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第二十二話 リナリア、この恋に気づいて
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「おや、その子は君の使い魔かい?」
授業にエーファを連れて行くと、廊下でケントに声をかけられた。
「いや、借り物だ」
「借り物?」
「ああ。アレクシスのだ」「チュっ!」
素直に答えると、ケントは固まった。
「え、待ってくれ。つまり……その可愛らしい小リスがグロースクロイツ家の嫡男の使い魔だというのか? もっとこう、カッコいい猛禽類とか家紋と同じカラスとかではなく?」
どうやらオレはケントの儚い幻想を壊してしまったらしい。
グロースクロイツ家はどうやらそういうイメージがあるようだ。
古代魔術を操る空の騎士、黒い猛禽。そんなところか。
「きゅう!」
エーファがまん丸な瞳をキラキラとさせてケントを無邪気に見つめる。
その可愛らしさがケントを幻滅させているとは露とも思ってないのだろう。
「ま、まあ、何か理由があるんだろうな」
ケントは困惑しながら呟いた。
そういえばアレクシスの奴はなんでエーファを使い魔にしたのだろう。
奴の事だからエーファの可愛さに一目惚れしたとかかもしれない。
今度彼に聞いてみよう。
「坊主ども―、教室入れー」
「ひえッ」
「……ッ!?」
バルト先生の登場にケントが小さい悲鳴を上げ、オレは驚きで声も出なかった。
何故ならばバルト先生は狼と見紛うほどの大きな犬を二頭も従えていたからだ。
というかあれは正真正銘の狼なんじゃないだろうか。
エーファも慌てて隠れようとしたのかオレの髪に顔を埋めていた。小っちゃな顔以外全然隠せていない。
「うん? なんで驚いてるんだケント。お前はコイツらに会ったことあるだろ?」
「い、いや、まさか屋内で会うことになるとは思わなくて……」
二頭の狼は親しげにケントの匂いをふんふんと嗅ぎに行くが、ケントの顔は引きつっている。
狼たちのことが苦手なようだ。というか狼が得意な人間なんているのか?
「何故、その狼を?」
恐る恐る尋ねてみる。
「ああ、学校長から学園の警備を強化するってお達しがあったんだよ。だから、もののついでにコイツらを連れてきたんだ。少なくとも授業中の教室はコイツらが守ってやれるぜ」
「……」
そうか、オレが学園内で謎の男に襲われたと訴えたことがもう聞き入れてもらえたのか。まさか顔も知らない大人がオレなんかの言ったことを真面目に捉えてくれて、こんなに早く対策まで講じてくれるなんて。その事実に思わず眦から込み上げてくるものがあった。
「ほら、授業が始まるぞ」
ぐしぐしとローブの袖で目元を拭うと、ケントの後に続いて教室に入った。
*
ノートの上に茶色の毛玉が丸まっている。
「邪魔だ、どけ」
エーファが寝ている空白の直前までペンを動かすと、そこで寝ている彼女を小さな声で追い払おうとした。撫でてもらえると思ったのか、エーファは目を細めてオレの手に頬擦りしてきた。
「くそ」
仕方なく彼女を避けて書き取りをする。細かい字でびっしりと書き取りをしてきたノートに不自然な空白が出来てしまった。
「――――つまり複合魔術とは、複数の精霊に力を借りる術ではあるがそれだけでは不十分という訳だ」
バルト先生は二頭の狼を脇に従えた状態のまま、音の精霊の助けを借りて声を教室に響かせている。今思うと、バルトが妙に地獄耳なのは音の精霊によるものではないだろうか。音を届けることができるのなら、こちらの音を向こうに運ぶことだってできるだろう。
狼たちはまるで自らもまた聴講する学生であるかのようにビシッと姿勢を正していた。何処かの小リスとは大違いだ。
「単属性魔術との大きな違いは使用者の魔力を呼び水としてだけでなく、精霊と精霊の認識を合わせる媒介としても使用するという点だ。この点によって消耗する魔力の量が段違いとなる」
見れば隣のケントもビシリと姿勢を正して書き取りをしていた。ケントはあの狼たちのことが苦手なようだが、その実彼らはとても似通っているようだ。
「はい、先生」
一人の生徒が手を上げる。右手の甲に紫色の花の刻印を宿した生徒だ。以前も彼が手を上げているところを見たことがある。どうやら勉強熱心な生徒のようだ。
