追い出された万能職に新しい人生が始まりました

東堂大稀(旧:To-do)

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閑話

閑話 箱庭

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 ネレウス王国のヴィルドシュヴァイン侯領。
 その街に多数ある学校の一つに、一人の軍人が訪れた。

 ネレウスで一般的に学校と言えば、庶民が基本的な読み書き算術から始まって色々な職業の基本知識を学ぶものである。
 通っている者の大半は十歳に満たない者も多く、好奇心旺盛な年頃の子供ばかりだった。
 その軍人は発見されるやいなや、子供たちに囲まれかけた。

 だが軍人はその子供たちを一瞥すると、フンと鼻を鳴らしただけで遠ざけた。
 その厳めしい顔が怖かったのだろう、子供たちは遠巻きにするしかできない。しかし、好奇心には勝てないのか、遠巻きのままで後を付いて行く。

 軍人も子供たちに手を出す気がないらしく、煩わしそうに再び鼻を鳴らしたものの、子供たちを蹴散らすような真似はしなかった。

 ネレウス王国にも軍隊がある。軍人そのものは珍しいわけではない。
 ヴィルドシュヴァイン侯領にも軍の詰所はあり、街で生活をしていれば日常的に見かけるほどだ。

 ならば何がそんなに子供たちの好奇心を引いたのかと言えば、その軍人は隣国の軍人だった。

 ネレウスの軍服とも騎士服とも違う様式の服。
 それは、隣国アダド帝国の軍服だ。
 
 アダド国民は、ネレウス王国を嫌っている。
 それはネレウス建国以前からの因縁にによるものだが、ネレウス国民にも常識として受け入れられている。
 もっとも、ネレウス側はアダドを楽しいケンカ相手くらいにしか思っていないのだが、その確執は根深かった。

 そんなこともあり、アダドの人間がネレウス王国に入ってくることは滅多にない。
 しかも、軍人だ。子供たちが好奇心を刺激され、後を付いて行きたくなるのは仕方ない事だろう。

 子供たちに後を追われながら、アダド軍人は学校の入り口まで行くと立ち止まり少し首を傾けた。
 学校の建物に、入り口が複数あったからだ。教師用や子供用、来客用など、用途によって入り口が分かれているのだろう。

 「おっちゃん!先生に用事ならあっちの教員室の方!」

 声が飛び、アダド軍人が周囲を見ると、遠巻きにしている子供たち全員が同じ方向を指差している。その先に、少し立派な来客用と思われる扉があった。
 
 「…………感謝する」

 軍人が短く言うと、子供たちから笑みが漏れる。
 軍人も釣られるように、わずかに厳めしい表情を緩めた。

 軍人は子供たちに教えられた入り口に向かうと、呼び鈴を鳴らした。
 呼び鈴は扉の柱に小さな鐘を吊るしただけのものだが、軽くならしただけでもしっかりと辺りに響き渡った。

 「はーい!」

 わずかな時間の後、扉が開いて女性が顔を出した。
 二十歳くらいだろうか。まだ可憐さを残している。簡素なエプロンドレスを着ているが華やかな印象があって、一見すると貴族令嬢の様にすら見えた。

 「教師のリリィ殿はおられるだろうか?」

 軍人はしっかりとした声で、告げた。

 「リリィは私ですが……何か御用でしょうか?」

 女性……リリィは少し不安げな顔をして軍人の顔を見上げた。
 当然だろう、突然軍人に訪ねられて戸惑わない人間などいない。しかも他国の軍人だ。

 「お勤め先に押し掛けてしまい申し訳ありません!私はアダド軍本部所属伝令兵のムザッファルであります!イヴ様よりお手紙を預かってまいりました!」
 「……お姉様のお手紙?イヴ様?」

 リリィの戸惑いは深まっていく。
 確かに教師のリリィは自分であるし、イヴは姉だ。
 しかし、姉はネレウス王国のヴィルドシュヴァイン侯領の騎士に過ぎない。なぜアダドの軍人が『様』付けで呼んでいるのか理解できなかった。

 「リリィ……先生。どうかした?」
 「あ、エッカルト先生」

 リリィが戸惑っていると、背後から声が掛かる。同時に、リリィの肩に温かい手が添えられた。
 リリィの背後に立ったのは、同僚男性のエッカルトだった。ひょろりと背が高い、いかにも学者風の男だ。

