夏休みの終わり

板倉恭司

文字の大きさ
12 / 31

怪物との対話(1)

しおりを挟む
 その日も、零士は自転車を走らせていた。
 昼食を食べた後、自転車に乗り港の方へと進んでいく。森の中を、自転車で走るのは気分がいい。自分に、こんな一面があろうとは知らなかった。今まで、自分はインドア派だと思いこんでいたのだ。しかし、それは間違いだったらしい。
 考えてみれば、都内に住んでいた頃は人が多かった。車もあちこち走っており、自転車で伸び伸びと走るのは難しかった。
 しかし、今は違う。周囲には誰もいないため、他人の目を気にする必要がない。彼の行く手を邪魔する者もいない。何より、森の中を自転車で走るのは気分が良かった。



 やがて、港が見えてきた。どのくらい走ったのかはわからないが、家を出てから一時間も経っていないだろう。
 港で自転車を停め、周りを見回す。相変わらず人気ひとけがない。船も停まっていなかった。コンビニエンスストアは営業しているが、とりあえず買いたいものなどない。それに、何かをしに来たわけでもない。単純に、自転車で港まで来るのが目的だった。
 しかし今、その目的は達成してしまった。後は、帰るだけだ。思えば、都内にいた時には、こんな目的のない遠出をしたことがなかった。遠出をする時は、買い物や手続きといった何かしらの目的があった。自転車で走ること、そのものが目的の遠出など初めての体験である。
 明日は、学校まで行ってみようか……そんなことを思いながら、零士は自転車にまたがった。家のある方向へと走っていく。

 そんな零士の後ろ姿を、じっと見ている男がいた。傍らには、コンビニエンスストアでレンタルした自転車がある。
 男は自転車に乗り、そっと零士の後を付いていく。しかし、少年は全く気づいていなかった。 



 快調に自転車を走らせていた零士だったが、道中あるものを発見した。同時に、自転車を停める。
 木々の陰に、何か動くものがいるのだ。小さな動物が潜んでいるらしい。
 零士は自転車を降り、そっと近づいていった。潜んでいるものは逃げず、じっとこちらを見ている。
 両者の距離が縮まるにつれ、ようやく潜んでいるものの正体が判明した。猫だ。真っ黒い体の猫が、丸い目でまじまじと見つめている。ただし、一応の警戒はしているようだ。ある程度の距離を置き、何かあったら、すぐに逃げられる体勢で零士の出方を窺っている。
 零士は、その場でしゃがみ込んだ。おいでおいで、と手招きしてみる。
 猫の方は、じっとこちらを見ている。こちらを怖がっているわけではなさそうだが、かといって好感を抱いているわけでもないようだ。お前は何者だ? と言わんばかりの態度である。まだ、様子見の段階なのか。
 その時、足音が聞こえてきた。途端に、猫は反応する。ビクリとしたかと思うと、即座に動いた。一瞬にして、茂みの中へと消えていった。
 零士がそちらを見ると、ひとりの男がこちらに歩いて来ていた。小山のような体格であり、身長は二メートル近くありそうだ。零士がこれまで見てきた中で、もっとも背の高い人間だろう。傍らには、コンビニでレンタルしている自転車が停められていたが、この大男と比較すると子供用の三輪車に見えてしまう。
 その上、横幅も大きい。肩幅は広くがっちりした体格で、Tシャツの袖から出ている腕は零士の足より太い。髪は短く五分刈りで、顔もまた厳つい。笑顔でこちらに近づいて来ているが、正直言ってあまり仲良くなりたくないタイプの人間だ。
 しかも、この男が来たせいで猫が逃げてしまったのてある。もう、ここに留まる理由はない。こうなった以上は、さっさと帰るだけだ。
 そんな零士の思惑など、お構い無しに大男は聞いてきた。