「なんだ?」
「あの、精霊の一人ひとりが認識する世界がそれぞれ違っているとは、具体的にどういうことなんでしょうか?」
さっきバルト先生がさらっと説明したところが理解できなかったらしく、生徒はその部分を尋ねた。実はオレも理解できなかった部分で、その生徒が尋ねてくれたことに内心ほっと胸を撫で下ろした。
「ああ、それは――――面倒くせぇからすっ飛ばす」
「えぇっ!?」
教師の投げやりな態度に多くの生徒が驚きの声をあげた。
「あーあー、五月蝿ぇ。詳しいことは基礎魔術学の領分じゃねえから、気になる奴は複合精霊学を受けろ」
バルトはガリガリと頭を掻いて言った。どうやら本当にそれだけでこの話を終わらせるつもりらしい。
この教師は時々こういうガサツなところがあるのだ。生徒らも彼の奔放さに慣れてきたようで、まあそんなものかと諦めの声が聞こえた。
「ふふ、先生らしいな」
隣でケントが微笑んでいる。盲目もここまで来れば立派なものだ。
授業後、昼時のこと。
いつものようにケントと向かい合ってランチを食っていたオレは、思い切って彼に尋ねてみることにした。
「なあ、結構前のことだけどさ」
「うん、なんだ?」
葉野菜のサラダを頬張ってもぐもぐと口を動かしている彼が顔を上げた。
「先生とキスしてたよな? 森の中で」
「ぶっっっ!?」
ケントが食べていた物を吹き出した。
緑の葉が辺り一面に散らばる。
「汚ぇ」
「う、ごめん」
ケントが布巾でテーブルの上を拭いた。
「付き合ってんのか? 先生と」
気を取り直したところで再び尋ねる。
「いや、別にそういう訳では……」
「じゃあ遊びで教師とキスしたのか。お前がそういう奴とは意外だな」
「そんな訳があるか!」
騒がしい食堂内でもケントの声はよく通ったのか、何人かがこちらを向いた。五月蠅くしてすまないとばかりにケントはそちらの方向にぺこりと頭を下げた。
「ともかく」
ケントは向き直ると、声を潜めた。
「僕自身はバルト先生とちゃんと付き合いたいと思ってる。ただその、先生が『考えたい』と言ってまだ返事を貰えてないだけで」
少なくともケントの方は真剣に考えているようだった。
「……何処がいいんだ?」
『あんなのの』という枕詞を置きそうになったのを抑えて尋ねた。
自分は恋愛話に興味などない人間だと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。きっと無意識のうちに他人の話を聞いて安心したいと思っているのだろう。
「ああ、ええと……」
ケントは照れ臭げに頬を掻き、口元を緩める。
「実は先生はああ見えても繊細な人なんだ。僕が支えになってあげなければならない、と思ったら心が抑えられなくなってしまって」
「へえ」
あの教師が繊細、ねえ。
どうやらケントの話は参考にならなさそうだった。
「チュ?」
一切れの人参をポリポリと食べていたエーファが顔を上げる。
そういえばエーファはアレクシスといつでも連絡が取れるのだった。今の話、アレクシスに聞かれてないだろうか。
「おいエーファ。今の話、アレクシスには言うなよ」
「きゅう?」
ヒソヒソとエーファに頼むが、彼女は何も理解してないかのように首を傾げた。
「聴覚共有してない限りそれは大丈夫なんじゃないかな」
ケントは呑気に笑っていた。恋話の話し手側である彼が慌てていないのなら、多分アレクシスの方に今の話が伝わっていることはないのだろう。
「聴覚共有?」
「ああ、使役者と使い魔は五感のどれか一つを共有できるらしい」
「じゃあそれをしてたらエーファの聞いていることが常にアレクシスにも聞こえるってことか?」
周りを見回して、食堂の中にアレクシスの姿がないかと探す。今まさにオレたちの会話を盗聴している彼がいるのではないかと思ったのだ。残念ながら彼の姿は見当たらなかった。
「それはないと思う。使役者の好きなタイミングで五感を共有できるということだから、意図的にこちら側を覗きたいと思わない限り共有されない筈だ。常に五感を共有をしていたら情報が多すぎて頭がパンクしてしまう」
「確かに、それもそうか」
エーファの黒豆のような瞳の向こうでアレクシスが見つめているのだろうかと小リスの瞳を見つめ返してみたが、アレクシスもそんなに暇ではないだろう。
