胸に刻まれた誓い

板倉恭司

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高村獅道という破壊人の極めて異常な半生

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「そいつは全部、獅道の仕業だと思うよ。まったく、あいつも無茶苦茶するなあ」

 立花から、これまで白土市で起きた一連の事件のあらましを聞いていた成宮。話が終わると、訳知り顔でウンウン頷いた。この男、掴み所がない。ふざけた男だ。
 だが、いちいち腹を立てている場合ではない。高村の話を聞かなくてはならないのだ。

「次は、あんたの番だ。奴がどんな人間なのか、あんたの知っていることを聞かせてくれ」

「いいよ。ただし、聞いたことを後悔するかもしれないぜ」

 ・・・

 高村獅道は、都内の下町にて生を受ける。父はサラリーマン、母もパートに出ている共働きの家庭である。
 特に変わったところもない中流家庭で育っていった獅道。性格に粗暴な面は見られず、学業も中の中あたりの成績だ。特定の分野で卓越した才能があったわけでもない。そのまま成長していれば、父と同じような普通の人生を歩んでいたはずだった。
 ところが、ある日を境に運命は大きく狂ってしまう。



 小学五年生の時、彼は両親と共にタイを訪れていた。観光旅行である。
 街中でタクシーに乗り、あちこち見て回っていた時に悲劇が起きる。交差点を渡っていた時、一台の乗用車がとんでもないスピードで走って来たのだ。乗用車は、家族の乗るタクシーに猛スピードで追突して大破した。
 両親は即死したが、奇跡的に息子は生きていた。顔面に大きな醜い傷を負ったものの、他に後遺症の残るような怪我もない。全壊したタクシーの中から、通行人により助け出される。本来ならば、ここで獅道は警察に保護されていたのだろう。そして、しかるべき機関の手により日本に帰ることが出来ていたはずだった。
 しかし、彼を助け出した通行人は裏社会の人間だった。



 獅道は、ジャングルへと連れて行かれる。後に知ったのだが、そこは黄金の三角地帯ゴールデントライアングルと呼ばれる場所だった。タイ、ミャンマー、ラオスの三国がメコン川で接する山岳地帯であり、ミャンマー東部シャン州に属する世界でも屈指の麻薬密造地帯である。
 そんな場所にある粗末な掘っ立て小屋に、獅道は入れられた──

 両親を目の前で失った直後、外国人に誘拐されジャングルへと連れて来られた。周りにはわけのわからない言葉が飛び交い、銃で武装したタイ人ギャングがうろうろしている。この状況は、平和な国で育った少年のキャパシティを完全に超えていた。獅道は考えることも動くことも出来ず、頭を抱え床にしゃがみ込み、ガタガタ震えるばかりだった。
 そんな中、いきなり小屋の扉が開く。入って来たのは、食べ物の乗った皿を持つ少年だ。年齢は、獅道より四歳から五歳くらい上だろうか。日に焼けた精悍な顔つきをしている。喧嘩が強そうな雰囲気だが、頭の方もキレる感じだ。
 怯えながら後ずさる獅道に、少年は微笑む。

「そんなに怖がらなくていい。これ食え」

 彼の口から出たのは、流暢な日本語だった。

 少年はキョウスケと名乗った。日本人ビジネスマンの父と、タイ人売春婦の母との間に生まれたのだという。もっとも、当時の獅道には、細かい事情は理解できなかった。それよりも、久しぶりに聞いた日本語に、思わず安堵の表情を浮かべる。
 しかし、その表情はすぐに消えた。

「ここは、麻薬を密造する工場だよ。いるのは悪党ばかりだ。人ひとりくらい、簡単に殺すような連中さ。だから、おとなしく言うことを聞いていろ。奴らは、お前を人質にして日本と取り引きをするつもりだ」

「ぼ、僕が人質?」

 思わず聞き返すと、相手は頷く。

「ああ、身代金をもらうための人質だ。日本人は金持ちだ、と奴らは思いこんでいるからな。死にたくなかったら、タイ人ギャングには逆らうなよ。そうすれば、いつかニッポンに帰れる」

