った拓人はちょっと元気がなかった。だから、元気になって欲しかったんだ。それに、もう一つ、理由があって…」
 千尋は少し言い辛そうに言いよどむ。
「もう一つ、って?」
 先を促せば、千尋は悪戯っぽい笑みを浮かべると。
「律から写真は見せてもらってて。中学、高校。成長した拓人は──かなりいい線行ってた。好きなタイプ。ど真ん中。どストライク」
「どストライク…」
 いったい、こんな地味な奴なのに、どこが良かったのか。
 俺の顔は勝手に熱くなる。
「だから、キスもしたし、もっと仲良くなりたかった。これは眞砂さんとは違うって思った」
 千尋はずいと距離を詰めて来る。
「なんだよ…」
 握られた手はいつの間にかしっかり組まれているし、肩は密着する。
 急接近に頬が更に熱くなった。このあと何が来るかわかったからだ。
「…キスしたい」
「いつもしてるじゃん…」
「ふふ。そうだった」
 すると千尋は額がくっつきそうなくらい覗き込んできて。
「でも、キスだけじゃなくって。拓人が高校卒業したら──もっと先に進みたい。…だめ?」
「駄目って。それって、当たり前のことだろ? …俺もそうしたいって、思うもん」
 すでに顔は爆発しそうなくらい真っ赤だ。トマト並みで。
 千尋はくすと笑い。俺の頬に手を滑らし、首筋を引き寄せキスをする。
「よかった。俺と一緒で。約束、だ…」
「ン…」
 俺は千尋の広い肩に頬を埋め、そう答えた。
 そんなやり取りを思い出していて、こちらに話を振られたのを聞きそびれていた。
「──拓人?」
 千尋が不思議そうな顔をして、向かいから覗き込んでくる。俺は慌てて顔を上げると。
「なに?」
「真砂さんが、拓人が卒業したらお祝いにおごってくれるって。なにがいい?」
「え? いいんですか?」
「もちろん。なんでも言ってくれ」
 眞砂は笑みを返す。
「うわぁ、なんにしよう…」
 大抵は焼肉や寿司なのだろうか。それも悪くないけど、その後ちょくちょくいっている、ネパール家庭料理もいい。