……オレは今、『アレクシスが見てくれていたらいいのに』と思ったのか? まさか、そんな馬鹿な。ただ単にこの小リスだけでは頼りないと思っただけだ。多分。
授業にエーファを連れて行くと、廊下でケントに声をかけられた。
「いや、借り物だ」
「借り物?」
「ああ。アレクシスのだ」「チュっ!」
素直に答えると、ケントは固まった。
「え、待ってくれ。つまり……その可愛らしい小リスがグロースクロイツ家の嫡男の使い魔だというのか? もっとこう、カッコいい猛禽類とか家紋と同じカラスとかではなく?」
どうやらオレはケントの儚い幻想を壊してしまったらしい。
グロースクロイツ家はどうやらそういうイメージがあるようだ。
古代魔術を操る空の騎士、黒い猛禽。そんなところか。
「きゅう!」
エーファがまん丸な瞳をキラキラとさせてケントを無邪気に見つめる。
その可愛らしさがケントを幻滅させているとは露とも思ってないのだろう。
「ま、まあ、何か理由があるんだろうな」
ケントは困惑しながら呟いた。
そういえばアレクシスの奴はなんでエーファを使い魔にしたのだろう。
奴の事だからエーファの可愛さに一目惚れしたとかかもしれない。
今度彼に聞いてみよう。
「坊主ども―、教室入れー」
「ひえッ」
「……ッ!?」
バルト先生の登場にケントが小さい悲鳴を上げ、オレは驚きで声も出なかった。
何故ならばバルト先生は狼と見紛うほどの大きな犬を二頭も従えていたからだ。
というかあれは正真正銘の狼なんじゃないだろうか。
エーファも慌てて隠れようとしたのかオレの髪に顔を埋めていた。小っちゃな顔以外全然隠せていない。
「うん? なんで驚いてるんだケント。お前はコイツらに会ったことあるだろ?」
「い、いや、まさか屋内で会うことになるとは思わなくて……」
二頭の狼は親しげにケントの匂いをふんふんと嗅ぎに行くが、ケントの顔は引きつっている。
狼たちのことが苦手なようだ。というか狼が得意な人間なんているのか?
「何故、その狼を?」
恐る恐る尋ねてみる。
「ああ、学校長から学園の警備を強化するってお達しがあったんだよ。だから、もののついでにコイツらを連れてきたんだ。少なくとも授業中の教室はコイツらが守ってやれるぜ」
「……」
そうか、オレが学園内で謎の男に襲われたと訴えたことがもう聞き入れてもらえたのか。まさか顔も知らない大人がオレなんかの言ったことを真面目に捉えてくれて、こんなに早く対策まで講じてくれるなんて。その事実に思わず眦から込み上げてくるものがあった。
「ほら、授業が始まるぞ」
ぐしぐしとローブの袖で目元を拭うと、ケントの後に続いて教室に入った。
*
ノートの上に茶色の毛玉が丸まっている。
「邪魔だ、どけ」
エーファが寝ている空白の直前までペンを動かすと、そこで寝ている彼女を小さな声で追い払おうとした。撫でてもらえると思ったのか、エーファは目を細めてオレの手に頬擦りしてきた。
「くそ」
仕方なく彼女を避けて書き取りをする。細かい字でびっしりと書き取りをしてきたノートに不自然な空白が出来てしまった。
「――――つまり複合魔術とは、複数の精霊に力を借りる術ではあるがそれだけでは不十分という訳だ」
バルト先生は二頭の狼を脇に従えた状態のまま、音の精霊の助けを借りて声を教室に響かせている。今思うと、バルトが妙に地獄耳なのは音の精霊によるものではないだろうか。音を届けることができるのなら、こちらの音を向こうに運ぶことだってできるだろう。
狼たちはまるで自らもまた聴講する学生であるかのようにビシッと姿勢を正していた。何処かの小リスとは大違いだ。
「単属性魔術との大きな違いは使用者の魔力を呼び水としてだけでなく、精霊と精霊の認識を合わせる媒介としても使用するという点だ。この点によって消耗する魔力の量が段違いとなる」
見れば隣のケントもビシリと姿勢を正して書き取りをしていた。ケントはあの狼たちのことが苦手なようだが、その実彼らはとても似通っているようだ。
「はい、先生」
一人の生徒が手を上げる。右手の甲に紫色の花の刻印を宿した生徒だ。以前も彼が手を上げているところを見たことがある。どうやら勉強熱心な生徒のようだ。
「なんだ?」
「あの、精霊の一人ひとりが認識する世界がそれぞれ違っているとは、具体的にどういうことなんでしょうか?」
