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24.切れ者マネージャー無双は継続中です

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 所属事務所の移籍に関しては、契約が切れて、かつ、なんのトラブルもなく退社できるなら移籍金なんてものは、そもそもかからないで済むものだ。
 そりゃ東城とうじょうみたいな大スター級俳優が、別のプロダクションに契約期間中に移籍するのであれば、違約金ふくめて数億円かかるなんてことも十分あり得るかもしれないけれど。

 少なくとも名前が売れているわけでもないモブ役者程度なら、たとえば芸名の使用禁止とか、ほんの少しの制約をかけられるだけで、移籍金がかからないこともめずらしくはない。
 そうでなかったとしても、一般的には残りの契約期間中に受けて稼いだであろう仕事の報酬と、だいたい同額程度の支払いで済むはずだった。

 つまり僕の場合は、事務所との所属契約の更新は1年ごとだったし、支払ったところで数百万円、多くても一千万円てとこが妥当なはずだ。
 なのに後藤さんの提示している金額は、1億円と、あきらかにケタがちがっていた。

 案の定、うちの志島しじま社長をはじめ、この場に立ち会っている役員たちも顔色を変えている。
 そりゃそうだ、いくらなんでも高すぎる。
 事務所的にさほど価値を見出だしていないモブ役者の移籍の代償なんかで、受けとっていい金額じゃないだろ!

「……あの、失礼ながらモリプロさんは、こちらの羽月はづきの契約形態はご存じないのでしょうか?」
 遠まわしに、高すぎるから相場をまちがえているのではないかとたずねる社長は、根っからの悪人ではないんだろうな……。
 むしろ、黙っていきなり受け取ろうとしなかっただけ、誠実なくらいだ。

「えぇ、もちろん存じあげておりますよ、1年ごとの契約更新でしょう?」
「しかしそれなら、なぜ……」
 社長の疑問は、もっともだった。

「『なぜ』?おかしなことをおっしゃいますね、私の提示した額は、いたってふつうの積算を根拠にしているんですが?」
 なのに後藤さんは、余裕の笑みをくずさない。
 いったいどんな計算したら、こんな金額になるっていうんだよ!?

「……通常の移籍金とは、その残りの契約期間中に稼いだであろう金額が妥当とされているとおも」
「えぇ、ですからそれを根拠に算定した上で、こちらの金額をお示ししているわけですが?」
 志島社長の語尾にかぶせるように、食い気味に後藤さんが言い放つ。

「いや、いくらなんでも高すぎでしょう!こちらの羽月の出演単価を、まさかご存じないんですか!?」
「そうですよ、そんな金額を提示するなんて、よもやうちの事務所からの複数の引き抜きだとか、そちらの事務所との共演不可とかのペナルティでも課すつもりですか!?」
 口々に同席した役員たちも、疑問を口にしていく。

「いいえ?羽月さん以外のタレントさんになんて、用はありませんよ。すべて承知の上で、我々の事務所ならば、羽月さんの実力をもってすれば半年でこれだけ稼げると申しているのです。これだけの才能ある俳優をかかえながら、埋もれさせるしかできない事務所とはちがって……ね?」
 さわやかな笑みを浮かべたままに、後藤さんは真っ正面からケンカを売った。

「「「なっ!!」」」」
 なんてことを言うんだよ!?
 とたんに気色ばむ役員たちに、胃が痛くなってくる。
 後藤さんの言葉の刃は鋭すぎて、そしてなにより僕にたいする期待が重すぎてツラい。

 だって後藤さんの言葉の意味は、プロダクションしじまには、わざわざ引き抜きをかけるとか、モリプロとの共演NGをかける必要があるほどのタレントはほかにいないと言っているようなものだ。
 それに、前にもいきどおっていたように、うちの事務所のマネージャーたちの仕事の取り方がぬるいことまで、言外に非難していた。

「もちろん、それだけではありませんよ。あなた方は大事な自社の財産たるタレントの身を、みすみす危険にさらしましたね?ファンの間に情報が流出したと事前にお知らせしたにもかかわらず、なんの対策も取らず、迎えひとつよこさない。同業者として、そんな怠慢を見すごすわけにいかなかったんです」
 後藤さんは、毅然とした態度をくずさない。

