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9巻
9-3
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その時、ロアは学園の図書室にいた。図書室の中にいるのはロア一人だ。
今は昼食前。
学園は生徒の好みや家の事情に合わせて、必要な授業を選択して受けられるようになっている。そのため選択した授業がなければ、授業中でもちらほらと教室外に生徒がいるのが普通だった。
ただ、今の時間に行われている礼法の授業だけは別だ。
学園では、貴族のマナーやルールを教える礼法の授業は参加必須だった。貴族はもとより、わずかにいる平民の生徒たちも、学園に通えた時点で将来が約束されているため、マナーやルールは欠かせない。
おかげで校舎の中だけでなく、普段は剣術などの授業で騒がしくなっている校庭にも誰も出ていない。実に静かな時間だ。
例外は、ロアだけだろう。
ロアはあくまで女王から与えられた褒美として、一時的に通わせてもらっているだけだ。他の生徒には必須の授業であっても関係ない。
ロア自身も礼法に興味がないし、無縁なことだと思っていることもあって、こうやって一人で図書室で自習をしていた。
ロアはこの後、昼食後に一コマだけ授業を受けて帰宅する予定だ。
その後は望郷のメンバーと合流して、海底火山の噴火を抑えた褒美に貰った海賊島に出向く約束をしている。
本来はロアに与えられる予定だった海賊島だが、ネレウス王国に籍のない人間に小島とはいえ領地を与えるわけにはいかず、名目上はクリストフの領地となっていた。おかげで領地を得てしまったクリストフは、一代限りの騎士爵から世襲貴族の男爵に出世させられた。
海賊島は内部の洞窟に船着き場があるだけで、それ以外は何もない。外部も草や木が生えている程度で、人が近寄るような場所ではない。
しかし、そのおかげで海鳥の楽園となっており、ロアたちはその海鳥の卵を採りに行くのだ。珍味とされる最高に美味しい卵だ。
「……この木の実は見た気がするな……」
ロアは植物図鑑を見ていた。
海賊島に行くついでに、島の植生を調べたいと思ったからだ。運が良ければ、色々と役に立つ植物が生えているかもしれない。
ただ、ロアは海辺の国に生えている植物の知識が乏しいため、予習をしているのである。
図書室の中は、本当にロアしかいない。
管理している司書がいたはずだが、ロア以外に訪れる生徒がいないと分かると奥の書庫に行ってしまった。整理でもしているのだろう。
いつもロアの傍らにいるグリおじさんと双子の魔狼も、図書室の中にはいない。
女王の配慮により特別に学園内への出入りを許された従魔たちだが、貴重な本がある図書室の中までは許されなかった。三匹は図書室の外の広場で昼寝をしているはずだ。
今日は天気も良い。日差しを浴びて気持ち良く寝ているだろう。
「…………」
ロアは気になった植物の特徴を無言でメモする。ペンを紙に走らせる音だけが、図書室に響いていた。
不意に、ロアはペンを止める。自分が立てているペンの音に、別の音が混ざったからだ。
これが足音だったら、ロアも気にしなかっただろう。図書室は公共の場で、誰かが近づいて来るのは普通のことなのだから。
だが、それは虫の羽音のような、硝子同士が擦り合わされるような、不思議な音だった。
「……何だろう?」
ロアは頭を上げて周囲を見回し、音の発生源を探す。それらしい動きをしているものはない。
「え?」
……音の発生源らしきものはなかったが、それよりも遥かに妙なものをロアは見た。
「もう、夜?」
図書室だけあって、四方の壁は本棚で埋まっている。本の日焼けを防ぐために大きく開く窓はないが、上部に明り取りの窓があった。
そこから覗く空が、暗い。黒い絵の具を塗りつけたように真っ黒だ。
ロアは慌てて立ち上がり、図書室の入り口に駆け寄る。日中は開け放たれているはずのそこも、深い井戸の底にも似た真っ暗な闇で満ちていた。
「グリおじさん‼」
異変を感じて、ロアは叫ぶ。
だが、何の反応もない。グリおじさんは図書室のすぐ近くの外にいる。呼べば必ず駆け付けて来てくれるはずなのに。
「ヴァル‼」
ロアは再び叫ぶ。
ヴァルは魔道石像だ。姿を消して常にロアの傍らで護衛してくれている。今もロアに付かず離れずの距離にいる。……はずだった。
それなのに、何の反応もない。その代わりに、机の下でコトリと物音がした。
「……!」
机の下に置いておいた、ロアの魔法の鞄が動いている。生き物のように波打ち、そして口を開けて何かを吐き出した。
「あっ!」