 そう言うと、キョウスケは皿を差し出して来た。タイ米で作ったチャーハンのような料理が乗っている。

「まず、これを食え。食わないと、体がもたないぞ」

 そう言うと、ニッコリ笑った。その顔を見て、獅道は再び安堵の表情を浮かべる。
 だが、彼は何もわかっていなかった。地獄は、始まったばかりだったのだ。



 翌日に獅道を襲ったのは、吐き下しと下痢だ。環境の急変、慣れない食物、さらに生水である。日本で生まれ育った少年に、耐えられるはずがない。あっという間にやせ細っていった。まともな医師などいないし、薬品も大して揃っていない。普通の少年なら、そのまま死んでいてもおかしくなかっただろう。
 だが、獅道は生き延びた。生れつき丈夫な体の持ち主だったのか、あるいは運が良かったのか。粗末な食べ物や生水にも、少しずつ体が慣れていった。
 また、周囲のフォローもあった。唯一、日本語を話せるキョウスケが、身の周りの世話をしてくれていたのだ。彼の存在が、獅道の不安を和らげていた。 
 さらに、レンという少年も小屋を訪れるようになる。生れつき力が強く動きも速い少年だが、とても優しい性格だった。食物が体に合わず、吐き続けていた獅道を助けてくれたのは、このレンである。糞尿や吐き戻した汚物の処理も小屋の掃除も、文句ひとつ言わずやってくれた。
 そんな二人に助けられ、少しずつではあったが、今の環境に溶け込んでいく。
 キョウスケは、事あるごとに言っていた。

「おとなしくしていたら、お前は必ずニッポンに帰れる。だから、やけを起こすな」

 また、こんなことも言っていた。

「俺の夢は、ニッポンに行くことだ。いつか必ず、ニッポンに行ってやる。だから、ニッポンで会おうぜ」

 その時、少年たちのリーダー格であるキョウスケの瞳はキラキラと輝いていた。まだ見ぬ国、日本に対する強い憧れが感じられる。
 いつか、キョウスケやレンたちを日本に招待する。それこそが、自分を助けてくれたふたりに出来る最大のお礼だ。そんな思いが、獅道の中に芽生えていた。
 ふたりのためにも、絶対に生き延びて日本に帰ってやる。獅道は、そう誓った。



 だが、悪魔はさらなる試練を用意していた。ここまでは、まだ序章に過ぎなかったのだ。
 小屋の中にいた獅道の耳に、奇妙な音が聞こえてきた。パタパタパタパタ、という乾いた音だ。続いて、悲鳴のような声も響き渡る。何だろうと首を捻った直後、キョウスケが小屋の中に飛び込んで来た。

「今すぐ逃げるぞ!」

 叫ぶと同時に、キョウスケは獅道の手を引っ張る。ふたりは、そのまま森の中に飛び込んで行った──



 全ては、後からわかったことである。
 キョウスケたちの働いている工場を、自動小銃を持った男たちが急襲したのだ。彼らは銃を乱射し、大人たちを次々と殺していった。だがキョウスケは、いち早く異変に気づく。数人の子供たちを引き連れ、密林の中に逃げ出した。
 その襲撃者は、キョウスケらとは対立している別組織に所属している者たちであった。もっとも、当時の獅道はそんな事情を知るはずもない。彼は生き残った子供たちと共に、ジャングルへ逃げ込んだ。木や草の生い茂る中、人里を目指し進んで行く。キョウスケやレンたちと共に、必死で歩いた。
 やがて、飢えと渇きが少年たちを襲う。周りはジャングルだとはいえ、幼い子供たちだけでは食料を調達することなど困難である。木の実や草の中には毒が含まれるものも少なくない。しかも、周囲には野獣もうろついているのだ。食料を探す暇などない。
 二日後、最初の死者が出た。彼らの中で一番幼少年が、極度の疲労から来る発熱により命を落としたのだ。
 少年たちは、呆然となりながら仲間の死体を見ていた。涙を流す余裕などない。
 胸の中には、別の思いが湧き上がっていた。

