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天使の心 陽一
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西村陽一は、凄まじい勢いで夏目正義の腕を引いて行く。
まずは、ここから離れなければならない。少しでも早く、少しでも遠く。陽一は夏目の手を引き、目に付いた公園まで歩いた。振り返ってみたが、追いかけて来る気配はない。まともな武器を持ってこなかったことを激しく後悔した。まさか、あんな奴がいようとは。
「陽一、痛えよ。手を離してくれ」
夏目の声で、陽一はようやく我に返った。
「あっ、すみません」
謝りながら、手を離した。すると、夏目はそばにあったベンチに座りこんだ。射るような視線を向けながら、口を開く。
「なあ、どうしたんだよ? 何があった?」
「いや、あれはヤバいですよ。それより逆に聞きますが、夏目さんはあいつをどう思いました? 奥から出てきた、外国人みたいなガキです」
「えっ?」
面食らったような表情になる夏目。しばらく黙って、何やら思案げな動きを見せた。
「どうって……変な奴だなあ、とは思ったよ。それくらいだな。陽一、あいつはそんなにヤバかったのか?」
「はい、今にも殴りかかって来そうでした」
そう、あいつは本当に危険だ。そこら辺のチンピラヤクザなど、比較にならないほどの恐ろしい匂いを発していた。しかも、あいつは自分たちに襲いかかろうとしていたのだ。まるで、獲物を前にした肉食獣そのままの雰囲気で……。
この業界に入る前、陽一は完全に狂ってしまった男と相対したことがあった。己の内に潜む狂気の命ずるがままに、錆びた果物ナイフを振り回していた。結果、陽一の目の前でひとりの人間を滅多刺しにして殺したのだ。あの時、陽一は本物の恐怖を感じた。殺されるかもしれない、という掛け値なしの恐怖を。
先ほど出会った少年は、あの時の狂人と同じ匂いを発していた。綾人からも、危険な何かを感じたのは確かだ。しかし、あの少年は綾人など比較にならないものを感じる。
しかし、そうなると疑問が生じる。夏目は綾人を一目見て、事件の匂いを嗅ぎ付けたのだ。殺人かもしれない、という疑念を抱いた。にもかかわらず、あの少年に対しては、その嗅覚が反応しなかったらしい。これは、どういうことなのだろうか?
あの少年と綾人の違いは?
「もしかして、あのガキが二人を殺したのか?」
不意に夏目が尋ねる。陽一は、首を横に振った。
「どうでしょうね。ただ、綾人とガキは全然違いますよ。綾人は、何かを隠しています。何かやらかして怯えてる、そんな印象を受けました。しかし、あのガキはまるで違う。あいつは、本物です」
そう、話しているうちに気づいた。二人の違いはそこなのだ。綾人からは、罪の意識を感じた。何かを必死で隠そうとしている意識も。とんでもないことをしでかしてしまい、その大きさに打ちのめされ、怯えている。それが陽一の目から見た、綾人の印象だ。そのとんでもないこととは、恐らく殺人だろう。夏目の鼻は、その匂いを嗅ぎ付けたのではないか。殺人の匂いではなく、罪の意識の匂いだ。
少年から受けた印象は、それとは違う。何のためらいもなく、人を殺してのける。しかも、その行為に喜びを感じる……本物の殺人鬼だ。
陽一の脳裏に、今さっき見た少年の不気味な表情が甦る。あいつは、陽一を見た途端に笑みを浮かべたのだ。いかにも楽しそうに。まるで、遊び道具を見つけた子供のような表情で笑った。
次の瞬間、陽一は自分に殺意が向けられているのを感じた。強烈な殺意を剥き出しにして、迫ってきた。
その時……陽一の方も、頭の毛が逆立ち、全身の血が沸き立つような感覚に襲われた。何もかも忘れ、狂気に身を委ねたいという思いが五体を駆け巡る。本能の命ずるまま、少年と殺し合いたい。生きるか死ぬかの境界線に身を置きたい──
しかし、隣にいる夏目の存在が、陽一の本能を押し止めたのだ。どうにか理性のブレーキを働かせ、迷うことなく退却する道を選んだ。あのような人目に付きやすい場所では、殺しても殺されても、陽一には何の利益も無い。それ以前に、夏目に危険を及ぼしかねない行動は慎まなくてはならないのだ。
「夏目さん、はっきり言います。あなたは、奴らと関わらない方がいいですよ。この件から、手を引いてはどうです?」
「あいつは、そんなに危険なのか?」
「そうですね。あくまで俺の勘ですが、あなたの手に負えるような相手じゃないですよ。関わらない方が身のためです。あとは、俺が引き受けますよ」
そう、奴と殺り合う時……夏目に近くに居られては足手まといなのだ。あのガキは、自分が仕留める。時と場合によっては、綾人も一緒に殺す。
そう考えただけで、陽一の血が騒いだ。
「わかった。ちょっと考えておく。にしても……お前、妙に嬉しそうだな。どうしたんだ?」
言いながら、夏目は探るような視線を向けてきた。しかし、陽一は素知らぬ顔で目を逸らす。自分の思いを、夏目のような男が理解してくれるとは思えない。
陽一には自覚があった。自分が狂っている、という自覚が……麻薬の依存性患者のように、闘争がもたらす快楽に取り憑かれてしまった己の愚かさや浅ましさに気づいてはいる。もっとも、それを理解できるのは、ごく一部の人間だけだ。少なくとも、夏目には理解できないだろうし、理解してもらおうとも思わない。
