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今。変わるとき
しおりを挟む「なんでお前だけが不幸って顔してんだよ。自分だけが、可哀そうだとでも思ってるのか?いい加減にしろよ。」
強くなじる言葉とともに押されて、私の体が容易く、その態勢を崩した。
とっさについた手がずきずきと痛んで、この夢のような出来事が現実なのだと訴えかけてくるように感じる。
芝生に尻もちをついたまま見上げると、兄であるアランがこちらを睨みつけていた。
今朝メイドのハンナに着せてもらったかわいらしいドレスが朝露を吸ったのか、濡れて冷たくなっている。
けれど、そんな小さなひとつひとつのことがどうでもよくなる程度に、私の心は動揺していた。
---なぜそんなひどいことを言うの。
そう、口にしようとした。
けれど、その言葉が形になるよりも先に、胸を強く掴まれるような痛みがおそった。
痛みのせいなのか眉間にしわが寄り、涙が膜をはる。
「聞こえてないふりか。それとも…あぁ、もしかしてこれも不幸の一つにでもするつもりか?」
反応を返さない私に不快感をあらわにした声が、少し離れた位置からかけられる。
その声に惹かれるように、見上げて。そしてすぐに私は後悔することになる。
その目があまりにも鋭くて、兄が本心では自分を嫌っていたのだということが、まぎれもない事実として理解できてしまったから。
---いっそこのまま儚くなってしまえばいい。そうすれば、もう迷惑をかけることもなくなる。
今までに感じたことのない痛みが波のように押し寄せ、意識が靄がかかるように不明瞭になっていく。
このまま消えていくのだ、そんな決意が私の中に生まれた。
死に対して抱いていた恐怖がそれを受け入れることを決めたことで安らぎに代わった。
大きな波の奔流が意識をのみこんで、ふつりと途切れる間際。
何にかわからないままに安堵して、私は微笑んでこの世界にさよならを告げた。
*****
それから20日間の間、私の意識が戻ることはなかったらしい。
そして目が覚めると、世界は変わっていた。
私はベットの上で態勢を起こすと、窓へと視線を向けた。
夏の終わり頃だったはずが、いつのまにか秋らしく木々が染まり始めている。
柔らかな青い空には、3つの太陽が等間隔で並んでいた。
あれは実際には太陽という名前ではないし、それと同じほど強く輝いているわけではないことも知っている。
それでも、目が覚めてすぐ3つの星を目にしたとき確かにそれを太陽だとも思ったのだ。
思い出したくもないほど強い胸の痛みの末、私はいわゆる前世といわれるものの記憶を引き継いだらしい。
私の中に生まれたその記憶は今までの記憶と混同されるでもなく、かといって人格そのものをのみこんでしまうこともなく、自然に溶け込むように存在した。
たとえばお気に入りのマグカップを手にすれば、それを送られたときの思い出がよみがえるし、空を見上げればひとつの太陽の元で暮らしていたことが思い出される。
そんな感じだ。
思い出したいときに思い出せる事柄もあれば、なんだか曖昧な記憶もある。
なんともいえない記憶だが、それを引き継いだおかげで多くのことに気づくことができた。
キャロライン・モリスは何代も続く由緒正しい伯爵家に長女として生をうけた。
母は産後の肥立ちが悪く、次を望むのは難しいと医師に告げられてしまったため、後継として幼いころから家庭教師がつけられていた。
両親は領地の経営に忙しく、キャロライン自身も4歳を過ぎると本格的に授業を受けていたために頻繁に会うことはかなわなかったが仲の良い家族であった。
…そう思っていた。
だからこそ、二人が馬車の事故で亡くなったときは何日も泣いて過ごし、後見人となってくれた叔父のもとに引き取られてからもうまく彼らとなじむことができず。
叔父夫婦が仲睦まじく庭を散歩する様子を二階の窓から眺め見ては、両親もそうして領地を回っていたのだろうと涙した。
義兄となったミシェルとアランに優しく声をかけてもらっても、ぎこちない笑みを返し、皆が集まる晩餐に参加して楽し気な団らんを眺め、勝手に孤独を感じては部屋に閉じこもることをくり返した。
けれど、もう一つの記憶があるおかげでやけに冷静になった彼女が捉えた真実は違う。
キャロラインは両親を愛していた。それは盲目的といわれても頷けるほどに。
そして、それは彼らからも与えられていると思っていた。
そうではないのに。
そんなことあり得るはずがないのだと、今のキャロラインには理解できた。