 でも、皆が食べられる方がいいよなぁ。

 あれこれ真剣に悩んでいると、クスリと眞砂が笑う。気付いて顔をあげれば、
「…拓人くんは、本当にかわいいな? 千尋が放っておかないのがよくわかる」
「へ…?」
「笠間にも言ったんだが、こう、素振りがな。なかなか男心をくすぐる──」
「眞砂さんっ」
 見れば千尋がかなりマジな目つきになって、隣りの眞砂を睨みつけていた。すると眞砂は苦笑し。
「冗談だ。千尋の大事なものにちょっかい出すわけないだろう? 律くんもこいつの相手は大変だっただろう?」
「はぁ。まったくその通りで。こいつ、気にしてないように見えてけっこう、気にしいで変なところにこだわるから、どこで地雷を踏んだのか分からなくて、へそ曲げる理由も分からなくて。拓人、困ったらいつでも俺や眞砂さんに相談しろよ? 対処法を教えてやるから」
「律。俺はそんなに偏屈じゃない…」
 千尋は不貞腐れる。
「よく言う。何時だったかカレー食いたいって言うから連れてったら、おごってやったのにこれじゃないってごねてさ。チェーン店じゃない店だったのにさ。カレーなんて全部一緒だろ? そう言ったらまたこいつ、ごねてさ。面倒くさいのなンのって」
「…うるさいな。大体、全部一緒じゃない」
 言い合いが始まって、俺は苦笑するしかない。これも、平和な日常を取り戻したからで。
 眞砂はそんな二人の諍いを楽しそうに眺めながら。
「食べたいものが沢山あるなら、全部行ってもかまわない。律くんや千尋と予定があわなければ、俺と二人で行こうか?」
「へ?!」
「眞砂さんっ!」
 律とのやり取りを途中で中断して、千尋が声を荒げた。眞砂さんはお腹を抱えて笑っている。
 この状況をどうまとめたらいいのか、俺にはその術が分からなかった。
「と、とにかく。二人はないから。な? 俺、ネパール料理がいいです! 大皿にしてもらえば、皆で食べられるし…」
 モモとか炒め物系なら皆でワイワイして食べられる。鍋もあるし。
 あれ以降、すっかりネパール料理に嵌った俺は千尋のお供でついていくことが多くなっていた。
「いつも食べてるのに?」
 千尋は不満げだ。
「いつも食べても飽きないから、行きたいんだって。それでもいいですか?」
「いいが。どうした、千尋。嫌か? お前が嫌なら拓人くんとだけで行くけどな?」
 すると千尋はムスッとした顔で。
「…行くよ。眞砂さんと二人きりになんて出来ない」
「お前も人並みに余裕がなくなるな? 好きな奴の前だと」
 面白がる様に千尋を見やる。
「うっさい。余裕なんて見せてる時間はないっての」
 千尋は腕組みしてどっかと椅子に座ると、不満気に息巻いた。俺はその顔を覗き込む様にして。
「大丈夫だって。…な?」
 俺にとって千尋が一番で。ほかに目を向けるはずもない。
 千尋はジト目で俺を見たあと、ふうと大きなため息を付き。
「…拓人に、首輪つけよっかな」
「は、はぁ?!」
 俺が声を上げれば、律が顎に手をあて頷く。
「なる。で、散歩の時は、千尋がリードを持つわけか…。ってか、逆だろ? それ。躾のなってない千尋を逃さないように首輪を嵌めて、拓人がリードを握るって言う──」
「誰の躾がなってないって? あぁ?」
「千尋に決まってんだろ? 拓人──ご主人さま──に近づく人間に吠えまくるって言う、困ったちゃん」
「…もっかい、言ってみろ」
「ああ、何度でも言ってやるぞ。拓人に近づく奴は、恩人だろうが先輩だろうが、実兄だろうが見境なく吠える駄犬だ!」
「……ったま来た。拓人、今後、こいつとは関わンなよ。兄だと思うな。ただの通行人だと思え」
「千尋…」
「話は済んだ。メシの件ももういいですよね? これで帰ります。律、後で覚えとけ。──拓人、行こう」
 グイと手を引き出て行こうとする。俺は引きずられる様に後に続く。
「じゃ、これで! 眞砂さん、また後で連絡しますっ」
「ああ、よろしく。俺は二人きりでも問題ないからな?」
 それは俺と言うより、千尋の背中に投げかけられた言葉の様だった。

「千尋。顔、コワイ…」
 俺の言葉にへの字に曲げていた口を元に戻した。千尋は笑っていないと、昔のヤンチャ時代が顔を出す。
 すると、千尋はようやく表情を崩し。
「ゴメン…。けど、分かってても、心配なんだ。拓人を取られたくない…」
「千尋くらいだって。好きになってくれるの」
 すると、千尋は、分かってない…と、呟き。
「拓人は可愛いのっ。でも、それを誰にも知られたくない」
「千尋…」
 かわいい──のは、好いた欲目が多分に含まれている気がするけれど。
「俺には千尋だけだよ? 信じられない?」
「……」
 首を傾げてその顔を覗き込めば。
「……信じてる。けど」
「けど?」
 じっと見つめたあと。
「可愛すぎて、不安」

 ンだよ。それ。

 俺の頬は赤くなる。千尋は手を伸ばし、ひと目も憚らず俺の顔を上向かせ。
「拓人がずっと俺だけ見ていてくれるよう、頑張る。ほかに反らさせない…」
 ふっと笑んでみせた表情に目を奪われる。千尋の笑みの破壊力は凄いのだ。
「……!」
 ボン! と、音がしそうなくらい体温が上昇した。

 本当は──。

 俺の方こそ、千尋に首輪をつけておきたいのだと思った。

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