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72.モブ役者は無意識チートな演技力を見せつける

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 ようやくこちらの話を聞いてくれそうな気配になった西尾にしおさんに安堵して、ホッと息をつく。
 でも、どうやって説明するべきだろうか……?
 相手のプライドを傷つけずに、しっかりとこちらが伝えたいことを理解してもらおうとするのは、けっこう骨が折れる気もする。

「───でも、オレの演技はまだ全然ダメなんだろ!?だってさっき監督は、オレがどんな演技をしてみせようと、即『ダメだ』って言ってきたんだぜ?!」
 そんな矢先、まさかの西尾さん自身がそこに言及してきてくれるなんて。
 これは渡りに船だ。

 ───そう、『どんな演技をしてみせようと』って。
 それって、つまりはってことだろ?
 この発言が出てくること自体、やはり西尾さんはおなじ演技をくりかえさなきゃいけないことを、きちんと理解していないということになるんじゃないだろうか?

 たぶん、僕たちのようなテレビや映画を中心にお仕事をする『映像畑』の人間からしたら、演者にしてもスタッフにしても、あたりまえのことすぎて未経験のド新人でもない相手には、今さら言葉にして伝えることはないことかもしれない。
 かくいう僕だって、さっきまでは『時代劇とはいえドラマ撮影の経験があるのだから、西尾さんが知らないはずないのに』って思っていたくらいだし。

「ただ『ダメだ』って言われたところで、オレの演技のどこがダメだったのか、わかるわけがないだろ!……ひょっとしたら監督は『言葉にしないでも理解しろ』なんて言いたいのかもしれないけれど、だれがなにをかんがえているかなんて、実際は言葉にしなきゃわからないものなのにさっ!!」
「───うん、そうだね」
 激昂する西尾さんに、なかば確信をもってうなずいた。

「西尾さんのその気持ち、よくわかるよ。なにをどう演じればいいのかなんて、そこまで細かく台本には書いてないものだし、演技なんて本当に試行錯誤の連続だよね」
 そう、そのキャラクターを演じるにあたっての骨格ともいうべきセリフやト書きはあれども、そこにどう肉付けするべきなのかまでは書かれていないから、それを判断して演じてみせるのは僕たち役者の領分だった。

 監督がどういう演技をもとめているのか、そしていっしょに演じる相手はどうかんがえているのか、それを想像して、しかもそこに自分が演じたい理想を乗せて最適解を探す。
 それは決して明確なこたえがあらかじめ用意されているものなんかではなくて、手さぐりでたどっていくしかないものだ。

「そうだよ!だからいろいろと試してるのに、ただ『ダメだ』『ダメだ』って言われたって、なにがどうダメなのか言われなきゃ、改善しようがないだろっ!!」
 だからこうして迷ってしまう西尾さんの気持ちも、わからないでもなかった。
 ただそれは、今回にかぎっては杞憂だったのだけど。

「あの……念のために確認するけれど、さっきの撮りなおしのたびに演技を変えてきていたのは、監督の求めている演技がどういうものか、わからなかったからでいいですか?」
「そうだけど、それがなにか!?」
 念のために問いただせば、その瞬間、あきらかに西尾さんの機嫌は低下した。

「えぇっと……実はですね、撮りなおしをしているのは別に監督が採用する演技のパターンを決めかねているからではなくて、たとえば今回みたいにふたり以上の役者がいて、どちらの表情もアップで撮りたいときなんかに、機材やスタッフの配置の関係上、やむなく何度もくりかえして撮りなおさなきゃいけないだけでして……」
 こう説明しながらも、ふと、なつかしい気持ちが込みあげてきていた。

「え……?そう、なの?」
「はい、そうなんです」
 ぽかんと口を開けた西尾さんに、大きくうなずきかえす。

 そんな西尾さんの姿に、はじめて共演したころの東城とうじょうの姿がかぶって見える。
 ドラマ初心者どころか、まったくの演技初心者でしかなかった東城もまた、おなじように勘ちがいをしては何度も撮りなおしのたびにちがう演技をして、岸本監督にとがめられていた。
 あのときも、周囲をふくめてあたりまえのことすぎて、まさか東城が知らないなんて思わず、何度もNGを出してしまったんだったっけ。

 ……あぁ、なつかしいな。
 あのときも東城も面倒を見るのが大変だったけど、今回の西尾さんもまた、手のかかる存在だった。
 でも、こうして新しいことを知って成長していく姿をだれよりも近くで見守ることができるっていうのは、やっぱり楽しいことだなって思う。

「そんなことが……??いや、でもそう言われると、そんな気も……?」
 聞き取れるかどうかくらいの声量でつぶやく西尾さんは、どうやら僕の言ったことをすなおに受け止めてくれたらしい。
 完全に納得したわけではないにせよ、それでもただの理不尽なダメ出しじゃなかったってことがわかっただけでも、だいぶ腑に落ちたんだろう。

「そういう意味では最初のカットからOKが出ていたんですから、西尾さんもちゃんと監督の納得する演技が一発でできていたってことになりますよね!なので自信をもって、あの最初の演技を再現してもらえればいいんじゃないかと思います」
「───そういうことなら、わかった」
 はげます気持ちを言葉にのせて必死にそう伝えれば、いまだに拗ねたような表情のままではあったけれど、小さくうなずいてくれた。

「……ちなみに例の時代劇のときにも、こういうくりかえしの撮影があったかと思うんですけど、そのときの監督は教えてくれなかったんですか?」
「~~~~っ、あのときは監督から『いいから黙っておなじ演技してろ!』としか言われなかったんだってば!だからてっきりオレの演技がひどいから、もう指導するのをあきらめたんだと思ってたんだよ!」
「あぁ、なるほど……それじゃわからなくても、しょうがないですよね……」