魔法の鞄の中から飛び出して来たのは、本だ。魔獣の革で装丁された、立派な本。
それは知らぬ間にロアの手元にあった、『魔獣考察』という名の本だった。
本は魔法の鞄から飛び出した勢いのまま宙を舞うと、ロアが植物図鑑を読んでいた机の上に乗る。
まるで生き物のような動きにロアが口をあんぐり開いて驚いていると、本の表紙が勝手に開き、頁がめくられていった。
そして止まったのは、妖精の項目だ。
同時に本全体が光り始める。眩い光にロアは目を細める。手で顔を覆って光を遮ろうとしたが、その光は手を透過してロアの目を眩ませた。
気付けば、図書室全体が光に包まれていた。
四方の壁を埋め尽くしていた本棚すら、光に覆われて見えなくなる。ロア自身も光に覆われ、このまま自分の身体も光の中に溶け込むかと思われたが、その寸前で光は集束を始めた。
光は弱まることはなく、そのままの輝きで一か所に集まって形を取っていく。光なのにまるで粘土か液体のような動きで集まると、光は垂直に立つ輝く円盤となった。
「……鏡?」
ロアは状況が整理し切れず、混乱する中でその呟きだけを何とか吐き出した。
光の円盤が浮かんでいるのは、机に置かれた本の数センチ上。輝いているのになぜかロアや周囲の景色を映し出している。まさに鏡だ。
だがそれだけではない。円盤はわずかに波打っていた。鏡というより、水面に近いかもしれない。
円盤の表面に影が浮かび上がり始める。影は濃くなっていき、段々と人型を取り始める。
そして気付けば、円盤の前に小さな男が立っていた。
「クマ?」
思わず、ロアは間の抜けた声を漏らしてしまう。小さな男は、子熊の着ぐるみを着ていた。
子供のように小柄で、子供のように幼さを残す顔。それに全身がモフモフとした子熊の着ぐるみで覆われていて、出ているのは顔だけだ。
それなのにロアがその者を子供だと思わなかったのは、只者ではない雰囲気を纏っていたからだった。子供が纏える雰囲気ではない。
子熊の着ぐるみ男が机の上に立つ。背後に光の円盤があるが逆光にはならず、男の表情までよく見て取れた。
何事もなかったかのように、図書室の中は静けさに満ちている。
ロアは驚き過ぎて何も言えない。男も、無言だ。
しばらく沈黙が続いた後、着ぐるみ男が動いた。
一度両手を広げ、右手を円を描くように動かしてから胸に当て、右足を引いて軽く交差させて頭を下げる。
それは貴族の礼だ。貴族の儀礼的なお辞儀。
男は深く頭を下げた後、上手くやれたとばかりに満足げな顔をロアに見せた。
「…………!」
男はロアに向かって何か言う。
しかし、ロアには何も聞こえない。口を動かしているのに、声が出ていないのだ。
真っ直ぐにロアを見つめる男の目は、不思議な色を放っていた。まるで虹を溶かしたような、不思議な瞳だった。
敵意はない。ロアは男の様子から、即座にそう判断した。
「あの、どなたですか?」
明らかに不審者だ。しかも、よく分からない魔法を使って侵入して来たらしい。それでもロアは男は無害だという自分の直感を信じて問い掛ける。
「…………! ……‼」
口をハクハクと動かすものの、男の声は聞こえてこない。
ロアが首を傾げると、男は何かに気付いたようだ。少し考えるようにモフモフとした熊の手を口元に当てると宙に視線を這わしてから、再びロアに視線を戻した。
その瞳が輝く。瞳に渦巻く虹の光が強まる。
やばい!
ロアはその光に怪しげなものを感じて目を逸らそうとした。
しかし、逸らせない。引き込まれるように、瞳を見つめてしまう。段々と身体の力が抜けていく。逆らえない。
ロアはもう、男の瞳を真っ直ぐに見つめることしかできなくなっていた。
「…………カラカラ……」
自分の意思に反して、勝手に口が動いた。
途端にロアは目眩を感じる。もう何度目だろう、すっかり慣れてしまった従魔契約の感覚だ。
〈興奮して声が聞こえないことを忘れていました! 申し訳ありません、ご主人様‼〉
聞こえた声は中性的で、声変わり前の少年のようだった。
「……魔獣……」
ロアは身体を動かせない。力が入らず、ただ棒立ちしかできない。目すら上手く動かせなくなり、視界がぼやけていく。
そのぼやけた視界の中で、男の虹色の瞳だけがハッキリ見える。
〈そうです。ボク……いえ、私は魔獣。毛深い者と呼ばれる妖精です。そして、今、貴方様に呼んでいただいたことで、再びカラカラの名を得ました〉
「…………」
音すら、聞こえなくなってくる。なのに、男……カラカラの声だけはハッキリとロアの耳に届いていた。ロアの思考は鈍り、霧がかかったように物事が曖昧になっていく。
「グリ……」
ロアは混沌としていく思考の中で、助けを求めて最も親しい者の名を呼ぼうとした。
