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3章

35 信じていたはずの人

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 私たちは指一つ動かせず、卵を凝視した。

「いえ結構です。書類を取りに来ただけですから」

 穏やかなジェイデン様の声が聞こえる。二人のやり取りからは組合長とアナベル様のような親密さは感じられない。ただの仕事の話をしにきただけだ、そう思うのになぜか嫌な汗を背中に感じる。

「そちらの箱に入っているもので全部よ」
「わかりました」
「あなたが商会事務所の館に引っ越す時期で良かったわ。レインにこの館を探されては困ると思っていたの。事務所の書類はもう全て確認させたのでしょう?」
「ええ、すべて目を通していただきました」 
「レインがあなたを疑うことなんてないでしょうから」

 鈴のようなアナベル様の笑い声が聞こえる。レインを見ると彼は完全に固まったまま瞬き一つせず卵を呆然と見つめている。

「ギリングス領のアプリコット鉱石の件だけど」
「はい、伺っております。フォーウッド領と相見積もりをされるそうですね」
「工業組合から一種、私から一種、契約書を渡すから。合わせた金額をギリングス領に振り込んでおいて」
「かしこまりました」

 アナベル様が直接支払うのではなく、商会を通してリスター領として支払う。そう言っている。明らかな不正をジェイデン様は平然と受け取っている。それが意味するものは――

「組合長があなたを警戒するから契約書が二種になったわよ……手間だわ」
「警戒されるくらいがいいですよ、あれはわかりやすい男ですから」
「それもそうね、あなたの助言がなければレインとやり取りさえ出来なかったでしょうから。そろそろあの男も下ろさないとね」
「レイン様もセオドアも彼に不信感を持っていますから――今回の二重支払いの契約書、どちらも彼のサインをもらっています」
「二枚目の契約書が見つかっても問題ないわね。あえて見つけてもらうのもよさそう」
「そちらに関しては機を見て」
「バーナードの負の遺産たちを整理しないとね」

 決定的な会話が次々と流れていく。録音機能はないからこれは何も証拠にはならないけれど。

「ギリングス家は何か言っていた?」
「いえ、提示していた金額は支払われるのであれば問題ないそうです。それとアメリア様との婚約について話を進めたいと」
「レインの滞在期間はなかなか難しいわね」
「今はギリングスには敏感ですから」
「まあいいわ。パーティーの日に挨拶をお願いしているし、婚約者として発表すると伝えておいて。詳細はその後に詰めましょう。ところでパーティーの準備は進んでいる?」
「はい。素敵な誕生日パーティーになるよう商会一同で進めていますよ。オーダーされていたドレスが出来上がったようですから、明日の昼頃にデザイナーが伺います」
「本当!?今回のドレスはかなりこだわっているから楽しみだわ」

 淡々と重要な話が進められていき、最後ははしゃいだ声で締めくくられた。
 ジェイデン様とは男女の会話が繰り広げられることはなく、要件が終わるとジェイデン様はさっさと出ていき、その後は卵はジージー……と音を発するだけになった。

 部屋には静寂が訪れる。レインの顔は真っ青で握りしめられた拳は白くなっている。

「レイン……」

 拳にそっと手を乗せてみる。彼はぎこちない笑みを私に向けた。

「ごめん、動揺している」
「当たり前よ」
「リスター領には……この家には信頼できる大人はいなかったのだな」

 泣きそうな顔をして自虐的に笑うレインの手を握る。

「セレン、ごめん」

 私の肩にレインの重みを感じる。肩に彼の頭が乗る、つむじしか見えなくてどんな表情をしているか見えない。

「ごめん、五分だけ」 
「大丈夫よ」

 私は左手を彼の頭に触れてみる、撫でてもいいだろうかと悩んでそっと手を当てるだけにした。
 ここに来てからずっと気丈に振る舞っていたレインの柔らかいところがむき出しになっていた。



 ・・

 ぴったり五分後、レインは立ち上がった。
 部屋の水場までまっすぐ歩いて、顔をパシャパシャと洗って「もう大丈夫だ」と一言発した。まだ表情は固いけど決意が感じられる。

「戸惑っていても仕方ない。セレンさっきの日記を見せてくれる?少し読みたい。ジェイデンの動向を探るのは明日にするとして今夜はこれを読んでみる」

「ええ、これよ」

 レインは先程発見した赤い本を受け取ってから、彼は私が取ってきた本の山に目線を向けた。

「これ以外にもまだあるかもしれないから、探してくれる?」
「わかったわ」

 私もいまだに動揺しているけど、レインが動くなら立ち止まっている場合ではない。日記を読み始めたレインに背を向けて本の山から日記を探す。少ししてもう一冊が見つかった。

「もう一冊あったわ。持ってきた中にはこれ以上はなさそう」
「ありがとう、セレンはそっちを読んでくれる?ここから何か手がかりがありそうなら明日書庫から他の物も探そう」
「わかった」