さっきバルト先生がさらっと説明したところが理解できなかったらしく、生徒はその部分を尋ねた。実はオレも理解できなかった部分で、その生徒が尋ねてくれたことに内心ほっと胸を撫で下ろした。
「ああ、それは――――面倒くせぇからすっ飛ばす」
「えぇっ!?」
教師の投げやりな態度に多くの生徒が驚きの声をあげた。
「あーあー、五月蝿ぇ。詳しいことは基礎魔術学の領分じゃねえから、気になる奴は複合精霊学を受けろ」
バルトはガリガリと頭を掻いて言った。どうやら本当にそれだけでこの話を終わらせるつもりらしい。
この教師は時々こういうガサツなところがあるのだ。生徒らも彼の奔放さに慣れてきたようで、まあそんなものかと諦めの声が聞こえた。
「ふふ、先生らしいな」
隣でケントが微笑んでいる。盲目もここまで来れば立派なものだ。
授業後、昼時のこと。
いつものようにケントと向かい合ってランチを食っていたオレは、思い切って彼に尋ねてみることにした。
「なあ、結構前のことだけどさ」
「うん、なんだ?」
葉野菜のサラダを頬張ってもぐもぐと口を動かしている彼が顔を上げた。
「先生とキスしてたよな? 森の中で」
「ぶっっっ!?」
ケントが食べていた物を吹き出した。
緑の葉が辺り一面に散らばる。
「汚ぇ」
「う、ごめん」
ケントが布巾でテーブルの上を拭いた。
「付き合ってんのか? 先生と」
気を取り直したところで再び尋ねる。
「いや、別にそういう訳では……」
「じゃあ遊びで教師とキスしたのか。お前がそういう奴とは意外だな」
「そんな訳があるか!」
騒がしい食堂内でもケントの声はよく通ったのか、何人かがこちらを向いた。五月蠅くしてすまないとばかりにケントはそちらの方向にぺこりと頭を下げた。
「ともかく」
ケントは向き直ると、声を潜めた。
「僕自身はバルト先生とちゃんと付き合いたいと思ってる。ただその、先生が『考えたい』と言ってまだ返事を貰えてないだけで」
少なくともケントの方は真剣に考えているようだった。
「……何処がいいんだ?」
『あんなのの』という枕詞を置きそうになったのを抑えて尋ねた。
自分は恋愛話に興味などない人間だと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。きっと無意識のうちに他人の話を聞いて安心したいと思っているのだろう。
「ああ、ええと……」
ケントは照れ臭げに頬を掻き、口元を緩める。
「実は先生はああ見えても繊細な人なんだ。僕が支えになってあげなければならない、と思ったら心が抑えられなくなってしまって」
「へえ」
あの教師が繊細、ねえ。
どうやらケントの話は参考にならなさそうだった。
「チュ?」
一切れの人参をポリポリと食べていたエーファが顔を上げる。
そういえばエーファはアレクシスといつでも連絡が取れるのだった。今の話、アレクシスに聞かれてないだろうか。
「おいエーファ。今の話、アレクシスには言うなよ」
「きゅう?」
ヒソヒソとエーファに頼むが、彼女は何も理解してないかのように首を傾げた。
「聴覚共有してない限りそれは大丈夫なんじゃないかな」
ケントは呑気に笑っていた。恋話の話し手側である彼が慌てていないのなら、多分アレクシスの方に今の話が伝わっていることはないのだろう。
「聴覚共有?」
「ああ、使役者と使い魔は五感のどれか一つを共有できるらしい」
「じゃあそれをしてたらエーファの聞いていることが常にアレクシスにも聞こえるってことか?」
周りを見回して、食堂の中にアレクシスの姿がないかと探す。今まさにオレたちの会話を盗聴している彼がいるのではないかと思ったのだ。残念ながら彼の姿は見当たらなかった。
「それはないと思う。使役者の好きなタイミングで五感を共有できるということだから、意図的にこちら側を覗きたいと思わない限り共有されない筈だ。常に五感を共有をしていたら情報が多すぎて頭がパンクしてしまう」
「確かに、それもそうか」
エーファの黒豆のような瞳の向こうでアレクシスが見つめているのだろうかと小リスの瞳を見つめ返してみたが、アレクシスもそんなに暇ではないだろう。
……オレは今、『アレクシスが見てくれていたらいいのに』と思ったのか? まさか、そんな馬鹿な。ただ単にこの小リスだけでは頼りないと思っただけだ。多分。
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