〈ああ、いけません。あんなヤツの名を呼ぼうとするなんて。目印に使った本を通して目にする機会がありましたが、あれは貴方に寄生する害虫です。良くないもののことは忘れましょうね〉
「ルー……フィー…………」
唇を震わせながら、ロアはなおも大事な者たちの名を呼んだ。
〈これは相当な精神力の持ち主ですね。私たち妖精の魔法特性は記憶と空間。記憶を掻き混ぜて、異界で包んで魔力回廊を閉じたのに、まだ名前を口にしようとするとはね。もう少し強めの魔法を使いますね〉
その言葉と共に、ロアは自分の頭の中で大事なものが混沌の中に溶けていくのを感じた。
〈……ああ、グリフォンが気付いてしまったようですね。外で、とんでもないことを始めたみたいです。雷魔法を五連発で落として建物を破壊して探すなんて、何を考えてるんでしょうね? ご主人様が中にいたらどうするつもりなんでしょう? ああ、魔道石像が守っているから問題ないと考えてるんでしょうか? バカですね、あのセンスのカケラもない石ころは私が遠くに飛ばしてやったのに〉
カラカラは口元を歪めてニヤリと笑うと、机から飛び降りてロアの前に立った。
カラカラの身長はロアよりも小さい。目の前に立つと、ロアを見上げることになる。カラカラは上目遣いで、ロアの顔を覗き込んだ。
〈グリフォンのことも、犬たちのことも、ぜーーんぶ忘れさせてあげますからね。ボクがご主人様の唯一の従魔です〉
フフ……と、カラカラは楽しげに笑う。
ロアの目は虚ろだ。もう何も映ってはいない。
〈さあ、妖精の抜け穴を通って、家に帰りましょう。みんな、新しいご主人様の帰還を待っていますよ〉
カラカラはロアの手を取り握り締めると、頬を紅潮させながら宣言したのだった。
その時、ディートリヒをはじめとした望郷のメンバーは学園の近くにいた。
午後からロアと合流して海賊島に向かうついでに、ちょっと豪華な昼食を食べようということになって出向いて来たのである。
学園は貴族街にある。
他国では貴族街は壁で守られて、貴族や使用人など許可がある者たち以外は入れないようになっている所が多いが、ネレウス王国ではそういった規制はない。
これはネレウスには庶民派の貴族が多く、壁などで区切られてしまうと逆に貴族が庶民向けの場所に出入りし辛くなると反発されたのが原因だった。他国ではあり得ない話だが、妙に貴族と庶民の距離が近いネレウスらしい理由だった。
そんな区切りの曖昧な貴族街だが、自然と庶民との住み分けはできていた。
貴族街は高級店が立ち並び、街並みも整っている。歩いている人間も貴族か裕福な商人たちで、庶民が立ち入れば、場違いな雰囲気に戸惑うだろう。
物理的な完全な拒絶ではないが、庶民には近寄りがたい場所になっていた。
そんな貴族街の店の一つで、望郷のメンバーは昼食をとっていた。昼だけ営業をしている、料理とお茶を楽しむための店だ。夜間の営業はないため、酒は一切出されない。
「お、美味そう!」
テーブルの上に並べられた料理に、ディートリヒがナイフとフォークを握り締めて歓声を上げる。
望郷のメンバーがいるのは、テラス席だった。抜けるような青空の下、ディートリヒの声が広く響き渡る。
「リーダー、行儀悪いわよ」
子供のように声を上げたディートリヒを、コルネリアが窘めた。
ディートリヒとコルネリアはいつもの冒険者姿ではなく、仕立ての良い服を着ている。さすがに貴族街の店に行くのに、いつもの冒険者姿では気が引けたのだろう。冒険者姿が似合う二人だが、それなりの服に身を包むと、貴族に見えないこともない。
服装に合わせて腰に剣を提げていないのも、大きく影響しているだろう。
「え、美味そうだろ?」
「…………リーダー、追い出されないように大人しくしててくれ。店員の冷たい目が痛い……」
当然とばかりに反論するディートリヒを、今度はクリストフが止めた。クリストフももちろん小綺麗な服を着ていて、いつもよりさらにチャラさが増していた。
ディートリヒは過去に酔って暴れた経験から、多くの宿屋や酒場から出入り禁止を言い渡されている。
さすがに今いるような酒を出さない店からは出入り禁止になっていないが、それでも店員たちの目は冷ややかだった。常に監視されていて、何か問題を起こせば即座に叩き出してやろうという雰囲気すらあった。
それでも露骨に態度に出さずに差別することもないのだから、さすがは教育の行き届いた高級店といったところか。
「…………」
ベルンハルトだけは我関せずとばかりに料理を食べ始めていた。マナーを心得た、優雅な食べ方だった。
ベルンハルトは、いつも通りのローブ姿だ。魔術師の彼にはこれが正装であり、周囲の人間も見咎めることはない。
「さて、食べよう!」
