5 / 7
(5)旅立ちの支度
しおりを挟む
そうするうちに、1日、1日と、3月も終わりに近付いていった。
そして、卒業式も終わってしまった。
卒業式の翌日は、ついに彼が東京へと巣立つ日だった。
彼は、朝から引越しの荷造りの仕上げをしていた。
部屋は、散乱した古雑誌や不用品を取り除くと6年間の生活ぶりがそのまま蓄積したように、本やビデオ、CD、食器や炊事道具、掃除道具などの日用品や雑貨、服、インテリア、ポスター、パネルなどがかなりあった。
それに、6年前に期待と不安を抱えて入居した当初の家具や電化製品も。
それらを、東京に持って行く分と、そしてそのまま置いていく分に仕分けた。
置いていく物は和代に頼んで、彼女の知り合いの学生たちに譲ったり、リサイクルショップに出したりする事になっている。
和代は大学の博士課程を終えたのち、助手としてそのまま大学に残っているという類の人だ。
そして以前ほどではないにしても、学生たちを集めては楽しく交流し、人脈はますます広がっていた。
前の晩も、和代や彼女の周りの仲間たちと別れを惜しんで飲み明かしたのだった。
和代が研究室の忙しい仕事の合間に手伝いに来てくれたおかげもあって、引越し作業は手際よく進んだ。
午前中に、前日までそこで生活が営まれていたとは思われないほどに片付き、段ボールの山が築かれていた。
その作業中にも、孝の心にはまだある思いがわだかまっていた。
不意に聞こえた鳥の声に引越しの荷造りの手を止めて開け放たれた窓の外に目をやると、隣の家の屋根にも、その向こうの空の下にも、春の陽光がうららかに降り注いでいた。
大通りを走る車やバスの音が何軒かの屋根を越え、路地裏のアパートの2階にある部屋までのんびりと聞こえてきた。
時折、外で駆ける子供たちの声や犬の吠える声も聞こえてきたが、眠気を誘われるように静かな昼下がりだった。
アパートのそばの道端で、近所のおばちゃんが立ち話を始めたらしい。
複数の中年女性の、妙に歯切れの良いおしゃべりや笑い声が、いくらかの冷たさを残した風に乗ってきた。
孝は窓辺に歩み寄ったまま立ち尽し、白っぽく光る空をぼんやりと眺めながらふうっと深いため息を漏らす。
暗くて冷たい冬が終わって明るい春がめぐってきたのに、住み慣れた町とも、出会った人びととも、そしてこの部屋からも別れなければならないのか。
そう思うと、一抹の寂しさと、そして胸の苦しみを感じた。
そして、別れたあの夜から一度も連絡を取らないまま、孝は亜紀にあいさつもなく町を出ていこうとしているのだ。
せめて、電話で一言、さよならを告げてもいいだろうか・・・ふと浮かんだ考えに、心が微かに揺れた。
その時、「これ、持っていく分?」と声をかけられ、孝ははっと我に返った。
和代だった。
彼女の手元に漫画本を詰めた段ボール箱。
「あ、それは、坂下に譲る分」
「坂下君ね」
和代は箱の上面にマジックで「坂下」と書いた。
「・・・もうこれで、あらかた済んだようね」
そう言いながら、和代は両手を組んで頭上高く上げて伸びをした。
まだ、こまごまとした物の整理や掃除が残っていたが、確かに、ほとんど終わったも同然だった。
あとは和代が借りてきたワゴン車に譲ったり売ったりする荷物を積み込んでから、あらかじめ予約しておいた宅配業者の単身引越しサービスが東京に運ぶ荷物を取りに来るのを待つばかりだった。
外は、いつまで経っても春の午後の穏やかさだった。
割と低空で飛ぶプロペラ機のエンジン音が、空の遠くの方から聞こえてきた。
そして、卒業式も終わってしまった。
卒業式の翌日は、ついに彼が東京へと巣立つ日だった。
彼は、朝から引越しの荷造りの仕上げをしていた。