「し、しかしファンの間に情報が流出したといっても、別に自宅がバレたわけでもないですし、バイト先といつ入るのかってことだけですよ?バイトなんて、辞めてしまえばそれまでなんだから。それにあつまったところで、人目が多くなるからこそ、滅多なことはできないでしょうに……」
 心配しすぎだと言おうとしている常務の見解は、感覚的にはわからないでもない。

 プライベートな自宅だの電話番号だのの情報がもれたわけではないのなら、コンビニのレジ打ちバイトを辞めてしまえば、それ以上追いかけられることはないわけで。
 基本的には人が多くあつまるイコールそれだけの人の目にさらされることにもなるわけだし、それが牽制につながるから、めったなことはできなくなるとも考えられる。

「かつて羽月さんが、その『ファン』のひとりに逆恨みされて、刃物で襲われそうになったことをお忘れですか?」
 でもその考え方は、どうやら甘かったようだ。
 後藤さんからの冷静なツッコミが入り、常務の顔色が変わった。

「言いたいことならまだありますよ。現在お稽古中の舞台にしても、オーディションの結果、内定を受けていたにもかかわらずメインどころの役から降板させられましたよね?うちならば所属のタレントさんたちに、そんな理不尽な目には遭わせませんし、主催者側へ断固として抗議を申し入れます。あなた方は、正式に抗議の申し入れはしましたか?」
「それは、その……」
 役員たちの顔色は、さらに悪くなっていく。

「たしかに、雇っているのはあなた方経営陣かもしれませんが、所属のタレントさんたちの才能は、それが演技であれなんであれ、そう簡単に得られるものではありません。彼らはあなた方の代わりに役員になれるとしても、あなた方が彼らの代わりにファンに夢や希望をあたえることなどできないでしょう?ならばそれは容易には得られない、敬意を払ってしかるべき才能なのです」
 後藤さんの言葉の端々からは、こらえきれない怒りがにじんで見えた。

「しかしあなた方は今回、この得がたい才能を有する羽月さんにたいして敬意も払わず、その身の安全を確保するための手当てを行わなかった。さらに理不尽な降板に遭ってもなお、抗議の申し入れもしなければ、役者本人のメンタルにかかるケアもしていない。これでは専属契約など、している意味がないでしょう!?ならば私どもが事務所の力にものを言わせて引き抜きをかけても、問題など起きようはずもないですよね?」
 怒涛の攻勢に、すっかりこちらの役員たちは呑まれてしまっているようだ。

「我々モリプロとしての誠意は、この小切手の額面にて示しました。それで結局、移籍のためのご契約はいただけるんでしょうか?」
「………っ!」
 にこにこと笑顔のままにプレッシャーをかけてくる後藤さんに、うちの役員たちの顔色は、さっきから赤くなったり青くなったり大忙しだ。

 でも多少の失礼があったところで、むしろモリプロのような業界大手の機嫌をそこねるほうが、うちのような弱小芸能事務所にとっては致命的になる。
 だからこれ以上は、ごねないほうが得策だと判断したのかもしれなかった。

 というか、そもそもの移籍金が高額すぎるわけだし、こちらから文句はおろか、条件なんてつけようもないと思う。
 僕がこのままここに在籍していたとして、そんな額を稼ぐのは、何年かかるかわからないくらいだし。

「はぁー………わかりました。そこまで期待をかけていただけるのなら、私どもに否やはないです」
 言いたいことはあるだろうけれど、それを呑み込んだ社長の決断に、いまだ青筋を浮かべたままの専務が席を立ち、奥の社長室の金庫からはんこを持ってくる。

「では、契約内容の読み合わせと参りましょうか?」
 後藤さんは事務的に、その契約書類を読み上げていく。
 ひととおり、おたがいの認識をすりあわせたところで志島社長が社判と代表者印を捺印し、移籍契約は成立した。

 その間、僕はひとことも発することができなかった。
 というか、こんな場所でここまで高く評価されて、どんな対応をすればいいんだよ?!
 後藤さんに対する恩と、これまで育ててくれた会社への恩と、その板挟みになってどうしようもなかった。