まずは、ここから離れなければならない。少しでも早く、少しでも遠く。陽一は夏目の手を引き、目に付いた公園まで歩いた。振り返ってみたが、追いかけて来る気配はない。まともな武器を持ってこなかったことを激しく後悔した。まさか、あんな奴がいようとは。
「陽一、痛えよ。手を離してくれ」
夏目の声で、陽一はようやく我に返った。
「あっ、すみません」
謝りながら、手を離した。すると、夏目はそばにあったベンチに座りこんだ。射るような視線を向けながら、口を開く。
「なあ、どうしたんだよ? 何があった?」
「いや、あれはヤバいですよ。それより逆に聞きますが、夏目さんはあいつをどう思いました? 奥から出てきた、外国人みたいなガキです」
「えっ?」
面食らったような表情になる夏目。しばらく黙って、何やら思案げな動きを見せた。
「どうって……変な奴だなあ、とは思ったよ。それくらいだな。陽一、あいつはそんなにヤバかったのか?」
「はい、今にも殴りかかって来そうでした」
そう、あいつは本当に危険だ。そこら辺のチンピラヤクザなど、比較にならないほどの恐ろしい匂いを発していた。しかも、あいつは自分たちに襲いかかろうとしていたのだ。まるで、獲物を前にした肉食獣そのままの雰囲気で……。
この業界に入る前、陽一は完全に狂ってしまった男と相対したことがあった。己の内に潜む狂気の命ずるがままに、錆びた果物ナイフを振り回していた。結果、陽一の目の前でひとりの人間を滅多刺しにして殺したのだ。あの時、陽一は本物の恐怖を感じた。殺されるかもしれない、という掛け値なしの恐怖を。
先ほど出会った少年は、あの時の狂人と同じ匂いを発していた。綾人からも、危険な何かを感じたのは確かだ。しかし、あの少年は綾人など比較にならないものを感じる。
しかし、そうなると疑問が生じる。夏目は綾人を一目見て、事件の匂いを嗅ぎ付けたのだ。殺人かもしれない、という疑念を抱いた。にもかかわらず、あの少年に対しては、その嗅覚が反応しなかったらしい。これは、どういうことなのだろうか?
あの少年と綾人の違いは?
「もしかして、あのガキが二人を殺したのか?」
不意に夏目が尋ねる。陽一は、首を横に振った。
「どうでしょうね。ただ、綾人とガキは全然違いますよ。綾人は、何かを隠しています。何かやらかして怯えてる、そんな印象を受けました。しかし、あのガキはまるで違う。あいつは、本物です」
そう、話しているうちに気づいた。二人の違いはそこなのだ。綾人からは、罪の意識を感じた。何かを必死で隠そうとしている意識も。とんでもないことをしでかしてしまい、その大きさに打ちのめされ、怯えている。それが陽一の目から見た、綾人の印象だ。そのとんでもないこととは、恐らく殺人だろう。夏目の鼻は、その匂いを嗅ぎ付けたのではないか。殺人の匂いではなく、罪の意識の匂いだ。
少年から受けた印象は、それとは違う。何のためらいもなく、人を殺してのける。しかも、その行為に喜びを感じる……本物の殺人鬼だ。
陽一の脳裏に、今さっき見た少年の不気味な表情が甦る。あいつは、陽一を見た途端に笑みを浮かべたのだ。いかにも楽しそうに。まるで、遊び道具を見つけた子供のような表情で笑った。
次の瞬間、陽一は自分に殺意が向けられているのを感じた。強烈な殺意を剥き出しにして、迫ってきた。
その時……陽一の方も、頭の毛が逆立ち、全身の血が沸き立つような感覚に襲われた。何もかも忘れ、狂気に身を委ねたいという思いが五体を駆け巡る。本能の命ずるまま、少年と殺し合いたい。生きるか死ぬかの境界線に身を置きたい──
しかし、隣にいる夏目の存在が、陽一の本能を押し止めたのだ。どうにか理性のブレーキを働かせ、迷うことなく退却する道を選んだ。あのような人目に付きやすい場所では、殺しても殺されても、陽一には何の利益も無い。それ以前に、夏目に危険を及ぼしかねない行動は慎まなくてはならないのだ。
「夏目さん、はっきり言います。あなたは、奴らと関わらない方がいいですよ。この件から、手を引いてはどうです?」
「あいつは、そんなに危険なのか?」
「そうですね。あくまで俺の勘ですが、あなたの手に負えるような相手じゃないですよ。関わらない方が身のためです。あとは、俺が引き受けますよ」
そう、奴と殺り合う時……夏目に近くに居られては足手まといなのだ。あのガキは、自分が仕留める。時と場合によっては、綾人も一緒に殺す。
そう考えただけで、陽一の血が騒いだ。
「わかった。ちょっと考えておく。にしても……お前、妙に嬉しそうだな。どうしたんだ?」
言いながら、夏目は探るような視線を向けてきた。しかし、陽一は素知らぬ顔で目を逸らす。自分の思いを、夏目のような男が理解してくれるとは思えない。
陽一には自覚があった。自分が狂っている、という自覚が……麻薬の依存性患者のように、闘争がもたらす快楽に取り憑かれてしまった己の愚かさや浅ましさに気づいてはいる。もっとも、それを理解できるのは、ごく一部の人間だけだ。少なくとも、夏目には理解できないだろうし、理解してもらおうとも思わない。
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