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64.モブ役者は思わず泣き言をもらしたくなる

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「大丈夫ですか、羽月はづきさん?」
「うぅ、思ったより全身に来ているというか、筋肉痛じゃないところを探すほうがむずかしいくらいです……」
 こちらの様子をうかがうように尋ねてくるマネージャーの後藤さんに、思わず泣き言を口にしてしまう。

 顔合わせのつもりで出席した雪之丞ゆきのじょうさんのところの劇団で、いつぞやのようにつづけて地獄の稽古タイムへと突入してしまったのは、つい昨日のことだ。
 昨晩は、なかば寝落ちながら自宅まで送り届けられたことさえ、記憶から抜け落ちそうなくらいヘトヘトになってしまったのは言うまでもない。

 そして今はまた、昨晩に引きつづき後藤さんの運転する車で、別のお仕事の現場に向かっているところだった。
 今日の現場は、前の事務所にいたころから出ていたシリーズ物の2時間枠サスペンスドラマの撮影で、セットが組まれている郊外にあるテレビ局の撮影スタジオへと向かっていた。

 そのドラマは、『サスペンスドラマの帝王』だの『女帝』だのと言われるベテランの俳優さんたちを主役に据え、脇を固めるのも『個性派』だと呼ばれるような俳優さんが多くいるものだ。
 流行りのタレントだのアイドルがいるわけではないから、一見しただけでは決して派手ではないものの、たしかな実力の役者のそろう現場だった。

 そのおかげか、なんだかんだ言いつつも視聴率を毎回しっかりと稼いでいる長寿番組でもあるのだけど。
 そんな『いぶし銀』がそろう現場なんてなかなかないからこそ、めちゃくちゃ勉強になるんだ。
 だからこそ、僕がもらっている役はほんのちょい役でしかないとしても、大事にしているお仕事のひとつだった。

「昨日羽月さんが練習していたのは、ふだんのアクションとは全然ちがう動きだったでしょう?特に日舞は、日常生活では使わない箇所の筋肉を酷使するなんて言いますから」
 そう言って、ステアリングをにぎる後藤さんは苦笑いを浮かべる。

 そうなんだ、スピード感のある殺陣やダンスとちがって日本舞踊は、ゆったりとした動きだから楽そうに見えるかもしれないけれど、案外全身の筋肉を使う。
 そんなわけだから優雅に見えるあの動きも、筋肉がなくては逆にまったく美しく見せられなくなってしまうんだ。

「ひとまず今日のドラマ撮影は基本的にスタジオ撮りですし、アクションがあるわけでもないですから、なんとかなりますよ」
 僕の疲れた様子を見ながら、バックミラー越しに後藤さんが笑いかけてくる。

「えぇ、そうだといいですね」
 僕も苦笑いをかえしながら、そっとため息をついた。
 なんとなくこれまでの自分の経験上、こういうときほど、なぜかトラブルに巻き込まれるというか……とにかくよくないことが起きがちだった。

 ───本当に、トラブルが起きませんように!
 嫌な予感をふりはらうように軽くかぶりをふると、そっと目を閉じる。
 そうして思い出されるのは、昨日の稽古場でのあれこれだった。


     * * *


 第一部は、いわゆる伝統的な日本舞踊に近い振付で、僕に割り当てられたのは、わずか二曲分だけだったのだけど。
 ひとつは僕がメインで、ほかの劇団員さんたちをしたがえて踊るもの、そしてもうひとつは雪之丞さんとふたりで踊るものだった。

 もちろん僕が初心者に近いからといって、一切の手加減をされることもなく、本当にほかの劇団員の人とおなじように厳しく所作の指導を受けた。
 見本を見せてくれたのは、雪之丞さん本人で、その後は前に僕が女形の動きの指導を受けた『花邑はなむら兄さん』が付きっきりで指導をしてくれて、最後にもう一度雪之丞さんと合わせたのだけど……結果は惨敗だった。