 ただでさえ一晩中コンビニのバイトと称したファン対応をしたあとで、疲れていたせいであたまもうまく働かなくて。
 ただ、とんでもない金額が、僕の引き抜きのために支払われたという事実を、受け止めきれずにいた。

 あぁもう、気を抜いたら、まためまいがしてきそうだ。
 どうしよう……僕になにができる?
 このままじゃモリプロと、プロダクションしじまの間にしこりが残ってしまう。

 うちの事務所だって、悪意をもって僕のことを放置していたわけじゃない。
 むしろここまで仕事がセーブされていたのも、僕が目立つ仕事はしたくないって、わがままを言ったからなんだ。
 そこら辺をきちんとフォローしなくちゃ、あまりにも恩知らずになってしまう。

 これが脚本に書かれたセリフなら、どんな内容だって、いくらでも平然とした顔で口にすることができるのに。
 ただ自分で考えたことを口にするだけが、こんなにむずかしいなんて思わなかった。

「おや、羽月さん、顔色があまりよろしくないですね。ひょっとして職場に押し寄せてきたファン対応で、お疲れなのでは?」
 悩みすぎている僕を見かねたのか、後藤さんがこちらの顔をのぞき込んでくる。
 でもそのセリフは、うちの事務所へのあてつけにも聞こえてくるから、余計に困ってしまう。

「いえ、あの……大丈夫です……」
 もちろん大前提として、後藤さんが僕自身を心配してくれているというのはわかる。
 だから心配いらないのだとこたえようとしても、そのあてつけもどきが気になってしまって、どうにも言葉がのどの奥に詰まって出てきてくれなかった。

 今のところ後藤さんは、明確にうちの事務所との対立を演じている。
 ───そう、なぜだかわからないけれど、あえて不遜な態度を取っていた。
 ふだんの物腰おだやかな姿からかけはなれた様子に、その意図するところが掴みきれなくて、どういう態度で接すればいいのかわからなかった。

 だって、下手にうちの事務所を擁護すれば、後藤さんだけを悪者にしてしまう。
 おそらくはこれまでの僕のあつかいにたいする不満を、移籍をするタイミングの僕が言ったら、後ろ足で砂をかけるようなものだし、角が立つからって全部代わりに言ってくれようとしているのかもしれない。

 自らが悪役となって済むなら、迷わずタレント本人を守るために悪役を引き受ける。
 たぶん後藤さんの、マネージャーとしてのプロ意識がそうさせているんだろう。
 そう思ったら、ますます僕は語る言葉を持てなくなっていった。

「しかし、いつものやさしい物腰の青年が、こんな牙を隠し持っていたとはね。まったくもって、してやられたよ」
「ふふ、恐縮です」
 思った以上にやわらかい口調で話す志島社長に、後藤さんもうっすらとほほえみを浮かべて返している。

「いやはや……年若いとはいえ、さすがはモリプロさんの敏腕マネージャーだ。その腕前を遺憾なく発揮して、羽月くんをぜひともスターダムにのしあげてやってほしい」
「えぇ、おまかせください。必ずや、東城湊斗みなとにも負けないくらいのスターにしてみせましょう」
 ガッシリと握手をするふたりには、先ほどまでの険悪なムードは見えなくなっていた。

「しかし……なんというか、これは娘を嫁にやる父親の気分だな。こんな高額な結納金までもらってしまって……。羽月くんを嫁にやる以上、モリプロさんというか東城さんには、これからもがんばってもらわなければならないね」
 だけどホッとしたとたんに、志島社長は大いなる爆弾を投げ込んできた。

「それもふくめて、私が責任もって面倒を見ましょう。どうぞ大船に乗った気分でお見守りください」
「───はいぃ?!」
 ちょっと待て、なんでそんなことを言われなきゃいけないんだよ??

 後藤さんも、なんでそんなに堂々と返してるんですか?!
 突然の爆弾発言にあたまをかかえそうになり、でもどうやら混乱しているのはこの場で僕だけのようだった。
 だから、いったいどういうことなんですか、これは───!?

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