部屋は、散乱した古雑誌や不用品を取り除くと6年間の生活ぶりがそのまま蓄積したように、本やビデオ、CD、食器や炊事道具、掃除道具などの日用品や雑貨、服、インテリア、ポスター、パネルなどがかなりあった。
それに、6年前に期待と不安を抱えて入居した当初の家具や電化製品も。
それらを、東京に持って行く分と、そしてそのまま置いていく分に仕分けた。
置いていく物は和代に頼んで、彼女の知り合いの学生たちに譲ったり、リサイクルショップに出したりする事になっている。
和代は大学の博士課程を終えたのち、助手としてそのまま大学に残っているという類の人だ。
そして以前ほどではないにしても、学生たちを集めては楽しく交流し、人脈はますます広がっていた。
前の晩も、和代や彼女の周りの仲間たちと別れを惜しんで飲み明かしたのだった。
和代が研究室の忙しい仕事の合間に手伝いに来てくれたおかげもあって、引越し作業は手際よく進んだ。
午前中に、前日までそこで生活が営まれていたとは思われないほどに片付き、段ボールの山が築かれていた。
その作業中にも、孝の心にはまだある思いがわだかまっていた。
不意に聞こえた鳥の声に引越しの荷造りの手を止めて開け放たれた窓の外に目をやると、隣の家の屋根にも、その向こうの空の下にも、春の陽光がうららかに降り注いでいた。
大通りを走る車やバスの音が何軒かの屋根を越え、路地裏のアパートの2階にある部屋までのんびりと聞こえてきた。
時折、外で駆ける子供たちの声や犬の吠える声も聞こえてきたが、眠気を誘われるように静かな昼下がりだった。
アパートのそばの道端で、近所のおばちゃんが立ち話を始めたらしい。
複数の中年女性の、妙に歯切れの良いおしゃべりや笑い声が、いくらかの冷たさを残した風に乗ってきた。
孝は窓辺に歩み寄ったまま立ち尽し、白っぽく光る空をぼんやりと眺めながらふうっと深いため息を漏らす。
暗くて冷たい冬が終わって明るい春がめぐってきたのに、住み慣れた町とも、出会った人びととも、そしてこの部屋からも別れなければならないのか。
そう思うと、一抹の寂しさと、そして胸の苦しみを感じた。
そして、別れたあの夜から一度も連絡を取らないまま、孝は亜紀にあいさつもなく町を出ていこうとしているのだ。
せめて、電話で一言、さよならを告げてもいいだろうか・・・ふと浮かんだ考えに、心が微かに揺れた。
その時、「これ、持っていく分?」と声をかけられ、孝ははっと我に返った。
和代だった。
彼女の手元に漫画本を詰めた段ボール箱。
「あ、それは、坂下に譲る分」
「坂下君ね」
和代は箱の上面にマジックで「坂下」と書いた。
「・・・もうこれで、あらかた済んだようね」
そう言いながら、和代は両手を組んで頭上高く上げて伸びをした。
まだ、こまごまとした物の整理や掃除が残っていたが、確かに、ほとんど終わったも同然だった。
あとは和代が借りてきたワゴン車に譲ったり売ったりする荷物を積み込んでから、あらかじめ予約しておいた宅配業者の単身引越しサービスが東京に運ぶ荷物を取りに来るのを待つばかりだった。
外は、いつまで経っても春の午後の穏やかさだった。
割と低空で飛ぶプロペラ機のエンジン音が、空の遠くの方から聞こえてきた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
迷子を助けたら生徒会長の婚約者兼女の子のパパになったけど別れたはずの彼女もなぜか近づいてくる
九戸政景
恋愛
新年に初詣に来た父川冬矢は、迷子になっていた頼母木茉莉を助け、従姉妹の田母神真夏と知り合う。その後、真夏と再会した冬矢は真夏の婚約者兼茉莉の父親になってほしいと頼まれる。
※こちらは、カクヨムやエブリスタでも公開している作品です。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる