ザイニンタチノマツロ

板倉恭司

文字の大きさ
4 / 41

六月一日 義徳、仕事を引き受ける

しおりを挟む
 とあるビルの地下一階。
 だだっ広く薄暗いオフィスに、灰色の地味なスーツに身を包んだ中年男が椅子に座り、雑誌を読んだりスマホをいじったりしている。表情はぼんやりとしており、気だるそうでもあった。
 奇妙なことに、部屋には他に誰もいなかった。机や椅子なども複数置かれているが、誰も使っていないのは明らかである。中年男ひとりが使用するには、いささか広すぎるように見えた。
 やがて、中年男は立ち上がった。時計を見るまでもなく、午後五時を過ぎているのは分かっている。
 さっさと帰るとしよう。



 緒形義徳オガタ ヨシノリは、満願商事の社員である。ただし、彼のやらなくてはならない仕事はほとんど無い。午前九時前後に出社し、地下一階のオフィスに行く。そこで適当に暇を潰し、午後五時になったら帰るのだ。その存在自体、社内でも知っている者はほとんどいない。
 結局のところ、義徳はいわゆる窓際族に近い存在なのである。いや、幽霊社員といった方が正しいかもしれない。いてもいなくても会社には何の影響もなく、ただ身を置いているだけ。今のところは、リストラの心配がないのだけが唯一の救いだが。
 そう……義徳をクビにすると、満願商事は非常に厄介なことになるのだ。

 仕事が終わると、義徳は真っ直ぐ家に帰る。寄り道などは一切しない。電車に乗り、人ごみに揉まれながら帰宅の途に付く。
 駅を降りてしばらく歩き、真幌市にある一軒家に着いた。

「ただいま」

 声をかけながら、扉を開ける。すると、最初に玄関にて義徳を迎えたのは丸々と太った黒猫だ。義徳の顔を見上げ、にゃあと鳴く。続いて──

「おかえりなさあい」

 声とともに奥から出て来たのは若い娘だ。ただし、義徳には似ても似つかない。そもそも、人種からして明らかに違うのだ。義徳はどこからどうみても、四十歳を過ぎたオッサン……いや、典型的な中年の日本人男性である。
 それに対し、娘は彫りの深い顔立ちで、目鼻立ちがはっきりしている。肌は白く、髪は金色。欧米の貴族を思わせる美しい顔立ちは、どうみても日本人ではない。
 だが義徳にとって、彼女は紛れもなく、自分の家族であった。名は緒形有希子オガタ ユキコ。欧米人のような顔立ちには似つかわしくない名前だが……義徳の養女である。当然ながら、ふたりの間に血の繋がりはなかった。

 リビングでくつろいでいる義徳に対し、にゃあと鳴きながら擦り寄っていく猫。それを見た義徳は、満面の笑みを浮かべる。

「よしよし。マオニャン、お前は本当に可愛い奴だなあ」

 そう言いながら、義徳はマオニャン──言うまでもなく猫の名前だ──の喉を撫でる。
 するとマオニャンは、ゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らしながら、義徳の前で仰向けに寝転び、肉付きのいい腹を見せる。義徳は思わず苦笑した。

「ちょっと、マオニャンってさあ……あたしより父さんに懐いてない? いっつも世話してんの、あたしなのにさ」

 有希子が口をとがらせて言う。とても流暢な日本語だ。顔立ちからは想像も出来ないだろう。

「えっ? そうなのか?」

 困った顔をしながら、マオニャンの腹を撫でる義徳。確かに、もともと捨てられていた仔猫を拾ってきたのは、小学生の時の有希子だ。マオニャンという名前を付け、きちんと世話をしてきたのも有希子である。
 にもかかわらず、マオニャンは義徳の方に懐いてしまっていた。不思議なものだ。
 その時、義徳の携帯電話が震える。どこからかメールが来たらしい。

(あなたの口座に、間違えて一千万円を振り込んでしまいました。申し訳ないのですが、出来るだけ早く連絡をください。真幌公太)

 常人なら、単なるいたずらと判断しただろう。あるいは、何らかの犯罪の匂いを嗅ぎ取るか。いずれにしても、こんなメールは放っておいたはずだ。
 しかし、義徳の対応は違っていた。無言で、すぐに外へと出ていく。


 真幌公園のベンチに座り、真ん中にある池を眺める義徳。先ほどのメールは、ある知人からの暗号である。ここに呼び出されるということは、確実によからぬ事態だ。
 やがて、紺色のスーツを着た男が姿を現す。中肉中背で髪は短め、年齢は二十代後半から三十代前半か。一見すると、やや軽薄ではあるが爽やかな好青年、といった感じの風貌の持ち主だ。にこやかな表情を浮かべながら歩き、義徳の隣に座った。

「お久しぶりですね、義徳さん」

 そう言うと、男はポケットからタバコの箱を取り出した。一本抜き取り、火をつける。

「俺に何の用なんです、住田さん」

 義徳は吐き捨てるような口調で言った。不快そうな表情を隠そうともしない。それに対し、男は笑顔で答える。

「いやだなあ。住田さん、なんて他人行儀な呼び方はやめてくださいよ。昔みたいに、健児って呼んでくれなきゃあ。俺と義徳さんの絆は、ホモより固いんですから」

 そう言うと、男は馴れ馴れしい様子で義徳の肩をぱしぱし叩く。端から見れば、親しい友人同士のじゃれ合いでしかないだろう。
 だが、義徳は知っている……この住田健児スミダ ケンジは、怪物のような男なのだ。

「実はですね、義徳さんにちょっとした仕事をお願いしたいんですけど……」

 健児は、馴れ馴れしい態度を崩さずに言った。それに対し、義徳は何も答えない。じっと健児を見つめる。どうせ、ろくな仕事ではないのだ。

「どうしたんですか義徳さん、あなたも、どうせ暇でしょう? だったら、仕事の片手間に手伝ってくれてもいいじゃないですか?」

「どうせ、俺に選択の余地はないんでしょうが」

 吐き捨てるように言い、義徳は健児を睨みつけた。だが、健児はまったく動じない。

「何を言ってるんですか。もちろん、断るのは義徳さんの自由ですよ。その結果、どうなるかは俺は知りませんがね。ただ、俺は何も強要はしてませんし、する気もないです」

 健児はそう言うと、にこやかな表情で義徳を見つめる。
 その表情を見た義徳は、心底から不快になってきた。この男のやり口はよく知っている。目的のためならば、手段を選ばないのだ。義徳を動かすためならば、どんなことでもするだろう。
 自分と有希子の平和な生活など、目の前にいる男はいとも簡単に破壊できるのだ。

「わかりましたよ。で、私は何をやればいいんです?」

「引き受けてくれますか。いやあ、ありがたい。さすがは義徳さん、頼りになる先輩ですね」

 言いながら、満面の笑みを浮かべて義徳の肩をバンバン叩く健児。
 しかし義徳の表情は、氷のように冷えきっていた。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...