そう言って、ディートリヒも食べ始めた。行儀が悪いと指摘された彼だが、一応は王子なのだから晩餐会でも通じるようなマナーを身に着けている。それでも仲間である望郷のメンバーといると、どうしても気が緩んで地が出てしまうらしい。
その姿を見て苦笑いを浮かべてから、クリストフとコルネリアも料理に手を付け始めたのだった。
彼らが食べているのはこの店の名物の昼定食。
その日に安く仕入れられた魚をメインにして、穀類を使った料理と具沢山のスープがセットになっている。学園に近いことから若い貴族向けに作られた、手ごろな値段で美味しくて量が多くて腹持ちも良いメニューだった。
もっとも、手頃と言っても貴族街の高級店の中ではというだけで、庶民には気楽に食べられる値段ではないのだが。
「……美味いなこ……伏せろ‼」
料理を食べ進め、ディートリヒが口を開いた時だった。真っ先に何かを感じ取った彼が、望郷のメンバーに向かって叫んだ。
その直後に響いたのは、ドンという全身の毛が逆立つような轟音だった。
同時に閃光が瞬く。強烈な光が周囲に満ちて、誰もが視界を失った。
この場で対応できたのは、望郷のメンバーのみ。
ディートリヒは叫ぶと同時にテーブルを蹴り上げて横倒しにすると、音と光に対して盾にしていた。他のメンバーも考えるより先に、ディートリヒの言葉に反応して身を伏せて、テーブルの陰に入っていた。
「…………雷か?」
音と光が収まり静まり返る中、ディートリヒが呟いた。確証はないが、彼の知識の中で同様の現象は雷しかない。
「……雷だとすると、あの威力はグリおじさん様でしょう……」
補足するように、ベルンハルトが呟いた。
今は晴天。雷が落ちるような天気ではない。それなのに雷が落ちたとなると、魔法しかあり得ない。そして、あれほどまでの凄まじい威力の雷魔法の使い手で、思いつくのはただ一匹。
「なにやってやがんだ! あの……」
ディートリヒが怒りで吠えようとしたところに、またドンと轟音が響く。先ほど音がした方向に目を向けていたおかげだろう、一筋の光が眩く光るのを確認できた。
間違いなく雷だ。
周囲は阿鼻叫喚だった。最初の雷で呆然としていた人たちが、事態を察して悲鳴を上げ始める。
道を歩いていた人たちは雷の閃光で目をやられ、満足に周囲が見えないまま逃げ出そうとしてぶつかり合った。押し合い、転ぶ人たち。悲鳴は激しくなる一方だ。
「雷よ‼ 建物の中に逃げて!」
コルネリアが逃げ惑う人たちを誘導するために声を張り上げた。
確証はないものの、雷であれば外よりは室内にいる方が安全なはずだ。もとより雷の魔法であれば目的を持って放っているはずで、こちらに向かって来ることはない。それに、混乱して外を逃げ惑うよりは室内で大人しくしておく方が安全だろう。
幸いなことに、轟音に耳までやられた者はいなかったらしい。足をもつれさせながらも、人々は建物の中に避難し始めた。
また、雷が瞬く。ディートリヒは閃光から目を守るために手で目元を覆いながらも、隙間から覗き見て正確な位置を探る。
「……学園の中に落ちてるな。間違いない。あの迷惑グリフォンだ!」
雷が落ちた先を見定め、確定とばかりにディートリヒは叫んだ。
学園は部外者立ち入り禁止のため、高い塀に囲まれている。広い敷地に様々な建物が並んでいるはずだが、望郷のメンバーがいる店から見えるのは背の高い校舎の屋根くらいのものだ。
それでも目測で学園の中に落ちていることは分かった。
今、ロアと従魔たちは学園の中にいるはずだ。学園の中で、ロアと従魔たちが何か事件に巻き込まれたに違いない。そして、グリおじさんが魔法を放ったのだろう。
何が起こったのかは分からない。推測すら不可能だ。ひょっとしたらグリおじさんがつまらないことに癇癪を起こしただけかもしれないが……と、考えてディートリヒはそれを否定する。
たいした理由もなくグリおじさんがあれだけの魔法を使おうとしたなら、ロアは必ず止める。状況によっては最初の一撃は止められないかもしれないが、二発目以降は絶対に止めるだろう。
それなのに、雷はすでに三発落ちている。ロアが止めなくても良いと思える状況なのか、近くにロアがいないか……。
ロアを守るために学園への同行を許されている従魔たちが主人の近くにいないことはあり得ず、もしロアと離れているならそれもまた異常事態だ。
「行くぞ!」
「「「おう!」」」
他の三人も同じく緊急事態だという結論に達したのだろう、即座に返答する。
伏せた状態から立ち上がり、学園の入り口に向かおうとしたところで、また雷が落ちた。
今度は連続で二発。音と閃光に耐えてから、発生源の方向に目を向けると。
「……崩れてく……」
