夏休みの終わり

板倉恭司

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怪物との対話(2)

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「あ、あなたは……」

 零士は呟いた。
 ペドロは、以前と同じくTシャツを着た格好で大男を見上げている。表情はリラックスしており、友人と立ち話でもしているかのごとき雰囲気で立っていた。
 そんなペドロに、大男は残忍な表情を浮かべながら口を開く。

「だったら、俺も忠告しておく。さっさと失せろ。でないとケガするぞ。お前は外人だから知らねえだろうがな、俺は元力士なんだよ。ちょっと鍛えたくらいの素人じゃ、相手にならねえぞ」

「君も、おかしなことを言うね。俺は、君の身を案じて止めてあげたんだよ」

 対するペドロの口調は、落ち着いたものだった。目の前の巨漢を、恐れている様子はない。
 途端に、大男の顔が歪む。

「すっこんでろクソ外人が!」

 吠えると同時に、大男は襲いかかっていった。巨体の割に、動きは速い。グローブのような手が、ペドロに伸ばされる。
 零士は、思わず顔をしかめた。ペドロは強そうだが、あれだけの巨体の前では子供のように見える。あの巨漢が相手では、勝ち目はないのではないか──
 ところが、全く想定外の事態が起きていた。何がどうなったのか、そばで見ていたはずの零士にもわからなかった。ただ、ペドロがすっと体をずらし、奇妙な動きをしたことだけは見えた。
 直後、大男が勢いよく倒れたのだ。コントにて、バナナの皮を踏みツルリと滑る場面がある。その時と全く同じように、まず片方の足が高く上がった。次いで、大きくバランスを崩し背中から後方に倒れたのである。ドスンという音が、はっきりと聞こえた。
 一方、ペドロは何事もなかったかのように、大男を見下ろしていた。その目は冷ややかであり、道ばたの石ころを見るような表情であった。口からは、辛辣な言葉が吐かれる。

「女性より男性が好きなことについて、とやかく言うつもりはない。だがね、そこに暴力が介入すれば話は別だ。特に、年端もいかぬ少年の体を力ずくで奪う……これはね、はっきり言って見苦しい行為だよ」

「こ、この野郎!」

 大男は一瞬、驚愕の表情を浮かべたものの、すぐさま起き上がった。どうやら、引き下がる気はないらしい。罵声と同時に、拳を振り下ろしていく──
 ペドロは微動だにせず、すっと手を前に出した。次の瞬間、手のひらでパンチを受けたのだ。大男の全体重をかけたパンチのはずだが、微動だにしていない。
 しかも、その拳は広げた手のひらよりも大きなものなのだ。ところが、ペドロは何事もなかったかのように立っていた。放たれた拳を、片手で受け止めたまま大男の顔を見上げている。表情は全く変わっておらず、むしろ余裕すら感じられた。
 一方、大男の顔は歪んでいた。これまで生きてきた中で、味わったことのない感覚に恐怖していたのだ。
 この大男は、間違いなく強い。かつては、将来を有望視された力士であった。百キロを優に超す巨漢たちの中で、稽古に励んでいたのである。
 反社会的勢力との交流をマスコミに暴かれ廃業を余儀なくされたが、今もかなりの強さを維持している。並の人間なら、張り手の一撃で倒せるだろう。チンピラ数人ならば、ひとりで蹴散らすことも可能だ。その腕と巨体を買われ、今では裏社会の住人である。
 そんな彼の目の前にいる男は、外国人にしては小柄な部類である。しかし、何もかも違う次元にいた。技はもちろん、単純な腕力からして桁が違う。百七十センチに満たない肉体からは、想像もつかないほどの握力が拳を通じ伝わってきたのだ。力士時代、横綱の胸を借りた時すら味わったことのない感触である。
 こいつは人間じゃない、怪物だ……そんなバカげた思いが、巨体の奥底から湧き上がっていた。
 その怪物は、涼しい表情で口を開いた。

「さて、ここで問題だ。このまま闘いを続行したとしよう。君と俺、死ぬのはどちらだろうね?」

 言うと同時に、ペドロの手はすっと離れた。
 大男は、唖然となりながら拳をさする。その目には、隠すことのできぬ恐怖が浮かんでいた。零士は目を白黒させながら、成り行きを見守る。
 どのくらいの時間が経っただろうか。やがて、大男は向きを変える。無言のまま自転車に乗り、去っていった。
 そこで、零士はどうにか立ち上がった。まだ、足は震えている。だが、礼は言わなくてはならない。ペドロに向かい、ぺこりと頭を下げる。同時に口を開いた。
 
