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4.平成11年

そして道はどこまでも続く(完)

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それからさらに年月としつきが流れた。
その間に、友彦の会社は急速に業績を悪化させた。

もとから無理な業績拡大を狙い続けてきたツケが一気に回ってきたような、坂道をブレーキもかけずに転がり下るような転落。
融資を回収すべく銀行から送り込まれた新経営陣は、いかにも事務的に業務効率化を叫ぶばかりでむしろ社内のモチベーションをダウンさせた。

コロコロ変わる経営方針と、無理なコスト削減のしわ寄せが現場をぎゅうぎゅうに苦しめた。社内の雰囲気は殺伐としたものへと変化し、怪情報や怪文書が社内を駆け巡り、退職者も相次ぎ、しかし最後の2年はそれさえ補充されないまま組織は劣化していくばかり。

友彦は残業につぐ残業でゆうこと会えない日が続いた末に、ついに彼女と疎遠になってしまった。
失意を抱えたまま、それでも正気を忘れたように会社にしがみつき馬車馬のように働くばかり。

そんな時に思い出すのが、中学時代の実家の破産。
職場を包む雰囲気はまさしく友彦の記憶の奥底にあるそれと同じで、もうこの会社は長くは持たないな、そう感じていた。

しかしそれよりももっと、「お姉さん」の事が思い出されることが増えた。
時間がそうさせたのだろうか、もう「さよなら」を言おうという気持ちすら危うく忘れかけようとしていたのに。

深夜に帰宅し敷きっぱなしの布団に横になりながら「ジュニア・クラシックス」のページを開いて「お姉さん」の思い出を反芻するように心の奥底から引っ張り出して味わっていると、心が静かに暖まるのを感じていた。
そして、あの頃に帰りたいという思いを抱えたまま眠りに落ちるのだった。

彼は年末に希望退職に応じる形で会社を辞め、新しい仕事を探し始めた。
お姉さんのことを思い出すひとときが彼を正気に戻し、泥舟と化した会社からの訣別を決意させたのだ。

同時に、ゆうこともやり直せないかとも思い始めた。
そうやって、自分のそれまでの人生に一つの区切りをつけようと。

なにより、「さよなら」すら言わずに彼女と永遠の別人になってしまいたくなかった。

ハローワークに通い知人や友人のつてを頼りながらの職探しは難航したが、なんとか次の職場が決まった。
その頃にはもう、春も盛りの頃だった。

彼は車で小旅行に出かけた。
行先は、島原半島の南にある口之津。

久々にゆうこから連絡があり、彼が次の仕事が決まったことを伝えると、「また会いたい」と言ってきたのだ。
彼女は福岡での仕事に行き詰まりを感じ、休職して実家に戻っているところだった。

だいぶ久しぶりに訪れた島原は、雲仙の噴火災害からようやく立ち直ったばかりの再生の町だった。
彼が九州に帰ったばかりの頃に普賢岳の火山活動が活発化し、山には溶岩ドームが出現し、麓の町は泥と灰にまみれてしまっていたのだ。

数年続いた火山活動もやがて落ち着き、復興が進み始めていた。
それでも、火砕流や土石流の爪痕の残る地域も残っていた。

途中そこも通過したがすでに新しい橋が架けられ、周辺では整地作業が進められていた。
整備された国道を引きもきらず行き交う、トラック、観光バスや乗用車。

人間の営みというものは不死鳥にも似て、破壊されても再生を繰り返すもののようだ・・・。
そんな事をぼんやりと思いながら、荒地の先にある春の柔らかい陽射しを浴びて静かにそびえる山を横目に南へ向かう。

途中の町で信号停車中の友彦の視界に、一人の少女が入った。
その少女は、まだ小学高学年か中学生くらいか・・・うっすらと赤い丸い頬、ふっくらとした体つき、くりくりとした瞳、長くて豊かな黒髪。

友彦は、心が騒いだ。
少女には彼が最初に出会った二十歳頃の「お姉さん」の面影が確かにあった。

あと数年もすれば、あの「お姉さん」とそっくり瓜ふたつな女性になるはずだと思われた。
あの11年前の夏の日、「お姉さん」の背に負ぶわれていた女の児だと確信した。

もとよりその証拠などない。
けれども、そうだとしか思われなかった。

そんな彼に気付くはずもなく、その少女は学校の友だちだろうか、仲間たちの中で明るく笑いながら横断歩道を渡りそのまま向こうに行ってしまった。

一陣の春風が一帯に吹き渡る気配を感じた。
信号が青に変わり、彼は「お姉さん」の影を心に抱きながらも改めて南へ向かうことにした。

道端に咲く花が風に揺れていた。
眠気を誘うような春の昼まえの国道をガタガタの軽乗用車を走らせながら、いつかまた「お姉さん」と巡り合う機会があれば、その時こそ忘れずに言おうと決めた。

「さよなら、いつまでもお元気で」と。

海沿いの道は緩やかにカーブを重ねながら続いていた。
春霞みの空には綿雲がぽっかり浮かびながら風に乗って流れる、のどかな春の日だった。

(とりあえず、完)
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