「やあ。君は、この島の人なのかい?」

 いきなり聞かれ、零士はまごつきながらも答える。本当は、すぐさま立ち上がって自転車に飛び乗り、この場を離れたかった。だが、それはあまりにも失礼だろう。

「えっ、はい、一応はそうですが……」

「そうなんだ」

 ニコニコしながら、大男はさらに近づいてきた。座っていた零士の隣に腰掛けてきた。気遣いが、完全に裏目に出てしまったらしい。
 この大男、妙に馴れ馴れしい。だからといって、嫌な顔も出来なかった。近くで見れば、本当に大きい男だ。零士と比べれば、大人と子供いや巨人と小人くらいの差があるだろう。その大きさだけで、圧倒されてしまう。
 その気になれば、零士など片手で捻り潰せるだろう。

「君は、この島のことをどこまで知ってるの?」

 親しげな口調で、なおも聞いてくる大男。同時に、その巨大な手が伸びてきた。零士の背中に触れ、そっと撫でてくる。止めて欲しかったが、怖くて言えない。
 そのため、今の問いのおかしさに気づけなかった。

「いや、最近来たばかりなので、詳しくは知らないです」
 
 言いながら、少しずつ離れようとした。この触り方は変だ。とてつもなく嫌なことが起きそうな気がする。この場から、早く離れた方がいい。
 だが、大男の方は離れたくないようだ。

「ああ、そうなんだ。君は知らないんだ」

 そこで、大男はにっこり微笑んだ。嫌な笑顔だ。零士はぞっとなり、思わず顔を背ける。

「じゃあ、俺が教えてあげるよ。この島のことを」

「えっ? どういうことです?」

 思わず聞き返していた。大男への嫌悪感を、好奇心が上回ったのだ。
 しかし、それはミスだった。逃げられるかもしれない僅かな時間を、自ら潰してしまった──

「俺はね、友だちに誘われてここに来たんだよ。付き合いで来てみたけど、どうもその気にならなかったんだ。でも、君は別だよ」

 言いながら、大男は手を動かしていた。零士の腰へと回される。
 直後、一気に引き寄せられた。零士は、相手が何をしようとしているのか察する。
 幼い頃、見知らぬ男にトイレへと連れ込まれた記憶が蘇った。早く逃げなくては。さもないと、あの時よりもっと恐ろしい目に遭わされる──

「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!」

 叫びながら、必死でもがき手から逃れようとした。だが、大男の腕力は尋常ではない。零士がどんなに暴れようが、その腕は離れてくれなかった。まるで機械で固定されているかのように、僅かな隙間ですら開かない。
 大男の方は、優しげな表情を浮かべてこちらを見ている。零士の抵抗など、全く意に介していない。

「俺の言う通りにしなよ。乱暴はしたくない。さっさと服を脱ぎな」

「い、嫌です……許して……」

 震える声で懇願する零士だったが、相手は聞く耳を持っていないようだった。むしろ、その態度が大男をかえって興奮させてしまったらしい。

「そうかい。ちょっと手荒くしないとわからないのかな」

 言いながら、大男は立ち上がった。同時に、零士の体をひょいと肩に担ぎ上げる。片腕のみの力で担ぎ上げたのだ。
 さらに、もう片方の手が零士のズボンへと伸びる。零士は恐怖で体がすくみ、動くことが出来ない。
 その時だった。どこからか、声が聞こえてきた。

「やめたまえ。その少年を怒らせない方がいい。大変なことになるよ」

 聞いた途端に、大男の腕の力が緩んだ。零士の体は、そのまま落下する。地面に体を打ち付け、思わず呻き声が漏れた。しかし、大男の方はそれどころではないらしい。

「ああン? 誰だてめえは?」

 彼は、いきなり乱入してきた何者かに凄んでいる。だが、相手も怯んでいない。

「君のような人間に、いちいち名乗りたくはないな。とにかく、この少年に手を出さない方がいい。でないと、大変なことになるよ。これは、君のためを思っての忠告なんだがね」

 その声には聞き覚えがある。あの男ではないだろうか……零士は、そっと顔を上げた。
 思った通り、声の主はペドロだった。いつの間に現れたのだろうか……不敵な表情で、大男の前に立っているのだ。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

処理中です...