 「お姉様から手紙が。でも、届けてくださったのがアダドの軍人さんで戸惑ってしまって……。あ!すみません!お手紙を届けていただいたのに、私ったら、驚いて呆けてしまって!ありがとうございます!!」

 肩にエッカルトの手が添えられたことで正気に戻ったリリィは、軍人が自分に向かって封筒を差し出していることに気が付いた。
 それが姉であるイヴの手紙なのだろう。

 慌てて受け取ると、リリィは封筒の表に几帳面な字で「リリィへ」と書かれている事を確認した。
 間違いなく姉の字だ。

 「それでは!失礼いたします!」
 「あ、お茶でも!」
 「お気遣いなく!」

 軍人は軽く礼をしてから、もう自分の仕事は済んだとばかりに早々に立ち去ろうとする。
 リリィは足を休めてもらうためにお茶を勧めたが、軍人の足は止まらない。

 軍人が立ち去る後を、子供たちが遠巻きに追いかけて行く。
 今日の授業はすでに終わっている。子供たちは学校の周囲で遊んでいただけだ。自由時間の子供たちを引き留める理由は無い。
 
 「ありがとうございます!みんな!軍人さんにご迷惑をかけちゃダメよ!」

 リリィは軍人と子供たちに、そう声を掛けるしかできなかった。

 「………それで、何の手紙なんだい?」

 軍人と子供たちの姿が見えなくなってから、エッカルトはリリィに向かって問いかけた。

 「手紙なんて、悪い知らせじゃなければいいけど」

 わざわざ手紙を送って来る内容として、真っ先に思い浮かぶのは悪い知らせだ。

 この世界では軍や貴族などを除いて、手紙を送ることは滅多に無い。

 軍や貴族であれば、手紙を届けることを専門にしている人間に頼むことが出来る。今まさにリリィへ手紙を届けてくれたアダドの伝令兵のような人間だ。
 それに宮廷や貴族のお抱え魔術師であれば、任意の人間に手紙や伝言を届ける魔法を使うこともできる。

 しかし、庶民にはそんな手段は使えない。
 普通の人間は、遠方へ手紙を届けに行くことなどできない。街を離れれば魔獣や盗賊の危険があるからだ。安全な街道は有るものの、目的の人物がその街道沿いに住んでいることなど滅多にない。
 近くに行商に向かう商人に託すか、自分で冒険者に依頼して届けてもらうことになる。

 当然ながらその代金は高額になるし、絶対に届くという保証もない。

 自然と手紙は、無理を押しても伝えないといけない内容……人の死やケガ、金の無心などの悪い知らせに偏ってしまうのだった。
 『便りの無いのは良い便り』などと言われるが、まさにその通りなのだ。

 そういう訳で、リリィが手紙の内容について心配するのは仕方がない事だった。

 「あのイヴさんに限って、そんなことは無いはずだよ」

 エッカルトは安心させるようにリリィの肩を後ろから抱くと、そっと身体を寄せた。

 「でも、お姉様は領主様の密命で隣国に出かけると言っていたのよ。心配だわ」

 リリィの姉の侯爵の騎士だ。事情を話せない秘密の仕事となれば、命懸けになることもある。

 「心配だからと言って、このまま読まずに済ますわけにはいかないだろう?」
 「そうね。ねえ、エッカルト。悪い知らせで私が気を失ったら、支えてね?」

 不安げに瞳を揺らしながら、リリィは上目遣いに問いかけた。

 「も、もちろん、だよ!」

 上擦った声で答えるエッカルト。可憐な女性の上目遣いは、彼には攻撃力が高すぎたようだ。
 肩を抱いていた腕を離すと、思わず自分の顔を覆った。彼の顔は真っ赤に染まっていた。

 「じゃあ、読むわね」
 「う、うん!」

 思い詰めている所為か、リリィは赤面しているエッカルトに気が付かない。
 封筒を開くと、中の便箋に目を落とした。

 「…………あら!」

 読み始めた途端に、弾んだ声を上げた。

 「どうしたんだい?」

 エッカルトは息を整えてから、問い掛けた。リリィの顔に明るさが戻ったことで、手紙の内容が悪くないことはすぐに察せられた。

 「お姉様ったら、結婚するんですって!!」
 「結婚……え?けっこん!!?」
 「驚きよね!」

 リリィは満面の笑みを浮かべながら、クスクスと笑った。

 「アダドで出会った伯爵様に見初められたんですって!もうアダドの皇帝様には許可をもらっているそうよ!出会ってすぐに結婚なんて、思い切りの良いお姉様らしいわ!」
 「え?伯爵様?身分の差は大丈夫なのかい?」
 「あら、お姉様も一代限りでも騎士爵よ。貴族同士なんだから、問題ないわ!」