 よくまわりの人たちから『雪様は厳しい』と言われているけれど、他人以上に自分に厳しい人だけあって、本当にひとつひとつの所作にも手抜きはなくて。
 むかいあっておなじ動きをしているはずなのに、相手の動きはまるで神様に祈りをささげる奉納の舞いのようにも見えてきて、もはや男であるとか女であるとか、そういう性別すらも超えた存在に見えてしまったというべきか。

 ───そこでしみじみと思い知らされたんだ、彼我の差がいかに大きいのかってことを。

 緩急がついていて、なにをやってもすべての瞬間が一枚の絵になるほどに美しい所作の雪之丞さんと、必死に振りを追うだけで手いっぱいの僕とでは、比べるまでもなかった。
 これでも僕はなんでもそれなりに器用にできるつもりでいたけれど、そんなものは幻想でしかなくて。
 それくらい昨夜の時点で、雪之丞さんと僕との差は歴然としていた。

 まぁ逆に、絶対にその差を埋めてやるんだって燃えたんだけど。
 我ながらけっこう負けず嫌いなところがあるのは知っていたけれど、今回は本当に無謀だと言わざるを得ない。
 けれどその一方で、その無茶とも言える挑戦にワクワクしてもいた。

 ───だって、その稽古を通じて感じたんだ、僕の目指すところは、雪之丞さんのかかげる理想とおなじところなんだってことに。

 演じる側が初心者だろうとベテランだろうと見に来てくれるお客さんには関係ないことで、僕たちが板の上に立つということは、『必ず最高のものを見せる』という約束をお客さんにたいしてすることと、おなじ意味を持つんだっていう。
 僕たちはおたがいに、そういうプライドをもって仕事にのぞんでいる。

 そして見に来たお客さんに、劇団員全員が今できる全力を出し切って仕上げた最高のものをお見せする。
 心の底から楽しいと思ってもらえるような演目を作り、そして満足してもらうという、それこそが月城座つきしろざのゆるがない信頼であり、矜持なんだってことが、たった1日の練習にしか参加していないはずの僕にも伝わってきたから。

 そうと決まれば、あとはよけいなことなんてかんがえる必要はなかった。
 ただひたすらに己の技を研鑽し、公演の初日をむかえるまでに最高の状態に仕上げるだけだ!

 ……と、まぁそんなわけで、昨夜は僕の負けん気がいかんなく発揮された結果、今朝から全身が筋肉痛になるという状態に至っているというわけだった。


     * * *


「しかし、月城座の皆さんはあれだけのお稽古を、ほぼ毎日されているというのだから恐れ入りますね。さすがは伝統ある大衆演劇の老舗劇団というところでしょうか?」
 しみじみと後藤さんがつぶやく。

「本当ですよね、僕もほかの撮影のお仕事がなければ、もっとお稽古にも参加したかったんですけど、さすがにスケジュールの調整をしてもらうにしたって、これ以上は無理でしょうし……」
 その点は、ちょっとだけあせっていたりもするんだけど。

 だって、ただでさえ僕は経験が浅いのに、それなのに相手は経験豊富で、さらに僕のいない日にもあれほどの熱量の稽古を重ねているんだとしたら。
 引き離される一方になるんじゃないかって、心配にもなる。

「しかし無理やり稽古現場をいっしょにしたからと言って、必ずしも上達するともかぎりませんし、なにより移動時間がもったいないことになりますからね。こちらはこちらで、撮影の空き時間にできることからやっていくしかないと思いますよ?」
「そう、ですよね……」
 それはたしかに、後藤さんの言うとおりだった。

 今向かっている撮影スタジオが若干都心から離れた遠いところにあるせいで、そこと月城座の稽古場とを往復しようとすると、けっこうな時間がとられてしまう。
 この現場には数日間通う予定になっていたとはいえ、たしかに後藤さんの言うとおり、いくら撮影の空き時間が多めにあると言っても、無理に稽古に合流しようとすると、かえって移動時間に取られてしまって、お稽古のために取れる時間は少なくなってしまうだろう。

 だったら、しっかりとこっちでできる練習を重ねておくしかない。
 そもそも僕はゲスト出演だからこそ、これでも出る演目は相当絞られているし、ずいぶんといい立ち位置だって用意してもらっているんだ。
 それにショータイムの演目だって、かなり免除してもらっているほうなんだから、泣きごとを口にするわけにいかないと思う。

 だってほかの劇団員さんたちは、ほとんどの演目のバックダンサーよろしく踊らなきゃいけないし、僕よりもおぼえることはたくさんあるんだ。
 ───そのなかでも、ソロもふくめて一番多く舞台の上に出ているのは、きっと雪之丞さん本人なんだろうけどさ。

 そういう意味では本当に恐れ入るというか、劇団の看板を背負うって───人気を背負うとはこういうことなんだって、お手本を見せてもらっているような気がする。

「よしっ!それじゃこの数日間は、撮影の空き時間ができそうなんで、そこでもしっかりと練習しますね!」
「えぇ、その意気ですよ、羽月さん!」
 まだまだ僕は勉強できることがたくさんあるんだって、そう思うとこんなところで立ち止まっているわけにいかないよな?

 そんなこんなで、全身の痛みと戦いながらも決意を新たにする。
 このお仕事もまた、今の僕が全力で挑み、そして越えるべき壁なんだってことを。


     * * *


 ───しかしそんな僕の決意も、次の現場に到着した矢先、もろくもくずれ去っていった。
 よりによって、必死におぼえていったドラマの台本が、実は丸ごと差し替えになっていたと聞かされることになるなんて、だれが想像できる?!

「……どういうことなのでしょうか?」
 現場にいるADさんにたずねる後藤さんの声は、いたって冷静な声に聞こえる。
 けれど僕にはわかる、これは静かに怒っているときの声だ。

 僕だって、相手につめ寄ってたずねたくもなる。
 どうしてそんなことになったのか、とか。
 差し替えになった時点で、なんで連絡がないのか、とか。
 けれどそれは、僕の代わりに後藤さんが請け負ってくれた。

「いやぁ、脚本家の先生がね、どうしても元の本の展開じゃ納得できないって言うんですよね。なによりこれはPもふくめてOK出ていることなんで、差し替えざるを得ないでしょう?」
 それにこたえるADさんの声は、自分よりもえらい人たちの決定なんだから仕方ないとばかりに、潔く責任転嫁をしているように聞こえてくる。

 彼にしてみれば、自分だっていきなり予定が変わったとプロデューサーから告げられて困っている側だという認識なのかもしれないけれど。
 撮影当日にそれを知らされるとか、いくらなんでもそれは無責任がすぎないだろうか!?

「仕方ないッスよね!とにかく今日の撮影が押しちゃうと主役の方々にも迷惑かかっちゃうんで、よろしくお願いしますよ?!」
 それどころか、こちらの神経を逆なでするように、さらにダメ押しのためにADさんはそんなことを言う。

 冗談じゃない!
 当日に台本が差し替えされたなら、撮影だって押すものだろう?!
 そう言って相手の罪を問えば少しは溜飲を下げられたのかもしれないけれど、気持ちはどうであれ、ここでの僕はただの若手にすぎないのだから、すなおに引き下がるしかなかった。

「そうですか……わかりました。では新しい本をいただけますか?」
 そう思って、自分ではかなり譲歩したつもりだったのに、どうやら現実は僕に相当厳しいらしい。

「あれっ、『新しい本』って……手もとに届いてなかったんスか?たしかうちの若いのが、一昨日には出演者みんなのところに届けたって言ってたハズですけど?」
「「えっ……!?」」
 それはまったくの初耳だった。

「あいにくとこちらには、いただいた記憶はないのですが……」
「えぇっ!?ウソでしょう!!?」
 必死に怒りをおさえながらこたえる後藤さんの声は、かすかにふるえていた。

 ───あぁもう、こんなかたちで僕の不安が的中してしまうだなんて、冗談にしてもタチが悪すぎるだろ!
 まさかの撮影現場で降って湧いてきたトラブルに、僕は胃が痛くなるのを感じていた。
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