「あ、あ、ありがとうご、ございます」 

 声も震えていた。恥ずかしいくらいに舌が回らない。ペドロはというと、穏やかな表情で応える。

「礼はいいよ。むしろ、彼の方が俺に礼を言うべきだったのだがね。無知とは、なんとも恐ろしいものだ」

 どういう意味だろう。彼とは、あの大男のはずだ。あいつが礼を言うべきとは、意味がわからない。

「あ、あのう、どういう意味ですか?」

「いずれ、君にもわかるよ」

 そう言って、ペドロはにやりと笑った。あの時と同じ笑顔だ。家の前に立ち、鉄柵に紙を結び付けていった時。
 同時に、いくつかの疑問が湧き上がる。そう、この男には聞きたいことがあったのだ。

「す、すみません、ちょっといいですか……」

「何だい? 聞きたいことがあるのなら、言ってみたまえ」

「先日、僕の家に来ましたよね?」

「ああ」

「どうして、僕の家がわかったんですか?」

「それは簡単だよ。君は、船で名前を名乗った。茨木零士、とね。君の父・茨木統志郎氏は、夜禍島の有名人だ。この島の住人で、彼を知らない者はいない。家がどこにあるかなど、調べればすぐにわかることだよ」

「そうでしたか」

 なるほど、言われてみれば簡単な話だ。上野も言っていたが、父は、この島の責任者……のようなものらしい。有名人であることは、間違いないだろう。
 もっとも、疑問はそれだけではない。もっと重大なものがある。

「島の秘密って、何なんですか?」

 これこそが、はっきりさせたい疑問だった。
 最初に、ペドロが屋敷に現れ鉄柵にメッセージを書いた紙を結びつけた。そこには、こう書かれていたのだ。

(この島には秘密がある)

 それに、先ほどの大男も言っていたのだ。島のことを教えてあげるよ、と。どういう意味なのだろう。
 この島で、何が起きている?

「それは、君が自分で考え、調べるべきことだよ。それに、今この場で秘密について語ったところで、君は信じないだろう」

「どういうことです?」

 さらに混乱し、聞き返した。信じない、とはどういうことだろう。
 だが、ペドロは穏やかな表情で答える。

「まあ、焦る必要はない。いずれ、否応なく知ることになるのだからね。それまでは、今の生活を楽しむことだ。君は今、夏休みなのだろう?」

「は、はい」

「十代の少年にとって、夏休みとは特別な時期だ。過ぎてしまえば、二度と体験できない。失ってから、初めて貴重な時間であったことに気づくのだよ。深く考えず、今この時を楽しむことだ」

「わかりました」

 返答する零士だったが、すぐに次の疑問が浮かぶ。

「あの、さっきのアレは、どうやったんですか?」

「さっきのアレ、とは何のことだい?」

「デカい人を転ばせた技です。あんなの、初めて見ました。どうやったら、あんなことが出来るんですか?」

 そう、あれは本当に凄かった。
 もともと零士は、格闘技に興味はなかった。人を殴ったところでいいことはないし、殴られた方は痛い。なぜ、わざわざ相手に痛い思いをさせなくてはならないのだろう。人を殴るのは好きではないし、殴られるのはもっと好きではない。
 しかし、集団の中に入れば争いは避けられない。こちらが望んでいなくても、相手が仕掛けて来ることもあるのだ。さらには、弱い者に暴力を振るうことで、自分の強さを周囲にアピールする者もいる。
 もし、相手から襲われたら……その時は、闘わなければならないのだ。しかし、零士は体が小さく腕力も弱い。だから、喧嘩には勝てないと諦めていた。
 ところが、先ほどのペドロの動きは見事としか言いようがない。あの巨漢を、一瞬の動きで仰向けに転倒させていたのだ。
 あの技が、体格に関係なく使えるものならば、是非とも教えてもらいたい。
 