父と母は家格のバランスと家の利を鑑みての完全なる政略結婚。
そこには愛なんてもの一ミリすら存在しなかった。
キャロラインはそんな二人の間に、跡取りという義務を果たすためだけに成された子供。
父母に望まれていたのは継承権を譲るのにふさわしい男児だったから、存在を厭われてすらいた。
次の子を望むのが難しいと宣告されてさえいなければ、そのままどこかの孤児院へと捨て置かれてもおかしくはなかったかもしれない。
継承者となる者が見つかるまで…母が石女と揶揄されないため、そして父が母の実家からの融資をきられないための今を取り繕うための駒。
---大切だとか、それ以前に子どもとすら認められていなかったんだわ。
妙に冷静な頭が、ゆっくりとこれまでの真実を俯瞰して捉えていく。
愛されているのだと勘違いしていた。
自分を愛する父母を亡くした私は可哀そうなのだと思っていた。
愚かで、浅はかな幼い女の子。
---領地の経営が忙しいから家に帰ってこられないのだと、そうして一人で過ごす日々に自分をなだめてきたけれど。役にすら立たない失敗作だもの。見向きもされないのは当たり前のことだったのね。
二人が亡くなったあの日。
今にしてみれば、あの不運な事故も起こるべくして起こったのだろう。
このままでは子どもがキャロラインだけになってしまうのだと知った両親は、お互いの家に瑕疵のない離婚のために次期伯爵にふさわしい養子をさっさと外から見つけることにした。
外からと言っても父が許せるのは伯爵の血が流れているものに限ったので、その調査対象は遠縁の家といってもある程度までに絞られていたし、その中で優秀な若者•子供となれば数は片手に収まるほどしかいなかった。
伯爵家を継ぐ者だからなのか、それとも何か他の思惑からかわからないけれど、両親は熱心に調査報告書を読み込んでいた。
必要とあれば遠方にまで足を運んだし、それは雨でも晴れでも関係なかった。
あの事故よりも以前に事故に合わなかったのは、本当にただただその時の彼らが幸運だったとしかいいようがない。
父が熟考の末に、自分より才覚にあふれている叔父に仕方なく頼ることにしたのは探しはじめてからだいぶ時が経った頃のことだった。
いい加減にこの問題と結婚生活を片づけてしまいたかったからだろう。
父の決断を後押しするかのように、叔父の家に次男として生まれたアランは才能を色濃く引き継いでいて、更には素行も良い好青年だった。
そもそもこんなに時間がかかったのは、候補として真っ先にあがった彼があまりにも出来すぎていて、若い時に感じていた叔父への劣等感や嫉妬心を掻き立てられるからーーとずるずる決断を引き伸ばしていたせいだ。
かといって、優秀なものを既に知っているのにそれ以下を引き取ることはプライドが許さず、ただ腹を括って頼むことができるまでの時間がかかったというだけ。
時間が随分と経ってしまった、、、さっさと人生をやり直したい。そんなことを呟いていたのを、幼いキャロラインは確かに耳にしていた。
決断するが早いか、その日にアランを迎えにゆくのだと家を立ち…そして帰らぬ人となった。
皮肉にも、彼らは当初の誓い通りに死が別つまで添い遂げたのだ。
その事実にふと思い至ったキャロラインはその可笑しさに小さく笑った。
高く登った日が部屋を明るく照らしている。
窓へと視線を向ければ、青く広い空を名も知らぬ鳥が優雅に舞っていた。
死を望んでいたわけでは無いだろうけれど、思い入れもない他人と暮らす日々からも、次代の憂慮からも解き放たれたのだから。
---自由にはなれたのよね。ふたりとも。
自分を愛してくれた両親を亡くした可哀想なキャロラインは最初からいなかった。
これで、よかった。今気づくことができて良かったのだ。
ふー、と大きく息をついて。
視線を下げればそこには幼い子の手がある。
「胸の痛みも病気ではなかったと言われたのだもの。もう療養は終わり。私に出来ることをさっさと探さなくてはね。」
ふとしたとき頭を過ぎる不思議な記憶。
物の捉え方や考え方がその影響をうけて変わっている。
まだ習ったこともない算式や知識、以前のキャロラインには理解できないような丁寧な言葉が頭に浮かぶのもそれだろう。
---きっと上手く使えるはずよ。
いつまでも自己憐憫に浸っていても、気持ちいいだけでなにも変わらない。
変えなかった先がまた不幸を招いて、また浸るなんてそんな一生はごめんだから。
「できることを、ひとつずつ。」
やるしかないのだ。
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