 嬉しさに自然と身体が動いたのか、リリィは両手を大きく広げて玄関先から外へと躍り出た。そのままクルリと大きく回って見せた。

 クルクルと回るリリィ。エプロンドレスが大きく広がり、まるで大輪の花のようだ。満面に浮かべる笑顔は輝いているようで、エッカルトは目を細めた。

 「ふふふ。お姉様ったら行き遅れる心配をしてたのに、一目惚れで結婚するなんて!でも仕方ないわよね、お姉様は素敵だから!」

 楽しそうに笑いながら舞うリリィ。エッカルトは眩しそうに見つめながらも、わずかに眉を寄せた。

 「憧れるかい?」

 リリィは夢見がちな所がある。それに、物語の様な恋愛に憧れているのも知っている。
 旅先で伯爵様に見染められて結婚する。それはまさに、リリィの憧れそのものだ。

 その事を知っているエッカルトは、リリィが自分も高位貴族と物語の様な恋愛をしたいと言い出すのではないかと不安になったのだった。

 「憧れるわ!でも……」

 不安げな表情を浮かべているエッカルト。
 リリィはそんな彼を見つめると、優しく笑みを浮かべて駆け寄った。

 「私ね、たまに夢を見るの」
 「夢?」

 突然の脈絡のない言葉に、エッカルトの目は丸く見開かれる。
 
 「夢の中では、私もお姉様と同じ騎士なの。それも、貴族の令嬢でね、華やかな生活をしているの。でもね、私には騎士の才能が無くて失敗ばかりして、お姉様に泣きついてばかり。お姉様に申し訳ないと思っても何もできなくて、苦しくて目を覚ますのよ」

 リリィは姉と同じ血を引いているからか、運動神経は悪くない。教師とは思えない様な機敏な動きを見せることもある。
 それでも、所詮は普通の女性だ。騎士の仕事をしようと思えば、失敗ばかりで辛い結果になるだろう。

 「それは、さぞかし苦しかっただろうな」

 なにより、リリィは姉のイヴに迷惑をかけることを嫌う。
 エッカルトは、夢の中とは言えリリィが苦しい思いをしただろうなと同情した。
 自分の気持ちを理解してくれたエッカルトに、リリィは微笑みを向ける。

 「物語の様な恋愛には憧れるわ。騎士になって悪人をやっつけたり、貴族の様な生活をするも!でも、私は幸せになれないと思うの。私の幸せは……」

 リリィは両腕を大きく広げると、エッカルトに抱き着いた。

 「リリィ!?」
 「私って、欲張りみたい。物語の様な恋愛より、騎士になる栄誉より、貴族の生活なんかより、自分の腕で捕まえられる物に幸せを感じたい。逃がさないように抱きしめて、ゆっくりと愛を伝えたい」
 「……」
 「目の届く範囲で、子供たちの成長を見守りたい。私の腕の中から子供たちが旅立つことを、喜びたい」
 「リリィ……」

 エッカルトも、リリィを抱きしめる。強く、逃がさないように。彼女の思いに答えるように。
 彼もまた、自分の腕の中の幸せを大切に思った。

 二人の抱擁はしばらく続いた。
 子供たちがいつの間にか戻って来て、覗き見をしていることに気付くまで……。
 
 

 
 


   ※   ※   ※   ※

いつもお読みいただきありがとうございます。
いくつか閑話を挟んでから、新章スタートとなります。今後ともよろしくお願いします。

書籍10巻を発売することとなりました。

とうとう二桁です。
これも読んでいただいている皆様のおかげです。ありがとうございます。
1月20日頃(※地域や書店によってズレがあります)に書店に並ぶと思います。らむ屋様に描いていただいた、いつもよりワイルドで素敵なディートリヒ(中の人:グリおじさん)の表紙が目印です。

よろしくお願いします!


 
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