戸惑うようなクリストフの声。
雷が直撃したのか、塀の向こうで学園の校舎が崩れ落ちていくのが見えた。
今は昼食前。
学園は生徒の好みや家の事情に合わせて、必要な授業を選択して受けられるようになっている。そのため選択した授業がなければ、授業中でもちらほらと教室外に生徒がいるのが普通だった。
ただ、今の時間に行われている礼法の授業だけは別だ。
学園では、貴族のマナーやルールを教える礼法の授業は参加必須だった。貴族はもとより、わずかにいる平民の生徒たちも、学園に通えた時点で将来が約束されているため、マナーやルールは欠かせない。
おかげで校舎の中だけでなく、普段は剣術などの授業で騒がしくなっている校庭にも誰も出ていない。実に静かな時間だ。
例外は、ロアだけだろう。
ロアはあくまで女王から与えられた褒美として、一時的に通わせてもらっているだけだ。他の生徒には必須の授業であっても関係ない。
ロア自身も礼法に興味がないし、無縁なことだと思っていることもあって、こうやって一人で図書室で自習をしていた。
ロアはこの後、昼食後に一コマだけ授業を受けて帰宅する予定だ。
その後は望郷のメンバーと合流して、海底火山の噴火を抑えた褒美に貰った海賊島に出向く約束をしている。
本来はロアに与えられる予定だった海賊島だが、ネレウス王国に籍のない人間に小島とはいえ領地を与えるわけにはいかず、名目上はクリストフの領地となっていた。おかげで領地を得てしまったクリストフは、一代限りの騎士爵から世襲貴族の男爵に出世させられた。
海賊島は内部の洞窟に船着き場があるだけで、それ以外は何もない。外部も草や木が生えている程度で、人が近寄るような場所ではない。
しかし、そのおかげで海鳥の楽園となっており、ロアたちはその海鳥の卵を採りに行くのだ。珍味とされる最高に美味しい卵だ。
「……この木の実は見た気がするな……」
ロアは植物図鑑を見ていた。
海賊島に行くついでに、島の植生を調べたいと思ったからだ。運が良ければ、色々と役に立つ植物が生えているかもしれない。
ただ、ロアは海辺の国に生えている植物の知識が乏しいため、予習をしているのである。
図書室の中は、本当にロアしかいない。
管理している司書がいたはずだが、ロア以外に訪れる生徒がいないと分かると奥の書庫に行ってしまった。整理でもしているのだろう。
いつもロアの傍らにいるグリおじさんと双子の魔狼も、図書室の中にはいない。
女王の配慮により特別に学園内への出入りを許された従魔たちだが、貴重な本がある図書室の中までは許されなかった。三匹は図書室の外の広場で昼寝をしているはずだ。
今日は天気も良い。日差しを浴びて気持ち良く寝ているだろう。
「…………」
ロアは気になった植物の特徴を無言でメモする。ペンを紙に走らせる音だけが、図書室に響いていた。
不意に、ロアはペンを止める。自分が立てているペンの音に、別の音が混ざったからだ。
これが足音だったら、ロアも気にしなかっただろう。図書室は公共の場で、誰かが近づいて来るのは普通のことなのだから。
だが、それは虫の羽音のような、硝子同士が擦り合わされるような、不思議な音だった。
「……何だろう?」
ロアは頭を上げて周囲を見回し、音の発生源を探す。それらしい動きをしているものはない。
「え?」
……音の発生源らしきものはなかったが、それよりも遥かに妙なものをロアは見た。
「もう、夜?」
図書室だけあって、四方の壁は本棚で埋まっている。本の日焼けを防ぐために大きく開く窓はないが、上部に明り取りの窓があった。
そこから覗く空が、暗い。黒い絵の具を塗りつけたように真っ黒だ。
ロアは慌てて立ち上がり、図書室の入り口に駆け寄る。日中は開け放たれているはずのそこも、深い井戸の底にも似た真っ暗な闇で満ちていた。
「グリおじさん‼」
異変を感じて、ロアは叫ぶ。
だが、何の反応もない。グリおじさんは図書室のすぐ近くの外にいる。呼べば必ず駆け付けて来てくれるはずなのに。
「ヴァル‼」
ロアは再び叫ぶ。
ヴァルは魔道石像だ。姿を消して常にロアの傍らで護衛してくれている。今もロアに付かず離れずの距離にいる。……はずだった。
それなのに、何の反応もない。その代わりに、机の下でコトリと物音がした。
「……!」
机の下に置いておいた、ロアの魔法の鞄が動いている。生き物のように波打ち、そして口を開けて何かを吐き出した。
「あっ!」
魔法の鞄の中から飛び出して来たのは、本だ。魔獣の革で装丁された、立派な本。
それは知らぬ間にロアの手元にあった、『魔獣考察』という名の本だった。
本は魔法の鞄から飛び出した勢いのまま宙を舞うと、ロアが植物図鑑を読んでいた机の上に乗る。