 ふと思いついた疑問を口にすれば、西尾さんはぎゅっと目をつぶりながらこたえてくれる。
 けれどその声はもう、先ほどまでの不機嫌きわまりない声ではなく、むしろどこかはずかしそうな、そんな響きを持っていた。

 あぁよかった、うまいこと誤解は解けたみたいだ。
 これでまた撮影が再開できる、なんて思っていたのだけど───。

「じゃあ、そろそろ休憩は終了して、撮影にもどりましょうか?」
「うん、最初とおなじ演技をくりかえせばいいんだよな?大丈夫、今度は毎回演技を変えるようなことはしないから」
「はい、お願いしますね?」

 そんなやりとりをして、会議室を出ようとしたそのとき。

「あっ!ど、どどどどうしよう!?オレ、いろいろとやりすぎて、最初にやった演技……おぼえてない、かもしれない……」
 ガシッと腕をつかまれ、西尾さんにすがりつかれる。
 その余裕のない真っ青な顔を見れば、冗談ではないことくらい、すぐに伝わってきた。

「え……まさか……?!」
「冗談とかじゃないし!本当に今、ちょっと記憶が飛んじゃったというか……」
 まいったな、ようやく再開できると思ったのに、どうやら今日の僕はとことんトラブルに見舞われるらしい。

「どうしよう、オレ、ようやく撮影の仕組みを理解できたのにっ!」
 こういうの、弱いんだよなぁ。
 今にも泣きそうな顔ですがりつかれると、どうにも助けてあげたくなってしまうというか。

 もちろん、このまま休憩明けでスタジオにもどったなら、そこで最初に撮影した映像を見せてもらうことはできるだろう。
 それに専用スタッフだっているわけだし、どんなしぐさや演技だったか、教えてもらうこともできなくはないのだと思う。

 けれど、こうして休憩になった経緯を思うと、それをお願いするのがむずかしいことは容易に想像がついた。

 だって、セオリーを無視してさんざんちがう演技をしたあげくに、最初の演技を忘れてしまったなんて、そんなの立派なヤラカシ案件だろう?
 なら、ここは───僕の出番かもしれない。
 そうだよ、幸いにして僕も演技に関してだけは記憶力に自信があるのだから。

「……わかりました、すいません、後藤さん。スタッフさんにちょっとだけ遅れるって伝えてきてもらえますか?」
「えぇ、承知しました」
 これまで黙ってこちらを見守ってくれていたマネージャーの後藤さんにお願いすれば、快く引き受けてくれた。

「それじゃ西尾さん、これから僕が最初にやった西尾さんの演技を再現しますので、見て思い出してくださいね?」
「へっ?」
 ぽかんとしている西尾さんを前に、一度だけ気持ちを落ちつかせるために目を閉じる。

「『それで、話っていうのはなんだ?……なんて、聞く必要もなさそうだな』」
 まっすぐに西尾さんを見つめ、なにもかも悟ったような顔をしてため息まじりにつぶやく。
 これが最初に西尾さんが演じた、トシの演技だった。

 僕の演じる比良山ひらやまも相当の覚悟を決めて出向いたところだったからこそ、こうしてそれに応じるように真剣に受け止めてくれる演技をしてくれたのが、すごいよかったんだよな。
 おかげで僕もその後の演技が、とてもやりやすかったのをおぼえている。

「あ……」
 こちらを見る相手の目は、それまでのぼんやりとしたものから、急激に焦点をむすぶように、はっきりしたものに変わっていく。
 よし、少しは感覚がもどってきただろうか。

「『あぁ、そうだな。トシ……あの事件の犯人は───おまえなんだろ?』」
 すかさず今度は自分のセリフを投げ込む。
 これはもう、なんどもくりかえし演じたものだから、スムーズに出てきてくれた。

「『さすがにおまえには気づかれているか……あぁそうだよ、あの最低な男は俺が殺してやったんだ!』」
 ここはたしか、少し大げさなくらいの演技だった気がする。
 でもサスペンスドラマなら、そのわかりやすさは案外大事なものだから、これはこれで正解だ。

「『どうしてそんなことッ!?』『そんなの、アイツが悪人だったからに決まってるだろ?だから消してやったんだ!褒められることをしたんだよ、俺は』」
 こちらのとがめるようなセリフを受けて、しかしここは悪びれるどころか、少し胸をそらして誇らしげに、まるで罪悪感なんて感じさせないようにしていたはず。

「───って感じなんですけど、どうです、思い出せそうですか?」
「……………」
 一応間の取り方から声色、しぐさに至るまで、できるだけ正確に記憶をなぞって再現したつもりだったけど、はたしてどうだっただろうか?
 そりゃ、いくらまねたところで、しょせん僕では西尾さんの地顔のよさまでは再現できないのだけど。

 それでもこれが今の僕にできる、最大限のアシストだった。
 若干気になるのは、さっきからこちらを凝視する西尾さんの視線が痛いってことだけど。
 ひょっとして、あまりにも似てなかったとかで不快になってしまったんだろうか?
 だとしたら、非常に申し訳ない……なんて思っていた、次の瞬間。

「は…ああぁぁ~~~っ!??」
 ふいに西尾さんが突拍子もない声をあげ、そのまま両手で顔をおおいながら、その場にへたり込んでしまった。

 えぇっ!?
 それはいったい、どういう心境なんだ?!
 まったくもってわけがわからない。

 助けをもとめるように見た西尾さんのマネージャーさんもまた、ぽかんと口を開けたままこちらを凝視しているだけで、とても役には立ちそうになかった。
 そうして僕は、西尾さんの突然の奇行に、ただとまどうしかなかったのだった。
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