 私はレインの隣に座り、見つかったばかりの日記を開いてみる。
 レインのお母様が何歳の頃の物かわからないけれど、レインが読んでいるものよりずっと新しいものだと感じる。痛みもなく紙の状態もいいからわりと最近のものかもしれない。

 静かな夜だが、先程までのゆったりとした空気はない。せわしくなくページをめくる音が私の心を焦らせていった。


 ・・

 目の前のセオドア様とカーティスは、昨日のレインと同じ反応を見せた、真っ青になり言葉をなくしている。翌日、二人を部屋に呼び出してアナベル様との密会を伝えた。


「父が……」

 顔面蒼白のセオドア様は呟いた。
 ジェイデン様が味方でないのなら、息子であるセオドア様はどうなのだろうか。私は彼と過ごした時間が短いので、正直なところ信頼に値する人なのかわからない。こうやってジェイデン様について話すことさえ賛成しかねた。

 でも昨夜レインは「セオドアのことは信じる」ときっぱり言った。それなら私も信じる、そう決めた。

「ジェイデン様が……本当でしょうか」

 いつも飄々としているカーティスがここまで狼狽えているのは初めてみたかもしれない。
 敵が多いリスター家の中で、信頼できる人は限られていたはずだ。彼らが最も信頼を寄せる人物がアナベル様側だった事実が重くのしかかる。

「証拠は現時点では、ない。セオドア、私を信じてくれるか?」
「それは……もちろんです。しかし父がアナベル様と……事実を伝えられても思い当たるところがなく……そんな素振りもありませんでしたから」

 セオドア様もレインを信じるとは決めているようだが、それでもなお自分の父親とアナベル様が結びつかないらしい。
 初めてジェイデン様に会った時のことを思い出す。あの穏やかなまなざしは嘘だったのだろうか、唯一歓迎してくれている方だと思ったのに。

「お二人の話ですと、何かの書類を商会に運んだと言っていましたね」

 セオドア様より先に我に返ったカーティスが質問した。

「ああ。元々この屋敷に保管していたものを事務所に移動させたらしい。ちょうどジェイデンはこの館から事務所に引っ越すところだったから、荷物を移動させても不自然ではない」

 ジェイデン様とセオドア様はこの館に長らく住んでいた。商会長に就任したことで事務所に移動することになったのだとレインに聞いた。

「先日一度全てを確認させてもらったしね。そもそもジェイデンが不正などするはずないという先入観もあったから、前商会長の時代のものを中心に見たんだけど」
「一度確認したなら、もう一度商会の書類を洗い出す言い訳も見つかりませんね」

 カーティスが困った顔になる。ジェイデン様は私たちの信用をうまく利用したようだ。

「でもそれならこちらも彼の信用を利用すればいいわね」

 私の言葉にレインも頷いた。セオドア様はまだ心ここにあらずといった様子だ。

「うん。彼は、私たちがジェイデンを疑うはずがない、と信じている。思惑を知ってさえしまえば、工業組合の事務所やアナベルの部屋よりもよっぽど証拠は見つけやすい」

「私は商会の仕事を手伝うこともありますから、必ず証拠を見つけます」

 先ほどまでじっと黙っていたセオドア様は低く宣言した。

「幸いジェイデンには卵の話はしていなかった。商会事務所にも卵を設置して……それから、ジェイデンに監視をつけてくれるか?組合長やアナベルは警戒してあまり動きたがらないだろうから。ギリングス家とのやり取りは、ジェイデンが行う可能性が高い」

「わかりました。ただ私の部下は顔見知りですから……尾行は難しいかもしれませんね」
「フォーウッド家の護衛にお願いしましょう。今回の滞在のために護衛を二人連れてきていますから。ひとまずはその二人にお願いします」
「うーん、その二人は館でジェイデンと顔を合わせている気がするな」
「それでは父にすぐに頼むわ」
「うん、悪いけどお願いするよ」

 今までフォーウッド家の娘として何の役にも立っていなかったのに、こうして家の力を借りるのは申し訳ないけれど。そうも言っていられない。

「それにしてもどうしてジェイデン様がアナベル様と……?十分手当はもらっているでしょうし、ジェイデン様はあまり権力には興味がない方だと思ったのですが」
「それは私もそう思います。父は物欲もあまりないですし、亡くなった母もそうでした。前商会長に罪を着せて自身が商会長になる、というのは想像がつきませんね」

 二人はジェイデン様がアナベル様と繋がっていることについては信じてくれているけれど、気持ち的には納得できないようだ。私でも違和感があるのだから、長年ジェイデン様と過ごしてきた二人にとっては簡単に受け入れられないだろう。

「私もそう思うよ。ジェイデンはきっとそういうのじゃない」

 レインは静かな声でそう言って、二人の前に写真を差し出した。何冊かの手帳も一緒に。私たちは二人と話をする前に他の日記も探し出していた。最初に書庫から見つかったものは大したことは書かれておらず当たり障りのない日記だった。しかし、書庫の奥に隠されていた箱の中から見つかった手帳には彼女の過去が全て記されていた。

「これは何でしょうか」

「私の母――グレースは、ジェイデンの婚約者だった」


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