まるで生き物のような動きにロアが口をあんぐり開いて驚いていると、本の表紙が勝手に開き、頁がめくられていった。
そして止まったのは、妖精の項目だ。
同時に本全体が光り始める。眩い光にロアは目を細める。手で顔を覆って光を遮ろうとしたが、その光は手を透過してロアの目を眩ませた。
気付けば、図書室全体が光に包まれていた。
四方の壁を埋め尽くしていた本棚すら、光に覆われて見えなくなる。ロア自身も光に覆われ、このまま自分の身体も光の中に溶け込むかと思われたが、その寸前で光は集束を始めた。
光は弱まることはなく、そのままの輝きで一か所に集まって形を取っていく。光なのにまるで粘土か液体のような動きで集まると、光は垂直に立つ輝く円盤となった。
「……鏡?」
ロアは状況が整理し切れず、混乱する中でその呟きだけを何とか吐き出した。
光の円盤が浮かんでいるのは、机に置かれた本の数センチ上。輝いているのになぜかロアや周囲の景色を映し出している。まさに鏡だ。
だがそれだけではない。円盤はわずかに波打っていた。鏡というより、水面に近いかもしれない。
円盤の表面に影が浮かび上がり始める。影は濃くなっていき、段々と人型を取り始める。
そして気付けば、円盤の前に小さな男が立っていた。
「クマ?」
思わず、ロアは間の抜けた声を漏らしてしまう。小さな男は、子熊の着ぐるみを着ていた。
子供のように小柄で、子供のように幼さを残す顔。それに全身がモフモフとした子熊の着ぐるみで覆われていて、出ているのは顔だけだ。
それなのにロアがその者を子供だと思わなかったのは、只者ではない雰囲気を纏っていたからだった。子供が纏える雰囲気ではない。
子熊の着ぐるみ男が机の上に立つ。背後に光の円盤があるが逆光にはならず、男の表情までよく見て取れた。
何事もなかったかのように、図書室の中は静けさに満ちている。
ロアは驚き過ぎて何も言えない。男も、無言だ。
しばらく沈黙が続いた後、着ぐるみ男が動いた。
一度両手を広げ、右手を円を描くように動かしてから胸に当て、右足を引いて軽く交差させて頭を下げる。
それは貴族の礼だ。貴族の儀礼的なお辞儀。
男は深く頭を下げた後、上手くやれたとばかりに満足げな顔をロアに見せた。
「…………!」
男はロアに向かって何か言う。
しかし、ロアには何も聞こえない。口を動かしているのに、声が出ていないのだ。
真っ直ぐにロアを見つめる男の目は、不思議な色を放っていた。まるで虹を溶かしたような、不思議な瞳だった。
敵意はない。ロアは男の様子から、即座にそう判断した。
「あの、どなたですか?」
明らかに不審者だ。しかも、よく分からない魔法を使って侵入して来たらしい。それでもロアは男は無害だという自分の直感を信じて問い掛ける。
「…………! ……‼」
口をハクハクと動かすものの、男の声は聞こえてこない。
ロアが首を傾げると、男は何かに気付いたようだ。少し考えるようにモフモフとした熊の手を口元に当てると宙に視線を這わしてから、再びロアに視線を戻した。
その瞳が輝く。瞳に渦巻く虹の光が強まる。
やばい!
ロアはその光に怪しげなものを感じて目を逸らそうとした。
しかし、逸らせない。引き込まれるように、瞳を見つめてしまう。段々と身体の力が抜けていく。逆らえない。
ロアはもう、男の瞳を真っ直ぐに見つめることしかできなくなっていた。
「…………カラカラ……」
自分の意思に反して、勝手に口が動いた。
途端にロアは目眩を感じる。もう何度目だろう、すっかり慣れてしまった従魔契約の感覚だ。
〈興奮して声が聞こえないことを忘れていました! 申し訳ありません、ご主人様‼〉
聞こえた声は中性的で、声変わり前の少年のようだった。
「……魔獣……」
ロアは身体を動かせない。力が入らず、ただ棒立ちしかできない。目すら上手く動かせなくなり、視界がぼやけていく。
そのぼやけた視界の中で、男の虹色の瞳だけがハッキリ見える。
〈そうです。ボク……いえ、私は魔獣。毛深い者と呼ばれる妖精です。そして、今、貴方様に呼んでいただいたことで、再びカラカラの名を得ました〉
「…………」
音すら、聞こえなくなってくる。なのに、男……カラカラの声だけはハッキリとロアの耳に届いていた。ロアの思考は鈍り、霧がかかったように物事が曖昧になっていく。
「グリ……」
ロアは混沌としていく思考の中で、助けを求めて最も親しい者の名を呼ぼうとした。
〈ああ、いけません。あんなヤツの名を呼ぼうとするなんて。目印に使った本を通して目にする機会がありましたが、あれは貴方に寄生する害虫です。良くないもののことは忘れましょうね〉
「ルー……フィー…………」
