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癒しの加護
しおりを挟む目を開けたら、またテントの中だった。先ほどと体勢も変わっておらず、エリオットの枕元には猫の姿であるアンバー……いや、スピカがいる。もしかすると、先ほどの出来事は白昼夢だったのかとさえ思う。
ふと手元を見ると、手に紋章が浮かんでいた。どうやら夢ではなく、本当にヴィクトリアはスピカの加護を貰ったらしい。
目の前にはエリオットが、誰よりも愛おしいヴィクトリアの婚約者が苦しんでいる。ヴィクトリアは自分がそうすべきだと思うがまま、紋章へ祈りを込めた。
紋章は熱を持ち、光り始める。いつの間にかスピカの姿は消えている。ヴィクトリアはエリオットを救うために、自分がどうすべきかもう知っていた。
彼の苦しみが消えるように、傷が癒えるように、願いを込める。紋章から出た熱いものが、エリオットを包んでいく。
「ヴィクトリア嬢……!?」
後ろで困惑したようなリュカの声が聞こえる。徐々に青白かったエリオットの顔色に紅がさし、腫れて変色していた腕が通常の状態に戻っていく。
『もうエリオット、なおった』
スピカの声が聞こえ、彼を見た。エリオットの熱は引き、表情が安らいでいる。
「ちょっ、ちょっと待ってください。治ってません?」
呆然としていたリュカがエリオットを包む包帯の一部をとき、傷を確認すると、そこは元々傷などなかったように見える綺麗な皮膚がでてきた。リュカは「嘘だろ」と呟いて、ぱっとヴィクトリアを振り返る。
「もしかして……ヴィクトリア嬢。精霊の加護を?」
「えぇ。先ほどいただいたわ」
このことは隠し通す気もないため、素直に答える。リュカはしばし口を開け、呆然とヴィクトリアを見た後、瞳を潤ませて頭を下げた。
「ありがとうございます、ヴィクトリア嬢。我が主を……助けてくださった」
「リュカ。エリオット様はわたくしにとっても大切な方なのよ」
ヴィクトリアはエリオットの顔に手を添えた。先ほどの苦し気な様子はない。ヴィクトリアの瞳は自然と潤んで、溢れたものが頬をつたう。
これできっと大丈夫。彼は死なない。
「……っ」
そう思うと安心して、心の堰が決壊したように、涙が止まらなくなった。ヴィクトリアはエリオットの体に顔を寄せ、ただその温もりを確かめた。
しばらくそうしていると、もぞもぞとエリオットの体が動き出した。
「ヴィク、トリア……?」
「エリオット様!」
状況がつかめないのか、目を開けたエリオットは困惑顔だった。しかし涙に濡れたヴィクトリアを認識し慌てて体を起こす。
「どうした、ヴィクトリア。なぜ泣いて……」
声の調子も、顔色も普段通りのエリオットの様子を見て、ヴィクトリアはまた泣いてしまう。エリオットは状況を把握できないながらも、まず目の前の婚約者を優しく抱きしめた。
エリオットの頭の中は疑問符でいっぱいだ。なぜ彼女がここにいるのかも分からないし、自分は大怪我をしたはずだったが、確認する限り体に違和感はない。しかも、いつも感情を表すことのないヴィクトリアがこのように泣いているなんて。
テントの中を見回すと、リュカと、ちょこんと座るアンバーがいた。リュカは、赤く染まった目を細めた。
「殿下。先ほどヴィクトリア嬢が精霊の加護を使い殿下の傷を癒しました」
「精霊の加護?」
その言葉にエリオットがヴィクトリアの手に目線を移す。彼女の左手に浮かぶ紋章に、エリオットは息を吞む。出発前には確かになかったはずだ。
どういう経緯かは分からないものの、ヴィクトリアは精霊の加護を授かったらしい。
何ともない自分の体に、納得がいく。傷を癒やす魔法は存在しない。エリオットは精霊の力を自分の身を持って実感した。
「ヴィクトリア、君は、精霊術師になったのか。そして、私を助けてくれたんだね」
「エリオット様、わたくしはあなた様がおられなければ、とても生きていけません」
「ヴィクトリア……」
「本当にご無事で良かった……」
そう言ってまたヴィクトリアはエリオットの胸に顔を埋める。
思わずエリオットの目頭は熱くなった。彼女からこれほど強く想われていたなんて、思わなかった。自然と胸の奥から彼女への愛おしさが溢れてくる。エリオットはヴィクトリアを抱きしめた。
空は白み始め、テントの外を行きかう足音が賑やかになってきた。
ヴィクトリアはスピカの力を借りてここまで来たことを二人に説明した。エリオットとリュカは驚きながらも納得する。共に出発しなかったはずのヴィクトリアがこうして実際に目の前にいるのだから納得せざるを得ない。
周囲に姿を見られる前にヴィクトリアとスピカは王都へ帰ることにした。エリオットは最後にもう一度ヴィクトリアを抱き寄せる。
「有難う、ヴィクトリア。君は私の女神だ」
彼の腕の中で、急にヴィクトリアはつい先ほどまで自分が普段ならとてもできないような行動をしていたことを自覚して、急に恥ずかしくなってしまう。自分からエリオットに触れたことなんて、今までなかった。それでも彼が嬉しそうに笑っているので、ヴィクトリアは胸がいっぱいになった。
「……ありがとうございます。エリオット様、お帰りをお待ちしております」
「うん。必ず」
腕の中のスピカがにゃあ、と鳴いてまた光に包まれる。
「ヴィク……!」
エリオットとリュカが驚いたような表情をしているのが目に映ったのを最後に、次の瞬間にはもう、ヴィクトリアは王都に戻っていた。
テントに残ったエリオットとリュカはつい先ほどまで確かにいたはずのヴィクトリアとアンバーがかき消えたのを呆然と見ていた。しばらく黙り込んでいた二人だが、リュカがははっ、と声を出して笑い始める。
「こりゃ凄い。殿下の妃になる方は何て凄い人でしょうか」
「……そうだな。彼女が婚約者だなんて、私は幸せ者だよ」
王都から、ここフォーレ辺境伯領はかなり遠い。それを一瞬で移動できるなど、常識外のすさまじい力だ。姿が消える場面を見てしまえばその衝撃はより大きくなった。
エリオットは自分の体を観察する。
最後の記憶の中で、自分はリュカに放たれた強力な魔法を代わりに受けた。考える前に、体が勝手に動いていた。耳に付けていたイヤリングが砕け散って、同時に膜が張られたようにエリオットの周囲に結界のようなものが張られ、魔法の威力が軽減したが、それでも大きな衝撃が体を直撃した。これは生き残れたとしても、とても無事とは言えない状態になるかもしれないと、薄れていく意識の中で覚悟した。
今はそんな記憶の方が夢だったかのように、何ともない。
「殿下。頼みますから、もう……あのようなことはなさらないで下さい。私はあなたの臣下です。臣下を守って主が傷つくなどあり得ないことです。私など、捨て置いてください。ヴィクトリア嬢がいらっしゃらなければ、どうなっていたか!」
「お前も死ぬなよ。頼むから」
エリオットがそう言うと、リュカはため息をついた。
「礼は言いませんよ。またやられたら困りますからね。それにしても、昨日の今日でエリオット様がもうピンピンしていることを皆にどう説明しましょうかね」
そう言いながら、リュカがさりげなく目の端に光るものを拭いていることを、エリオットは気づかないふりをした。
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