 異様な空気が、少年たちを包んでいた。彼らの前には、仲間の死体がある。ついさっきまで、友だった者。同じ地獄を体験し、助け合い、共に生き延びてきた。
 そんな仲間が、肉の塊と化して横たわっている──
 今、少年たちの前には肉があった。食べてはならないはずのもの。だが、皆は飢えている。
 やがて、立ち上がった者がいた。

「お前ら、こいつを食うぞ」

 キョウスケだ。ナイフを抜くと、静かな表情で皆の顔を見る。

「このままだと、みんな飢え死にするだろう。でも、俺はこんな所で死にたくない。仲間の死体を食ってでも、俺は生きる。生きなきゃならないんだ」

 その言葉に、逆らえる者などいない。子供たちは皆、何かに憑かれたような表情で彼の顔を見ていた。

「忘れるなよ。俺は、こいつの肉を食べる。これは、本来してはならないことだ。だからこそ、生き延びなきゃならないんだよ……こいつの分までな。俺は絶対に、生きてニッポンに辿り着くんだ。そのためなら、人間の肉でも食べる。覚悟がない奴は、食わなくていい」

 静かな口調で言った後、キョウスケはナイフを突き刺した。死体をバラバラに解体し、肉を切り取り焼いていく。
 普通ならば、吐き気をもよおすであろう行為。だが、子供たちは喰らったのである。かつて友だった者の肉を喰らい、血をすすった。
 無論、獅道も食べた。生き延びるため、必死で肉を噛み砕き飲み込んだ。



 やがて、キョウスケたちはジャングルを抜けることに成功する。最初は七人だったが、町に着いた頃には三人になっていた。弱い者たちは途中で次々と命を落としていき、生き残った者たちの食料になったのである。
 獅道も生き延びた。皆の中で、一番ひ弱だったはずの少年。だが、人肉を食らいながら必死で歩き続けたのだ。ジャングルを抜けて、キョウスケとレンを日本に連れていく。だが、唯一の日本人である自分が死んだら、キョウスケの夢を壊すことになる。俺は絶対に死ねない……その思いは執念と化し、獅道の肉体を支えていたのだ。
 ジャングルを抜けた後、キョウスケたちは日本大使館へと駆け込む。獅道は日本国籍を持っている。ならば、助けてくれるはずだ。その可能性に賭けたのである。
 結果、獅道たち三人は日本へと行くこととなった。獅道、キョウスケ、そしてレン。
 獅道は養護施設『人間学園』に預けられ、キョウスケとレンはとある宗教団体に引き取られた。
 ラエム教という、いかがわしい新興宗教団体に。

 ・・・

「獅道は、本当にヤバかったらしい。施設で今でも語りぐさになっているのが、野犬が敷地内に迷い込んだ話だよ。でかい犬でさ、子供たちは怖くて泣き叫んだ。そしたら、野犬は興奮して子供たちを襲い出したんだよ。五人が噛まれ、ひとりは腕を切断する重傷だよ。地獄絵図さ。そこに登場したのが、入所して二日目の獅道だよ。するする木に登ったかと思うと、犬の背中に飛び降りやがったんだよ。そこから、持ってた果物ナイフを振り上げ滅多刺しさ。あいつも、あちこち噛まれて血まみれになってたけど、狂ったみたいに刺し続けていたそうだ。大人の職員が、ビビっちまって動けない状況でだよ。現場に来た警官もドン引きだったって話だ」

「たいした奴だな」

 立花の口から、感嘆の言葉が出ていた。野犬は強い。その殺傷力は、確実に素手の大人を上回る。ナイフ程度の武器を持っても、本気で殺しにくる野犬に勝つのは難しいだろう。
 それを、幼い子供が果物ナイフで殺すとは……無論、不意を突いたのは間違いない。だが、それだけで勝つのは不可能だ。
 明確な殺意と、地獄を生き延びてきた執念があればこそだ。