唇を震わせながら、ロアはなおも大事な者たちの名を呼んだ。
〈これは相当な精神力の持ち主ですね。私たち妖精の魔法特性は記憶と空間。記憶を掻き混ぜて、異界で包んで魔力回廊を閉じたのに、まだ名前を口にしようとするとはね。もう少し強めの魔法を使いますね〉
その言葉と共に、ロアは自分の頭の中で大事なものが混沌の中に溶けていくのを感じた。
〈……ああ、グリフォンが気付いてしまったようですね。外で、とんでもないことを始めたみたいです。雷魔法を五連発で落として建物を破壊して探すなんて、何を考えてるんでしょうね? ご主人様が中にいたらどうするつもりなんでしょう? ああ、魔道石像が守っているから問題ないと考えてるんでしょうか? バカですね、あのセンスのカケラもない石ころは私が遠くに飛ばしてやったのに〉
カラカラは口元を歪めてニヤリと笑うと、机から飛び降りてロアの前に立った。
カラカラの身長はロアよりも小さい。目の前に立つと、ロアを見上げることになる。カラカラは上目遣いで、ロアの顔を覗き込んだ。
〈グリフォンのことも、犬たちのことも、ぜーーんぶ忘れさせてあげますからね。ボクがご主人様の唯一の従魔です〉
フフ……と、カラカラは楽しげに笑う。
ロアの目は虚ろだ。もう何も映ってはいない。
〈さあ、妖精の抜け穴を通って、家に帰りましょう。みんな、新しいご主人様の帰還を待っていますよ〉
カラカラはロアの手を取り握り締めると、頬を紅潮させながら宣言したのだった。
その時、ディートリヒをはじめとした望郷のメンバーは学園の近くにいた。
午後からロアと合流して海賊島に向かうついでに、ちょっと豪華な昼食を食べようということになって出向いて来たのである。
学園は貴族街にある。
他国では貴族街は壁で守られて、貴族や使用人など許可がある者たち以外は入れないようになっている所が多いが、ネレウス王国ではそういった規制はない。
これはネレウスには庶民派の貴族が多く、壁などで区切られてしまうと逆に貴族が庶民向けの場所に出入りし辛くなると反発されたのが原因だった。他国ではあり得ない話だが、妙に貴族と庶民の距離が近いネレウスらしい理由だった。
そんな区切りの曖昧な貴族街だが、自然と庶民との住み分けはできていた。
貴族街は高級店が立ち並び、街並みも整っている。歩いている人間も貴族か裕福な商人たちで、庶民が立ち入れば、場違いな雰囲気に戸惑うだろう。
物理的な完全な拒絶ではないが、庶民には近寄りがたい場所になっていた。
そんな貴族街の店の一つで、望郷のメンバーは昼食をとっていた。昼だけ営業をしている、料理とお茶を楽しむための店だ。夜間の営業はないため、酒は一切出されない。
「お、美味そう!」
テーブルの上に並べられた料理に、ディートリヒがナイフとフォークを握り締めて歓声を上げる。
望郷のメンバーがいるのは、テラス席だった。抜けるような青空の下、ディートリヒの声が広く響き渡る。
「リーダー、行儀悪いわよ」
子供のように声を上げたディートリヒを、コルネリアが窘めた。
ディートリヒとコルネリアはいつもの冒険者姿ではなく、仕立ての良い服を着ている。さすがに貴族街の店に行くのに、いつもの冒険者姿では気が引けたのだろう。冒険者姿が似合う二人だが、それなりの服に身を包むと、貴族に見えないこともない。
服装に合わせて腰に剣を提げていないのも、大きく影響しているだろう。
「え、美味そうだろ?」
「…………リーダー、追い出されないように大人しくしててくれ。店員の冷たい目が痛い……」
当然とばかりに反論するディートリヒを、今度はクリストフが止めた。クリストフももちろん小綺麗な服を着ていて、いつもよりさらにチャラさが増していた。
ディートリヒは過去に酔って暴れた経験から、多くの宿屋や酒場から出入り禁止を言い渡されている。
さすがに今いるような酒を出さない店からは出入り禁止になっていないが、それでも店員たちの目は冷ややかだった。常に監視されていて、何か問題を起こせば即座に叩き出してやろうという雰囲気すらあった。
それでも露骨に態度に出さずに差別することもないのだから、さすがは教育の行き届いた高級店といったところか。
「…………」
ベルンハルトだけは我関せずとばかりに料理を食べ始めていた。マナーを心得た、優雅な食べ方だった。
ベルンハルトは、いつも通りのローブ姿だ。魔術師の彼にはこれが正装であり、周囲の人間も見咎めることはない。
「さて、食べよう!」
そう言って、ディートリヒも食べ始めた。行儀が悪いと指摘された彼だが、一応は王子なのだから晩餐会でも通じるようなマナーを身に着けている。それでも仲間である望郷のメンバーといると、どうしても気が緩んで地が出てしまうらしい。