 しかし、ペドロの口から出たのは想定外の質問であった。

「その前に……君は、船で俺が言ったことを覚えているかな? 俺がなぜ、君のデータを正確に言い当てたか、その理由について語った言葉だよ」

「えっ? あっ、ええと……」

 一瞬、何のことかわからなかった。だが、すぐに思い出す。

「あなたの脳には、いろんな人のデータが入っている。誰かを見た瞬間、その人のことを脳内のデータと照らし合わせれば、どんな人間か当てられる……と言っていました」

「その通りだよ。よく覚えていたね。大したものだ」

「い、いや、そんなことないです」

「まず俺は、彼を一目見た瞬間に身長と体重、おおよその経歴と性格を分析した。それが出来れば、だいたいの行動パターンは読み取れる」

 ペドロは冷静な口調で語る。零士は、神妙な面持ちで話に聞き入っていた。

「分析通り、彼は右手で掴みかかってきた。さらに、もう片方の手でも俺の体を掴もうとしていた。両手で掴み、放り投げようとしたのだろう。あの男の腕力なら、それは可能だった。しかし、俺は力の方向をずらした。と同時に、俺も力を入れた。相手の前進する力を利用すると同時に、俺の力も加えたわけだ。結果、あのようなことになったのさ」

「僕にも、あんなことが出来るんですか?」

 零士が尋ねる。だが、ペドロの答えは無情なものだった。

「それは、無理だと思う」

「やっぱり、そうですか」

 それはそうだ。あんなこと、自分に出来るわけがない……と思う零士だったが、ペドロの話は違う方向へと進んでいった。

「犬は、人間でいう三歳児と同レベルの知能を持つと言われている。特別に賢い犬ならば、さらに上の知能を持っているだろう。にもかかわらず、彼らは電話をかけたり、スマホを操作したりしない。なぜかと言えば、その必要がないからだ」

 犬? いったい何を言っているのだろうか。零士は困惑したが、続けて発せられた言葉で疑問は解決した。

「先ほど使った技だが、俺は繰り返される戦いの日々の中で、自然に習得していった。戦うための技術が必要な環境だったからこそ、習得できたと思うよ。だが、君には必要ないものだ。だから、無理だと思うと答えたのさ」

 必要ない、という部分に引っかかるものを感じたが、それよりも別の言葉の方に興味を引かれていた。
 今、繰り返される戦いの中で自然に習得していった、とペドロは言った。その繰り返される戦いとは、ひどく危険な場所にいたからこそ起きる事態であろう。
 もしかしたら、その場所とはなのではないか

「あ、あのう……」

「まだ、聞きたいことがあるようだね」

 ペドロが言った。確かに、聞きたいことはある。だが、それはおいそれと聞けるようなものではない。
 もじもじしている零士に、ペドロはそっと声をかける。

「何だね。遠慮せずに言ってみたまえ」

 そこで、零士は勇気を振り絞り口を開いた。

「えっと、前に、け、刑務所にいたと──」

「俺がどんな罪を犯して刑務所に入ったのか、それを知りたいのかな」

 零士が言い終える前に、ペドロは答えていた。さらに、言葉を続ける。

「俺はアメリカで、七件の殺人事件の容疑者として逮捕された。本来ならば終身刑に処されているところだったが、司法取引により六百年の懲役刑に減刑された。その後は紆余曲折を経て、ここ夜禍島にいるというわけさ」

「じゃ、じゃあ、脱獄したんですか?」

 頭に浮かんだことを、思わず口にしていた零士だったが、直後に後悔する。

「その通りだよ。俺は収容されていたレイカーズ刑務所を脱獄した。そして今、ここにいる」

 淡々と語っていくペドロに対し、零士の体は小刻みに震え出していた。言うまでもなく恐怖のためである。
 零士は今になって、目の前にいるのが何者なのか、ようやく理解したのだ。七人を殺害し逮捕されたが、刑務所を脱獄した凶悪犯。そんな怪物が今、目の前に立っている。先ほどの大男などより、遥かに恐ろしい存在なのだ──
 しかも、ペドロはとんでもないことを口にした。

「さて、君に問題を出そう。ここに十三歳の少年がいたとする。ごく平凡な能力しか持たぬ彼の目の前に、凶悪な脱獄犯が現れた。脱獄犯は巨漢の力士を素手で殺せるだけの殺傷能力を持ち、走るのも早い。必要とあれば、何のためらいもなく人の命を奪う男だ。この場合、少年はどのような行動を取るべきだろうね?」





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