「その件で、他の子供たちからは怖がられてたみたいだね。まあ、それも仕方ない。顔に醜い傷痕がある上、でかい犬を滅多刺しにして殺す……子供社会じゃ、避けられるのが普通だよ。けどな、島田義人って奴だけは違っていた。そいつは、獅道にも分け隔てなく話していたらしい。島田のおかげで、獅道はだいぶ人間らしくなったって職員も言ってたよ」

 そこまで語った時、レンが水の入ったコップを持って来た。成宮は頷き、一気に飲み干す。喋り続けて喉が渇いていたのだろう。
 立花はといえば、聞いたばかりの話を頭の中でまとめあげる。岸田真治に、正確かつ簡潔に報告しなくてはならない。
 それにしても、こんな奴がいるとは知らなかった。裏の世界で生きてきた立花の目から見ても、獅道の人生は衝撃的なものだ。幼い頃、人肉を食って生き延びたなど……あまりにも凄惨だ。こんなニュースは、絶対に報道できない。
 ふと気づいたことがあった。今の話には、レンという登場人物がいた。では、目の前にいる若者と同一人物なのか。
 そんな立花に向かい、成宮は再び語り出す。

「だがな、親友だった島田は人を刺して教護院に入れられた。そのあたりから、奴は変わっちまった。まず周囲の中学高校をシメて手下を作った後、そいつらを使って覚醒剤の密売に関わり出したんだよ。噂を聞き付けた地元のヤクザや半グレ連中が潰しにかかったが、生き延びたのは獅道だった。何たって、ガキの頃に人肉を食うような地獄を体験してきた男だ。日本の半グレやヤクザなんか、屁とも思ってなかったって話だよ」

 黙って聞いていた立花だったが、そこでひとつの疑問が浮かんだ。

「ちょっと待て。高村は、顔に醜い傷痕があるんだよな? 今、白土市で暴れてる奴に傷痕なんかないぞ」

「あいつは、二十歳を過ぎてから再びタイに渡った。そこで整形手術をして、顔の傷痕を消したって話だ。ちなみに海外でも、かなり派手に暴れてたらしいよ。タイやカンボジアの連中も、獅道には一目置いてたって話だ。日本に戻ってきたのも、フランスのマフィアと揉めたのが原因らしい」

 聞けば聞くほど、とんでもない男だ。立花は、かつてないほどの脅威を感じていた。彼とて、数々の修羅場を潜っている。裏の世界で、大勢の人間を地獄に叩き落としてきた。だが、獅道はレベルが違う。今まで遭った者たちの中でも、間違いなく最強だ。
 同時に、ぞくぞくするような感覚も覚えていた。久しぶりに感じる、本物の戦いの予感。細かいことは何も考えず、ただただ目の前の敵を叩き潰すことにのみ全能力を集中する、あの独特の瞬間。もう一度、あれを味わいたい。
 幼い時に地獄を経験し、海外でも派手に暴れていた高村獅道。奴と戦いたい。そして、この手で仕留めたい。無論、返り討ちに遭う可能性もある。
 だからこそ、面白い──

「あんた、大丈夫かい?」

 成宮に言われ、立花ははっと我に返った。

「その高村獅道は、何が目的で騒ぎを起こしているんだ? 最後に、それだけ教えろ」

「さあね。恐らく、目的はその竹川親子なんだろうよ。そいつらに聞いてみるんだね」

「そうか。邪魔したな」

 言うと同時に、くるりと背中を向け立ち去ろうとした。すると、成宮の声が聞こえてきた。

「最後に、ひとつ忠告する。あいつは、日本のヤクザや半グレなんかとは違う。本物なんだよ。やることも無茶苦茶だ。不死身の立花さんも、今回は遺書を用意しといた方がいい。まあ、奴を敵に回さないのが一番賢いけどね」

「そうかい。だったら、今度来た時は奴の生首を手土産に持ってきてやる」

 答えた時、別の声が聞こえてきた。

「シドがお前らに殺られたら、俺はこの仕事を辞める。そして、必ずお前らを殺しに行く」

 その声は、成宮のものではない。振り返ると、レンの鋭い視線が飛んできた。
 立花は、ニヤリと笑う。

「いつでも来な。遊んでやるよ」





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