その姿を見て苦笑いを浮かべてから、クリストフとコルネリアも料理に手を付け始めたのだった。
彼らが食べているのはこの店の名物の昼定食。
その日に安く仕入れられた魚をメインにして、穀類を使った料理と具沢山のスープがセットになっている。学園に近いことから若い貴族向けに作られた、手ごろな値段で美味しくて量が多くて腹持ちも良いメニューだった。
もっとも、手頃と言っても貴族街の高級店の中ではというだけで、庶民には気楽に食べられる値段ではないのだが。
「……美味いなこ……伏せろ‼」
料理を食べ進め、ディートリヒが口を開いた時だった。真っ先に何かを感じ取った彼が、望郷のメンバーに向かって叫んだ。
その直後に響いたのは、ドンという全身の毛が逆立つような轟音だった。
同時に閃光が瞬く。強烈な光が周囲に満ちて、誰もが視界を失った。
この場で対応できたのは、望郷のメンバーのみ。
ディートリヒは叫ぶと同時にテーブルを蹴り上げて横倒しにすると、音と光に対して盾にしていた。他のメンバーも考えるより先に、ディートリヒの言葉に反応して身を伏せて、テーブルの陰に入っていた。
「…………雷か?」
音と光が収まり静まり返る中、ディートリヒが呟いた。確証はないが、彼の知識の中で同様の現象は雷しかない。
「……雷だとすると、あの威力はグリおじさん様でしょう……」
補足するように、ベルンハルトが呟いた。
今は晴天。雷が落ちるような天気ではない。それなのに雷が落ちたとなると、魔法しかあり得ない。そして、あれほどまでの凄まじい威力の雷魔法の使い手で、思いつくのはただ一匹。
「なにやってやがんだ! あの……」
ディートリヒが怒りで吠えようとしたところに、またドンと轟音が響く。先ほど音がした方向に目を向けていたおかげだろう、一筋の光が眩く光るのを確認できた。
間違いなく雷だ。
周囲は阿鼻叫喚だった。最初の雷で呆然としていた人たちが、事態を察して悲鳴を上げ始める。
道を歩いていた人たちは雷の閃光で目をやられ、満足に周囲が見えないまま逃げ出そうとしてぶつかり合った。押し合い、転ぶ人たち。悲鳴は激しくなる一方だ。
「雷よ‼ 建物の中に逃げて!」
コルネリアが逃げ惑う人たちを誘導するために声を張り上げた。
確証はないものの、雷であれば外よりは室内にいる方が安全なはずだ。もとより雷の魔法であれば目的を持って放っているはずで、こちらに向かって来ることはない。それに、混乱して外を逃げ惑うよりは室内で大人しくしておく方が安全だろう。
幸いなことに、轟音に耳までやられた者はいなかったらしい。足をもつれさせながらも、人々は建物の中に避難し始めた。
また、雷が瞬く。ディートリヒは閃光から目を守るために手で目元を覆いながらも、隙間から覗き見て正確な位置を探る。
「……学園の中に落ちてるな。間違いない。あの迷惑グリフォンだ!」
雷が落ちた先を見定め、確定とばかりにディートリヒは叫んだ。
学園は部外者立ち入り禁止のため、高い塀に囲まれている。広い敷地に様々な建物が並んでいるはずだが、望郷のメンバーがいる店から見えるのは背の高い校舎の屋根くらいのものだ。
それでも目測で学園の中に落ちていることは分かった。
今、ロアと従魔たちは学園の中にいるはずだ。学園の中で、ロアと従魔たちが何か事件に巻き込まれたに違いない。そして、グリおじさんが魔法を放ったのだろう。
何が起こったのかは分からない。推測すら不可能だ。ひょっとしたらグリおじさんがつまらないことに癇癪を起こしただけかもしれないが……と、考えてディートリヒはそれを否定する。
たいした理由もなくグリおじさんがあれだけの魔法を使おうとしたなら、ロアは必ず止める。状況によっては最初の一撃は止められないかもしれないが、二発目以降は絶対に止めるだろう。
それなのに、雷はすでに三発落ちている。ロアが止めなくても良いと思える状況なのか、近くにロアがいないか……。
ロアを守るために学園への同行を許されている従魔たちが主人の近くにいないことはあり得ず、もしロアと離れているならそれもまた異常事態だ。
「行くぞ!」
「「「おう!」」」
他の三人も同じく緊急事態だという結論に達したのだろう、即座に返答する。
伏せた状態から立ち上がり、学園の入り口に向かおうとしたところで、また雷が落ちた。
今度は連続で二発。音と閃光に耐えてから、発生源の方向に目を向けると。
「……崩れてく……」
戸惑うようなクリストフの声。
雷が直撃したのか、塀の向こうで学園の校舎が崩れ落ちていくのが見えた。
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